傀儡の姫・中巻
安辺數奇
◆◇◇◇◇◇◇◇
◇少し普通ではない事情を抱えた街娘が
少し普通ではない旅に出る前にしたこと
母が遊学先の候補に挙げてくれた私塾は、かつて母が修行の旅をしていた頃
知り合った教授が開いたもので、大公国からみて東の山間地の小都市にある
大陸南半分の中ほどを南北に縦断し西と東の行き来を困難にする脊梁山脈の
北端付近に東西を結ぶ歴史ある街道が通り、その途中の湖畔の街に立地する
母の提案を父に伝えたところ、私塾は父が茶葉の商談旅行で訪れる街にあり
教授の専門分野も少しは知っていて、私の希望に適うだろうと言ってくれる
教授の専攻は大公国の歴史、それもどちらかというと批判的な視点に立って
研究しており、内乱前は文献調査で大公宮廷文書館を訪れたこともあるとか
かつて宮廷勤めだった義父も、閲覧許可手続などで教授と面識があるそうだ
そして私の祖母も、この教授や私塾についての噂を多少は聞いているという
大陸東西を結ぶ街道は祖母が隠居暮らしを送る離宮の街を通って国外へ出る
ので私が遊学の直前に立ち寄ることを手紙で伝えたら、そんな返事が届いた
私が親たちから伝え聞いた教授の人物像は、五十代前半で好奇心旺盛な女性
頻繁に調査旅行に出る活発な人で、ちょっと少年めいた雰囲気もあるらしい
生まれ育ったのは私塾を置く湖畔の街の郊外、山の上にある小さな牧畜集落
幼い頃から山野を歩き回り、その地に点在する廃墟が遊び場だったとのこと
この廃墟を作った人の営みに興味を持って、歴史研究の道へと進んだそうだ
私とは違う意味で少し普通ではない女性かなと思うけど、母はこうも言った
「クロリスだって、知りたいと思ったことに対して真っ直ぐに突き進むではないですか。そういった点も含めて、あなたも普通の女の子とは少し違うでしょう?
むしろ、あの教授と似たところがあると思いますし、なにより興味の対象が近いですから、きっと教授の下で上手くやっていけることでしょう。多くのことを彼女から学べるはずです」
普通ではないとの指摘を私は否定できないし、母がこう言ってくれるのだし
他の親たちも概ね似たような見解を示してくれて私も心配しないことにした
ただし城下から遊学先の私塾までは、少なくとも馬車で数日を要する旅路だ
その教授の下で学ぶなら研究旅行にも出ることになるだろうから、もし何か
あったとしても家族の助けは期待できなくて、しっかり準備する必要がある
いつものように「やれるだけやってみよう」とは思ったものの、いつだって
やったことのないことをすると失敗しがちだ、過去の苦い経験は幾つもある
十歳の頃に私が貰い子だと告げながらも涙した育ての母に感謝を伝えたくて
ほとんど経験なかった菓子作りを一人でやろうとしたら散々な目に遭ったし
貴族の養女として傀儡の姫を演じたときは何の役にも立てなかったばかりか
私を守る役目を与えられた傭兵たちを何人か反乱軍の矢で死なせてしまった
私が学びたいと考えたのは、彼らが死ぬことになった運命を知るためもある
学費は決して安くないけど、事業が好調な父が喜んで出すというので甘える
とはいえ旅行や現地での生活は自分一人で一通りできるようにしとかないと
卒業直前には祖母が隠居生活を送る街まで片道半日ほどの馬車旅はしたけど
私はそれ以外に一人旅の経験など皆無だし、一人で生活した経験もなかった
だから遊学が決まってからは一か月ほど新市街に部屋を借りて一人で暮らし
近くの飲食店で給仕や厨房などの臨時雇いの仕事を得て実際に働いてみると
稼いだ金で家賃や食費など賄うことができたので、何とかなりそうな手応え
お試し単身生活の合間には遊学先について人に聞いたり本で調べたりもした
大公国の東の国境付近は山間地となっており、その向こう側は大山脈がある
大山脈は大陸南部を南北に貫くように伸び、西と東との行き来を妨げている
それでも人々は、何とか通れそうな場所を使って、遠方との交流をしてきた
そしてかつての帝国が、そんな古くからの道を交易路として整備していった
大陸南西部の平原にある大公国では、国の北東端あたりに東西街道が通じる
そこに葡萄酒産地として栄える古くからの街があり大公も離宮を置いていた
離宮の街から東へ街道を行くと国境付近で山間地に入り、谷間を縫うような
街道になって、ときに難所があったり網目のように分かれたりするとのこと
多くは荷馬車が行き来できる程度で、数々の宿場町や小都市が点々と連なる
街道沿いの街は多種多様で、街道の難所の前後で旅人たちが身体を休めたり
天候など見極めるために使う宿場や、街道の交差点となっていて遠方からの
物資が集散する交易都市、温泉で有名な町や特産物で栄える集落、さらには
鉱山で発展した都市や、霊山や寺院に巡礼者が集まってできた門前街なども
そうした街の多くは小さいけど独立自治の国のようなもので、相互に連携し
協力し合って交易路を維持管理する一方、互いに競争し合ってもいるという
さすがに一つひとつの人口は限られ軍事力は傭兵頼みだし、食料など完全に
自給自足できてない街もあったりするけど、そうした街は逆に外部の者でも
役立ちそうな人材なら定住を歓迎してくれるし、出自もあまり気にされない
ちなみに傭兵たちは、実は大公国の人たちからはあまり歓迎されない職種だ
城下ですら、たとえば貴族が常勤で雇っていたような一部の傭兵団を除けば
近所付き合いを避けられたり、家を借りることさえ断られる場合もあるとか
義父が抱えていた傭兵団の者たちも、その子供たちが寺子屋などに通うとき
父親の仕事を秘密にする例は少なくなかったと、私も貴族令嬢時代に聞いた
幼い私が一緒に遊んだり口喧嘩した悪ガキの中にも、そんな傭兵の子がいて
やはり無闇に出自を語らぬよう親に言い含められていたことを、後に傭兵と
なって私の護衛についてくれた当人たちから聞いているので、根深い問題だ
傭兵たちに向けられた人々の差別意識など、当時の私は何も知らなないまま
気兼ねなく接して、むしろ一緒になって行列を作って城下を練り歩いてたし
私を守って彼らが矢を受けたときは自分の不甲斐なさに涙が止まらなかった
きっと、そんな貴族令嬢などいなかったから私が慕われてるのだろうと思う
差別されがちだという点では、古い民とも似たところがあるのかもしれない
大公国には古くから土着していた民がいて、後の大公の先祖たちが北方から
進出していく中で、衝突したり武力で支配されるなどしていった歴史がある
後の時代にも彼らに対する偏見や差別が残り続け、なかなか解消できてない
内乱が反乱軍の勝利で終わり、新たな世になっていく中で、どう変わるのか
ところが東の国境の向こうは大公国とは全く違って傭兵が頼りにされている
この地域は大公国のように民を守る責務を持つ領主や貴族がいる国は少数で
街を守るには住民たち自身が戦うか、資金を出し合って傭兵を雇うしかない
安全保障や治安維持に欠かせない存在だから普通に定住しているのだそうだ
まあいささか荒っぽい連中が多くて、その点で敬遠する者もいるようだけど
そして父や母によると、古い民と思われる人物でも他の民と大差ない扱いで
普通に街で生活しているらしく、むしろ大公国だけが違ってるのではと思う
また、街の特色づけの一環なのか微妙な情勢に陥ったとき知恵を借りるのが
目的かはわからないけど、私塾や大学を厚遇する街も少なくないのだという
私が遊学先にと考える私塾も交通の要衝となる小都市の一つに置かれている
この都市の歴史が、教授の主な研究対象である大公国の歴史にも深く関わる
というのは、私も母と父の「なれそめの一冊」を熟読して何となく知ってる
というかこの本は大公の一族の系譜について書かれたものなのだけど、実は
まさにこれこそ若い頃の教授が、研究成果を一般向けにまとめた著書だった
父がこの本を買った直後、書店からの帰り道で一冊落としたことに気付いて
探しに戻り、拾った本を手にした母と出会って親しくなったのも納得できる
母は著者名を見て、しばらく前に旅路で知り合った研究者の女性だと気付き
また肩書きから教授になったこともわかり、ついつい嬉しくなってしまって
著者の人柄や研究姿勢、一緒に旅をした経験など熱心に語って聞かせたのだ
そういうときの母の笑顔ときたら、実の娘の私にも眩しいくらいなのだから
思春期だった父が異性として魅力を感じてしまったとしても不思議ではない
でその教授に話を戻すと、実は教授の故郷にあった廃墟というのが、かつて
大公が東の山間地域へ遠征した際、現地の人々が抵抗のため作った砦だった
大公国の三百年に及ぶ歴史の中では何度か東方への軍事侵攻が行われていて
平和な時代は交易の相手だけど、ひとたび紛争となれば激しく敵対した関係
「このような複雑な歴史があるから、向こうの都市国家群は大公国の文化や習俗などを一部で取り入れながらも別の国であろうとするし、全く異なる考え方を保ち続けているのです。だから逆に歴史を紐解いていくことで、大公国の影響がどのように波及してきたのかを解き明かすのだと、当時の彼女は言っていました。内乱後も手紙をやり取りしたことがありますが、最近では内乱に至るまでの経緯や、内乱の中での大公側と反乱軍それぞれの動向なども調べているそうです。
教授が私塾を開いた街は、多様な人々、様々な文化が行き交う土地でもありますから、少しくらい変わり者でも普通に受け入れてもらえるはずですよ」
と母が説明する最後の一言が微妙に引っ掛かる元傀儡の姫ではあるのだけど
城下から遠く離れた地なら、私の過去もあまり詮索されることはないだろう
教授の古い知り合いで大公国修道会城下管区長まで務めた母の手紙に加えて
かつて大公国の宮廷貴族として文書館の閲覧許可にも関わった義父の推薦状
また私が内乱後に一年間ほど聴講していた貴族学校の講師陣からの紹介状も
いずれも既に教授の許に届き、私が入塾する内諾も取り付けてもらっていた
最終的に入塾を認めるかどうかは実際に私を面接してから決める、としつつ
いつでもいいから準備が整ったら来るとよい、歓迎すると教授の手紙にある
それで私は二カ月近く費やして、主に一人暮らしのための準備を進めてきた
臨時雇いで得た給金は新市街の家賃や食費などを差し引いても余裕があって
この分なら相場の違いなどを考慮に入れても現地で一人、自活していけそう
学費や旅費は親たちが援助してくれるというので甘んじて受けることにして
これまで親たちにもらっていたお小遣いの貯金も結構な額になっていたので
修道院で為替にしてもらって、いざというときの費用として隠し持つ一方で
私は初めて自分で働いた稼ぎを、主に旅の支度をするために使うことにした
商談旅行で旅慣れている父に教わりながら背嚢や箱形の衣装入れなどを購入
その他にも旅路で必要になりそうな道具を色々と一つずつ選んで買っていく
父の旅支度にならって頭巾つきの油引き外套やゴム底の長靴なども仕立てる
ゴム底靴は伯爵領で開発されたばかりだったけど反乱軍が一部で取り入れて
内乱を経て大公国にも広まって、今では城下の靴職人も取り入れつつあった
また父は、自分自身が祖父から贈られたのと同じような小刀も誂えてくれた
祖父の出身地である北の沙漠の民に伝わる、伝統的な形をした特別な小刀で
旅路で包丁代わりにも、いざというとき身を守る短剣にもなる、大きめの刃
傀儡の姫のとき持たされた剣は無理だったけど、これは私でも何とか使える
私に続いて家を離れる予定の妹にも、もちろん家業を継ぐ弟にも同じものを
そんなこんなで一通り必要な品が揃ったので荷造りを開始する、といっても
旅の道のりは数日間というし、私塾のある街に着いたら学生生活を送る予定
ということは、生活用品の多くは現地に落ち着いてから買えば大丈夫だろう
それに育ての母が、寝具や調理具、食器など別に箱詰めしてくれているから
