第10話 世界を巻き込むおばちゃんパワー

魔王城の中庭は、まるで縁日のような賑わいが広がっている。

マーヴィンが取り仕切る屋台には人間や魔物が入り混じり、食べ物から雑貨まで色とりどりの商品が並んでいる。

「こっちに新鮮な野菜もあるで。 ほら、試しに食べてみ?」と幸子の声が響くたび、初めて見る味に目を丸くする魔物たちが楽しそうに頷いている。


ディアスはその光景を少し離れた石段の上から見下ろしていた。

いつもの漆黒のマントを羽織ってはいるが、腰にはタオルを巻いたままだ。

「腰の痛みはまだ残るが、まさかこの城がこんなにも賑わうとはな。」

彼が低く呟くと、そばにいたアンネリーゼが小さく唇を震わす。

「本当に、信じられない光景です。 魔王軍の兵士が、人間に商売のコツを習うなど…」

その言葉こそ苦々しく聞こえるが、彼女の目はどこか楽しそうに見える。


そこへ、ジェードが食べかけの串焼きを手にやって来る。

「魔王さん、アンネリーゼさん、近隣の街の人たちも続々と来てるみたいやで。 俺、勇者として案内役やってるから、なんや忙しいわ。」

ディアスはジェードの姿を見て、ほんの少し唇をゆがめる。

「お前はすっかり“共存の勇者”のようになっているな。 人間サイドから責められたりはせんのか?」

ジェードは照れくさそうに頭をかく。

「そら、ギルドの一部の人からは『魔王を倒さんで何してんねん』て言われるけどな。 でも、ウチと話してくれる人も多いわ。 なんか、世界が広がった気がしてる。」


アンネリーゼはまだ眉をひそめながらも、目を伏せて頷く。

「私も、魔王軍としては複雑な気持ちがあります。 ですが、兵士が笑っているのを見ると、これはこれで良いのかもしれないと思えてきました。」

ディアスは腰を軽く伸ばすように体を動かし、深く息を吐く。

「争わずとも、ある程度の支配…いや、影響力を得られるなら、それも一つのやり方ということか。 腰痛との闘いもあり、いらぬ激突は避けたい。 我ながら情けない魔王だが。」


