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  • >本を読むとは、個人だけの体験なのです

     本当ですよねぇ。酒呑みのオッサンでも、本を読んでいる時だけは、スーパーヒーローや凄腕冒険者になれます。それにしても私、読むスピードが恐ろしく遅いんですよね。
     それを良く妻に馬鹿にされますが、楽しみが長くなるから良いんだと言い返してます。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。

    立て続けに反応をいただけて感謝です。
    それに今回はレビューまでいただき、忝ないです。

    さて、第三図。

    文字って日本人は当たり前に使える人が多いけど世界人口だと使えない人も多くいたりします。

    だから書き言葉による物語は識字と社会性を得た人だけの恩恵だと思うのです。

    なのに。
    物語と書き言葉、文字との関係を述べた言説はあまり目にしない。
    あっても、相当に専門性があったり難解だったりします。

    それじゃあ、なんの専門家でもないし、知恵も知識も乏しいけど書いてみよう。
    自分の考えを書き残して、賢い人に考える契機にしてもらって何か教えて貰おう。
    そんな次第でこんなエッセイを書いたものです。

    本作を@Teturoさんに好意的に受け止めて貰って良かったものです。

    また感想の意見には同感です。
    読むのが遅くても早くても。
    ひとりきりの楽しみ、読書の時間は豊かな時間ですよね。

    ともあれ。
    重ねてこの度もコメントや、レビューをありがとうございました。

  • 一文に込められる情報量の限界を明示しつつ、それでも物語が成り立つ理由を掘り下げている。その不完全性を否定するのではなく、むしろ可能性の源と捉える視点が良い。読み手の力によって完成するという構造の美しさが際立っていますね。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうございます。

    最近は返信が遅れることが多くて申し訳ありませんでした。

    さて、第五図。

    物語には情報量が足りていない。
    読むときに、各人が各様に足して読解する。
    という話。

    これは、物語だけの話ではないかもです。
    強いて言うなら〝手巻き寿司〟とか〝中華料理の多数の卓上調味料〟とかも似ています。
    なんか、食べ物に偏ってますが。
    同じものを受け取った受け手各人が受け方に作用する事柄は、ままありますね。

    人間の記録伝達方法にはルールがあり。
    ルールの強度それ自体も対象により異なっているのでしょう。

    数学の定理が強度高めならヒップホップダンスは強度低め、のように。

    そして、今回の法王院さんの当回の内容の把握へも、何ら加えるところはないのです。圧倒的理解です。感謝です。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

    編集済
  • 文字の理解には社会的学習が不可欠であり、読み手は必ず他者との関係の中で「読む力」を得る。しかし、その文字が生む物語はあくまで個人の内面において立ち上がるという、深い対比が提示される。言語の共有性と物語の私秘性を明確に分けて示すことで、読者に新しい認識の回路を開いていますね。

    作者からの返信

    おはようございます。
    いつもコメントありがとうございます。

    今回の返信も遅れました。なんと五日前です。
    ほんとうに、申し訳ありませんでした。

    さて第四図

    当回は入れるかどうか迷った部分です。
    要旨として、物語理解のための〝文〟の解説に、文字な習得条件についての言説は適当かと悩みました。

    そこで思ったことは。
    これはエッセイなので、読むうちに視点を変える回や広げる回は必要だろう、ということです。

    言語はその個人の属する社会と繋がらないと機能しない。
    そのため、もっとも近しい社会の構成員から学ぶ事が通例。

    ここでは、そんなことを言っていたようです。

    ここに至って浮かぶ絵面として。
    賢しらな事を言う厳しい顔した学者などが子供の頃、親から〝かな文字〟を見せられ、指指して覚えているようすです。
    こんな場面を思うと微笑ましいです。

    そしてこれは物語の解読が、社会という枠を越えては成り立たないという証左でもある。
    そうも思って述べていた次第なのです。

    そしてまた。
    今回の法王院さんの内容の理解も、何も付け加えるところは、ありません。
    ほんとうに羨ましい読解力です。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

  • 読むという行為は一瞬ではなく、必ず順序と時間を伴うと論理的に示している。この点が、映画や演劇との比較により明確に浮かび上がり、説得力をもたせている。「体感時間の個別性」にまで踏み込むことで、人間の感覚に根差した考察になっていますね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    やはり法王院さんは、論説文の解釈は手練れです。
    解釈は完璧です。

    思い返すと。
    このエッセイの理屈として多様していたのが
    〝人間の行動には必ず所要時間がある〟ということでした。
    なにかというと、考える時間経過の話をしていたような気がします。

    コメントをいただくと昔の自分を客観的に眺められて、なんとなく苦笑です。

    重ねて。この度もまたコメントありがとうございました。

  • スラム街・銃撃・老犬・自己犠牲という重い設定を絡めつつ、「オデ、イヌ、好き」の語順の自由さが感情の核を成す展開が良い。この語りは、語順の変化がキャラクターの内面や情感表現に直結することを強く印象づけていますね。