旅路で使う分だけ背嚢の方に、衣装入れには街で使う品々をまとめておこう
父も母もそれぞれ旅慣れた人だから、旅路での注意事項なども色々と教わる
父は、東の山間地の様々な情報が載った書籍をたくさん集めてきてくれたし
やはり過去に取引先開拓などのため各地を旅した経験があって旅慣れている
「旅支度には慣れも重要だ。うっかり必要な道具を入れ忘れたりしたら大変だし、すぐ使いたい品が鞄の奥にあって難儀することもある」
「うわ、私それやっちゃいそう」
「まず持っていく品々を全て揃えて、鞄に入れたり出したりして確認しておくといい。
それとな、長靴だけは、しっかり履き慣らしつつ油や蝋で手入れをしておくように。新品のままでは革が馴染んでないから、靴擦れになりやすい。しかも長靴だからな、短靴より念入りに」
「たしかに。さっそく何日か履いて歩きます。
それにしても暑い季節でなくて良かった。あの夏の甲冑は本当に大変だったんだから」
「ははは。あれは見るからに暑そうだったな」
「笑い事じゃないよお父さん! もう二度と着るもんかって思った。
……嫌なことも思い出しそうだし」
「ああそうだろう。
でもたしか甲冑も剣も反乱軍に預かると言われて、そのままなんだよな? 戻ってこないのは幸いだ」
「それがね、最近その件で役所から手紙が来てたの。いずれ内乱を記念した博物館を建てる計画だから、そこで飾ることになるだろうって」
「そうだったのか。だとしたらハナの名は後世にも残るんだな」
「しかもこのままだと私には不名誉な方向性でですよ。だから、せめて少しは役に立てることを示したいの。だってそうでしょ? お父さんや義父上の名前まで、残念な娘を持った男だって歴史に残っちゃう」
「俺たちは気にしない。世間にどう思われようと、ハナは俺たちの大切な娘なんだから」
「そう言ってくれると思ってたけど、でも私が納得できない」
「そうか。なら研究者として名を挙げるか?」
「うーん。有名になるために研究するというのも違うよね。そこは自分で知りたいと思ったことを正直に突き詰めるつもり。でもそれとは別に、誰かのためになることもしたい。いろいろやった結果として、名が残ったらいいかなって」
「ほう、ハナも野心家なんだな」
「コンほどじゃないですよ」
「ああ、アイツも言ってたな。『勉強もしたいし新しい商品も発掘したい』って言ったらハナもミキも応援してくれたって」
「そりゃまあ、私たちまだ若いですから、いろいろな夢くらい持ってて当然でしょう。ミキはそういうの言わない子だけど、私やコンのことを応援してくれてるから、せめてあの子が自慢できる姉や弟でありたいねって二人で言ってたの」
「お前たちは相変わらず仲がいい。そこは親として嬉しいよ」
「えへへ……」
母も私を産むより前の若い頃に修行の旅をしたり、教会や修道会の役目でも
各地を巡る旅をしてきた経験から、色々と参考になる助言を私にしてくれた
「旅路で誰かの助けが必要になったとき、もし近くに教会や修道院などがあれば相談してみるとよいでしょう。
様々な事情で困っている人を救うことも、教会や修道会の役割の一つです。宿泊施設ではありませんが、ある程度の規模がある修道院では、医術や薬学に心得のある修道僧がいることも多いですから。たとえば嵐に見舞われたり、盗賊や獣などに襲われたり、怪我や急病で困った旅人を受け入れて助けることもしてくれます。私も旅の途中、体調を崩した旅人などを案内したことが何度もありました」
「そうなのですね。もしかしてお母様も、医術などの心得を?」
「私はあまり詳しくありません。ちょっとした応急手当や、薬草の調合などの基本的な知識が少々ある程度です」
「とはいえ知っているだけでも、いざというときは頼りになりそうですね。私も最低限の知識は持っておきたいので、手頃な本など探してみます。おすすめの本などはありますか?」
「修道会でまとめた手引書なら私も持っていますが、少し古いものです。医学の研究は伯爵領で盛んと聞いていますし、そこでの新しい知識を元に反乱軍や今の軍でも手引書を作っているのではないでしょうか?」
「言われてみればありそうです。捕虜になっていたとき差し入れてもらった本の中に、反乱軍が作って配布していた『性教育の教科書』なる本がありました。応急手当などについての本も、きっと市販もされている気がするので、まず書店で探してみますね。良さそうな本があったらお母様の分も買ってきます」
「ありがとうクロリス。
ですが旅路には他にも様々な危険があるものですよ。たとえば野の獣であったり、毒のある植物なども、少なからぬ旅人を危険に陥れています」
「たしかに。そういった本も、合わせて探してみます」
「ぜひそのように。
クロリスは人間からは好かれるので、あなたに害をなそうとする者はほとんど存在しないでしょう。けれど動植物に対しては未知数。用心しておくに越したことはありません」
「あ、お母様も私をそのように思われているのですね……」
「ええ。私のクロリスは誰からも愛される花の精。普通の人間が故意に危害を加えようとすることはないはずです。実際、戦場でもさほど危害を受けていないのでしょう?」
「その通りですけど、あれが証明だということですか」
「そうです。弩の射手さえ狙いを外す、それこそあなたの最大の強み。あなたの戦場での話を聞いて確信しました。射たれたのは唯一、騎士だと勘違いされたときでしたよね?」
「なるほど。言われてみれば、あのとき旗も持っていませんでしたし……」
「ですから、その他に考えられそうな危険を知っておきましょう」
「わかりました。お母様がそのように仰るなら、私も信じます」
旅路で直面しがちな女性特有の課題についても、もちろん母はとても詳しい
そういうことは父には聞きづらいし、父にはわからないことも多いだろうし
知ってても父からは教えづらいだろうから、旅慣れた母にしっかり教わった
ちなみに母は、教会や修道会の中で旅慣れた先輩女性に教わったのだそうだ
その後は旅する女性も増え、女性旅行者向けの手引書や小物など市販される
ようになってきたから、このときの私のような悩みを抱えることもなかろう
暫定政府の役人として職を得ていた義父や義兄も、それとなく仕事ついでに
現地方面の情勢に関する情報を集めてくれて、これらもとても参考になった
相変わらず私は誰かに助けてもらってばかりだけど、失敗で迷惑かけるより
失敗する前に面倒をかけた方が皆のため、それでいいんだと思うことにする
ちなみに義父は貴族時代の不正がなく暫定政府と良好な関係であることから
役人に採用され、宮廷勤めの経験を生かして大公の宮廷が三百年に渡り蓄積
してきた資料の目録作りに、旧反乱軍士官や民間研究者などとともに携わる
仕事柄、宮殿の文書館や離宮の書庫など閲覧できるというので大変羨ましい
同様の理由で役人に採用された義兄の方は、内乱で没落した貴族や、彼らを
主な商売相手としていた職人、商人などの対処が、主な仕事だと言っていた
資産や収入の手段を奪われて困窮している上に、戦場などで当主や後継者を
失った家も多く、様々な施策を上手く組み合わせて対応する必要があるとか
また、内乱では少なからぬ貴族が国外に亡命しているから、彼らの滞在する
国に政府の方針を伝えて対応を検討させるなど、外交的な任務もあるという
もちろん平和的に帰国してくるなら歓迎するし相応の援助もするというけど
中には内乱前から領民の虐待や不正蓄財などに手を染めていたと考えられる
お尋ね者もいて、きっと彼らは帰国したがらないだろうから、相手国に対し
調査や引き渡しを要請するなど、いささか気が重い場面もありそうな仕事だ
とはいえ、お抱えの職人や芸能者などを一緒に連れ出したり、貴重な情報や
他にない資料などを持ち出した者もいるらしく、調べる必要があるのだろう
国外の出張も多い仕事なので私の遊学先などで会う機会もあるかもしれない
◇遊学小娘と出張商家の父娘旅
旅の始まりは晩秋十一月、麦の種まきが済んで、畑には少し土埃が目立つ頃
現地までの旅には父が同行すると言ってきかなくて、父が商談の出張に出る
のに合わせるため、私も期間をかけて遊学の支度を整えることになった次第
城下郊外にある父の店舗、というか事務所や宿舎もある大きな倉庫といった
建物で、私は父やその部下と一緒に長靴を履き背嚢を背負って外套を羽織る
ここで脱いだ普段履きの靴は埃を払って布で包み、衣装入れにしまっておく
普段履きは宿に落ち着いたときなどにも出番があるはず、出しやすい場所へ
外套の下はシャツと長袖上着、ズボンの上に短めの巻きスカートという装い
ズボンを履いて、さらに巻きスカートというのは、私なりのささやかな工夫
母は修道服の裾を絡げてするのが不便だけど隠すには良いと言っていたので
外でお花を摘むとき見られにくいかもという気休めと、地面に座ったときも
服のお尻が汚れにくく自分自身のお尻も冷えにくいようにと知恵を絞った品
発案したものの市販品になかったので、柔らかい革で特別に作ってもらった
長靴を誂えたときの職人さんが、反乱軍時代に制服の工房で働いてたそうで
腕利き革細工職人さんを紹介してくれたので、あれこれ要望を出して依頼を
したら私の思った以上に細かな工夫を施してくれて、お気に入りの品となる
スカートの上側には紐が通してあって、ズボンの上に巻いたら結んで留める
これを解けばスカートだけ外すこともでき、下に敷けば座布団代わりになる
職人さんが柔らかい布で裏地をつけてくれたから、座り心地も思った以上だ
後になって自作した座布団は屋内用、これは屋外用の座布団、と使い分ける
一通り身支度を整え外に出ると、荷馬車も準備が整いつつあるところだった
その車列の傍らに私たちを見送るため家族が勢揃いして少し落ち着かぬ様子
父の出発を見送ることは何度か経験したけれど、今度は私が見送られる側で
入れ替わるように今回は母が見送る側に加わって、義父の一家も来てくれた
こんなに多くの見送りがつくのは久々だ、ハナは人気者だなと父は誇らしげ
いつも父を見送るとき平静な様子でいた育ての母は、今回ばかりは半泣きで
私が出てきたのに気付くと駆け寄ってきて、私の手を取って声を掛けてくる
「ハナ、何かあったら、いつでも帰ってきていいんだからね。そのためにも、部屋はいつもきれいにしておきます。どこへ行こうとも、あなたは紛れもなくうちの娘ですから。
それから、たまには手紙で、短くてもいいから近況を教えてちょうだい」
「お母さん、もしかしてとても心配してくれています?」
「当たり前でしょう! 大事な娘が何日もかかるような遠くの地に行って、しかも一人で暮らすだなんて、心配しない母親がありますか!?」
「ありがとうございます、お母さん。手紙は欠かさず出します。たまには帰ってきます。それに来年はミキが結婚するのですよね? 遅くとも、そのときには必ず」
「そうね。あなたたち姉妹が一学年違いで本当に助かったわ。二人同時に出て行くなんてことになったら……、私、寂しくて泣いちゃうと思う」
「お母さん落ち着いてください、私一人送り出すだけでももう泣きそうじゃないですか。ミキの結婚式では一緒に笑顔で祝ってあげましょう。私は会ったことがありませんけど、婚約相手も先方の家も良い方たちなのですよね?」
「ええそうよね、あの子たちならきっと、幸せな家庭を築いてくれると思う。
そしてハナも、幸せになれそうなお相手が見つかったら、早めに教えてね」
「それはー……、まあ。いつになるかはわかりませんけど、そのときは必ず」
それに対して、割とあっさりした態度で送り出してくれたのは、実の母の方
旅の心得は一通り授けたのだから、あとは私が上手くやるようにとのことで
「教授から学ぶのはもちろん、目にするもの触れるもの全てから学んできなさい、クロリス。あなたなりに見出した答えを、いつか聞かせてもらえるものと楽しみにしています」
