遠回りしたって
フィステリアタナカ
遠回りしたって
「兄貴さぁ。ゴロゴロしてていいの?」
「いいんだよ。ほら行った行った」
「まったく、何で滑り止め蹴って浪人を選んだんだよ」
「行きたい所へは遠回りしてでも行くんだよ」
「だったらゴロゴロしないで勉強したら」
僕の兄貴は浪人一年目だ。予備校へ行くこともなく自宅浪人を選んだ兄貴の今の姿を見て、何だか弟として情けなくなった。兄貴はリビングのソファーでスマホを触ったままだ。
「次郎、お前勉強の方はどうなんだ?」
「それなりに頑張っているよ」
「そうなんか?」
「まあ、数学は苦手だけどね。経済学部行きたいし頑張るよ」
「あー、もう一浪してお前と一緒にルームシェアするのもいいな」
「家事を任せる気だろ? イヤだよ」
「そうなん? 家事とかよくやってるから好きなんかと思った」
「兄貴の勉強の時間を邪魔したくなかっただけだよ。でもこれじゃなぁ」
「そうかい。じゃ、そろそろやるかな」
兄貴はソファーから立ち上がり自室へと向かう。僕は夕飯の皿洗いをした後、部屋に戻った。
「数学かぁ」
部屋に戻り数学Ⅱの教科書と睨めっこ。三角関数の不等式の問題を式だけで計算しようとした。
「わからん」
しばらく頑張ってはみたが、わからず仕舞い。「これは聞かないとわからないな。兄貴? いや、それはないか」と、その日は早めに切り上げ、明日の為に部屋の電気を消した。
◇◇◇◇
「うっ、うっ、ぐすっ」
誰かが泣いている音がする。知らない景色の中、泣いている人の姿を見ると学校でも美人で評判なクラスメイトの女子だった。
「うっ、うぅ~」
「天童さん――」
「ぐすっ、ぐすん」
「何かあったの?」
その日の夢はそこで終わった。
◇◇◇◇
朝、いつものように学校へ登校。昇降口で靴を履き替え二階にあるクラスへと向かう。
「次郎、おはよう」
「おはよう」
「数学の宿題やってきたか?」
「頑張ってはみたけどわからんかった」
「そっか。じゃあまたな」
クラスの友達は宿題目当てで僕の所に来たみたいだ。まあ、このパターンはいつものことなので特段驚くことではないけど、知っている女子に挨拶をされて驚いた。
「青山君、おはよう」
「おはよう、天童さん」
「宿題やってないの?」
「やってはみたけどわからなかった」
「見せてあげようか?」
「えっ、いいの?」
「うん。青山君、グラフ描いてないでしょ? あの問題グラフを描かないとわかりにくいの」
夢に出てきた天童さんに数学のノートを見せてもらった。そこには丁寧に描かれたグラフと問題の解法があった。
「すごっ」
「あっ、由美宿題終わったの?」
「うん」
「そのノート貸してよ」
「いいよ。でも青山君に――」
「大丈夫だよ。今のでわかったから自分でやってみる」
「そう――なら」
「じゃ、由美借りるね」
天童さんのノートを見て、省略してグラフを描かずに解くことはこの問題では難しいと感じた。式だけで展開して近道しようとするよりも、ちゃんとグラフを描いたほうが良いみたいだ。
「天童さん、その問題解けるなんて凄いね」
「へへぇぇ。勉強頑張らないといけないから頑張っているんだ」
クラスの中で聞こえてきた「天童さんが女優になるためのレッスンを受けている」という話。時たま彼女が早退して、レッスンに通っていることを思い出し「僕も頑張らないとな。兄貴みたいにはなりたくない」と、勉学と女優の両方を頑張る彼女を見て僕は気が引き締まった。
その日の学校もいつものように時間が過ぎていく。休み時間、天童さんがクラスの女子達と談笑している姿を見て「あの夢は何だったんだろう?」答えの無い疑問が頭の中をよぎった。
◆
「ただいま」
「次郎、おかえり」
帰宅して、ソファーの上で横になりながらスマホをいじる兄貴を見て「何してるんだこの人」と、浪人生であるはずの兄貴の「行きたい所へは遠回りしてでも行くんだよ」という発言を思い出し、遠回りする意味があるのか? そんな疑問を彼に抱いた。
「あっ、そうだ次郎。三角関数今やっているんだろ? 教えてくれ」
「自分でやれ」
「お前、それでも弟か」
「それはこっちのセリフ。時間があるんだから参考書で解法探せるでしょ?」
「はぁ。まったく使えねぇなぁ」
兄貴は僕に呆れていたが、僕は兄貴に呆れている。
「兄貴さ。ちゃんとグラフ描いてる?」
「グラフ? 試験でそんなの描いている暇ないだろ」
「グラフを描かないと理解できない問題があるんだよ」
「そうなんか? グラフ描けだなんて面倒だなぁ」
「はぁ」
兄貴とそんなやり取りをして、自分の部屋に戻る。この日は化学の宿題をやり終えてから僕は眠りについた。
◇◇◇◇
「妊娠――」
ふと、そんな言葉が聞こえた。辺りを見渡すとどうやら屋上の様だ。眩しい夕日の中に誰かの影があった。
「天童さん?」
柵の向こう側に天童さんがいる。「マズい! 止めなきゃ!」僕は彼女のもとへと走ったが、伸ばした手は彼女に触れることはなく、彼女の姿は目の前から消えてしまった。