ジェードは「そんなことないんちゃう?」と即座に返す。

「世界を巻き込んで盛り上げるいうのも、ある意味“征服”みたいやん。 しかも、魔王さんが戦わんでも人が集まってくるんやから、これはこれですごいと思うで。」

アンネリーゼも苦笑しながら、「おばちゃんの存在がなければ実現しなかったかもしれませんね…」と呟く。


ちょうどそのタイミングで、魔王城の入口のほうからワイワイと大きな声が聞こえてくる。

幸子が人を呼ぶような元気な声だ。

「こっち、こっちやで! せっかくやから魔王さんにも会ってってな!」

人間客や魔物の客を引き連れて、笑顔で手を振る幸子の姿が見える。


そのまま幸子はディアスのほうへ駆け寄り、大きく手を振る。

「魔王さん、ちょっと来て。 あんたが店主の顔やし、挨拶したらみんなよろこぶで。」

ディアスは一瞬戸惑いを見せるが、周囲の好奇の視線もある中、しぶしぶ立ち上がる。

「……仕方ない。 おばちゃん、どのように挨拶すればいいのだ?」


幸子は「そんなん簡単や。」とにっこり笑う。

「『いらっしゃい』言うたらええねん。 あとは『楽しんでってや』とか、フランクに声かけたらええ。」

ディアスは半信半疑で幸子の隣に立ち、少しぎこちない姿勢で人々に声をかける。

「よ、ようこそ。 …楽しんで、いってくれ、たまえ。」

その様子がおかしくて、幸子は思わず吹き出しそうになるが、ぐっとこらえて拍手する。

「おお、ええやん。 魔王さんが優しく迎えてくれるなんて、めったにないで。 みんなも拍手や!」


人間も魔物も区別なく、素直に歓声を上げる光景は、かつての殺伐とした魔王城からは想像できないものだ。

ディアスの顔には照れとも困惑ともつかない表情が浮かんでいるが、その奥にあるどこか柔らかな空気は否定できそうにない。


そんな中、幸子はふと空を見上げて、もごもごと口を動かす。

「こっちはこっちで楽しいけど…ウチ、元の世界に帰らんでええんかな。」

それを耳にしたジェードが「おばちゃん、元の世界って言うても、大丈夫なん?」とそばへ寄る。

「いや、梅田の街が恋しいといえば恋しいけど、こっちに来てからいろんな人と喋って、なんや充実してる感じやねん。

家族や近所の人には悪いけど…んー、どないしようかな。」


アンネリーゼが少し申し訳なさそうに目を伏せる。

「もし魔力の余波でこちらに転移されたのなら、戻る方法を見つけるのは簡単ではありません。

研究すれば何か分かるかもしれませんが…時間がかかるでしょうね。」


幸子は「そうかあ…」とつぶやき、顎に手を当てて考え込む。

ディアスはその様子を見て、わずかに息を吞むように口を動かす。

「おばちゃん、もしお前がここにいてくれるなら、私としては…助かることも多い。

腰のケアだけでなく、こうして城に賑わいをもたらしてくれた。 正直、帰ってほしくないと思っている。」


幸子は「あら、そんなに頼られるなんて悪い気せえへんわ」と微笑する。

「いっそ、ここで商売始めてもええんちゃう? 梅田のノウハウも生かせるし。」

ディアスはぎこちなく首を振りながらも、どこか嬉しそうに視線をそらす。

「もはやお前がいない魔王城など、考えられなくなりそうだな…。」


ジェードがその光景を見て苦笑する。

「まさかおばちゃんが魔王に引き止められるとは。

ウチも勇者としては、自分の仕事が増えて困るような、でもなんか悪くないような、不思議な気分や。」


アンネリーゼは真紅の髪をさりげなくかき上げ、遠くを見やる。

「これから他国やギルドと正式に交渉を進め、世界平和というか、共存の体制を作るには多くの問題もあるでしょう。

でも、おばちゃんの存在があるなら、そう大きく道を外れることはなさそうです。」


幸子は「なんや知らんけど、めっちゃ頼りにしてくれるやん。 ほな、ウチも張り切ってやるで。」と大きく笑う。

「ここで店でも開いたり、イベント企画したり、なんでもやったるわ。 せっかく出会ったみんながハッピーになれるようにせな損やろ。」


魔王城の空はいつになく澄んでいる。

人と魔物が入り混じるこの場所で、おばちゃんが起こした奇跡的な変化は、まだまだ続きそうだ。

ディアスが小声で「腰の具合も、だいぶマシになってきたな…」と漏らすと、幸子がチラリと耳にして笑い声をあげる。

「ええやん、ええやん。 今度はみんなで体操とか取り入れて、もっと健康になったらええねん。」


ディアスやジェード、そしてアンネリーゼまでもが、まさかこんな日が来ようとは思っていなかったはずだ。

けれど、互いを見つめる視線には確かな信頼や、これからの期待が灯っている。

梅田のおばちゃんパワーに巻き込まれたファンタジー世界は、きっと新しいステージへ踏み出していく。


街のほうからやって来た客たちのざわめきがますます大きくなるのを感じながら、幸子は胸を張る。

「ああ、なんや忙しくなるで。 でも、ウチ、こんな大騒ぎ大好きやからちょうどええわ。 やるからには思いっきり盛り上げよか。」


彼女の声に呼応するように、魔王城のあちこちから笑い声や掛け声が聞こえてくる。

そこにはかつての殺伐とした空気はなく、人と魔物が一緒に歩む活気が溢れている。

ほんの些細な一歩かもしれないが、世界を変えるにはそれで十分だったのかもしれない。

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梅田から世界へ飛んだけど 〜おばちゃん、なぜか魔王城をジャック〜 三坂鳴 @strapyoung

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