    作者からの返信

    おはようごさいます。
    いつもコメントありがとうございます。
    また、日常。通常勤務が始まりました。
    こうなると、コメントだけが楽しみなのです。

    さて、二話。

    今回もまったく、言葉を差し挟む余地もない。簡素で、的確な感想です。

    語順。
    日本語でかつ〝助詞〟を外すと、そんなに気にしなくて良い事になる。
    そんな単文の例を示した回です。

    法王院さんは、それでも語順によるニュアンスがあることに着目されていて、慄きました。

    本作を論説文っぽくしたくなかったために、なんだか変な短編小説を挿れていて、読みにくい文章になっています。
    法王院さんは、さすがの読解力です。

    ともあれ。
    重ねて。この度も、コメントありがとうございました。

  • 読者が物語を読む際、文字そのものが意識から後退する現象を、脳の認知負荷軽減の仮説から丁寧に説明している。これにより、読書中に文字が「見えているのに見えていない」状態が自然に理解できる構造となっている。また、誤読や脱字の発見困難さをこの理屈に結び付けることで、経験則を理論的に補強している点が良いですね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    法王院さんの理路整然とした感想を伺うと、
    昔自分の考えていたことの復習になります。
    私は、自身が書いていた内容をよく忘れるので、考えをまた辿れる機会を得て、楽しませてもらっております。

    さて第一話。

    素人が書いている想像にすぎない事柄ですが、思っていることを好き勝手に書くのは愉快でした。

    本編は、そうですね。
    まったく法王院さんの言われる通りの内容です。
    〝文字と文意とは、同時には処理されない〟
    そんな認知の仕組みを述べたものです。
    〝〟の中の一文を示すために、くどくどと話をしていたのです。お恥ずかしいことです。

    というわけで、今回は私の意図と法王院さんの解釈は完全に一致なので、特に私の話すことはありません。
    もしかして。法王院さんは、論説文が得意とかなのでしょうか。

    重ねて。この度もコメントありがとうございました。

    編集済
  •  こんにちは。お邪魔しております。
     文字で書かれたお話って、読む側と書く側のある種の信頼関係で成立しているなーと思うのです。表現力、想像力など、本来なら個人で完結する能力が双方を繋ぐのが面白いなあって……なんか、語ってしまいました……恥ずかしい……

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうごさいます。
    この度はレビューまでいただき、忝ないのです。

    〝なんか、語ってしまいました……恥ずかしい……〟

    いやいやいや。
    私、一万字くらい語ってますし。

    絶対、私の方が恥ずかしいですよ。
    いわば、〝まっ裸で立っている私〟の前で
    〝チャックが開いていた遠部さん〟くらいの差があります。

    裸ですよ。フリチンです。そんな人の前で恥ずかしいは通りませんから。
    全然ですよ。勝手に裸、だったんですけどね。私は

    さて。五話。

    〝読む側と書く側のある種の信頼関係で成立しているなーと思うのです〟

    ほんとうに同意です。
    信頼がなくては、だれも一文も書くことはないでしょう。
    〝どうせ伝わらない〟と思って他者に向けて書く意味がないです。自分宛のメモではないので。

    そんな本来、他者へ伝わる保証もない自分の中だけの考えや思いからできた文章を、誰かに〝架けて〟考えや思いを伝える。
    奇特な手段です。文章って。

    そういう意味では。
    書き手は底抜けの楽観主義者です。
    でも書くときには、ムリにでもそんな心持ちでいなくてはならない。とも思います。

    重ねて。この度もコメントやレビューをありがとうごさいます。

    編集済

  • 編集済

    朝早くのコメント失礼致します。
    なるほど日本語ってそういえば倒置法どころか、もっと語順変えてもいけちゃうんですね…。
    ここまで文章の分解をして研究しようとした事無かったので、目から鱗でした。
    「犬怖い犬」は「犬が怖い犬の個体」とも受け取れてしまいますよね…。

    前回コメントした時に反応スピードが早過ぎたと誤解を与えてしまったようですが、そんな事無いのでお気になさらないで下さい。
    それでは失礼致しました。良い一日を。

    作者からの返信

    おはようございます。

    またコメントをつけていただき、ありがとうございます。
    苦難の通勤時間の救いはコメントだけです。
    助かります。

    前回の件。安心しました。お手数かけて恐縮です。

    さて分解図。

    言葉は読む方が頑張れば、助詞や接続詞とかなくてもやっていける。語順もなんとかなる。
    ムリをきいてくれる健気なやつです。

    でまた。巧い文も接続詞が少なくなる。
    これにも、読む方への誘導が関わる。

    巧拙が一見すると同じように見える。
    へんな記号なんです。言葉。

    ともかく。こんなめんどうな感想まがいのエッセイを読んでいただき、感謝しかないです。

    重ねて。この度もまたコメントありがとうございました。



  • ネイティブレベルで出来る言語が日本語しかないので他言語との比較は出来ないのですが、日本語ってとても難しいですね。

    難しいというよりは、「表現の幅が広すぎて未だに全容を理解できていない」という方が近いかも知れませんけど笑

    読みやすい文章もあれば、読みづらい文章もある。読みづらい文章と言っても、自分が理解できていないだけで、実は純文学的には美しいとされる文章の場合もあるのかもしれません。