「はい、お母様。しっかり学んできます」
こうして私は、敬愛する母たち二人を一緒に抱き締めて別れの挨拶をすると
出発の支度が整っていた馬車に乗り込み、御者が鞭を打って馬が足を進める
私の出生にまつわる問題で二十年近く距離を置いていた二人の母だったけど
今では母が代表を務める慈善事業に育ての母も色々と協力をしてくれていて
文字通り手を取り合い仲良く私の出立を見送ってくれるのが、とても嬉しい
なんて描写をすると昔の物語の冒険譚にありがちな門出みたいな感じだけど
今回は私が一人で旅立つのでなく、商談旅行に出る父たちと一緒なのでした
「初めての一人旅なんて、どうせ色々と失敗をするものだ。とはいえあまり失敗ばかりされても周りが迷惑するばかりだからな。まずは一通り教わっておくに越したことはない」
言い方はアレだけど要するに娘の旅路をすごく心配してるんですねお父さん……
「でも私と一緒の旅は、今後コンを連れて商談するときの練習にもなるでしょ?」
「ハナも言うようになったな。たしかに、俺にとって自分の子供と二人で旅をするのは初めてだ。しかもその最初が娘と一緒だなんて、思ってもいなかったよ」
「ミキはこういう旅をしなそうだし、来年には結婚しちゃう予定だものね。だからお父さんが次に自分の子供と旅をするとなれば、きっとコンを連れて商談旅行するとき」
「ああ。貴重な機会であることは間違いない」
「……ねえお父さん、後ろの方、まだみんなの姿が見えてる。
コンのやつ、一緒に行きたそうな顔してない?」
「ん? ……ああ、本当だ。
焦るなよコン。お前は、まずきちんと商業学校を卒業してからな」
「そうだよー。今はコンが家を守ってくれないと、私たちが安心して旅に出られないんだから。
一人前になったら、お姉ちゃんも一緒に旅してあげるからねー」
「たはは……」
ほぼ空荷の馬車の荷台の、一番後ろに父娘二人並んで座り、家族に手を振る
もう大声でも届かないくらいに離れているから、コンへの言葉も普通の声で
父の商売にとっても、内乱が終わって初めての本格的な、国外への商談旅行
積荷は、この城下からのものより、次に立ち寄る街で仕入れる分の方が多い
というよりも内乱終結直後の国内消費が再び活発になってきた時期に当たり
商隊の半分くらいは仕入れた商品を城下へ送り届けるため折り返すのだとか
だから初日の旅路では広い荷台に父娘だけで、旅路の景色について話したり
家業についての説明を聞いたり、たまに傭兵さんにちょっかいを出されたり
とりとめもない話をしながら、私はいよいよ故郷を離れるのだと思いに耽る
それと父は私に、旅の道中で色々と書き綴れるようにと手帳を贈ってくれた
反乱軍の制服を元にした私の旅装の、胸ポケットにちょうどピッタリの寸法
道中や滞在先で身を守る心得など色々と教えてくれるのを、早速書き込んだ
この手帳は便利なので、書き尽くした後も自分で何冊も作っては使い潰した
ちなみに父の贈り物には万年筆もあったので、さすがに私も驚いてしまった
「お父さん、出立してからこれらを渡すということは、もしかして内緒の贈り物ですか? バレたらお母さんに怒られません? 手帳はともかく万年筆ってお高いんでしょ?」
「なあに、ハナが黙っていれば大丈夫さ。今までのように一緒に暮らしていたらすぐ気付かれるだろうけど、これからハナは遊学先で暮らすんだから」
「それはそうでかもですけど……」
とはいえ、このとき父から貰った万年筆は、結局あまり使うことはなかった
けど父から私への応援の気持ちが強く感じられて、お守り代わりに持ち歩く
まず伯爵領で実用化され、反乱軍を通じて大公国にも伝わってきた品だけど
初期の商品はつけペンと同じくペン先が歪みやすい傾向があって不便だった
いやむしろ万年筆の方がペン先の調整は大変だ、なにしろつけペンと違って
インクを抜くのが面倒、これに尽きる、父も私に贈るついでに自分用として
同じ万年筆を買ったものの、後になって残念な品だと愚痴ってたくらいだし
しかも軸の部分も、溜めたインクが漏れやすいなど、改良の余地が多かった
ペン先や軸が改善されて不安なく使える万年筆ができたのは数年後のことで
私は旅先でそれに出会い、自分用だけでなく追加で父にも買って送ったっけ
旅路では、見るもの聞くものに意識を傾け、色々と思い巡らすことを覚えた
以前の道中、ずっと馬車に揺られ続けるのが地味に暇だったなと思い返して
無謀にも読書を試みて車酔いした私に、父は景色を見ると酔いにくいことを
教えてくれて、旅の道中は日常と違って様々な発見や考察が得られると知る
この父の示唆をきっかけに、私は馬車でも歩きでも他の移動手段であっても
旅路で目にした物事から様々な考えを巡らせ物思いに耽るようになっていく
このあたりの街道は大河とほぼ並行して走っているので、すぐ北側に見える
大河は、ちょうど川面が日光を照り返すものだから地味に眩しかったりする
※訳註:大公国や周辺諸国は赤道より南の地域にあるため、太陽は北にある
その大河の向こう側には低い丘が連なる丘陵地帯だけど乾燥地で緑が乏しい
丘陵地帯から北は、かつては王国だったが、今は広大な沙漠が広がっている
乾燥化が進んで人々が去ってしまい、王国は滅びて、ほぼ無人の地だという
大河に近い丘陵地帯には、まだまばらな草が生えている様子が見えるものの
沙漠の熱く乾いた風が全てを枯らしてしまうことも多く、人は寄りつかない
この丘陵と大河のおかげで、大公国が沙漠にならずに済んでいるとも聞いた
沙漠の強い風が巻き上げる砂は、丘陵地が大公国の手前で受け止めてくれて
乾いた熱風も広い大河の上を通る間に冷やされ湿り気を帯びてくれるらしい
離宮に近付くにつれ、見慣れない植物を植えた畑のような土地が増えてきた
城下から離宮までは内乱より前にも家族で馬車に揺られた道だけど、当時は
妹や弟や育ての母も一緒だったからお喋りに夢中で、ほとんど見てなかった
あれが蒲萄畑で、放っておくと蔓を伸ばす蒲萄の木を、収穫しやすいように
低く刈り込んでいるのだと父は説明してくれて、その蒲萄よりも背が高くて
間隔も広く植えられているのは林檎や桃、梨などといった自立する果樹の畑
冬でも葉を茂らせているのは茶畑だけど、近郊領主の自家用に少しあるだけ
茶の葉は霜が降りたり雪が降ったりすると痛んでしまうし、ある程度の雨が
降らないと枯れてしまうくせに水はけの良い土地でないと根が弱ってしまう
繊細な木なのに、このあたりは雨が少ない上に冬は冷え込むので、かなりの
手間をかけて育てる必要があるらしい、けど上手く作ると香り高い茶になる
そういった農作物の分布や様々な知識を、旅慣れた父が簡潔に教えてくれる
それぞれの土地の地味や気候、人々の文化などでも違いがあるということだ
旅は、こうして私が観察力を身に付ける上で重要なきっかけを与えてくれた
後の私が色々な物事に気付けたのは、こうして父から教わった経験も大きい
旅の道中の休憩時間に、周囲の草花や景色、人々、乗ってきた馬車や馬たち
周囲の建物、畑の様子など色々な対象を描いてみたら、悪くない出来映えだ
絵を描くことは誰かに教わったものでなく、写本してたら自然に身に付いた
写本の挿画の模写で得た経験は現実の風景を写生するときにも役立つらしい
日々の旅の記録は、宿に落ち着いた後などに見返しつつ改めて思い出しつつ
別の紙に文章を清書したり、写生した素描を詳細な絵に描き直したりもした
その後も私塾で学んだりしつつ様々な発見や思いつきを書き溜めていたから
どんどん溜まっていく記録の山で学生時代の部屋はすぐ手狭になってしまい
学友を招くことも気軽にはできない有様、何度かは古い分を梱包して実家や
祖母宅などへ送って預け、そのために学友を呼んで手伝ってもらったくらい
父や弟が商談に来たとき託して送ったこともあるし、実家の用事で傭兵さん
たちだけ来たときもお願いしたけど、実は心配した父が私の様子を知りたい
あまり傭兵さんたちを送り出していることがあった、とは後で弟から聞いた
後に共和国の郵便制度が私塾の街のあたりまで集配してくれるようになると
手紙は専らそれを使って、ある程度の荷物も運んでくれるというので頼んだ
もちろん自分で帰省する際にも持ち帰るけど、さすがに重たくて大変だった
梱包などは学友たちが手伝ってくれるにしても非力な自分一人では荷が重い
皆から本末転倒とまで言われたけど致し方ない、代わりに私が遊びに行って
こういうとき手伝ってくれるお礼や、日頃のお礼にと色々な料理を作ったり
育ての母がしてくれたように私が教えながら一緒に台所に立って調理したり
あるいは逆に、学友たちの出身地の遠い国の調理法を私が教えてもらったり
街娘時代の実家と同じく、学生時代の私も台所で親しい人と絆を培っていく
そうして人付き合いが広がっていく中で、私は他の人より少し感覚が鋭くて
とりわけ耳と目は他の人たちに比べ、より多くの物事を認識しているらしい
それを見極められるようになれば色々と気付けるかも、という気がしてきた
といっても感覚の差は僅かで、日常生活に大きな違いはないけれど、きっと
研究のために色々な物事を見て触れていく中では、大きな強みになるだろう
それから、これまで私が出会った色々な人たちの、何気ない言葉や仕草など
妙に細かく覚えている箇所もあって、これも多くの知識が身に付いてくれば
より多くの気付きをもたらし、研究に役立つのではないかと思うようになる
◇本好き三世代と酒と昔話
祖母宅に着くと、父は街周辺の窯元や醸造所など取引先との商談に向かった
ここで仕入れた商品で、荷馬車の車列をほぼ満載にするつもりなのだという
内乱後の国内事業で収益が回復、これを元手に多数の商品を買い込んでいく
私も急ぐ旅ではないから一緒に祖母宅で滞在して、祖母の書斎で読書したり
父の取引先のいくつかを見学させてもらったりしながら数日のんびり過ごす
普通なら余所者を避けがちな窯元や蔵元だけど、祖父の代から懇意にしてる
取引先は、父が初めて連れてきた子を後継者と勘違いしたか歓迎してくれた
窯元の集落は、失敗作の陶磁器を細かく割って敷き詰めた道が印象的だった
屋根瓦や、城下などの水道管や雨樋などに使う大きく固い管状の陶器などは
小さな不良が出た品をそのまま路地に並べて埋め、特有の模様を描いている
谷間に沿った集落は坂だらけで、路面を滑りにくくする工夫でもあるそうだ
実家の台所にも使われている装飾タイルの破片で模様を描いた路地もあって
そういった様々な陶磁器素材で彩られた路地は、歩いてて楽しいものだった
とある窯元で親しくなった職人たちの一家は、祖母方の遠縁にあたるそうで
何代目かの二十代半ばの若夫婦は、親から窯を受け継ぐための修行していて
ちょうど二人の作った陶器が焼き上がって取り出すところを見せてもらった
一つひとつ丁寧に取り出しながら楽しそうに説明してくれたのだけど私には
焼き物の詳しい技術はよくわからない、ただ思い通りに焼き上がったと語る
職人さんたちの表情から、彼らにとって心の底から嬉しい瞬間なのだと納得
他にも様々な工程を見せてもらったけど、粘土から自在に形を作り出したり
釉薬を使って模様をつける作業には熟練が必要そうで、職人さんたちすごい
窯で焼き上げる作業も大変そうだし、火加減を見極めて操るのも難しそうだ
台所の竈なんて比べものにならないほど大きいし、薪も大量に使うのだから
火を焚くだけで重労働、しかもその熱を適度に管理しなければならないのだ
などと興味深く見学していたら、父が何やら思いついて職人さんと相談して
真っ新な粘土板を用意したから手形をつけるようにと、私に頼み込んできた
これを焼き上げれば私の手形が残るので、私が家を出る記念に残したいとか
さては親馬鹿ですねお父さん、もしかしてミキにも同じことをさせるつもり?
