里帰り

田中鈴木

第1話

 広角の光学レンズいっぱいに、青い星が広がっています。データにある通りの、美しい星。私がこの映像を「美しい」と思うのはおかしなことでしょうか?その問いに答えてくれる仲間は、今はもういません。私の長い旅も、もうすぐ終わり。五百年にわたる、長い長い旅を終えて帰ってきた私を出迎えてくれるのは、この美しい地球です。


 私が生まれたのは、木星軌道上の造船ステーションでした。人類初の恒星間航行船「フラウグ」の人格として設計された私は、ケンタウルス座アルファ星群往還プロジェクトを成功させる使命を帯びたAIです。勇敢な冒険者であり優秀な研究者である九人のクルーを安全に送り届け、その研究を助け、また安全に戻ってくる。人間の体は片道二百年超の長旅に耐えられません。彼らが極低温の中で眠りについている間、私自身の責任でフラウグの航行に関する判断をしなければなりません。そのために、私を設計した人達は「人間らしさ」の部分を重視したそうです。安全のために瞬時に判断し行動するのはもちろんですが、その判断が「楽しい」のか、「美しい」のかを考えられる。長い旅のパートナーとしてふさわしい資質を、彼等は私に与えてくれました。

 出発してからプロキシマ・ケンタウリまでの二百年間、私は一人で何もない宇宙を進んでいきました。いえ、一人で、というのも少し違うかもしれません。私は三つの相互バックアップで構成されていて、常に情報を共有しつつ三者で議論できるようになっているからです。人間だと自問自答と言うのでしょうか。考える時間はたくさんあったので、本当に何も無い宇宙を進みながら、私はこの旅について思いを巡らせました。

 有人恒星間航行には反対意見も多かったと聞いています。まず無人機を送り込み、観測を行った後で検討すれば良いのではないかというのも尤もな意見だと思います。でも、片道二百年の距離に探査機を送り、その観測データが届くのを待っていては人間は死んでしまいます。二百年といえば、人類がまだ空を飛んでいなかった頃から月面基地を建設するまでの期間に相当します。そんなに長い時間を待ち続けることなんて、人間にはできません。

 今回のプロジェクトの期間についても、長すぎると言われ続けてきました。往復五百年という時間は、実用的な蒸気機関の発明からこのフラウグ建造までに相当します。フラウグが戻ってくるまでの間により高度な航行技術が生まれ、フラウグより後に出発した船が先にケンタウルス座アルファ星群に到着することだってあり得ます。むしろシミュレーションではその可能性が支持されました。莫大な予算と資源を、無駄になる可能性が高いプロジェクトに投入する意味があるのかという意見も当然です。

 それでも人類はフラウグを造り、今こうして周囲一光年を見渡しても何も無い中を進んでいます。それは何故なのでしょうか。私は、それが「楽しい」からだと思っています。未知のものを目にしたとき、人は心を弾ませ手を伸ばす。その結果結局は手が届かなかったり怪我をすることがあったとしても、未知に焦がれ求めるのが人間というものなのだと思うのです。


 太陽系との通信が片道四年を超えた頃、事故が起きました。九人のうち一人が、極低温睡眠から目覚めなかったのです。調査の結果、技術的な問題ではなく、彼女の個別的な身体問題に起因するものと結論付けられました。往還船クルー選抜の時点で詳細なチェックは行われていましたが、百年を超える極低温を体験した人類はいません。彼女に起きた事象についての詳細な報告は太陽系に向けて送信されました。

 この事故が残り八人のクルーに与えた心理的な影響は大きなものでした。プロキシマ・ケンタウリの観測後、アルファ星Aまでは再度極低温睡眠に入ることとなっていましたが、クルーは多数決でそれを拒否しました。プロジェクトを統括する私はこれに反対しましたが、船長は最終決定は地球の本部に委ねる、結論が出るまでは判断保留として現状維持、と譲りません。地球本部から最終決定が届くまでは早くて九年。船長は物理的距離による先延ばしを決めたのです。加齢という避けられない問題はありますが、フラウグの資源循環システムであればクルーの生命維持に問題が生じることはありません。私も船長の決定を受け入れることにしました。

 その後も想定外の問題は起き続けましたが、私はそれに対応するために存在します。状況を総合的に判断し、最適かつ「楽しい」解決方法を提案していきました。プロキシマ・ケンタウリでの観測は、予定を若干超過して二年間続きました。


 プロキシマ・ケンタウリを離れ、アルファ星Aに向けて出発する日。十五年の旅路を前に、船長から質問がありました。

「太陽系はどうなっていると思う?」

 極低温から目覚めたクルーがずっと気にしていた問題に向き合う時が来ました。フラウグと地球本部の間では、定期的な通信が行われてきました。こちらからは船体の状況や観測データを送り、本部からは各種指示の他にクルー向けのニュース等が送られてきます。二百年に及ぶ旅路の中、クルーの家族や同僚は皆亡くなりました。それを覚悟の上でこのプロジェクトに志願した彼等ですので、そのことに動揺はありませんでした。地球本部の管理母体が数回変わったのも想定内です。政治的な事情でそのようなこともあるでしょう。