    うん。
    余計に分からなくなりますね笑笑

    作者からの返信

    この度は、コメントありがとうございます。
    向夏夜なくのさんの〝恋についての全てを私は知りたい〟は日々通勤の際に拝読しておりました。現在次話待ち中ですね。

    さて言葉。
    考えると難しいです。
    歩行と似てますね。
    特に意識せずに歩くのですが、多くの人はその仕組みはあまり知らない。
    効率的に歩いてもいない。
    たぶん生涯知らないまま歩く。
    言葉もその意味や構造を知らずにずっと読み書きするんだと思います。

    読み難さと読み易さも人それぞれですね。
    読み易いのは大事ですが、それは面白さとは直接には繋がらない。
    言語学者や国文学者は、みんなが優れた作家というわけでもない。
    知識があれば創作の水準が向上するわけでもない。
    でも何か創作論とか知りたがったりもします。
    読み書きするというのは、ずっとそんな感じなのでしょうね。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

    編集済
  • どれも、とても興味深い内容でした。
    個人的に「オデ、イヌ……好き」の部分、大好きですね。
    オデとイヌ、出てくるたびにくすっとしてしまうのは、この「オデ」の属性にあるのかもしれませんね。そこに、頭は弱いけどとても心の綺麗な純粋さがあるように感じるからなのかなと思いました。
    また、本を読むというのは画面を見るのとは違って、きっと感じ方・捉え方が十人十色なのだろうと、はっとさせられました。どれだけ緻密に描写したところで、きっと思い浮かべる像は違うのだろうと、だからこそ本は面白いのかもしれませんね。
    とても面白いお話を、ありがとうございました。

    作者からの返信

    いつもコメントやレビューや応援をありがとうございます。
    お気遣いいただける、はる❀さんのような方々のお陰で、何とかやさぐれずに暮らしております。

    さて。
    はる❀さんの読解はとても正しくビックリです。
    あんな変なエッセイなのに。
    まさしく、本作の要点のひとつが

    〝映画や芝居や音楽ライブなどと違って本は大勢で楽しむことはできないよね〟

    ということで。
    読書の孤独さと豊かさを書いおりました。

    正確に指摘されるとドッキリします。
    きちんとした小説を書ける方の読解力はやはり確かです。
    同時にきちんと読んでいただいて恐縮でした。

    また〝オデとイヌ〟の
    小芝居を好意的に受け止めてもらって助かりました。

    重ねて、この度もまたコメントやレビューをありがとうございました。

  • こちらも拝読失礼します。
    確かに、「硬い」という文字をゼリーで作られていたら、一瞬脳が「あれっ?」と思ってしまいそうです。文字って、面白いですよね。
    同じ意味でも、平仮名で書くのとかんじで書くのではまた雰囲気も変わりますしね。
    またゆっくり読ませていただきますね☺️

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    コメントが私の僅かな元気の補給源なので、たすかります。

    文字の置かれた状況はよく見ると奇妙な場合ありますね。
    よく言われるのは〝貼り紙するな〟という注意を書いた貼り紙とかその類。
    自己言及のパラドックスですね。

    ひらがな・カタカナの場合は、いわゆる外来語や擬音の表記を越えて〝可愛さ、ポップさ〟の表記とも関わりますね。

    でもふだん私たちは、それを特に気にしない。
    この柔軟性が言葉の特性のひとつなのかも知れませんね。

    重ねて、この度もコメントありがとうございました。

    編集済
  • まず私が迫害されます←これめちゃめちゃ笑いました😂

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。コメントに返信することが日々の楽しみなのです。

    さて。
    本作に散在させた戯けた文を好意的に受け止めてくださりありがとうございました。
    本旨と関係なくても入れておいて良かったです。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

  • 物語を読むことは、ただ文字を追うだけじゃない。自分の中にある知識や経験、想像力を総動員して再構築する行為なんだと改めて感じました。文字が「足りない」からこそ、読み手の経験や知識が加わり、物語が豊かに再生される。この「余白」の美しさに、思わず唸りました。

    また、読解力は最高の再生機器、という視点が新鮮で、一冊の本を読んでも人それぞれ感じ方が違う理由がしっくりきました。文字だからこそ不完全で、だからこそ自由に広がる世界がある。そんな物語の奥深さを再認識することができました。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    悠鬼さんのコメントはいつも展望台のように思っています。
    自分の書いたものが何で、いまどこにあるものか、その端然とまとめられた書き込みに接して
    〝なるほど、こうだったのか〟
    と思う日々です。

    良き読解こそが、読書を豊かにする。
    (もっとも後編で〝読むこと〟の不確かさを記したりもしていますけれども)

    そう書いてある本文にコメントをつけている悠鬼さんの読解力が、頭抜けているのです。
    いつも驚くばかりです。

    やはり朗読の御経験でしょうか。
    知人の役者の人も読むこと重要さを話していましたから。
    演者を経験する方は必ず準備をされます。
    その際にはまずちゃんと、台本なり原作なり、原稿なりを真摯に読まないと始まらないのでしょう。