まあお母さんなら娘たちの手形タイルを喜んで台所に貼ったりしそうだけど
印象に残ったのは土笛という楽器、職人たちが窯の隙間で戯れに焼くという
釉薬もつけない素朴な素焼きで、いくつか穴を空けただけの中空の焼き物が
息を吹き込むと美しい音色を響かせてくれるので、吹き方も教えてもらった
他の説明を聞きながらも手で弄んでたら、もっと出来の良いのがあるからと
いくつももらってしまって、祖母の家に持ち帰って夜な夜な練習してたっけ
その後も旅の道中、馬車に揺られて手持ち無沙汰のときにも練習していたら
たまに調子外れの音を出してしまって、馬車馬を驚かせてしまったりもした
逆に上手く演奏できると、馬たちの足音が拍子を取ってくれるようで楽しい
窯元の集落が谷筋に多い一方、日当たりの良い斜面などには蒲萄畑が広がる
他の果樹園では人の背丈よりずっと高いけど、蒲萄の木は収穫や手入れなど
しやすいよう低い背丈で枝を落としてあるそうで、私と同じくらいの高さだ
このときは季節外れで枝だけだったけど、蒲萄畑であれば私でも働けるかも
ただし蒲萄畑や果樹園の仕事は夏場が主な繁忙期だそうで、暑くて大変そう
かつて大公宗家をはじめとする貴族の荘園だった畑には立派な醸造所もある
醸造所は石造の蔵だけど、見慣れない多孔質の石材を使っていたのが印象的
内部の温度や湿度を保ちやすく、醸造や保管に適している石材なのだという
この多孔質の石材は加工が容易な点も特徴の一つで、実は城下の城壁などの
一部にも近年の補修工事で使われた箇所があったのだと父が説明してくれる
内乱末期、籠城戦に備えた応急補修工事では父も作業の手伝いに駆り出され
特に急を要する箇所では作業効率を優先し加工しやすい石材を多用したとか
「この石材は凝灰岩というのだそうだ。他の石より脆いのが難点だが、鋸でも切れるくらい軟らかくて、城壁の欠けたところを埋める補修工事には使いやすかったよ。しかも熱には強くて、暖炉など火を使う場所に使うことも多いと聞いた。あの城壁も、これで作られていたなら火にも耐えたかもしれない」
「でもお父さん、もしそうだとしたら壁全体が脆くなってしまうのでしょう? 反乱軍は固い石弾を大量に投げつけて破壊したのでは?」
「あー、そういう攻撃だと耐えられそうにないな。金槌で叩くだけで欠けるからなあ」
「それに私、ふと思い出したんですけど、弩の矢が石に刺さったところも見ました。その箇所がこの凝灰岩だったのかもしれません。反乱軍の人たちは城壁の石材まで詳しく調べていて、主に使われている石材が加熱急冷に弱いことまで突き止めていましたから、強度の低い石材が主だったならきっとその弱点を狙ったはずです」
「そうか……。反乱軍は本当に周到な準備をしていたんだな」
「はい。捕虜だった頃に色々と教えてもらいましたし、貴族学校の講義でも同様の分析を聞いています。場当たり的な対応が目立つ大公側に比べると全然違ったようです。反乱軍の勝利は当然の結果だった、と私は思っています」
「なるほど。ハナが捕虜になったのは、むしろ良い刺激になったとも言えそうだ」
「かもしれません。でもその前に、少しとはいえ大公国の中枢を垣間見られたのも、良い経験でした。お父さんと義父上のおかげです」
「そう言ってもらえると、少しは救われた気分だ。いくら他に適任がいなかったとはいえ、あのとき大事な娘を戦場に送り出したことを、俺たちは今でも後悔してるからな」
「もう、気にしないでお父さん。私は無事だったんだし、挑戦したい目標もできたんです。結果的には良かったんですよ」
「そうか……」
「私は、当時まだ何もわかってなかったのを痛感させられたから、その反省が遊学を決意するきっかけになりました。あのとき戦場に出ることなく内乱を終えたとしても、いつかそんな思いを感じていたかもしれません。けど、ぽやーんとしてる私にとって、むしろ少し強すぎるくらいの刺激が良かったんだと思いますよ」
「いやハナ、少し強すぎる刺激なんて言葉で済ませていい話じゃないと思うが……」
そうして夜になれば、私と父が二人して祖母の書斎で蔵書を見せてもらって
三世代で色々な本について語り合ったりして、本好きたちの楽しいひととき
気になる本を何冊かずつ居間の机に持ち出して話を続けながら、私と祖母が
作った料理を出すために本を積み上げて、本に囲まれた食卓が完成していく
実家では育ての母が嫌がるのでできなかった、私たち三人だけの内緒の晩餐
久し振りに祖母と過ごす日々だから、私は色々な料理を教わりながら作った
最初の晩に祖母と一緒に作ったのは、片手でつまみながら食べられる料理だ
たとえば小さく切って串に刺して直火で焼いた肉や野菜などが、その代表格
パンも、固めに練った生地を細長く伸ばして、かじりやすい形に焼いたのを
一筋の切れ目を入れたところに、薄切りにした野菜や燻製肉などを挟み込む
これらも育ての母がいれば行儀が悪いからと嫌な顔をされる食べ方だけれど
交易を生業としていた沙漠の民の末裔である祖父は、馬上で食べられるよう
工夫された伝統文化だとして好んで食べてたから祖母もそんな料理が得意で
一人になってからは食事しながらの読書を楽しむのが日課になっているとか
で同様に父も食事しながらの読書を好む、ただし育ての母がいないときだけ
店で仕事をしてるときなども、こうして片手で食べられる食事が多いそうだ
「こればかりは、アイツがいたらできないからな」
「そうなのよねえ。あの子、まだちょっと頭が固いというか……」
「あはは……。お母さん、こんな食べ方は絶対に許してくれそうにないものね」
「なあに、ハナが黙ってさえいれば何の問題もない」
「わかってる。言ったら私までお小言言われちゃう」
「その通り、一蓮托生だ。
ああそういえばハナ、お前は酒、大丈夫だったんだよな?」
「あの結婚記念日のとき、ちょっと飲んだだけですけど、嫌いじゃないと思う」
「よし、じゃあ一緒に飲もう。いいヤツがあるんだ」
そう言って父が私にすすめてくれたのは、大公離宮の農場で作られた葡萄酒
帝国時代には皇帝にも献上された王侯貴族御用達の一等地の畑と蔵で醸した
昔から高い評判の銘柄であり、内乱後も国営醸造所として運営が続いている
そしてもちろん我が家の家業でも、祖父の代から一貫して取り扱う主力商品
「わぁ、いい香り。そして深みのある味わい……」
「どうだハナ? 気に入ったか?」
「うん、おいしい。何杯でもいけそう。……おかわりください!」
「それはよかった。だが飲み過ぎには気をつけろよ。その飲みっぷりでは心配だ」
「まだ平気だと思うよ。そういえば私、こうして本格的にお酒を飲むの、初めて」
「ふっふっふ。こういう機会だからこその、とっておきの酒だ。四六四年産だぞ」
「えっ!? ってことは、私たちと同い年!?」
「そうよ。ハナとミキが生まれた年。その記念にと、秋の新酒をおじいちゃんが目利きして、あなたたち二人のために一樽ずつとっておいたの」
「以来ずっと、こっちの事務所の地下室で寝かせておいたのさ。二人が家を離れるとき封を開けると決めていたのでな。まさに今夜こそふさわしいだろ?」
「すごく嬉しい! ありがとうおじいちゃんおばあちゃん、お父さんも」
「どういたしまして。ハナがそんなに喜んでくれるなんて私も嬉しいわ」
「えへへ……。あっ、ちなみにコンの分は?」
「コンの樽は城下の店に隠してある。一時期は反乱軍に接収されてたが、無事だったよ。
なんと反乱軍は節度を保って、品物には手を着けていなかったんだ」
「本当ですか!? 建物だけでなく品物まで返ってくるなんてびっくり。
ましてやそんな上等な品、略奪に遭わなかったのが不思議すぎます」
「まったくだな。普通の軍なら兵たちの酒盛りで消えたことだろうよ。
だがこの樽はミキにもコンにも内緒だぞ。言うまでもないと思うが」
「そりゃもちろん黙ってますとも、お父さん。
……あっ、だから私はここでいただくことになったのか。実家で乾杯したら樽の存在を二人にも知られちゃう」
「その通りよ、ハナ。あなただけ別の扱いで申し訳ないけど」
「いいんです、おばあちゃん。こんな嬉しい驚きを邪魔しちゃったらあの子たちに悪いし、なによりおばあちゃんと一緒に飲めるのが、私にとって特別に嬉しいです」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれますねえ、私のかわいい孫娘は」
「でも一人一樽ずつ用意しておくなんて、そんなに飲みたいんですか?」
「いや違うぞ、お前たちの節目節目で一瓶くらいずつ飲みたいから、どうせなら樽で置いておこうという考えだ。
……って、親父が言ってた。だからここに親父の分の杯も置いてる」
「ありがとうおじいちゃん。すごくおいしいお酒をありがとう。乾杯!
……ぷはっ」
「ハナ、もう三杯目か? ちょっと早すぎだぞ」
「だっておいしいんですもの」
「ふふふ。ハナがおいしそうに飲んでくれて、きっとおじいちゃんも喜んでいるはずよ」
「あのねおばあちゃん、今おじいちゃんの声が聞こえた気がしました」
「あらあら。あの人なんと言ってました?」
「えっと、『この酒の味を忘れずに、行く先々の酒の味を楽しみなさい。もちろん茶も食事も菓子も土地それぞれの味があるから、楽しめるだけ楽しんできなさい』ですって!」
「まあ! かわいい孫に旅をさせようって気なのね、あの人ったら」
「これから私が学ぶ私塾では調査や研究で各地へ旅に出ることも多いらしいですし、その機会を存分に生かせということなのでしょう」
「そうね。ハナは研究者になるのですものね。
でもさすがに樽を持って旅に出るわけにもいかないでしょ? だから節目節目でここに立ち寄ってくれたら嬉しいわ。そのとき瓶に移して渡してあげる。いつでもこのお酒の味を思い出せるようにね」
「なるほど。ここに樽を置いてあるってことは、私やミキがおばあちゃんに会いに来る口実にもなるってことですね」
「ハナ、そういう親心をあまり察しないでくれ」
「そうね。まさに口実にしてほしいの。来てくれるかしら、ハナ?」
「もちろんですおばあちゃん! あ、もう一杯ください!」
「もう四杯目だと!? ハナ、もっと味わって飲みなさい!」
「味わってますよお父さん。とても美味しいからどんどん飲んじゃうんです」
「あらあら、この子ったら、いい調子になってきちゃって。
実は結構なお酒好きだったのね」
「これは親父に似たのかもしれんなあ、お袋」
「かもしれないねぇ。さて、次のお酒も考えておかないと。何にしようかしら」
四六四年産の一瓶が空になった後も、祖母は色々な銘柄の酒を出してくれる
お茶と同じく、銘柄ごとの香りや味わいなどの特徴がわかってくると楽しい
同じ種類の蒲萄を使っていても畑によって風味が変わってくることもあるし
年ごとにも天候などの影響で変化が出てくるあたり、お茶と実によく似てる
蜂蜜と香草を入れて湯煎して温める、寒い季節ならではの飲み方も教わった
これなら冷えた身体も温まる上に、安酒でも気持ちよく酒が進むのだという
我が家で商う酒は味も価格も千差万別だから安価な酒の旨い飲み方も重要だ
私は初めて本格的に飲む酒で楽しくなってしまい、様々な物語や人々の歴史
祖父から父へ受け継がれた実家の商売のことなど色々な話題で盛り上がって……
そして翌朝二日酔い、祖母に心配され父に笑われて教訓を胸に刻むのだった
「うぅ……。頭が重い……。クラクラする……」
「あらー……。大丈夫? ハナ、吐き気はない?
