でたきり

香久山 ゆみ

でたきり

 遊園地の七不思議として職員に案内されたのは、メリーゴーランドの前だった。絶叫系でないことに安堵する。

 職員が操作室に入り、メリーゴーランドがゆっくりと動き出す。

 回転する馬達を横目に、「それで探偵さん」と職員が怪異について説明する。

「メリーゴーランドの馬がね、一頭どこかへ行って、帰ってこないんですよ」

「え?」

「このメリーゴーランドには四十頭の馬がいます。朝には確かに四十頭いたはずなのに、閉園地に数えるといつのまにか三十九頭になっているんです」

 もともと全部で四十頭いる証拠ですと言って、職員がスマホ画面を開く。端末に映像が流れる。

 ズンチャッ、ズンチャッ。

 俺を含め、この地域に住む一定年齢以上の人間には耳馴染みのある、陽気なメロディーが流れる。

 ズンチャッ、ズンチャッ。

 よい子のみんな! ××遊園地へおかえりー!!

 リズムに乗って、特徴ある元気な声が呼び掛ける。往時のCMを懐かしく眺める。

「この声は、先代の社長です」

 職員が解説する。

 ドローンもない時代に空撮やら何やらでなかなかの予算を費やした、先代社長の肝煎りのCMなんですよ。僕もまだ幼稚園に上がる前で、このCMを見るたびに胸躍ったものです。やけに熱が入っている。

「あ! ほら、メリーゴーランドが映りました。一、二、三、四、五……、ねっ、四十頭いるでしょう」

 職員は言うが、映像は園内の見所をぐるりと撮影しており、メリーゴーランドが映ったのはほんの一瞬で、馬の数までかぞえられなかった。

 そう答えると、職員がまた映像を早戻しして再生する。

「ほら、一、二、三、四、五……、四十ですよ」

 彼は大きな目をさらにぎょろりと見開いて、画面に注視する。何度か見せられたが俺にはどうしても三十九までしか数えられない。寒いし疲れているし、正直さほど興味もない。職員が四十と言うのだから、四十なのだろう。

「……で、その消えた馬一頭はどこに?」

 尋ねると、彼は肩を竦める。これは長丁場になるかもしれないな、と白い溜息を吐く。と、視界の隅に白い影が過ぎる。

 顔を上げると、メリーゴーランドから遠ざかっていく白馬の後ろ姿が見えた。

 ばっと職員を振り返るも、きょとんとしている。そうか、彼には視えないのだ。

「馬が見えたので追いかけます!」

 職員には一応そのままメリーゴーランドに残るよう指示して、一人で馬のあとを追いかける。

 馬は足音もなく遠ざかっていく。

 見失わないように、全力で走って追いかける。

 空中ブランコを横切り、急流すべりの前を通り、どんどん進む。しまった、園内地図を持ってこればよかった。そう思いながらも必死であとを追う。何とか追いつける速度を保っている。

 おや?

 よく見ると、白馬の背中に何か乗っている――、小さな男の子だ! 男の子を背中に乗せているから、馬は全力疾走しないでいるらしい。

「おい! 少年!」

 呼び掛けてみる。

 予想していたものの、やはり返事はない。あの男の子も生きているものではないのだろう。であれば、仮に少年が返事をしてくれたところでどうにもならない。俺は視えるだけで、幽霊の声を聞くことはできないから。

 とはいえ、馬が相手よりも、人間が相手の方がまだ張り合いがある。人間相手ならば、その表情などから何かしら汲み取れるものもあるかもしれない。

 気合いを入れて追う。

 馬はそのまま直進して公衆トイレに入った。しめた! トイレならば行き止まりだ。ここで追い詰めることができる。

 俺もあとに続いてトイレに入る。が、淡い期待はすぐに流れ去った。

 幽体の人馬はそのままトイレの壁を擦り抜けて、先へ進んでいく。

 くそっ。

 俺は入口に引き返して、ぐるりとトイレの外壁を回って追いかけるも、一気に距離を離されてしまった。馬がお化け屋敷の建物の角を曲がったところで見失ってしまう。

 くそ!

 ――いや。ここまで通ってきた道には覚えがあった。

 そうか! さっき繰返し見せられた遊園地のCMで映像が流れたのと同じ順番で園内を辿っているんだ。

 となると、馬の行く手を先読みすることができる。が、残念ながら園内地図は頭に入っておらず、馬が向かうアトラクションが分かってもその方角が分からない。

 職員に電話で聞くか? いや、そうしている間に馬は先へ先へ行ってしまうだろう。そうして最後の時計台まで通過してしまっては、もうお手上げだ。

 いや、時計台なら分かる!