    自分が書いていてお恥ずかしいのですがら私は相当に読解が良くない方なのです。
    頭が痛いばかりです。

    ともあれ。
    重ねて、この度もコメントありがとうございました。



    編集済

  • 編集済

    カタカナが似てるので最初は、オデ……いや、オヂと間違えて読んでしまいました。語り口の軽やかさと独特の視点が絶妙だったので、気づけばオヂ(違う)……いや、オデに感情移入していました。日本語の並べ方ひとつでこんなにも感情を動かされるとは…まさに言葉の魔法ですね。オデが無事でよかった!あの老犬と、ずっと幸せに暮らしてくれることを願わずにはいられませんでした。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    悠鬼さんのコメントを見るだに襟を正す、というか正される思いがします。

    さて。
    いきなり〝人妻JK魔法少女、頂き女子りりちゃん〟こと渡邊真衣受刑者の特徴的な使用語句から始まりました。

    りりちゃんの手記はXでは読んでました。
    罪は罪として、手記は手記として目を引くものでした。
    ポエミーな文体にいきなり卑猥語が混在する手記には、独特の可笑しみと凄みがありました。

    さてさて。
    この回は、言葉の順序と個数の話です。

    しかし、私は真面目な話を長くするのが苦手で、なにか可笑しみを入れたい性分なのです。

    戯けた挿話を入れた結果として、文章が歪になったり論点がぼやけたりしていたなら失礼しました。
    しかし今回そこは悠鬼さんの読解力があるので安心です。

    そして、この回もまた好意的に受け取っていただいたようで何よりです。

    重ねて。この度もコメントをありがとうございました。


  • 編集済

    物語を読み解くように、文字の音や形、意味のつながりを探る視点がとても新鮮でした!普段何気なく読んでいる文字が、まるで音楽のように響いたり、詩のようにリズムを生んだりして、物語の世界をより豊かにしていることに改めて気づかされました。言葉の力って本当に不思議で、奥深いですね。

    文章を紡ぐことの面白さをじんわりと感じる、素敵な読書体験を木山先生のエッセイでできたらなと思います。

    作者からの返信

    いつもコメント、ありがとうございます。
    悠鬼さんのコメントは、ことに嬉しいと同時に緊張してしまいます。
    子どもの頃に学校の先生に書いてもらった家庭への連絡帳のような感覚なのです。

    さて。
    職業作家でも言語学などを修めた訳でもない私のような者が書く対象でもないとは承知しているのですが。

    なんとなく、言葉(日本語)について思ったことをエッセイにしています。

    この回では〝文字っていろんな役目があるので並べることは考え要るし、難しい〟という話です。

    とくに結論や答えめいた考えはないのです。
    よしなしごと、なのです。

    こんな私が思っただけのあれこれを悠鬼さんに好意的に受け止めていただき感謝しかありません。

    あと。悠鬼さんに、お願いなのです。
    〝木山先生〟は、よしてください。
    心臓に悪いのです。

    私の私淑する悠鬼さんが私の名前へ、そんなニ文字を付けているの見ると気が遠くなりそうです。
    助けると思って〝さん〟あたりで勘弁してください。

    さてさて。ともあれ。
    この度も、コメントありがとうございました。

    編集済
  • 木山さん。とても興味深く拝見させて頂きました。普段何気なく読んでいる文章や小説を、理論から解説していただいて、大変ためになりました。最初のほうはもう忘れちゃったので再読いたします。

    作者からの返信

    いつも、コメントありがとうございます。
    コメントへの返信がカクヨムに投稿する意味となっているので助かります。

    さて。本当に何で自分が柄にもなく物語の解説をしているのか自分でも理解に苦しみます。
    学者でも職業作家でもないのに。
    おそらく、何かに操られているか取り憑かれているのだと思います。

