『見つかってしもうたわい』

エノウエハルカ

『見つかってしもうたわい』

 ……まただ。また出た。


 最初はほんの些細な違和感だった。よく気をつけていないと、『あれ?』としか思わないような、小さな誤謬。


 しかし、一度気になるともうそればかりになってしまうような、一種の強迫観念じみた現象。


 ……視界の端を、『なにか』がよぎるのだ。


 その白い影は、なにかの残光かとも思われた。写真のフィルムのようにまぶたの裏に焼き付いた影だと。


 だが、どれだけ時間が経っても、『それ』は一向に消える気配がなかった。それどころか、出現する頻度が上がっているようにも思える。


 たとえば眠りに落ちる前だとか、たとえば通勤電車で車窓を眺めているときだとか、たとえばパソコンでデータを入力している最中だとか。


 出てくるシチュエーションは様々だ。


 しかし、決まって白い影が、ふっとよぎるのだ。


 最近では、『それ』は人影のように見えてきた。


 いつでもどこでも現れる『それ』の規則性を探ろうともした。疲れで見えているのかもしれないのかとも思ったが、そうでもない。入眠時幻覚かと思えばそれも違う。


 気になって気になって、仕方がなかった。


 ただの目の錯覚にしては、『それ』はあまりにも存在感があったからだ。そこに在る、生々しいリアルとしての異彩を放っていた。到底無視できるものではない。


 たしかに、『それ』は『居る』のだ。寝室に、あるいは車窓の外に、あるいはパソコンの画面上に。


 どこにでもいる『それ』が気になって、ノイローゼ気味になった。


 もちろん、医者にはかかっている。脳神経外科、眼科、精神科にも診てもらった。


 が、どの医者も口をそろえて『異常なし』と言うのだ。


 もうどうしていいかわからず、ただただ『それ』に気を取られてしまう。人影に見える『それ』は、いつまでもどこまでも付きまとってきた。


 気のせいだ、と自分に言い聞かせても無駄だった。


 なにせ、気のせいではないからだ。


 たしかに『それ』は存在している。そして、ふっと眼前を過ぎ去っていくのだ。


 もしかしたら、この世のものではないのかもしれないと、お祓いにも行った。しかし、『それ』は変わらず現れた。


 いつなんどきも付きまとわれ、発狂しそうになった。まるで頭上の月のように、どこまで逃げても追いかけてくる。


 ……ふっと、また今も。


 髭を剃る手を止めて、鏡を覗き込んだ。鏡の中にさえ、『それ』はいるらしい。


 なんなんだ? 一体どこから来ているんだ?


 鏡をくまなく観察してみても、先程現れた白い人影はどこにもいなかった。まさに神出鬼没だ。


 それにしても、やつれた顔をしている。会社にもずいぶん行っていない。目が死んだ魚のように濁っている。


 ……目。


 黄色く濁って血走った右目。


 なにかゴミが入っている。取らなければ。


 鏡に顔を近づけてゴミを取り除こうとした。


 しかし、そのゴミは『動いた』。


 虫か? いや、それにしては……


 ……そして、はっきりと気づいてしまった。


 目の中に、白い人影がいる。


 死装束を着た、ごく小さい老婆だ。にやにやと笑っている。


 そうか、『それ』の正体とは……


『見つかってしもうたわい』


 老婆はそううそぶき、眼球の中から、ずるりと這い出てきた。


 老婆はひとりではない。


 次から次へ、続々と同じ極小の老婆が目玉の中から出てくる。右目のみならず、左目からも。


 ず、ずぞ、ずぞり、ずぞりずぞりずぞりずぞり……


 たちまち眼窩は空っぽになり、その奥の脳までもが老婆となってからだの外に這い出てくる。


 絶叫した。が、その絶叫は自分には届かない。


 それを感じる脳までもがなくなっているからだ。


 ただ大量の吐息で声帯を震わせながら、やがて意識は消えていった。




「……にしても、妙なホトケさんですね」


「まあな。眼球と脳みそだけがなくなってるんだ。司法解剖の結果待ちだが、鑑識もお手上げだってよ」


「もしかして、猟奇殺人事件かもしれませんよ?」


「言ってろバカ。小説の読みすぎだ。なにかの病気で脳みそがこぼれちまったんだ」


「けど、その脳みそもなくなってるんですよね? ほらぁ!」


「……ともかく、解剖してみなけりゃわからんが、単なる病死だよ」


「えー、それなら……ん?」


「どうした?」


「……いや、さっきなにか通り過ぎて行ったような……気のせいですよね!」


「疲れてんだろ。それより、とっとと帰るぞ。もうできることはない」


「はーい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『見つかってしもうたわい』 エノウエハルカ @HALCALI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画