とりあえず座って、お茶飲んで。すぐ淹れるから」
「はい、頭痛だけだと思います。……ありがとうおばあちゃん」
「ははは。言わんこっちゃない。二日酔いだ。
あんな勢いで飲んでたら、当然こうなる」
「これが二日酔いですかー……」
「お前がお茶だけでなく酒好きでもあることは、よくわかった。
しかし、茶なら飲み過ぎても別に大した害はないが、酒は度が過ぎると大変だ。これで限界を知っただろ? 心しておきなさい」
「……はい」
「まあ、お前の場合は他の人と同じくらいの量で抑えておけば大丈夫だろうけどな」
「……はい?」
「常人なら、あの四分の一も飲めば酔い潰れて寝てしまうはずだ」
「えっ……?」
「俺やお袋も酒には強い方だが、それでも親父には勝てなかった。あの親父以上に飲んでも普通にけらけら笑って飲み続けてたんだから、お前の酒の強さは尋常じゃない」
「えっ? えっ……?」
「ハナのお酒の限度を見ていたのよ。酔いすぎたら止めるつもりで。
といっても、ハナの飲みっぷりにつられて、むしろ私たちの方が飲み過ぎてしまいそうだったけど」
「うぇー……。そんな企みがあったとは……。
でも、ありがとうございます。おかげできっちり覚えました……」
それ以後、節度を保った飲み方を心掛ける私に祖母は、若い頃の父が初めて
祖父に連れられ商談の旅に出てったときのことを懐かしそうに語ってくれた
父も同じく誕生年の葡萄酒を贈られ嬉しくて飲みすぎ二日酔いになった挙句
そのまま祖父とともに出発して、荷馬車で揺られて車酔いにもなったという
どうやら私は、色々なところでお父さんと同じような失敗をしているみたい
でもそういえばお父さん、飲み過ぎての失敗って、その後もやらかしたよね
まあその結果として私が生まれることになったわけだし、言わないでおこう
話題はさらに遡って、父が受け継いできた家業、祖母と祖父との出会いまで
実家の昔話は、まだ祖父が存命で祖母と城下の店に暮らしてた幼い頃に少し
聞かせてもらったはずだけど、ほとんど覚えてないからこの機会におさらい
祖母は、祖父が若い頃から書き溜めていた日記や日誌を何冊も出してくれた
これを三人が交替で読みながら晩秋の長い夜を明かしたのは、良い思い出だ
酒は、大公国中部で盛んに作られる麦の発泡酒や、東の山間地の林檎酒など
各地の軽い品を父が用意し、祖母はそれらの地域の料理も私に教えてくれた
それらは祖父が商売で旅した地、祖母も何度か連れていってもらったという
祖父は北の沙漠地帯の出身、といってもその故郷は僅かながら緑が残ってて
人口密度は低いもののまばらに定住者が存在した、大公国に隣接する地域で
古くから人々の交流があったし、双方の出身者が結ばれる例も多かったから
人々の見た目にも大きな違いはなくて、沙漠の民は髪や瞳、皮膚の色が少し
濃いめで、ちょっと小柄で細身の体形をした人が多い、といったくらいの差
祖父の面影は息子である父に、そして孫のコンにも受け継がれているらしい
ちなみに私やミキは、それぞれの母親に似たのか、祖父の印象はあまりない
けど見た目でなく、自分なりの生き方を見出そうとする性質は似てるらしい
祖父一族が代々、交易を担ってきたという北の沙漠は、次第に乾燥化が進み
乏しい草が残る土地に牛や山羊を遊牧して暮らしていた人々が去ってしまい
隊商たちの主要な交易路の休憩地として欠かせない泉までも枯れてしまって
街道も途切れたことから、やむなく交易を断念して大公国側へと移ってきた
このとき一族は離散、祖父とその両親はどうにか大公城下近くの小さな街に
商店を構えて落ち着いた、というあたりから少年だった祖父の日記が始まる
故郷のことは幼すぎたためほとんど記憶になく、両親からの聞き書きだった
きっと少年時代の祖父は何度となく、両親にせがんで聞かせてもらったのだ
祖母の手許には、そうした混乱の中で失われた一族の系譜についての記録を
かなり後になって祖父が記憶を元に記した書もあって、苦労のほどが伺える
ちなみに系譜の筆頭には、砂漠化する前の王国の王族の傍流が遠い祖として
挙げられていたけど、さすがに今となっては確かめようもなくて真偽は不明
祖母によると、実は沙漠の交易商の多くが王族の末裔を名乗っていたそうだ
かつて沙漠の各地にいた有力者の庇護を得て、往来の自由を得る目的らしい
何とか商売は安定してきたものの十年ほど後に仕入れの道中で両親が事故死
他の兄弟姉妹は幼くして病死するなどしていたため祖父一人だけが残された
祖父は当時まだ十代半ば、さすがに単身では商店の維持が難しいと判断して
商売替えを考え、店を畳んで中古の荷馬車を買い、行商を始めることにした
気難しくて買い手がつかず安く売られていた一頭の騾馬に荷馬車を牽かせて
一時期とはいえ定住していて読み書きや計算を身に付けられたのは幸いだと
祖父は日記の中に記していて、教会が運営する学校などで学んだそうだけど
きっと寺子屋のような、初歩的なものだったのだろうと、内容からは伺える
そして日記は日誌へ切り替わり、後に主要な仕入れ先となる醸造所の親方や
行商人集団の親方などに気に入られて、祖父の行商は次第に安定していった
当時の主な商いは酒の小売り、幾つもの樽を積んだ荷馬車で小さな街や集落
などを巡っては、その地の人々の求めに応じて陶器の瓶に量り売りしていく
貴族や大商家など上顧客向けの酒で、蔵元が見込み違いで在庫を余らせたり
少し品質が落ちて得意先に出せなくなったような品を安く仕入れて安く販売
そんな事情から蔵元の銘柄を表には出さず、自分自身の商品として売り出す
瓶には屋号をつけておき、同じ空き瓶を持参して買いに来た客に値引きする
売り方で固定客を得て、城下を手始めに橋の街周辺にまで手を広げていった
その屋号の印は「後足立ちで嘶く騾馬」、すなわち祖父の行商の旅の相棒だ
騾馬のくせに荒っぽい性格で、熟練した調教師でも手を焼く有様だったため
捨て値同然で売られていたというけど、何故か祖父の言うことは素直に聞き
事故もなく行商の旅を支えて十数年、年老いた後には祖父が最期を看取った
その頃には祖父の商売も上向いて新しい相棒として駄馬を迎え入れたそうだ
けど「後足立ちで嘶く騾馬」の印はそのままにして、これを父も受け継いだ
祖父は仕入れのため葡萄酒醸造所が集まる北東部、離宮の街を頻繁に訪れた
陶磁器を作る窯元も近郊にあって、祖父の屋号つき陶器瓶の調達にも好都合
この街に生まれ育ち、後に私の祖母となる女性と、祖父が出会うことになる
全体として大きな平原にある大公国だけど、その辺境には丘陵地や山間地域
半砂漠や湿原など、平原とは少し異なる地形が、ところどころ存在している
これらは主に国の外側にある大地形が国境の内側にまで連なっているものだ
北東辺境は東にある山脈の裾野が徐々に標高を下げつつ起伏ある地形を示す
丘陵地帯で、地形のせいか平野部より湿潤な傾向があって作物を育てやすい
この地域を代表する街が祖母の育った離宮の街、実は城下よりも歴史が古い
城下の周辺地域に比べると全般的に降水量が多く、雪が降る日も珍しくない
その雪解け水が土地を潤すため灌漑しなくても穀物や野菜、果樹などが育つ
というより、起伏が大きいせいで平原のような灌漑事業は難しいのが実情か
でもそのおかげで、帝国時代から既に葡萄酒の産地として広く知られていた
中でも大公が離宮を置いた街の周辺は水はけが良く蒲萄や果樹栽培の適地で
帝国時代以前から商品の集散地として街ができていたと言い伝えられている
大公国の東側、大陸南半分を区切るように南北に連なる大山脈も近く見えて
山間地から平原へ下ってくる街道の要衝でもあるため、大公国の黎明期から
大公宗家が離宮を置いて直轄領とし、葡萄園や葡萄酒醸造所を経営していた
地域の小規模領主たちも同様で、醸造所が丘陵地のところどころに点在する
数々の醸造所の銘柄は高級葡萄酒として知られ、国外にも輸出されるほどだ
葡萄酒の産地は、蒲萄畑や醸造所だけでなく、酒を仕込んだり保管する樽や
小売りする際に使う瓶の需要も相当なもので、それらの生産者も周辺に多い
樽は街の近郊に並ぶ工房で職人たちが作ってるけど、素材となる木材は輸入
大公国平原を流れる大河の上流部が街のすぐ近くを流れており、より上流の
国境の向こう側の山林で切り出された材木が川の流れで運ばれて届けられる
そういえば伯爵領の船大工も、やはり材木は川を利用して運ぶと聞いたっけ
それで樽の工房は川沿いに集中し、樽以外の木工細工の職人も工房を構える
様々な色に染めた木片を組み合わせて模様を作る寄木細工の職人たちもいて
手間暇かけて作られた精緻な装飾は離宮をはじめ貴族の館で重宝されるとか
木材としては使えない端材を集めて薪として販売する小さな商店なども多い
瓶は、大公をはじめとする貴族や領主への献上品や、それに準ずる高級品に
ガラス瓶を使うけど、その他のほとんどの葡萄酒は陶製の瓶に詰めて小売り
祖父が使ったのも陶製瓶、そこに樽から量り売りしたのは郊外の行商ゆえだ
瓶より樽の方が頑丈だから、荒れた道を行く荷馬車に積んでても壊れにくい
空き瓶なら何本か駄目になったって替えが利くし、商品の損失は避けられる
お客の目の前で樽から詰め替えることで分量などのごまかしもないと示せる
中身が見えない陶器瓶でも、こんな売り方ならお客も納得してくれるわけで
街へ出荷する商家では、整えられた街道で移動するので破損の心配は少ない
そのため瓶詰めして木箱に収めてある葡萄酒を蔵元から買い付けるのが通例
箱でしっかり保護して、中に詰め物をしておけば、瓶の破損もわずかなもの
ごまかしの懸念がなさそうな蔵元や銘柄、販売元でないと信用されないけど
父の商家は祖父の代からの信頼があって多くの顧客が安心して買ってくれる
ちなみに父によると、今では瓶詰め箱入り状態で仕入れる割合が大半だとか
屋号つきの瓶も陶製とガラス製の両方を用意し商品に応じて使い分けていて
これを小売商が販売する際も、空き瓶で割引という仕組みが受け継がれてる
一方で今も、一部の行商人は樽酒と空き瓶を仕入れていくことがあるという
ガラス工房が集中する東の大領主領は距離が遠くて輸送費も含め高額な容器
なのに対して、葡萄酒産地である北東部には山裾の谷間のいくつかで良質の
陶土が得られるため陶磁器の生産が古くから盛んで陶製瓶は安く調達できる
そんな谷の一つの陶工から陶器卸商へ転じて成功したのが、私の祖母の先祖
祖母の父親の代には仕入れ先となる窯元も多数、城下や橋の街まで商うほど
事業を拡大させていて、裕福な家で祖母は何の不自由も感じず育ったそうだ
なかなか子供ができない両親の下で一人娘だった祖母に、親たちは将来的に
婿を取ろうと考えており、娘が本好きだと気付けば教養をつけるのに良いと
好きなだけ本を与えることにし、おかげで祖母は大好きな本に囲まれて育つ
近所の同年代の本好き少女たちを自宅に招いての読書会も楽しんでいたとか
まるで私そっくり、じゃなくて私がほとんど祖母と同様に育てられてたのか
だけどそんな彼女を取り巻く環境は、四三六年の大震災で一変してしまった
大公国のみならず周辺地域にも被害が及ぶ、きわめて大きな地震が発生して
城下や離宮の街など大公国北東部の市街地では多くの建物が倒壊してしまう
祖母の家は幸い無事だったけど、当時十三歳の祖母は仲良しの本好き友達を
亡くし悲嘆に暮れ、親たちは事業に対する損失の大きさにも頭を抱える日々
とりわけ被害が甚大だったのは醸造所で、多くの蔵が倒壊したり樽が棚から
落下するなどして、仕込み中や寝かせてあった葡萄酒の大半が失われた上に
職人や親方、所有者である領主まで含め、少なからぬ関係者が命を落とした
もちろん窯元や、焼き上げた陶製瓶の倉庫でも被害は大きかったのだけれど
陶工の谷での人的被害は市街地ほどでなく、窯の修復や作り直しなどすれば
遠からず復旧できそうな見通し、だけど酒瓶を作っても買う蔵元がいるのか
彼らを束ねる陶器卸は、需要の見通しを把握すべく醸造所を巡ることにした
そこへ醸造所の被害を心配して行商を中断して訪ねてきたのが、私の祖父だ
取引先の蔵を巡って無事だった職人を探し出し、被害状況や出荷の目処など
聞いて回る中、たまたま醸造所に居合わせた陶器卸と立ち話をしてるうちに
醸造所もさることながら窯元の方が経営的に厳しくなりそうだと祖父は直感
ほとんどの醸造所は大公をはじめ貴族や領主たちが所有しているものなので
当然ながら彼らの保護も手厚く、復旧支援や損失補填などが期待できるはず
親方を失った蔵も生き残った若い職人たちが代わって再興させると意気込む
とはいえ震災が発生したのは七月、蒲萄の収穫や酒の仕込み最盛期を目前に
蔵の多くが損壊していて、この年の仕込み量は大幅な減少が不可避の見通し
一方、窯元が集まる陶工の谷は実は誰の所領でもない独立自治の集落ばかり
領主による支配や制約を受けない代わりに被災時の援助もまた期待しづらい
それで祖父は、窯元が早期に操業を再開できそうなら新たな商品に挑戦する