    ともあれ、本作を好意的に捉えていただき嬉しい限りです。

    重ねてこの度も、コメントありがとうございました。


  • こんにちは。
    一気に読んでしまいました。
    文章が書けるって、素晴らしいことですね。

    書かれた文章と人がいてはじめて物語となる。

    繋げられる人がいてはじめて物語となる。

    素敵な言葉ですね。
    私事で恐縮ですが、YouTuberの方が、夢を叶える方法で、自分の夢は他人の夢を叶えることである、と言っていました。

    自分が書いた物語は、誰かのための物語でもある。

    木山様のお伝えしてくれているこの文章が私に突き刺さるのも私の物語でもあるのかもしれません。

    今日の投稿も楽しみです。また、よろしくお願いいたします😊

    作者からの返信

    いつもコメントやレビューをありがとうございます。

    コメントを読むときだけ薄ぼんやりした私も目が覚めるような気がします。

    さて。
    この度はめんどうな空想を読んでもらい恐縮です。
    〝物語は人間が再生しないと何もないのと同じ〟のくだりですね。

    本作の内容に接して、春野さんがなにかを感得されたのならとても有り難いことです。

    それは同時に春野さんの感性や思惟が優れているということではないでしょうか。

    残念ながら本作は検証をしたわけでも類似の文献を引用したわけでもない私の空言エッセイです。

    そんな足りない事柄に春野さんの中の何かしらのお考えや感性が補正をしてくださったのだと思います。
    素晴らしいことです。

    ともあれ。
    重ねてこの度はコメントやレビューをありがとうございました。


  •  木山さん 興味深く拝見致しました。

     文中の「同じ理由から、数多くの文字から多量の意味を伝えられた人(本を読む人です)は、労力を省くために文字の前後を読まずに予測して処理する事が多くなります。」のところ、おっしゃるとおりです。近頃、必要に迫られて、かなり速読が出来るようになりまして(特にラブコメとか。文芸はそういうわけにいかない)、誤字脱字なんてあんまり気付かない、というか気にしなくなりました。自分で書く時は、さすがに気にしますけど。

     木山さんのお話しは、深みがあっていいですね。

     またきます。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます。
    読んだ方の意見はとても貴重なものです。

    さて〝誤読の理由〟をあれこれ考えて私見として書き連ねた部分ですね。

    文を理解することは同じだけ文を誤解することにつながる。
    それら仕組には共通の仕組があると考えて書いたものです。

    実はこの後も同じ主題で別の仕組みからも理解と誤解が生まれるという話をしています。
    物語分解図の後の話と、いま書いている本作の続編においてです。

    我ながらなんで自分がこんなめんどうな性格なのかわかりません。
    何だか同じ事柄をあれこれ長期間考え続けるのです。性分としか思えないのですが
    本当にめんどうです。困ります。
    ともあれ、書き続けるほかはないのですけれども。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 昨今のテレビゲームを取りまく状況と通じるものがあるなと思いました。

    CG技術の進化や作り込まれたストーリーによって、ゲームとしては過去のものより確実に進化しているはずなのに「面白くない」と評されることがある。
    昔は必要最低限の世界観提示(もしくは説明なし)と粗いグラフィックで、そこに「人間の想像」の入り込む余地があったんですよね。

    どんなに頑張って作り込んでも、人間の脳内再生能力には敵いません。
    しかも再生時には各々好みのエッセンスを加えているはずで、細かな作り込みは却ってそれを阻害する場合も。

    そう考えると文章、物語というものもがちがちに作り込んで一から十までこと細かに説明するより、少し緩めに抜けのある記述や表現の方が楽しみ方の幅が出来てよいのかなと思いました。

    気を抜くとずらずら説明を書き連ねちゃうタイプなので、よい気付きでした。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    あと評価もいただき、恐縮です。

    さて。
    亘狸ちょきさんは〝足りないから記憶から足す〟な件をゲームに擬えられていました。

    僭越ながら私も同じ考えです。
    大きく補うことは、それだけ大きく〝内的体験〟となるのだと考えます。
    ※とうぜんモノには限度というものはあるとも思います。

    内的体験は主観の体験ともいえます。
    (外的体験はその逆ですね)
    より〝自分の事〟として体験するモノの方が、強く印象に残るはずです。

    どれほどグラが綺麗でも〝他人事〟であれば素っ気ないものではないでしょうか?

    どれほどルックや音響が綺麗であったとしても
    〝だから、何?〟
    な状態になってしまったら、それはもう娯楽とはならない。
    私は、斯様に思うのです。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

  • 「どう再生してもらえるか」
    書いた人間としてそれが気になるから、感想いただくのが嬉しいんですね!

    作者からの返信

    いえ。
    友達がいないので、感想だけが私にとって他人と言葉を交わせる唯一の機会……だからです………

    という事はなくて。
    自分の書いた物語の話をするなんて、この場所しかないからです。
    私には、とてもありがたい機会なのです。はい。

    あ。コメントありがとうございました!

    編集済
  • 面白かったです。
    人々の中に受け継がれてきた、アーキタイプ的な、物語もありますね。
    こうした思索とともに、どのように物語を作るか、興味はつきません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    色んな考えを聞かせていただき勉強させてもらっています(なんか政治家みたいな言い方ですが……)
    あと、返信が遅れて大変失礼しました。

    さて〝アーキタイプ〟が〝足りないから借りてきた〟な言説に関わるというお話。
    私もそうであると考えます。

    ロボットというと、いつも〝ガンダムもどき〟な形状を想像する人が知人にいるのですが。その人とかそうかもです。

    思い描くものに強力な元型を持つ方は、多くの記述をそれ一つで賄うために、かえって想像物の多様性がなくなる感じの。

    本作な関連する事項として幾つか挙げたい考えがあって〝アーキタイプ〟もそのひとつでした。
    しかし、私が浅学なもので分析心理学等に詳しくなく、そういった元型なり集団的無意識なりをちゃんと扱えないと判断し本編では言及しませんでした。

    ただのエッセイとして、本旨だけに絞ったほうが潔いと考えたのでした。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

