ケース:蛟

 ケース:みずちの実体は、霧状の群体生物と推定される。

 その性質により発覚及び対処が遅れ、防災省の特殊激甚災害対策班に在籍する【詳細は伏す】氏が偶然被災地を訪れたことによって災害の発生が確認された。防災省は全長【詳細は伏す】キロメートルに達する魚類を模した存在が高高度を飛翔する様子を観測しており、その外観はアカマンボウ目リュウグウノツカイ科に属する既知きちの生物に酷似していた。

 氏曰く、本来は成層圏に棲息せいそくしており、古代から霧状の形態を取って休眠しているという。長い周期の眠りから目を覚ますと、地表まで降りてきてその一帯で生活する生きた生物を捕食する。その直後は非活性化して被災地には濃霧が滞留するという(氏はこの状態を「腹休め」と表現した)。

 以下はケース:蛟によって壊滅的な被害を受けた【詳細は伏す】町における救助活動の記録である。



 霧が晴れた町の上空を、迷彩色のヘリコプターが飛び交っていた。

 自衛隊の初動対処部隊三十名が到着し、全壊した小学校の校門の前に停めた化学防護車から降りた。小隊長を始めとして、隊員はいずれも防護マスクと科学防護衣を装備している。手には89式5.56小銃をたずさえていた。報告により、被災地は有害な気体が残留している可能性があったからだ。

 彼らにくだされた命令は人命救助及び偵察、敵性存在の排除である。

 被災地を襲った特殊激甚災害とは別に、偶発的に発生したケース:【詳細は伏す】によって敵対的な存在が多数確認された。これは全く性質の異なる災害が同時発生した極めてまれな事例である。ケース:蛟が収束すると同時に一掃されたとの報告があるが、中には体長四十メートルに及ぶ人型の実体も観測されており、部隊には緊張が張り詰めていた。

 ケース:【詳細は伏す】の発生源と推定される小学校の校舎は、完全に倒壊していた。濃霧の中で大きな崩壊音が響き、同時刻に崩れたものと推測される。瓦礫が広範囲まで飛散し、内部から破壊された状態とよく似ていたという。

 瓦礫の中には生存者及び遺体は発見できず、机や椅子に混じり、多数のランドセルが埋もれていた

 初動対処部隊は小隊長の指示の元、警戒態勢を取りながら生存者の捜索を行なった。通学路及び住宅地、商店街、ビル建設の工事現場などもくまなく探索したが、町の住民はどこにも発見できなかった。

 一方で、巨大な人型実体が通過したと思われる足跡が見受けられ、多くの家屋が踏み潰されていた。また探索中、部隊の隊員たちは町の上空で鳴り響く不明音を聞いた。彼らはその音を「割れた鐘のようだ」と表現した。

 のちに音の正体について氏に見解を求めたところ、「しぶといな」とのげんが得られたのみである。

 初動対処部隊は敵と遭遇することもなく、山麓さんろくの製錬所へと車両を走らせた。大型の実体を始めとして、多数の敵性存在が向かう様子が確認されたためだ。過去の事例から人間の血肉を好む性質が判明しているため、そこに生存者が残されている可能性があった。

 その製錬所は経営難から【詳細は伏す】年前には操業を停止している。取り壊しにかかる費用も多額に上ることから、市町村は施設を長年放置していた。居住区から離れていることもあり、地元の人間からは心霊スポットとして恐れられていた。

 道路が一部陥没しており、部隊は途中から徒歩を余儀なくされた。横転した運搬用の大型車両の先頭が圧壊しており、現場には大きな手形らしい痕跡が見受けられた。

 製錬所へ到着した。門を抜けると、敷地内には複数の大型トラックが停車されていた。いずれも運転手の姿はない。部隊は煙突が伸びる製錬所の搬出はんしゅつ口から進入した。敵性実体が潜伏している可能性が十分考えられたため、警戒はげんに行なわれた。

 長年稼働していない工場は薄暗く、多量の埃が積もっていた。足跡など何者かが立ち入った痕跡はない。溶鉱炉を始めとした複数の炉を繋ぐといが張り巡らされ、死角となる物陰に注意しながら探索が行なわれた。製錬する際に生じたスラグを積載した搬送車両が残されていた。

 防護マスクを着用した隊員たちはライトを点け、生存者の捜索を続けた。光の中でちりが空中を舞っている。作業員の休憩室など、避難している可能性が高い場所を率先して調べた。そこには埃を被ったヘルメットや作業服などの備品が残されているだけだった。

 敵影てきえいも見られない。例の不明音が、閉鎖された施設内で反響している。防護マスクの中で息遣いが大きく聞こえた。訓練された隊員たちが工場の中を慎重に進んでいく。

 やがて煙突に接続されているボイラーまで来た。その設備の前で立ち止まり、部隊の一人が声を上げた。

「生存者を発見」

 その一報に、隊員たちのライトが一斉に向けられる。重なり合った光の中で、静かに佇んでいる人影があった。破れ目が目立つブルゾンに軍手、やはりほつれた茶色いズボンに靴紐が乱れたスニーカー。ニット帽を被り、無精ぶしょうひげを生やした顔は薄汚れている。

 町の住民とおぼしき中年の男性は、自らを照らすライトの光には目もくれず足元を見下ろしていた。小隊長が無線で司令部に報告し、彼に声をかけた。

「大丈夫ですか、我々は――」

 小銃を下ろしながら語りかけた彼は、途中で言葉を呑みこんだ。

 顔を覆う防護マスクに反射したのは、ぎだらけの寝袋に入ったもう一人の男性だった。瞳孔が開かれた目を剥き出しにし、工場の床で煤けた顔のまま仰臥ぎょうがしている。閉じられていない口の周りは髭に覆われ、黄ばんだ歯が並んでいた。奥から垣間見える舌は紫色に染まっている。

 死体袋を連想させる寝袋に横たわった遺体は、すぐそばに佇む中年男性と全く同じ容姿をしていた。

 防護マスクの向こうで、彼は静かに小隊長を振り返った。

「なあ、俺は誰なんだ?」

 その発言の直後、男性の顔が歪んだ。頭部が霧状になり、全身の輪郭が崩れていく。霧散むさんした気体は、ボイラーを通じて煙突に吸いこまれる。その際に発せられた音は、断末魔にも聞こえたという。

 誰もが沈黙する中、無線から報告を求める声だけが繰り返されていた。



 この現象を目撃した一部隊員は、現在も部内のカウンセリングを受けている。

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