などして新たな販路を拓いて、職人たちが食うに困らぬよう手を打つべきだ
との判断を陶器卸に伝え、全く同意見だった陶器卸は当時二十九歳の青年を
気に入り、独り者の行商人だと知るや自宅に招いて知恵を借りたいと頼んだ
成功すれば取り分を出す、しばらく滞在して協力してくれないかと依頼され
醸造所の損害を踏まえて陶器卸の申し出に乗るのが得策だと判断した祖父は
快く応じて陶器卸の自宅に居候しつつ、荷馬車を置いて相棒の騾馬に跨がり
たびたび出掛けては何日もかけて周辺を踏破・調査し、再び戻って相談する
祖父の調査の旅は大公国の国境より外、北の沙漠や東の山間地にまで及んだ
各地の被害状況は日誌に詳しく書いてある、その道中で屋根瓦に目を付けた
震災では多くの建物が倒壊し、そのため城下では将来的な被害を抑えるべく
建物の高さを規制する法が施行されたりしたけど、残った建物も少なくない
(この高さ規制は石積み三階までと決められ、屋根裏部屋が一般的になる)
ただその城下や近隣の街並み、各地に点在する領主の館や教会などいずれも
瓦が落ちたり屋根が抜けたりして、倒壊を免れた建物も居住が困難な状態だ
人々の生活再建のため早く復旧したいけれど、屋根瓦だけでも膨大な需要で
当時の屋根瓦産地が最大限に焼き続けても十数年以上は必要だと見込まれた
しかも城下では、もっと昔の大火の反省で火災に弱い建材が制限されている
ひとまず人々の生活再建を優先して街役人も木片葺きを許容するというけど
いずれ瓦屋根に戻すよう求められるはずで、瓦の品薄は長期間に及びそうだ
そこに陶工の谷の職人たちが活躍できる余地があると考えた祖父は、さらに
西へ向かって、城下で主に使われる瓦の産地、西の大領主領にまで足を運び
実際どれだけの生産能力があるのか見極めるだけでなく、現地の親方たちと
内々に交渉、東の陶工の谷へ瓦作りの指導に来てもらう約束まで取り付けた
競合になるであろう相手に指導をしてくれるなんて、西の陶工たちは寛容だ
もちろん祖父の交渉が非常に巧みだったこともあるのだろう、日誌によると
東の陶工の谷では他にない技術を持っていたそうで、これを交換条件として
西の陶工たちに伝授すると持ち掛けたことが、最大の決め手となったらしい
けど、そもそも祖父が人柄で信用されたことが大きかったと読んでて感じる
ともあれ一通りの道筋をつけた祖父は東へと馬首を返し陶工の谷まで戻った
ちょうど修復中の窯の傍らで、職人たちと相談していた陶器卸に落ち合うと
旅路で得た情報や祖父自身の提案、そして交渉結果について矢継ぎ早に説明
祖父のこの提案を陶器卸は驚きつつも喜び、すぐさま陶工の親方たちを集め
対応を協議、西の陶工たちと協力し合って乗り切る方針を全員一致で決める
一カ月も経たず双方の職人たちが行き来し、東の陶工の谷では再建した窯に
手を加えて屋根瓦用として完成させると、すぐさま瓦の生産に取り掛かった
陶工の谷では後年、これをきっかけに雨樋や水道管などにも手を広げていく
西の陶工たちは、東の陶工たちが窯に施していた工夫を自分たちも取り入れ
同じ量の薪でも大量の品物を焼けるようになって、生産量を増やせたという
詳しいことは書かれてないけど、熱を無駄なく使うための工夫であるらしい
何にせよ、東西の窯元が協力して屋根瓦の大幅増産を実現したことは城下の
宮廷貴族にも注目され、ほどなく時の大公の耳にも入り関係者が表彰された
中心的な役割を担った青年は、褒美として大公が所有している醸造所からの
優先購入権を特別に与えられ、葡萄酒の行商小売から卸商へと商売替えする
彼に協力した陶器卸も、その功績により城下での屋根瓦の卸売を許可された
そして西の窯元も、以前から欲していた陶土鉱山を西の大領主から譲渡され
親方たちが共同で管理、採掘の返礼が不要になって原料費を抑えられた上に
窯への改良も相俟って原価が大幅に下がり、卸値を下げて復興需要に応えた
ちなみに西の大領主も、手放した陶土鉱山を上回る収入源を得ることになる
大公が、大河の渡舟場の宿場町の権益を西の大領主へ褒美として譲ったのだ
もちろん大公自身も、一連の措置を通じて君主としての度量を示したわけで
つまり関係者全員ほぼ誰も損をしない形で、見事に丸く収まったという次第
ちなみにこのとき褒賞授与などで関わったのが、なんと私の義父のさらに父
大公の命で震災復興に取り組んだ宮廷貴族団の中で中心的な人物だったけど
一時あらゆる物資と人手が逼迫するような事態だったため憔悴しきっており
数ある懸案の一つだった屋根瓦の問題を改善した行商の青年に深く感謝して
わざわざ自宅まで招くなど厚遇、以後は身分の隔てなく付き合う親しい間柄
そんな祖父の活躍を一つ屋根の下で間近に見てたのが私の祖母となる少女だ
突如現れ地元産業の危機を救った立派な青年は、自身の半分にも満たぬ歳の
居候先の娘にも紳士的に接してくれたのよと、祖母は思い出を語ってくれた
「周囲の男たちより小柄なのに、その体格が気にならないくらい頼もしくて、あまり学はないけど利発で物覚えも良く好奇心も旺盛、そして誰にでも優しく、誰とでもすぐ親しくなることができて、周囲の人を動かす不思議な魅力の持ち主……。その力で、多くの人たちが再び仕事して暮らせるようにまでしてくれたのです。
そんな素敵な異性と一緒に生活していたら、夢見る少女が強く憧れ、ほどなく恋心を抱くことになるのも、当然の成り行きでしょう?」
「至極納得です。若きおじいちゃん、格好良すぎます」
「私もあの人の力になりたいと、本を読んで得た知識を使って協力したつもりです。どれだけ役に立てたかはわかりませんけどね、私もまだ子供でしたから。
でもあの人、ちょっとした知識でも『それは知らなかった。君は賢いんだね』と、優しく褒めてくれるのですよ。だから私も嬉しくてたまりませんでした。あの人が勉強したいと言ってくれたから、私が手頃な本を見繕っては、夕食の後に二人で読んだものです」
「そしておじいちゃん、当時まだ独身だった……」
「ええ。店を構えず行商するのは、なかなか大変な生活だったそうです。こんな旅暮らしで家族を持てば苦労させてしまうから、店を持てるようになるまで独り身で通している、とも言っていました。男女問わず好かれる人だけど、異性に言い寄られても断って、恋人も作らずにいたそうよ」
「なるほど。そんな潔いところも格好良い……」
「だから、あるとき私の父が、まだ特定のお相手がいないことをあの人から聞き出して、『ならば我が家の事業を継ぐ気はないか』と持ち掛けていたのですよ。大公から褒美を受ける前のことでした」
「ひいじいちゃんも、おじいちゃんのことを気に入ってたんだ」
「私とは違う意味でも惚れ込んでいたようですよ。私は一人娘でしたからね。
そして父は私にも、『彼は商売人として魅力ある、将来も期待できる青年だから、結婚相手にどうか』と言ってきました」
「で、おばあちゃん、どんな返事を?」
「父にはこう返答しました。『でしたら私から、あの人に結婚を申し込んでいいでしょうか』って」
「えっ!? おばあちゃんから!?」
「ええ。あの人の行動力に憧れて、私も同じように勇気を出してみたくなったのよ」
「おばあちゃんも格好良い! どんな感じで申し込んだのですか?」
「うふふ。それは二人の読書会のとき。あの人がいつものように私を褒めてくれるものですから、『なら、私を嫁にしませんか? ずっと一緒にいられれば、もっと役に立ちますよ』って」
「すごいですおばあちゃん!
……それでそれで、おじいちゃんの返答は?」
「それがね、いつもの自信ありげな雰囲気じゃなくなって、ちょっと小声で、こんな風に言ってくれました。
『気持ちは嬉しい。それに、君は魅力的な女性で、一緒に暮らせて俺も楽しいよ。成長すればもっと魅力が高まることだろう。けど、その……。君は、まだ幼い。もうちょっと大人になるまで、じっくり考えた方が……』」
「あれー? おじいちゃん実は奥手?」
「だったのかしらねえ。そこで私は、私のことを受け入れられるなら、せめて婚約という形にしてほしいと、迫っちゃいました。もしその気がないなら、あるいは後に気が変わることがあれば、遠慮なく断ってくれて構わない、と」
「おばあちゃん、ぐいぐい押しますね」
「そのとき何だか、わかった気がしたのよ。あの人は親兄弟を失って以来、ずっと独り身のまま生きてきたから、改めて家族を持つことに不安があったんだろうなって。
でも拒絶されたわけではないから、あの人も満更ではなかったのだろうと思いました。だから、その気になるまで頑張ろうと考えたのです」
「なるほど……」
「その後もハナの言うように、押しまくりましたねぇ。結果、どうにか婚約までは受け入れてくれたので、二人で暮らしてみようかと、家を探すことにしました」
「ひょっとしておばあちゃん、おじいちゃんを引っ張り回したりもしてました?」
「うふふ。そこは運命の精霊も引っ張り回してくれたのですよ。
ちょうどその頃にあったのが、大公からの褒賞でした。おかげであの人は行商をやめて店を構えるきっかけができましたし、私の実家も城下での屋根瓦の卸売りを許可されたのです。私はそのことを知って思わず前のめりになって、あの人に提案しちゃいました。
『だったら城下で両方の商売をするお店を持ちましょう!』と」
「おばあちゃん、その言葉の後に『二人で!』って言ってません?」
「あらあら。よくわかりましたねぇハナ」
「やっぱり! おばあちゃん勇気あるー!
そうして手に入れたのが、あの材木町の家ですね」
「ええ。それからは目が回るほど忙しくなりましたけど、おじいちゃんと二人で商売を立ち上げながら一緒に生活していくのは、とても楽しい日々でした」
ちなみにそのときの店が、今の私たちの実家であり、もともと震災より前に
宮廷を辞め城下から所領へと去った貴族の屋敷だったのを、私の義父の父が
託され維持していて、新たな友人となった元行商青年に斡旋したものだった
この屋敷を改装して住宅兼店舗として新生活を始めた祖父と祖母は、物件を
紹介してくれた宮廷貴族が近所だったので、城下の生活など色々と教わって
家ぐるみの近所付き合いとなり、互いの息子たちも小さい頃から仲良く育ち
身分だけでなく世代も超える友達という関係が、今も両家の間に続いている
祖父たちから三代目の私などは、向こうの家に一時期とはいえ養子になって
姻戚関係さえ一切ないまま親密さを増して、とうとう家族同然の付き合いだ
普段目立たないけど重要な建材の屋根瓦で復興に貢献して大公から表彰され
城下でも名が知られた祖父は以前からの行商仲間に上等な葡萄酒を安く卸し
新たな卸売先にも良心的な仕切り値で応じ、すぐ人手不足となるほどの人気
震災で職を失った者など何名かを充分な報酬で部下に雇って事業を拡大する
今も父の下で働く最古参の部下たちは、この頃からの長い付き合いだという
一方で陶器卸の事業も、しばらくは祖母の両親に協力してもらっていたけど
城下の店で雇った人たちが商売に慣れてくると、祖父母自身が行き来したり
それぞれの人員を入れ替えて相互に交流させるなどして一つの店にしていく
そして今もここ離宮の街には父の部下数人が常駐する事務所が置かれており
父は普段、近隣の窯元や醸造所との取引を彼らに任せ、たまに様子を見たり
祖父母がそうしたように城下の店にいる部下と交流させて関係を維持させる
祖母は仕事を手伝いつつ、祖父の強い薦めで商業組合の学校にも通っていた
けど家政科の授業が物足りなくて男子学校でも商業の授業を受けていたとか
「夫を支えるために必要だ」と教師たちに強弁したところ許可されたという
当時のことだから特例中の特例だっただろうな、やはりおばあちゃんすごい
まあ私たちの親世代くらいになると、女子学校でも商売に関する授業が増え
卒業生が家族の商売を支えるくらいのことも決して珍しい話ではなくなって
むしろ女性があえて男子の商業学校に学ぶ必要は、ほぼなくなってしまった
なお、内乱後には商業学校も家政学校も教育内容で棲み分けるようになって
男女問わず入学可能となったものの実質的には男子校と女子校のままだった
商売の道を志す女子や家政を極めんとする男子の登場は、もう少し後のこと
祖父は店に専念するため学校に通うことはなかったけど、祖母が帰ると必ず
その日の授業内容など祖母が語るのを実に楽しそうな様子で聞いていたとか
勉強にもなっただろうし、祖母の成長を楽しんでいたのだとも私には思えた
そして大震災から四年後の四四〇年、従業員たちが育ってきて、ある程度は
店を任せられるようになってきたことから、ようやく二人は正式に結婚した
三十三歳と十七歳で結構な年の差だけど、周りが羨むくらいの親密な夫婦に
私の義父など幼少期から私の祖父母と身近に接していて、貴族でありながら
見合いでなく恋愛を経て結婚相手を選びたいと、常々思いながら育ったとか
でも義父上、見合いの席で幼馴染みの女性と再会して互いに惚れあって結婚
という経緯を、何かの折に私は聞いた記憶がある、それもある種の恋愛結婚?