  • コメント失礼します。

    >本を読むとは、個人だけの体験

    なるほど、これは面白いと思いました。
    感覚的に、確かにそうだな、と。
    そんな意識を持って書くという視点、いいですね。

    作者からの返信

    続けてのコメントありがとうございます。

    今日やっと時間が出来て〝反応〟のタグからコメントを遡ってるため、櫻井さんが連続してコメントをされいると、いま気がつきました。

    返信が遅れて大変失礼しました。
    そして、本作を好意的に受け止めていただきありがとうございました。

    本作は、いわば私の思いつきの由無し事です。
    しかし確度が緩いとはいえ、本作が読んだ方が何かを考える、その契機となっていたら望外の喜びでなのです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • 面白かったです。
    書く事の面白さと辛さ、読む事の面白さと辛さ。
    いろいろと考えさせられました。

    文章を書くと、どうしても自分の表現力の無さを痛感します。
    文章を読むと、この解釈で良いのかと悩む時があります。

    でも、その心の葛藤が一番面白いと感じます。
    矛盾こそ至高だと思います。

    お疲れさまでした。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    昨日からやっと返信の時間が取れて〝反応〟のタグからいただいたコメントを遡っている次第です。
    この度は返信が遅れて失礼しました。

    納得です。
    なんでも簡単だと面白くない、とは思うのですが、めんどくさいものはめんどくさいです。
    なんで物語なんで、書いているのかと笑ってしまいます。
    趣味が散歩とかなら楽だったとよく思います。

    それでも、自分の書いたものを読んだ方とその物語の話をするは、学ぶことも多い。
    なによりよくわからない楽しさがあるのもまた事実なのです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。

  • >読む人間の中にある情報を使う

    そうですね。
    なろうでいうところのテンプレ展開にもあたるのでしょうか?

    昔、海外の翻訳小説を読んでいた時、キリスト教をわかっていないと、会話の内容とか登場人物の心情とか理解できないなぁと感じたことがありました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます。
    あとレビューもつけていただき感謝しています。
    自作に反応があるのは楽しいですね。

    〝テンプレ〟は物語の再生の補完かという件は、私は、そうだと考えています。

    基本的に日本のファンタジー物は人間以外の生き物は共通の名前の作品が多いので、それを知らないとわからないのではないでしょうか。
    それと、魔法名とかギルドとか。予備知識必須かも。

     
    あと。
    海外の物語に聖書の知識が必要だった件。
    私も経験したことあります。
    あと、ラテン語の言い回しとか、古典文学の引用とか。
    きっと物語に〝お約束〟な事柄は意外と多いのでしょうね。

    重ねてこの度は、コメント、レビューありがとうございました。


  • 大変興味深く、拝読させて頂きました。
    木山喬鳥様は素敵なストーリーテラーですね。
    拝読していて、要所、要所で笑わせて頂きました。
    しかし、ところどころに疑問符もついて、理解ができない部分がありました。
    小生の読解力が足りないのだと思います。
    本当はレヴューの本文を書くつもりだったのですが、疑問符をたくさん持ったまま
    書くことはできませんし、無礼なことだと思いますので、☆だけ付けさせていただきます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    本作の書き方を好意的に受け取っていただきありがたく思います。

    ただ夷也荊さんが疑問に思う点が幾つもあったとか。

    本作なにぶん私が思いついただけの話で論拠やエビデンスを提示してもいない空言エッセイなので、そういうことも多いと思います。

    もしお手隙の際に、その疑問点をここのコメント欄なりで伝えていただけたらお答えしたいと思います。

    私の好奇心と後学のためにお願いしているだけなので、夷也荊さんに余暇に取れない場合は、仕方ないと承知しております。

    次作はより分かりやすく、誤りの少ない考えを記すように努めたいと思います。

    重ねてコメントありがとうございました。

  • わかったような、わかっていないようなレビューをお送りしました。クオリアに関するお話だと思いますが、これを理解しておくことで、より読み手の心に響く作品を作れるのだと思います。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    素敵なレビューもいただき、嬉しい限りです。

    ああ。しかし、もっとわかり易い文章が書きたい!
    日々、切望しております。
    力足らずて
    申し訳ないです。

    ともあれ。
    本作は私の思いついた由無し事なので。
    論拠もエビデンスもないエッセイなので。
    読んでもらっただけで十分嬉しいです。

    本作で話した事柄の多くが〝外から測れない現象〟と捕らえたら確かに、クオリアの類かと思います。

    ただ私がクオリアって考えを胡散臭いと思っているのでなんとも言えません。

    どちらかというと言語学的にはテンスとの関連性が強いのかもと思います。
    でもそんなのも、どうでもいいのです。

    〝物語は人の中で動いている〟とか言う変なヤツもいるんだ。そう一瞬でも思ってくれたらそれで書いた意味があったというものです。

    重ねてこの度もレビューとコメント、ありがとうございました。

  • 『読む人間の中にある情報を使う』
    これ凄い重要な気がします。

    読者の想像に任せて良い部分と、任せてはおけない部分。
    これ意識するだけで冗長になったり描写不足になったりが減るような気がする。たぶん。

    全編通して楽しく学ばせて頂きました。ありがとうございます(●´ω`●)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    本作をいろいろと好意的とらえていただき、有り難いばかりです。

