手をつないで

🌙☀️りつか🍯🍎

認められない、認めたくない

つめたっ!」


 考えるより先に声が出た。

 一日買い物に付き合って心地好い疲労が漂う夕暮れ時。あたしが反射的に振り向くと彼はきょとんとした顔をしていた。登り坂に差しかかっていたお陰で目線は若干あたしの方が高い。穏やかな茶色をした目があたしを見上げ「なんの話?」と尋ねている。

 あたしはたった今捕われた手をそのまま持ち上げて、捕らえている本人・良太リョウタの目の前に突き出してやった。


「あんたの手! まるで氷じゃない」


 非難の眼差しと苛ついた声で訴えれば良太はようやくそれに目を向けた。あたしの右手と、あたしの手を掴む良太の左手と。

 でもそれもほんの一瞬のこと。ちらりと視線を流しただけで、あたしの手を離す気はさらさらないらしい。小首を傾げて見返してきたその顔が、そしてのんびりした仕草が、どうにもわざとらしくて腹が立つ。

 素っ惚けるのもいい加減にしろと怒鳴るつもりで息を吸いこんだあたしに、彼は絶妙の間でへらっと相好を崩した。


アンさんの手はあったかいね」


 言いかけた言葉を思わず飲みこんだ。笑顔を見せる彼に果たして〝懐柔してやろう〟という気があったかどうか。案外思ったことをそのまま口にしただけなのかもしれない。

 だけどもしそれであたしが大人しくなると思ってるなら大間違いだ。そんなの、褒め言葉でもなんでもないんだから。




 彼の言う通り、あたしの手は温かい。そしてそれはほとほと聞き飽きた台詞。

 昔から兄には「人間カイロだな」と呆れられ、母に至っては「子どもは眠くなると手が温かくなると言うけどねぇ」なんて、全く寝そうにないあたしに首を捻っていた。もちろん手と額を交互に触れ比べて、平熱なのをしっかり確認されたあとで。

 そんなふうに体温が高いところは小さな頃から全く変わってなかった。身体も態度もこんなに大きくなってしまった二十七歳アラサーの今でも。


「……どうせ子どもみたいとか言いたいんでしょ」


 むうと唇を尖らせて問えば良太は「子ども?」とますます首を傾けた。視線を宙に彷徨さまよわせ、しばらく思案したのち「ああ、」と声を上げた。


「子どもは体温高いから、杏さんもそうだっていうこと? 確かにいくくんはあったかいよね。眠いときなんかすぐわかるし」


 郁、とはあたしの甥っ子だ。赤ちゃんの頃から可愛がりお世話をしてきた仲なので、良太なんかよりずっと長い付き合いだ。

 そんな『現・七歳児』を引き合いに出し、『現・三十路みそじ』はうんうん頷いた。そのスッキリした顔を見るに、さっきの発言はただ「杏さんの手があったかーい」と思ったからそのまま述べたということか。

 良太は右肩に掛けていた衣料品店の紙袋をよいしょと掛け直した。そうして自由になった右手をあたしの手――既に良太の左手に捕らわれ済みの右手――に重ねると、「でも」と口を開いた。


「杏さんを子どもみたいって思ったことないよ。手だって郁くんとは全然違う。柔らかくて女性らしい、美しい手だと思う」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。というより向けられた言葉に馴染みがなさ過ぎた。手の甲をそっと撫でられ、そうされたことでやっと理解が追いついた。

 顔が熱を帯びる。


「あ、あのね……!」

「ん?」

「あの、だから」


 ――この男は、いきなり何を言い出すんだろう!


 逃げなきゃ駄目だ。本能が危険だと告げている。

 良太とは初めましてのときからなぜだかあまり〝初めまして感〟がなく、妙に落ち着く感じがあった。一緒にいて嫌なわけじゃないし、だから今日の買い物だって快くOKを出した。

 悪い印象は持ってない。だけどこのまま捕われていたらどんどん自分が変わっていってしまうような、後戻りができなくなるような、得体の知れない不安感に襲われている。


 慌てて手を引き抜こうとした。けれど良太の力は思いのほか強く、あたしが戒めから逃れることは適わなかった。

 振りほどくのは諦めても動揺は悟られたくなかった。それでわざと真正面から良太の瞳を見据えた。


「ちょ、調子いいこと言ってないで! あんたはもっと代謝を上げる努力をしなさい。ちゃんと規則正しい生活してれば体温上がるし、体力だってついてくるんだから」

「うーん、そんなに不摂生してるつもりはないんだけどなあ。体温低いのは昔からだし。ほら、よく言うだろう? 手が冷たい人は、」

「心が温かい」


 すかさず語を継いだ。再びきょとんと目を瞬いた彼にあたしは挑むような眼差しを向ける。


「その法則だと人間カイロのあたしは心が冷たいってことになるよね? ……手、離してくれる?」


 にっこり笑って言ってやる。

 すると良太も同じように――いや、あたしのそれとは比べようもないほどの清々しさで破顔した。 



「杏さんは情熱的だからね。それが手先にまで滲み出てるんだよ」



 今度はあたしが目を見開く番……いや、口をあんぐりと開ける番だった。全く、ああ言えばこう言うとはこのことだ。

 しかもはっきり「手を離してくれ」と頼んだそれはそっくりそのまま流された。聞こえなかったはずはない。とすれば離す気がないということか。

 一体なんのつもりだろう。なんの得があってこんなことをするのだろう。

 ――もしかしてあたしと手を繋ぐのは、良太にとって得になると思ってる……?


 顔が熱い。頭がぐるぐるする。

 必死で平静を装うあたしに表情を取り繕う余裕はなかった。眉間に力を込め、じとーっと睨みつけてやる。

 そんなあたしに一切構わず、良太は「帰ろう」とにこにこ言った。





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