「どう再生してもらえるか」
書いた人間としてそれが気になるから、感想いただくのが嬉しいんですね!
作者からの返信
いえ。
友達がいないので、感想だけが私にとって他人と言葉を交わせる唯一の機会……だからです………
という事はなくて。
自分の書いた物語の話をするなんて、この場所しかないからです。
私には、とてもありがたい機会なのです。はい。
あ。コメントありがとうございました!
今回も興味深かったです。
>文字は、普通その言語を使用する集団の構成員から学ぶのです。
話し言葉も、普通は、その言語を使用する集団の構成員から学ぶでしょうね。
日本人の血を引いた子供であっても、日本語を話す集団の中で育たなければ、日本語を話せるようにはならないだろうと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
続けて読んでいただき感謝です。
そうだと思います。
人口と言語と文化と国家は密接な関係があると思います。
他国を同化合併する際にはまずその集団の言語を取り上げますから。
同じく劣勢に置かれた民族が自ら優勢な集団の言語を用いる場合。
文字を持たない集団が優勢な集団の文字を用いる例もありますね。
私は国粋的な思想はないのですが、悲しいかな日本語しか使えないので。
この母国語ひとつで、趣味の文字書きをなんとかしのいでいるわけです。
重ねてこの度はコメントありがとうございました。
人口の少ない国は母国語で本を出版できないと聞いた事があります。
それって悲劇だよね。
母国語ならではの表現を文字に出来ないのだから。
日本も人口が減少しているので、そうならない事を願うばかりです。
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます。参考にさせてもらっています。
そういえば日本は翻訳が盛んな国で翻訳文化が豊かなのだと聞きました。
これも母国語の言語文化がある程度の人口で支えられているからだそうです。
言語文化と人口は密接に関係しているのでしょうね。
その一方、少数話者の言語は二週間に一つの割合で世界から消滅しているとも聞きます。
言語も生物と同様に淘汰され減少する傾向にあるようです。
ともあれ。
重ねて、この度もコメントありがとうございました。
文字の理解には社会的学習が不可欠であり、読み手は必ず他者との関係の中で「読む力」を得る。しかし、その文字が生む物語はあくまで個人の内面において立ち上がるという、深い対比が提示される。言語の共有性と物語の私秘性を明確に分けて示すことで、読者に新しい認識の回路を開いていますね。
作者からの返信
おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
今回の返信も遅れました。なんと五日前です。
ほんとうに、申し訳ありませんでした。
さて第四図
当回は入れるかどうか迷った部分です。
要旨として、物語理解のための〝文〟の解説に、文字な習得条件についての言説は適当かと悩みました。
そこで思ったことは。
これはエッセイなので、読むうちに視点を変える回や広げる回は必要だろう、ということです。
言語はその個人の属する社会と繋がらないと機能しない。
そのため、もっとも近しい社会の構成員から学ぶ事が通例。
ここでは、そんなことを言っていたようです。
ここに至って浮かぶ絵面として。
賢しらな事を言う厳しい顔した学者などが子供の頃、親から〝かな文字〟を見せられ、指指して覚えているようすです。
こんな場面を思うと微笑ましいです。
そしてこれは物語の解読が、社会という枠を越えては成り立たないという証左でもある。
そうも思って述べていた次第なのです。
そしてまた。
今回の法王院さんの内容の理解も、何も付け加えるところは、ありません。
ほんとうに羨ましい読解力です。
重ねて、この度もコメントありがとうございました。