    私の勝手に思った事柄を多くの人が考えたりしてもらえているのはそれだけで嬉しいものです。

    創作論も、もちろん面白いのですが、物語の読解に興味をもつのも有意義かと思います。

    ともあれ
    重ねてこの度はコメントありがとうございました。

  • 今回も興味深かったです。

    >文字は、普通その言語を使用する集団の構成員から学ぶのです。

    話し言葉も、普通は、その言語を使用する集団の構成員から学ぶでしょうね。
    日本人の血を引いた子供であっても、日本語を話す集団の中で育たなければ、日本語を話せるようにはならないだろうと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    続けて読んでいただき感謝です。

    そうだと思います。
    人口と言語と文化と国家は密接な関係があると思います。

    他国を同化合併する際にはまずその集団の言語を取り上げますから。
    同じく劣勢に置かれた民族が自ら優勢な集団の言語を用いる場合。
    文字を持たない集団が優勢な集団の文字を用いる例もありますね。

    私は国粋的な思想はないのですが、悲しいかな日本語しか使えないので。
    この母国語ひとつで、趣味の文字書きをなんとかしのいでいるわけです。

    重ねてこの度はコメントありがとうございました。


  • 編集済

    興味深い分析です。

    直接関係がない話ですけど、ネットでしばしば見掛ける「もっともらしい」創作論に、「作品の中で表記が統一されていなければならない」というのがあります。
    つまり、同じ単語は、同じ漢字で統一して書け、と。
    私は、これに反対です。

     太郎は、暗い、くら~い気持ちになった。

    みたいな表記をあえてします。
    あるいは、漢字が多く続いたと思うと、別の箇所では漢字で表記した単語(特に述語動詞などの用言)をひらがな表記したりします。
    単なる不注意な事も多々ありますけれども(汗)、でも、無理して統一しようとは思わない。
    むしろ、その場その場で、読者の目に受け止められやすい様な漢字とかなの配置や比率、コントラストを考えています。

    ただし、名詞などの体言は、極力統一しています。

    日本語の特徴は、漢字かな混じり文ですので、漢字ばかり、かなばかりが続かない様にしたいと考えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    表記の統一。
    よく聞きます。

    デリカテッセン38さんの言われている状況をつぶさに知るわけではないので滅多な事は言えませんが、私はデリカテッセン38さんの言説の方が好ましいです。

    物語は正しいことを読む人へ示す為のものではないと私は思います。

    物語はきっと何かを読む人に伝えるものであると私は考えます。

    だから、よりよく意図なり演出なりを表す為ならば、表記の統一は後回しで良いと思います。

    具体的には一人称〝俺〟のキャラが公の席だと〝私〟と言い。好きな人の前では〝僕〟という場面での使い分けの場合。僕と言っていたら好きな人だとわかります。

    〝刀〟の表現が粗野な人は〝得物〟〝段平〟
    等といい身分や性質での使い分けしている場合。身分ある侍が〝段平〟と言うと何か含みがあるか、何かしらの来歴があると思います。

    言葉は状況や人間関係で変わり得るのではないでしょうか。

    その創作論の方はおそらくいわゆる〝誤謬のない存在〟の三人称視点な物語の地の文での注意を述べたのではないかと愚考します。

    やはりすべての物語に共通の〝例外〟のないルールは考え難いのです。
    創作論は怖いですね。

    ともあれ、
    重ねてこの度はコメントありがとうございました。

  • ヨムひとがいるからカクことの意味や楽しみが生まれるのでしょうねぇ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうかもしれません。
    誰も文字の読み方を知らずに書き出すことはできませんから。

    おそらく、創作論や表現技術を求めることに比べて〝よく読むこと〟の需要は低いのだと思います。

    しかしながら、身体技能がどれほど高くとも基礎体力がなくては実行できないように。
    良い記述は良く読解することなしには、正しく機能しないのではないかと思ったりします。

    重ねてこの度は、コメントありがとうございました。

    編集済
  • 人口の少ない国は母国語で本を出版できないと聞いた事があります。
    それって悲劇だよね。
    母国語ならではの表現を文字に出来ないのだから。

    日本も人口が減少しているので、そうならない事を願うばかりです。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。参考にさせてもらっています。


    そういえば日本は翻訳が盛んな国で翻訳文化が豊かなのだと聞きました。
    これも母国語の言語文化がある程度の人口で支えられているからだそうです。

    言語文化と人口は密接に関係しているのでしょうね。

    その一方、少数話者の言語は二週間に一つの割合で世界から消滅しているとも聞きます。

    言語も生物と同様に淘汰され減少する傾向にあるようです。

    ともあれ。
    重ねて、この度もコメントありがとうございました。


  • だから読み終えたと思うその時まで、物語は、いつまでも人を待っていてくれるのです。

    確かにその通りだよね。
    読み終えた本でも、ふとあのシーンをもう一度読みたいと思って、しまってある本を引っ張り出す時があるけど、ページを開いた瞬間にその時、その世界に戻る事が出来る。