 顔を上げると、園内のどこからでも見える高さに時計台が聳え立っている。

 あそこへ先回りして、馬を迎え撃つ。俺は時計台へ駆けた。

 時計台に到着したわずか数秒後に、予想通り白馬が姿を現した。

 俺が行く手を塞ぐように立ちはだかると、白馬はようやく歩みを止めた。馬の背に跨る男の子も、じっと視線をこちらに向けた。

 五歳くらいだろうか、まだほんの小さな男の子だ。懐かしいヒーローがプリントされたトレーナーに、半ズボン、お古だろうか少しブカブカの穿き古したスニーカーを履いている。ぺたっとした黒髪の隙間から、ぎょろりと大きな瞳でこちらを見つめる。ぎゅっと白馬のたてがみにしがみつく。まるでまだ遊び足りないのだという風に。

「もう充分遊んだろ」

 男の子は小さく首を傾げる。

 おいおい、もうこれ以上の追いかけっこは勘弁してくれ。特に害はなさそうだが、解決しないことには仕事が終わらない。今夜はいったんここまでにしてメリーゴーランドに帰ってくんねえかな。

「じき日付も変わる、子どもが遊ぶ時間じゃない。帰るぞ。よい子にするなら、本物のメリーゴーランドに乗せてやる」

 そう言うと、男の子の顔にぱっと笑顔が咲いた。

 そうして馬から下りて、俺の隣に並ぶ。手を繋ごうと思わず左手を伸ばしたが、小さな手はするりと擦り抜けてしまう。だからただ並んで歩く。

 白馬が小さくいなないて、ゆっくりと歩き出す。二人でそのあとについて行く。

 メリーゴーランドの所まで帰ってくると、馬はすうっと消えた。

「おかえりなさい」

 職員がぺたりと笑顔を向ける。

「ただいま。メリーゴーランドに乗りたいんだけど、動かしてもらえますか?」

「えっ、探偵さんが乗るんですか?」

 驚いたようにぎょろりと大きな目を瞠る。

「いや。……いや、そうだな、俺乗る」

 心細そうな男の子の視線を受けて、そう答える。

 いったん停止したメリーゴーランドの白馬の背中に男の子が乗ったのを確認して、俺も近くの一頭の背に跨る。まったく、メリーゴーランドなんていつぶりだよ。

 メルヘンチックな音楽とともに、ゆっくりとメリーゴーランドが回り出す。男の子が無邪気に笑う。見れば見るほど、よく似ている。はこの子ほど無邪気な笑い方はしないけれど。

「探偵さん、馬は見つかったんですか?」

 操作室から顔を出して、職員が問う。

「ああ、白馬は迷子の世話をしていたみたいだよ」

「迷子の?」

「ずいぶん古い迷子みたいだった。ちょうどあのCMが流れていた当時五歳くらいだったんじゃないかな」

「……へえ……」

 音楽に合わせてぐるぐる回りながら、馬はゆるやかに上下に動く。まったく単調な動きだが、男の子はまるで冒険に出発する王子みたいに瞳を輝かせてにこにこしている。

「この遊園地が大好きなんだろうな。もう十二分に満喫したみたいだよ」

 視えない彼にそう伝えてやる。

 静かに音楽が終わるとともに、メリーゴーランドも停止した。職員へ向けていた視線を戻した時には、もう男の子の姿は消えていた。

「大好きな遊園地を満喫できたなら何よりですね」

 職員はふっと目を細めた。


 これで、ようやく七不思議の半分だ。夜は長い。

 リリリ。スマホに電話の着信がある。

 出ると、依頼主である遊園地の現社長の慌てた声が聞こえる。

「探偵さん、大変です!」

「どうしました?」

「今、自宅なんですが、山の上を見ると遊園地に明かりがついているんです!」

 おかしなことを言う。

 連絡を受けて現在遊園地を調査中だと説明すると、社長の声がいっそう高くなる。

「どうして! 私はそんなメールしていません。年末年始の繁忙が落ち着いてから来ていただくつもりだったんですから。誰にもそんな指示出していません。だいいち閉園後にあんな電気を煌々と点けて、一体電気代がいくらかかると思っているんですか! 私もすぐそちらに向かいますから」

 そう言って、慌しく電話は切れた。

 メリーゴーランドの点検を終えた職員がこちらに戻ってきて、ぺたりと笑顔を貼り付ける。

「お待たせしました。それでは、次の七不思議へ向かいましょうか」

「……ああ……」

 先を行く職員のあとをついて歩く。ちらちらと降る雪に音は吸収され、底のない夜が続く。俺はダウンコートの前を合わせて、気を引締めなおす。

 今回の依頼を引き受けた理由を思い出す。

 もう覚えている人も少ないであろう。二十年以上昔にこの遊園地で起こった事件は、今も未解決のままだ。――未解決事件番号一桁台。

 呼ばれているような気がして、俺は依頼を引き受けたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

でたきり 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画