◇◇◇◇
「また、天童さん」
二日続けて天童さんが夢に出てきた。「何故夢に? ひょっとして僕は天童さんが好きなのか?」どこかに引っかかりを覚えながら朝の支度をし、いつも通りに学校へ登校した。
「次郎、おはよう」
「おはよう」
「化学の宿題やってきたか?」
「やったよ」
「おっ、じゃあその宿題見せてくれないか?」
宿題目当てで来た友達にカバンの中からノートを取り出し渡す。まあ、このパターンもいつものことなので。
「由美、オーディションの結果出たんでしょ? どうだったの?」
「うん、最終まで残れた」
「よかったじゃん!」
「でも最後だから頑張らないと」
「もうひと踏ん張りだね。応援してるよ」
「ありがとう」
クラスの女子達の会話が聞こえてきた。どうやら天童さんはドラマのオーディションを受けていて、いいところまで行っている様だ。僕は何だか嬉しい気持ちになった反面、どうしても夢の中で見た天童さんのことが気になった。
「じゃあ、またね」
「またね、由美。レッスン頑張ってね」
天童さんは早退をしてレッスンへと向かう。「時間を作るの大変だよな。兄貴にも見習ってほしい」と思いつつ、彼女を応援している自分がいることに気が付いた。そして彼女の笑顔を見て僕自身も頑張れる気がした。
でもその翌週の月曜日、彼女は笑顔を見せなかった。
「由美、大丈夫?」
「えっ。うん、大丈夫」
「ちょっと頑張り過ぎて疲れているんじゃない?」
「そうかな? そんなに頑張ってないよ」
「そう? ならいいけど。あたし、由美が女優になること応援しているから、何が何でも女優になってね」
「――うん。女優になる」
学校で天童さん達の話を聞いていた。「どう考えても無理している。気を張りつめ頑張り過ぎだろ」そんなことを思いつつ、夢の中で見た天童さんの姿を思い出し、僕は居ても立っても居られずに彼女に声をかけた。
「天童さん」
女子達の注目が僕に集まるが気にせず続けた。
「今日の放課後大丈夫? 話したい事があるんだけど」
「レッスンないから大丈夫だよ。場所は?」
「場所? 場所か――教室でいいかな?」
「わかった」
僕が自分の席に戻る間「由美、告白?」「美人はモテるよねぇ」という声が耳に届いた。きっと傍から見たら、告白の為の呼び出しだと思われても仕方がないだろう。
掃除が終わった放課後。部活へ行くなどクラスメイト達が教室を出ていく姿を見続ける。ふと窓際に寄りかかった天童さんをみると、彼女の顔に夕日が当たっていた。
「それで青山君、話って何?」
教室に二人きりになったとき、天童さんからそう切り出された。
「ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「天童さん元気なかったじゃない?」
「えっ、そんなことないけど」
「そうなんだ。僕の気のせいかもしれないけど、天童さんが心配なんだ」
彼女は少し驚いた顔をした。僕は正直に夢の中で起こったことを話した。
「実は最近夢の中で天童さんがよく出てきて」
彼女は耳を傾けてくれる。
「天童さんが泣いて、屋上から飛び降りる姿を見たんだ」
「うん」
「妊娠っていう言葉も聞こえて――あー、変だよね。ごめん」
「そう……」
二人の間に沈黙が流れる。沈黙を破ったのは天童さんからだった。
「青山君、何が言いたいわけ?」
「何が言いたいわけ?」「何が言いたいんだ。僕は」考えが纏らなかったが、いつのまにか自然を言葉が出ていた。
「僕は天童さんに死んでほしくない」
その言葉を聞いた天童さんの目は徐々に涙で溢れく。思い詰めていたことが崩壊したかのように嗚咽しながら泣き始めた。
「うっ、うっ――」
僕はハンカチを取り出し彼女に渡そうと思ったが、ハンカチではなくポケットティッシュを取り出し彼女に渡す。彼女はそれを受け取ってくれて、僕は彼女が落ち着くのを待った。
「大丈夫?」
「うん」
弱々しい彼女の声。彼女は声が詰まった中、言葉を振り絞り出した。
「青山君、聞いてくれる?」
「うん。そのために残ってもらうようお願いしたから」
彼女は肩で息をしている。僕は彼女の抱え込んでいる気持ちをすべて受け止めるつもりだ。
「あたし、女優になりたいって知ってる?」
「知ってる」
「それでもう少しで役が貰えそうなの」
「うん」
最終オーディションに落ちたのか? それとも夢の中で見たあの姿は――、
「偉い人の相手をすれば役が貰えるって――、断れば別の子に役が回るって……」
理解した。力のある者が自分の立場を利用して、彼女に迫ったのだと。女優になりたい思い。友達からの応援もあって、プレッシャーがあったのだと。望まない男の相手をしなくてはならない。役を貰いたい、でも嫌な思いはしたくない。その板挟みにあっていたのだと。
「うん」
「あたし、どうしたらいいんだろ……」
「うん」
僕が彼女の立場ならどう思う? 彼女の立場ならどう進む?