    物語は時空を超えて存在してくれるのが良いよね。

    作者からの返信

    いつもコメントありがとうございます。
    書く時は独りでも、投稿した後はどなたかと話ができる。
    楽しいものです。

    そういえば、あの〝待っていてくれる〟の下りはアメリカ映画の『天国は待ってくれる』(原題:Heaven Can Wait)
    の捩りでしたね。

    話の結末の文は、考え出すとなかなか厄介ですよね。

    さて。
    よく本をタイムカプセルとかそういう時間に関わる何か例えますよね。
    本=関連する記憶のスイッチと捉えている人が多いのかもしれません。
    興味深いです。

    ともあれ。
    重ねて、この度もまたコメントありがとうございました。

  • 逆説的に、詩について考えてしまいました。

    詩、特に現代詩は、字形が持つ力も空白も行分けも使い、さらには単語間の繋がりを一般的な確率分布では少数派となるものを敢えて繋げたりして、視覚で文字を読む際に読者に働きかけるものを全て活用することを目指します。

    その代償として、詩は読んでいくと恐ろしく疲れます。密度が濃い内容に手応えがあり満足するものの、これが文庫本一冊続けば読み切れないと観念することも本音です。

    詩を書く人には X で作品紹介ではなく作品そのものを書き続ける人も多いです。カクヨムでは X へのリンクを貼ることができないのですが、例えば詩人・草野理恵子さんの X アカウントを参照するとほぼ毎日極めて高い水準の作品を発表し続けています。読者からは、文章の密度では日本最高レベル、そう評されることもあります。しかし、御本人はともかく、同様の密度で小説を書く人が皆無であることが、詩と小説の断絶を感じさせます。

    長い物語を綴るには、読者に配慮するために、文字が持つ表現力は薄めておかなければならないという指摘は、逆説的に表現力をフル活用した例を知っていると、首を縦に振らざるを得ません。

    作者からの返信

    コメント及びご教示、ありがとうございました。

    私は〝詩〟についてまったく無知であるため、今回初めて知ることが多く、この場にて学ぶ機会を得ました。感謝いたします。

    詩は文字が連なった場合も個々の文字の機能を〝オフ〟にしない場合があるのですね。
    その紙面配置や叙述用法も独自のものがある。面白いです。

    だから脈理が途絶えているような繋がりの文が並べてあったりする。のかも?

    さすがに散文に先立ち成立したカテゴリーです。
    本編を〝物語〟と狭めて良かったです。
    いやもちろん〝叙事詩〟も物語ですけどそれは今回は除外です。
    論説ではなくエッセイなのでそんなに語れないのです。

    ともあれ。
    重ねてコメントありがとうございました。

  • イヌぅ、イヌ怖いぃ!で一笑いして、オデで涙する。
    真面目な文章とギャップ。実に良い構成(( ˘ω ˘ *))

    でも言われると確かに日本語自由ですよね。納得です。

    いかんせんワタシも他の言語ちっともイケない派ですけど。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ふざけた箇所を入れた構成を好意的に受け止めてもらえて良かったです。

    やっぱり本文はエッセイなので、ガチガチで文言の話してるわけには行かないし。
    そんなのやってたら自分が苦しいので。
    息抜きが必須なのです。

    日本語、面白い言葉らしいけど私に他の言葉が分からないから比較できないので、何とも言えないのですよね。
    それでも出来る範囲で〝考える面白さ〟を記したいものです。

    重ねて、この度は、コメントありがとうございました。

  • これも思考実験と言えるのかな?
    成程と唸らされました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。

    私が、暇な時に〝こういう風にも考えられるかも?〟
    と思った妄想を整えた文章なので、個人の感想でしょうか?

    それでも、あるていど納得してもらえたらしいので、嬉しく思っています。

    エッセイなので、論拠とか参考文献とか出さないでよいのが助かってます。

    ちなみに。
    一話と二話は、これから話すことの前提を説明したものです。
    本論は三話からになります。

    本作は何かを証明したい訳ではなくて〝考え遊び〟な感じなのです。
    〝そうゆー考えもあるかも?〟的に眺めてもらえたら幸いです。

    重ねて、この度はコメントありがとうございました。


  • 文字こそ人類最高の発明だと思う。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    現在でも〝話し言葉〟だけで文字を持たない部族集団もいるので。そうかもです。

    〝文字〟を手にした集団が記録を手にして文化の継続性を得ると同時に伝達手段を得て版図を拡大し得たのかも。
    逆に文字を持たない集団は淘汰されたのかも。無根拠ですが。

    ちなみに
    私が本作を書く前提としたのは〝話し言葉〟と〝書き言葉(文字)〟は取り扱いが違うということでした。

    混同している言説が多くて何か気持ち悪かったったのです。

    ともあれ。
    重ねて、コメントありがとうございました。