プロローグ 勇者召喚の儀式と少女覚醒・5

 彼の王はアコニタムの目の前に降り立つと、顔を覗き込もうとする。


 彼の王の宵闇の視線と、少女の灰銀色の視線が交差する。


「お前が登城する時を最果てで待つことにした。必ず来い」


 少女、アコニタムは言葉を発することができなかった。

 神域内だったため、彼の王が纏う気迫だけで脳が焼き切れるといった事故は起きていないが、精神的負荷は仮死状態になる寸前まで昇ってきている。


「お前は我が食そう。故につまらん死に方をするなよ?」


 そもそも目の前のコレは一体何なのか。

 アコニタムの脳は素直に認知することを拒み続けているのだが、彼の王はそれを許す気はないらしい。


 視線を合わせただけで相手の行動を束縛する力があるのだろう。

 アコニタムはなけなしの反骨精神に縋りつつ、魔王の視線を受け止め続けた。


「しかし、か弱いな。余りにも弱い。どれ、一つ我から餞でもくれてやろう。感謝しろ。喜びに噎び泣いても構わんが、我に汚い汁をつけるな、思わずその目一帯を二度と開かんようにしてしまうやもしれん」


 そう一方的にアコニタムに告げる。しかし言われた本人は首肯も目礼もそもそも声を出すことすらできないほど憔悴しきっていた。


 神域では接地する必要がないゆえ、その場に止まっていれば崩れ落ちることはない。しかしまあそれはそれで拷問なのだが。


「ああ、そうだった。今からお前に与える呪印はそれなりに強力なものだ……畜生如きの名を我が口に出すのは気に食わんのだが、お前は見込みがある。あれだな、投資と思って我慢してやろう。どれ言葉を発する許可をやる、名乗れ」


 彼の王の命令が下る。それには抗う事が出来ない強制力があるのだが、しかしアコニタムは声を発しようとしてもできなかった。


 陸に打ち揚げられた魚の様に、口を懸命に動かしてはいるのだが、ただ開閉することしかできない。

 発声の仕方は疎か、呼吸の仕方も忘れてしまったのかもしれない。


「おい、惚けるな、白痴の真似はよせ。それとも本当に呆けたか? やれやれ、位階が合わんとこうなるのは誠不便なことだ。【気張れ、傷は塞がっただろ?】……ふうむ、低級の、よもや回復魔術など何百年ぶりに使ったことか? おい、もう喋れるだろう。名乗れ」


 魔王が一方的に喋り続けながら手を翳す。するとアコニタムの不調は霧が晴れるように無くなり、儀式の前よりも俄然調子が良くなっている、気がした。


 ますますコレの言動が何なのか分からず混乱するが、名乗らなければいけないと咄嗟に声を出した。


「……アコ」


「ほほう、アコ、と言ったか。ふむ、簡素な名だ。確かに覚えたぞアコよ。お前には【輪廻転生の呪印】を与える。死して肉体を失っても、魂魄はお前のまま現世を彷徨い、別の胎より産まれ落ちるようになる呪印だ。我が玉座に辿り着くまでその呪印は消えないようにしたんでな……さて、何回死ぬことやら。精々勝手に摩耗して消滅だけはしてくれるなよ。治すのが面倒なんでな」


 魔王の掌から、夜よりも黒い只ならぬ気配が飛び出し、アコニタムの首に巻きついた。

 ぞわりと総毛立つような怖気が走り、アコニタムはただただ震えて耐えた。自分の内側が勝手に動かされ作り変えられるようなその感触は恐怖以外の何ものでもなかった。


 呪いを施し終え、もう用はないと言わんばかりにアコニタムから視線を外した魔王は、神域が閉じるよりも早くその場から飛び去った。


 災禍と同等の存在は、結局物見遊山を楽しむだけ楽しんだ後、発つ鳥跡を濁さずと言わんばかりに王国の敷地からアコニタム以外に知られることなく脱出したのだった。


 覚醒者が居なければ、惨劇がもたらされたであろうことをこの場の誰も知る由は無かった。

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2025年1月10日 19:00

少女空白絵札 虹晴 @nijihare

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