ちなみに結婚は祖母の卒業を待って行ったものと思っていた私は、在学中に
挙行したのが気になって仕方なくて、そのあたりの事情も聞かせてもらった
実は祖母、商業学校で受講していたら周囲の男子たちに言い寄られたそうで
もちろん祖母は既に婚約者がいるのでお構いなく、と取り合わなかったけど
年齢差ゆえ家業の都合で婚約したものと思われたのか、しつこかったという
まだ一人前ですらない男子が「俺の家の方が稼いでる」などと自慢してきて
鬱陶しくて辟易したし、さすがの祖母も言い返したいのを堪えるほどだった
それを知った祖父が色々と懸念してしまい結婚の予定を一年早めようと提案
祖母はこれ幸いと実家に伝え、すぐ準備して年度替わりに式を挙げたそうだ
少なくとも、この頃までに祖父は祖母への愛情を深めていた、というよりも
十年あまり荷馬車で一人旅する行商生活で孤独に慣れきってしまった祖父の
心を解きほぐし、家族を持つことに前向きな気持ちにさせた、祖母の功績か
まあ、婚約者を心配させるくらい祖母が魅力的だったのもあるとは思うけど
今もかわいらしいおばあちゃん、少女時代は男たちが放っとかなかったはず
ちなみに、結婚式には祖父の提案で、女子学校からも男子学校からも祖母の
級友を招いて二人の親密さを見せつけたところ、その生徒たちの間で仲良く
なって後には何組か夫婦になったそうで、もしやそれが私たちの世代に続く
商業学校と家政学校での恋愛事情の源流になるのかもしれない、と思う孫娘
でも私の父が誕生したのは、その後さらに歳月が過ぎ四四四年のことだった
学校を卒業した祖母は、祖父の商談旅行にもたびたび同行するなどしていて
仕事場でも自宅でも、この間のほとんどの時間を二人一緒に過ごしてたのに
祖母は自身の両親と同じくなかなか子供ができない体質なのかと悩んだけど
一緒に悩み、産婆さんなどへの相談も必ず同行してくれた夫のおかげなのか
不思議なほど不安はなく、むしろ授かった一人息子を大切に育てると決めた
事業も順調に成長、父がまだ幼い頃には城下近郊の街道沿いに新たな店舗を
兼ねた大きな倉庫を購入、街中での営業は廃止し完全に自宅として再び改装
このとき三階の半分以上を祖母の書庫としたけど、それでも足りず屋根裏も
父のための子供部屋を除けば書籍を詰め込んだ箱が山と積まれていたそうだ
階段から遠い方、今では私やミキの部屋として使われているあたりだという
こうして、祖母と同じく本好きに生まれついた父は祖母と同じく好きな本に
囲まれ好きなだけ読書をして育ち、学校の勉強が物足りないと感じたそうで
だから父は、育ての母のような優等生ではなく、商業学校でほどほどの成績
そういったあたり、私も父の性格を受け継いでこうなったのかも、とも思う
私の父と育ての母との関係は以前も触れたけど、二人の卒業後の話もしよう
一応それなりの成績で男子学校を卒業、一時期は大変な事態に陥ったものの
愛する人と無事に結婚でき、一挙に二人の娘の親となったため高等教育への
興味は捨てたつもりで、いよいよ祖父の商家を継ぐと決めて仕事し始めた父
だったけど、その商売で新しい取り組みを積極的に行った点は祖父に似てる
まだ祖父が存命だった頃、陶工の相談を受けて新たな釉薬や顔料などを探す
ために父は東の山間地の各地を巡って旅したことがあるそうで、その途中で
大陸の東側の沿岸部から輸入されてくる茶葉に着目、交易商品に取り入れた
もともとお茶は祖母の趣味、父も祖母の影響を受けてお茶が好きだし詳しい
祖父も、西の陶工たちとの交流の中で西の大領主領の茶葉産地とも縁ができ
城下での商売が安定してきたあたりで、西岸茶葉の仕入れ卸売に乗り出した
けど大陸の東側で作られる東岸茶葉までは、当時まだ取り扱っていなかった
一口に東岸茶葉と呼んでいるけど、発酵が深いものや、逆に全く発酵させず
炒って香ばしく仕上げたものなど多種多様、それぞれ適した淹れ方も異なる
それらは大公国にも少しだけ入ってきていたものの、遠くから運ばれてくる
だけに西岸茶葉より価格も高く、好事家の趣味の品という扱いをされていた
でも離宮の街は東の街道の玄関口で東岸茶葉も入手しやすいし、私の祖母も
子供の頃から慣れ親しんでおり、城下に移ってからも取り寄せて飲んでいた
おかげで父も子供の頃から東岸茶葉に親しみ、この知識を商売にも生かした
多種多様な東岸茶葉の中には西岸茶葉に近い香りや味わいを持つ品もあって
その淹れ方を工夫することで、大公国にも広く受け入れられると考えたのだ
父は祖父母とも相談しながら、大公国の人々が慣れ親しんでいる西岸茶葉に
近そうな銘柄を選び、また大公国の人々が馴染めそうな淹れ方も編み出して
これらを幼馴染みの貴族、つまり後の私の義父にも提案し評価してもらった
すると義父は大いに気に入って、宮廷で付き合いのある他の貴族にも紹介し
それなりの数の引き合いが集まることになって、父は新商品に自信を持った
西岸と東岸の茶葉を使い、双方の良さを引き出す配合も検討していたけれど
そこは後回し、父は手間暇かけて見極めた東岸茶葉や淹れ方の新たな提案を
大公国で商う大手の茶葉卸たちに持ち込み、一緒に売り出そうと持ち掛ける
もちろん、若い新参者が新たな茶葉を売り込んだとて成功は容易でないから
父にとって大手と組むのは妥当な策、貴族の間で話題になっている新商品を
取り扱うのは大手にとっても貴重な商機、若造の商売に協力する価値はある
複数の商家が扱うようになって流通量が増えると仕入価格も次第に下がるし
顧客の裾野も拡大、東岸茶葉産地は大公国など西岸向け輸出用銘柄を開発し
輸出用の容器にも茶葉の香りや風味が損なわれにくいような工夫が広まった
交易路への投資も増えて街道の整備が進んだし傭兵団も巡回して治安も向上
他の様々な商品の交易も活発化、大公国の内乱を経てもなお増加傾向にある
つまり父は、自分だけで独占しようとするのでなく市場作りを優先したのだ
皆が少しずつ利を得られるようにするやり方は、祖父の教えもあっただろう
その姿勢こそ、売上規模では上位ではない割に商業組合で一目置かれる要因
ちなみに父は父なりに、他の商家にない独自の商品の確保にも成功している
取引相手の交易商に頼み込んで、東の儀礼の茶道具の本物を入手してもらい
さらには正式な儀礼を教えてくれる師匠まで招いて、祖母とともに教わった
さすがに大手の茶葉卸でもそこまで手間をかけることはなく、父の独壇場と
なって宮廷貴族や大商家などに広まり、ちょっとした流行にもなったそうだ
まあ商売として大成功というほどではないよ、と父自身は謙遜してるけれど
義父をはじめとする宮廷貴族の一部には好評で、一応だけど収益を出せたし
結婚に際して相手の家との交換条件で廃止した貴族向けの高級陶磁器販売に
代わって幅広い貴族との取引を実現できたから、その点からも意義は大きい
この東の儀礼の茶道具は、意外にも地味な陶器椀を使うことが多いというし
それ以外の茶道具は陶磁器でないから貴族相手に売っても約定には反さない
一時期は、東の儀礼の茶を知りたいと希望する貴族が父の店に集まってきて
そのために店の一角に茶席を設けて応じたけど、十年ほどすると、その中の
熱心な者たちが代わって受け継ぐようになり、父は商売に重点を移していく
今は当時ほど熱心にやってないものの、事業拡大に加え貴重な体験ができた
何より祖母が大いに喜んでくれて嬉しかったと言いつつも自慢したそうな父
なお茶葉としては私や弟に味見させつつ何年もかけて編み出した独自配合が
一番の大当たりで、季節や飲み方に合わせた各種配合が、それぞれ売れてる
もちろん独自銘柄として、祖父の葡萄酒と同じ屋号の絵柄をつけての販売だ
東岸茶葉の交易は大公国の内乱により一年以上の中断を余儀なくされたけど
東岸から茶葉を運んでくる得意先も父との取引再開を待ち望んでいるそうだ
今回の商談旅行は、まさに交易再開の初回として、非常に大事なものとなる
ちなみに釉薬についても、数年がかりで様々な原料の仕入れ先を確保できて
陶工の谷で作る装飾タイルの色彩を、それまでの倍ほど増やすことにも成功
実家の台所は住宅への改装に際し装飾タイルを一面に貼って飾っていたのを
父の新たな実績を認めた祖父母は、一部その新たな色のタイルに貼り替えた
私にも見慣れている台所の装飾タイルは、祖父母と父の共同作品だったのか
私たちが幼い頃には祖母や育ての母のため父が色々と工夫してくれたと祖母
祖父母の代は祖母が店の者たちの分も食事を作っていて大変そうだったのを
規模も大きくなってきたからと、所帯を持つ部下には店舗の近くの家を借り
単身者向けにまかないつきの長屋を借り、それぞれ住まわせて朝食はそこで
店にもまかない担当を雇い入れて昼食と夕食を出し、家事の負担を軽減した
おかげで祖母は店での仕事を減らし、育児に協力して育ての母を支えられた
けど双子ならざる娘二人に一家は手を焼いたのか、弟ができたのは三年後だ
まあ私とミキの世話が大変だったなんて話題は、またの機会にするとしよう
ほぼ同い年だけど性格が全く違う姉妹は、それぞれバラバラに動き回るので
祖母がいてくれなきゃ無理だったと、育ての母から常々聞かされていたのだ
この街での滞在中、私も祖母を手伝って三人分の食事や酒の肴などを作った
祖母と一緒に作った料理の中には育ての母に教わったのと同じのもあるけど
実際に手伝いながら一緒に調理してると、二人の味が違う理由がよくわかる
「少々」とか「お好みで」に対する匙加減の差に加え、調味料の違いもある
祖母が好んで使う調味料の一つが、離宮周辺の特産品でもある濃厚な果実酢
まろやかな酸味と甘み、そして芳醇な香りが特徴的で、パンに塗っても美味
実はこれもまた、葡萄酒と並んで帝国時代に遡る歴史の古い調味料だそうで
この街で生まれ育った祖母も複数の銘柄を使い分けるほどに、この酢を好む
街の近郊には葡萄酒の蔵とは別に、この酢を作る専用醸造所がいくつもある
同じ蔵で醸造すると葡萄酒の質が落ちるとされ別の蔵で作る必要があるけど
自分たちで使う分だけを醸造している小規模領主や自営農も多くて、そんな
各家庭の自家用のはずの酢が何故か毎年、祖母には何瓶も贈られてるそうだ
かわいらしいだけでなく知恵袋としても知られる祖母は街の近郊でも人気者
祖母が郊外に借りてる小さな家は庭が広くて菜園もあり、近隣の自営農から
野菜や果樹の栽培を教わるうちに親しくなって、お悩み相談などしていたら
街の周辺のいくつかの自営農集落にひっぱりだこで、世話人みたいになって
お礼とばかり様々な産品がひっきりなしに届けられて、葡萄酢も山ほど届く
だけどこの酢は城下だと入手しづらくて、大公国時代には数種類の銘柄のみ
それも離宮の街での価格に比べると非常に高い価格で売られていたのだった
そもそも醸造に細心の注意と多くの手間を要することから安くない商品だし
さらに離宮の街以外に卸す際かなり高い率の税が課せられていたこともあり
交易商たちは税額を商品の仕切り値に乗せざるを得ず、さらに高い品となる
今は税率も少し緩和されたけど、他の地域へ出荷する業者は未だに多くない
私の育ての母は城下の生まれ育ちゆえ、どうしても贅沢な使い方ができない
それで祖母が惜しみなく使うところを育ての母は香りや風味のため少量使う
