第2話 心を走らせて

 県駅伝、当日がやってきた。みんなは田中先輩をいい思い出と共に大学受験に送り出そうと張り切っていた。


 もちろん僕もそう思っている。けれど、先輩に僕が駅伝メンバーに入ることを伝えられてから一度も調子が戻ってくることはなかった。


「悠真、大丈夫か?」


 先輩が僕に向けて気遣うように声をかけてくれる。先輩は1区の10km。僕の5区の3km。先輩の方が重要で緊張しているだろうにそんな声をかけてくれる。


 5区はほぼ、終盤で抜かれることもほとんどないからそんなに緊張する必要はない。ただ、この日まで勝てていない自分との戦いになる。


「大丈夫ですよ、僕に任せておいてください」


 全く大丈夫じゃない。けれど、先輩に走る前に僕のことを考えさせるわけにはいかなかった。人の前で久しぶりに僕っていう一人称を使った。


 これで、自分に言い訳が効かなくなった。僕っていう一人称は素の僕のことだから。


 それぞれ、「頑張ろうね」やら「楽しんでいこう」と言い合って別れる。そして時間になると自分の定位置に移動する。


 時間になり、5区の移動時間が回ってきた。一人また一人と、走ってきた高校のユニフォームをきた選手が襷を引き継いで走っていく。


「僕の勇姿に皆が瞠目するまであと少し」


 緊張が高まり、足が震える。大仰なことを呟いて、落ち着こうとしているけど役に立っているかは全く分からない。瞠目って僕の走る場所は田舎道で周りは田んぼしかないから誰も見てないし。


 入部して早々、大型新人って言われて僕より速い後輩が襷を持って他の高校二つと競っって襷を渡される。


 大型新人って言われてもそのまま成長した後輩から大型新人って言われて潰れた僕への襷、こんな競っている状況じゃなかったらちょっと面白かったかもしれない。


「誰だよ、5区のような終盤はトップ校近くじゃないとあまり順位が入れ替わらないって言ったやつ」


 自分が勝手に思っていただけではあるけど、そう思わず呟いた。これじゃ、抜かれたら僕のせいになるじゃん。


「任せときな、突き放してやるよ」


 心とは真反対のことを言葉として吐き出す。僕はまだ、先輩に何もできていない。ここで僕は最低限でも恩返しをするんだ。そうじゃないと僕は自分を許せない。


 後輩から襷を受け取るとそのまま、さっき呟いた言葉の通りに後ろについてきた2校を突き放すべく、ぶっ飛ばした。


 きっと先輩が見たら、相変わらずの走りに呆れるだろう。僕たちの高校と同じ地区の人が見たら賭けをして楽しむかもしれない。僕の走りはいつ落ちるのかで盛り上がるって聞いたことがある。


「悪いけど、今回は落ちるわけにはいかないよ」


 そう心で言ってみるけど、恐らくどこかで必ず失速するだろう。それでも気合いで走り通す。そう思っていたのに、このスピードに一人の選手がついてきた。


「バカなの? こんなスピードで最後までつわけないやん」


 自分のことを棚に上げてそんなことを思う。


 1500m地点、まだ僕は珍しくそこまで落ちていない。気合いで何とか標準的には速いくらいのスピードを保っている。


 後ろも普通についてきているし、今僕は抜かれた。


「大丈夫、前半あんなに飛ばしたんだから保つわけがない」


 心がやられそうな僕にそう励ます。残り1km、相手はまだ落ちない。僕の喉は痛くなり、血の味がする。胸も心なしか苦しい。それでも足は勝手に前へと踏み出す。


 相手も苦しいはずだ。徐々に離されて相手の背中は数メートル先にある。されど、タイム差は僅か1秒程度の開き。まだいける。


 僕はそもそもこの苦しみに慣れている。全力ダッシュを始めからするスタイルである僕はこの苦しみの中、走るのに慣れている。練習の時と違って足は勝手に進んでくれている。


 目に汗が入り、視界がぼやける。相手との距離はゆっくりと離されていった。相手もきっと諦めさせようと上げただけで落ちてくる。そう信じて僕は走り続ける。


 恩ある先輩をいい結果で送り出せるように僕は何も考えずに足をただ前に出す。変なことを考える余裕も僕にはなかった。ぼんやりとした景色から先輩の連れてきた助っ人の声がする。襷を外し、最後の気力を振り絞った。


「襷、託しましたよ」


 そう心で呟いて、いつもの如く僕は地面に倒れる。心臓の音がとてもうるさい、飛び出して出ていってしまうんじゃないかってほど大きく動いている。


 口は相変わらず、血の味で走っていた時より胸が苦しいけれど、記録会では感じることのない達成感に包まれていた。


 僕にとって陸上は弱い自分を鍛えるための場所だった。人の言葉を気にして何か言われた時にそれは本当の自分ではないって一人称を変えていることで言い訳する自分から脱却するために始めたものだった。


 始めて、僕は人のために本気で走った。あとで聞いた話によると僕のタイムは9分31秒82。約45秒ほどのベストタイム更新だった。中学の時から変わらなかったベストタイム。それが今、更新された。


 田中先輩、こんな僕を気にかけてくれてありがとうございました。

 大学受験、頑張ってください。

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《完結》爆弾ランナー コウノトリ🐣 @hishutoria

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