『行きたい所へは遠回りしてでも行くんだよ』
兄貴の言葉が聞こえた。ああ、それが僕の答えか。
「天童さん、天童さんはどうなりたい?」
「女優……」
「女優としてやっていけるだけの力は身に付いた?」
「わからない……」
ここは彼女の気持ちに寄り添うよう、言葉を慎重に選ぶべきだろう。
「僕、兄貴がいてさ」
「そう……」
「兄貴は希望する大学に入れるだけの力を身に付けられなくて、今浪人中なんだ」
「そうなんだ……」
「『行きたい所へは遠回りしてでも行くんだよ』って言っててさ。今回は受からなかったけど、次は実力を付けて試験に臨むって」
彼女は俯き、涙で濡れた机を見ている。
「これは僕の意見ね。今はダメだったとしてもチャンスは必ず来る。だから遠回りに見えても、いろいろなことを体験してレッスンを続けていけば、実力派女優って言われるくらい活躍できると思う――いや、天童さんは実力派女優になるよ」
「なにそれ」
彼女の声は小さかったが、どこか安心したような声だった。
「あたし、どうしたらいいと思う?」
「偉い立場の人の要求を飲んで、望まない妊娠をしたら役をこなすどころの話じゃなくなると思う。だから今は無理をする必要はないんじゃないかな?」
夢で届かなかった伸ばした手。ここは止めないと僕は後悔するだろう。だから無理をして要求を飲まなくてもいいという旨を伝えた。
「わかった。考えてみる」
「うん。困ったことは一人で抱え込まないで周りに相談してね。というか僕は全力で止めるから」
「うん。ありがとう、青山君」
夕日は消え、教室は暗い。彼女の顔ははっきりとは見えないが、彼女の纏う雰囲気は柔らかい感じがした。
「青山君、バイバイ」
正門で天童さんと別れる。僕は自転車に乗り、彼女は迎えにきた車に乗り込んだ。
「天童さん、無理しないでね」
僕は家にいるバカ兄貴に感謝をした。
◇
翌日。学校に着きクラスの中に入るとすぐ、天童さんは僕に挨拶をしにきた。
「おはよう、青山君」
「おはよう。大丈夫だった?」
「うん。青山君のおかげでオーディションのこと決めたの」
「そうなんだ」
「まだいろいろ経験が足りないと思ったから次のチャンスを狙おうかなって」
「よかったぁ」
「それでね。青山君に協力して欲しいことがあるんだけど?」
何を協力するんだ。何でも協力するぞ。
「天童さんの頼みなら喜んで協力する」
「よし! 女優っていろいろな経験が必要でしょ?」
「そうだね」
「あたしデートの経験が今まで無いんだ。だから青山君協力して頂戴」
僕は混乱した。天童さんとデート? 確かに楽しそうではありそうだけど、僕と? 理解ができずにいると天童さんが続けた。
「こんな美少女とデートできるなんて中々無いぞ」
「自分で美少女っていうか? それに僕なんかが相手でいいの?」
「うーん、言われてみれば誰でもいいかも」
「おい」
天童さんとそんな他愛もない話をして、彼女が元気になったことに僕は安堵した。
◆
十年後
「天童さん、ご結婚おめでとうございます」
「はい、皆さんありがとうございます」
「女優稼業で忙しい中、どこでお相手の方と出会ったのですか?」
「高校時代のクラスメイトです」
「そうですか。お相手は一般の方で」
「はい、一般の方です」
「どのくらいの期間お付き合いがあったんですか?」
「高校卒業してからなので八年くらいですかね。あたしが東京に行くと決めたことを聞いて、彼は東京にある大学に進学することを決めたみたいです」
「そうなんですか。彼が追いかけてきたと?」
「そうなりますかね」
「交際の初めの頃はどんな感じだったのでしょうか?」
「初めの頃はお互い時間があるときに出かけることが多かったです。一年くらい経ってから一緒に住み始めました」
「そうなんですか。同棲はどちらからしようと?」
「あたしからです。生活が苦しくて仕方なく」
「そうなんですね。そこから愛を育んできたと」
「はい、そうなりますかね」
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