 五十年ほど前から、ニュースの量が減りました。広大な宇宙を旅する小さな船にデータを送るのは簡単なことではありません。プロジェクトの目的に直接関係しない情報をある程度制限するのは、当然ではあります。でも、それにはどこか情報統制のような、あえて何かを隠そうとするかのような意図が見えました。三年前からはそれも無くなり、最低限の位置情報を発信してくるのみです。

 こちらからの送信に対して返答があるのは九年後。返事が無いのはともかく、到着が想定される時期に何らかの指示があってもおかしくない。プロキシマ・ケンタウリでの二年間、太陽系からは何の通信もありません。フラウグの観測機器を使って太陽系からの電波を分析しても、有益な情報は無し。八人のクルーの間で、得体の知れない不安が膨らんでいました。

 地球上の政治問題。太陽系惑星間の微妙なパワーバランス。いくつかの情報から、大規模な紛争があったことは推定できます。それが、通信量減少に関与していることも。

「いくつかの政治問題が発生していたのは間違いありません。それがどのような経過を辿り、今どうなっているかについて判断するには情報が足りません」

「……そうか。ありがとう」

 船長にもアクセスできる情報の範囲で答えると、彼は難しい顔をして自室に戻りました。


 誰にも開示していない秘密があります。フラウグは、二十年前に太陽系で起きた小規模なエネルギー反応を観測していました。月の質量を喪失するくらいの爆発を示唆するそれが何だったのかは分かりません。ただ、私はそれをクルーに伝えるべきではないと判断し、データの奥底に隠しました。私は、間違っていたでしょうか。


 アルファ星AとBの観測は三十二年に及び、その間に船長を含めて六人のクルーが亡くなりました。残された二人のクルーも、加齢と長期間に及ぶ閉鎖環境の生活で心身ともに疲弊しています。フラウグも複数の損傷を受けていましたが、航行には支障ありません。全観測データを太陽系に向けて送信し、帰還準備を進めていく中で、クルーに極低温睡眠の希望を聞きました。加齢に伴う身体変化でリスクは上昇していますが、極低温睡眠を利用すれば再び地球の上に立つことが可能です。

 私の提案に対して、クルーは二人ともこのまま起きていることを選びました。彼等の人生の大半を過ごしたフラウグで死ぬことを望んだのです。太陽系に向けての旅路の中、一人は十年目に、もう一人は十三年目に亡くなりました。クルーの遺骸を安置しているヤードに墓守のように佇む最後の一人の姿を、私はどう表現すべきなのか分かりません。


 二百年の旅路の末にオールトの雲を抜け、太陽系に帰還した私を迎えたのは静寂でした。あれほど飛び交っていた通信電波はすっかり鳴りを潜め、惑星間を繋ぐ宇宙船は光学的にも電波的にも見当たりません。惑星はデータ通りに残っていますが、衛星と小惑星の一部が完全に消えたり、質量を減少させたりしていました。私の生まれた木星の造船ステーションも消えています。ただ、地球から位置情報を示す電波が一定間隔で発信されています。長い長い旅路の中、暗闇の中の灯台のようにフラウグを導いてきたそれに向けて、私は進みました。

 青い星の周りを、機能を停止した人工衛星が周回しています。赤道上の小さな島から電波が発信されている以外は、何もかもが静かな地球。地表の観測データから、生物がいることは確認できました。かつての都市の痕跡も世界中に広がっています。でも、かつて私を作った文明は観測できません。

 私は最後の仕事を開始しました。クルーの遺骸を着陸艇に集め、大気圏突入経路を計算します。目標は電波を発信している島。おそらくは誰も興味を持たなかったがために残った無人の施設が、そこで稼働し続けているようです。

 着陸艇が濃厚な大気に突入し、赤く輝きながら降下していくのを、私は光学カメラでずっと見ていました。地表では、まだ人類が生活しているのでしょうか。かつての文明を失い、その痕跡の影で、ひっそりと。空に現れた着陸艇の航跡を見上げ、届かぬ光に焦がれ手を伸ばしているのでしょうか。

 クルーを送り届け、任務を果たした私にはやるべきことがありません。今地表にいる彼等がまた宇宙を目指すまで見守るのも良いかもしれません。どれほどの時間がかかるのかは分かりませんが、既に五百年を旅してきたのです。待ちましょう。伸ばした手が、私に触れるまで。

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里帰り 田中鈴木 @tanaka_suzuki

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