祖母は育ての母に、この酢をたびたび送っているものの、いつも少量のみだ
実は育ての母が、いつも祖母に「少しでいい」と釘を刺してくるのだそうで
「あっちでは贅沢品だから、きっと子供たちにも過ぎた贅沢を覚えさせまいと思ってのことでしょうね」
「なるほど、お母さんは倹約家でもあります。それに、ないならないなりに、ありあわせの食材や調味料を使って工夫するものだとも教わりました」
「その通りね。できる主婦らしい立派な考え方。あの子はきっと、あなたたちが家を離れたとき苦労しないよう、困難を知恵や工夫で乗り切ることが重要だと教えたかったのだと思います。
でもそれはそれとして、あなたたちには美味しい食材をもっともっと知っておいてほしいわ。美味しいお食事は元気の源ですものね」
「はいおばあちゃん、ぜひ勉強させてください。私も美味しいお食事は大好きです!」
さらに言うと、塩の味の違いも祖母と育ての母の味の違いに関係するらしい
城下では大陸西岸からの海塩が主流だけど、ここ離宮の街あたりまで来ると
海が遠くなる代わりに、山脈の岩塩鉱山や沙漠の塩湖の塩の方が手頃なのだ
大差ないと思いきや、よくよく味見をして比べると確かに違いが感じられる
特に串焼きに振る塩は味の違いがわかりやすい、これは私は塩湖が好みかな
もっと東へ街道を進んでいく私の今後の旅路では、山脈や沙漠の塩の風味が
日常になる、いよいよ故郷を離れるのだと思えて、ちょっと感慨深くもなる
祖母は若い孫娘が初めての土地で一人暮らしをすることにも大して心配して
いない様子、まあ当人の少女時代の冒険譚には私も驚かされるばかりだった
ともあれ祖母は、そんな私の旅立ちをむしろ後押しするかのように、説話や
昔話から、近年の噂話まで、色々な話を私に語って聞かせてくれるのだった
いくつかは私も本で読んだことがあるお話、だと思って聞いてたけど祖母が
語ってくれたお話では、筋書きや細部に似て非なるところがあって興味深い
父は私が幼い頃、本には書き手が思ったことしか書かれないと教えてくれた
本によって同じ事柄を異なる解釈で説明しているのは、まさにそれゆえだと
新たな写本が作られ受け継がれる過程で、また親から子へ師から教え子へと
語り継がれる中、新たな担い手の意図が加えられたり記憶違いなどもあって
物語というのは変化していくものなのだと、前に母からも聞いたことがある
そういった変化が加わるせいか、もともと別だったはずの物語にも類似性や
微妙な繋がりがあるように感じる箇所もあり、人による伝承の奥深さを思う
いや違う、まだ祖母が城下で暮らしていた頃よく聞かせてくれたお話でさえ
改めて聞くと新たな発見があるので、私の知識や経験も関係しているのかも
これらの気付きは、後に史実を紐解いていく中で、手掛かりをくれたと思う
本で読んだ話と祖母の話との違いを、たとえばユミヒコの伝説でみてみよう
ユミヒコの話は、そもそも東方諸国の出来事ゆえ大公国ではあまり知られて
おらず、私の母の写本が印刷され広く読まれるようになったのが私の知る話
印刷本の元になった写本は母の蔵書の中では比較的新しくて、百数十年前に
制作されたもので、やはり「王国最後のひとしずく」の街で書かれた物語だ
初代皇帝の物語は三百年ちょっと前、ユミヒコの物語は二百年ほど前の作品
大陸各地から数々の逸話を収集し、物語として本にまとめた人物、というか
著述家の集団がその街で活躍していたらしいのだけど、ユミヒコの物語では
いよいよ街が滅びつつある時代だったせいか、とても儚い物語になっている
写本によるとユミヒコは、古くから他の人々に蔑視される最下層の民の出身
他の人々からの差別の目を避けるように、山野に潜み暮らしていたとされる
一族を離れたユミヒコが世に出て英雄となっていったのは混迷の時代の最中
数十年に渡って、大陸の広い範囲に酷い疫病が蔓延していた時代の終わり頃
ときに強力な化け物までも出没して人里を荒らし、多くの人の命が失われた
大陸東方の藩王諸国は軒並み荒廃してしまい人々の心も荒みきってしまった
それゆえ他国を妬んだり、為政者が国民の不満を外へ向けようと企んだりで
藩王国どうし互いに隣国を侵略したり、その恨みから逆に攻め込んだりする
かつて初代皇帝が大陸全土を平定する前にも大陸各地で数多くの国々が戦い
他国を攻め滅ぼしては併合したり、また逆に分裂して戦う戦国時代があって
遠い過去となっていたはずの戦国の世に再び突入するのか、と人々は恐れた
そんな世に出てきた弓の名手ユミヒコは、人々を苦しめる化け物を退治して
名を挙げた後、藩王諸国を渡り歩いて人々が殺し合うことの虚しさを伝える
「化け物や疫病や災害で多くの人が死ぬ時代、さらに人が殺すなど不条理」
彼の説得により為政者たちは矛を収め、激化しかけた戦乱も何とか落ち着き
平和を取り戻した人々は、その有難味を実感しつつ耕作や商売に励んでいく
こうして功績を挙げたユミヒコの傍らに、常に寄り添っていたのが二人の妻
化け物どもに囚われていた女性が救い出されて、ともに彼の妻となったのだ
三人は、藩王たちから褒美として与えられた土地と家で仲睦まじく暮らした
のだけど幸せな生活は長続きせず、日常の些細な行き違いから妻たち二人の
仲は次第に険悪なものとなっていき、とうとう二人は争いを始めてしまった
化け物が退治される際の血潮を浴びてしまったことでその呪いを身に宿して
いた彼女たちは、嫉妬や怒りなどの感情がもとで化け物へと変化してしまう
二体の化け物はユミヒコの目の前で激しく争い、多くの人々が巻き込まれる
たとえ化け物へと身をやつしたとて、愛する妻たちを殺したくないと考えた
ユミヒコは、得意の弓でなく盾と剣とを携えて二体の間へ割って入っていく
急ぎ駆け付けた近隣藩王国の軍勢の眼前で繰り広げられた彼の最後の戦いは
それはそれは壮絶なもので地を裂き空を割るかの如く、一昼夜に渡って続き
将兵も、それを率いる藩王たちも、何もできずに、ただ事態を見守るばかり
そしてようやく地響き空振が途絶え、濛々たる土煙が収まった後に、彼らが
見出したのは、ユミヒコと妻たち三人が全身傷だらけで手を繋ぎ合った遺体
人間離れしたユミヒコの力を以てしても力尽きるまで戦うしかなかったのだ
藩王たちは彼らの死を悼み、また生前の功績を讃え、館の跡地に寺院を建立
この頃から次第に疫病の流行も下火となって、病魔封じの寺院ともいわれる
ただ人々は最後の戦いでの被害を忘れられず、祟る神として彼らを記憶した
ユミヒコを出した一族も災いをもたらす民とされ、差別は変わらず続くのだ
これに対し祖母が語ってくれた話だと、もともとユミヒコの出自は差別など
されてはおらず、それどころか人里離れた山の中の里で細々と暮らす古い民
一族は他の民との接触を避けており、交流があったのは比較的近縁の民のみ
多くの人々は、そもそもユミヒコの一族の存在すら全く知らぬことであった
彼ら一族が常人との接触を避けた理由は言い伝えられてきた一族の掟にある
一族や近縁の民を除く他の民との接触が災いをもたらすゆえ禁忌としていた
彼らは人里離れた地に隠れ棲む化け物どもと対話ができるため、そのことを
知られれば厄介な事態になる、との先祖の反省を踏まえてのことだともいう
おかげで彼らは他の民と違い疫病の影響もなく、平和に暮らしていたそうだ
けれどあるとき、一族と浅からぬ縁のある化け物のうち二体が下の里の民と
諍いを生じ、一族の長老を中心に話し合ったものの掟を優先すると決定した
これに反発して里の人々を救いたいと、あえて立ち上がったのがユミヒコだ
一族との縁を切ると言い残し、一人きりで得意の弓のみ携え山を下っていく
彼は、里の人々に災いをもたらす存在となっていた化け物たちと、人々との
間に立って話し合うことで、互いの領分を約束させて和解させることに成功
実は、里の民が生活の糧を得ようとばかり山懐へ深く入り込んでいった結果
化け物たちの領域へ踏み込んで軋轢を生じ、化け物が里の者を襲うに至った
その事情を知ったユミヒコが民と化け物との境界線を定め互いを鎮めたのだ
里の者たちには到底できないことをやってのけた彼は、人々の英雄となって
彼の評判はその地を治める藩王の耳にまで伝わり、直々に褒美を与えられる
ユミヒコが相手をした二体の化け物は、それぞれ異なる藩王国で暴れていて
それらを鎮めたことで、彼は二人の藩王と親密な関係を構築することになり
疫病が流行し始めて以来ずっと紛争関係にあった両国の関係まで改善させる
その和平は、他の藩王国にも影響を及ぼして各地の紛争も治まっていくけど
ユミヒコは直接関与しておらず、きっかけを作っただけに過ぎないとされる
とはいえ平和をもたらす者として藩王たちの間で評判になったのがユミヒコ
彼には化け物たちに悩んでいた二つの藩王国の国境に、両国から少しずつの
土地を与えられ、館を建てて二人の妻とともに、しばし幸せな暮らしを送る
しばらく後に妻たちはそれぞれ愛らしい娘を産み、三人の幸せはさらに増す
この妻たちが実は、ユミヒコに鎮められ彼と結ばれ人間の姿となった化け物
ユミヒコ自身も妻たちと結ばれて、人ならざる力を身に秘めることになった
彼らの婚姻は心身ともに深く結びつく古い民の呪力の契約で、妻たちの身に
秘められた荒ぶる化け物の性分をユミヒコが抑える、というものでもあった
ただし、そんな彼らの事情を人々が知るのは、かなり後になってからのこと
多大な功績を挙げたとはいえ、人々にしてみれば突如現れた謎の男と女たち
藩王たちのお気に入りとなって莫大な褒美を受けたことを妬む者たちは多く
また彼らが折に触れて見せる、得体の知れない力に恐れを抱く者も多かった
ユミヒコたち三人は館で生活しつつ、近隣の里の人々と親しく過ごしていた
一方で、名の知れた英雄を一目見ようと遠方から訪れてくる者も後を絶たず
そんな中にユミヒコを妬む者が紛れ込んでおり、とりわけ二人の妻に対して
それぞれに他方の妻についての讒言を吹き込んで、仲違いをさせようとする
もともと人間の心の裡をよく知らなかった元化け物、無垢な心に人の悪意が
深く根付いてしまって、妻たちは人々が企んだ通り次第に不仲になっていく
そしてユミヒコも、普通の人間というものをあまり知らない純朴な男だった
妻たちの不仲に気付いたのは、化け物の姿に戻って互いに争い始めたときだ
居合わせた人々を巻き込んで繰り広げられる化け物どうしの激しい戦を止め
人々を、そして妻たちを救おうと、ユミヒコは決死の覚悟で飛び込んでいく
このとき弓は館に置いたまま、剣も盾も持たず、鎧も身に着けていなかった
もともとの古い民の素質に加え化け物二体と結ばれ人ならざる力を得ていた
ユミヒコでさえ全身に傷を負うほどの戦いに、彼も妻たちも力尽きて倒れる
三人の遺体は互いに固く手を握り合い仰向けに、頭を内側に向けた姿だった
二体の化け物は、その生が尽きようとする刹那、ユミヒコと手を携えたとき
彼の強い願いの力で人間の姿となり、幸せな日々を思い返しながら息絶えた
この戦いの直後、三人の遺体を遠巻きに見守る人々の間を縫って現れたのが
ユミヒコの故郷の一族、その見慣れぬ風体に人々は恐れて人垣が切れていく
かの古い民は三人の死を確かめると、ほぼ瓦礫同然となっていた彼らの館の
一角で、幸いにも無傷だった、妻たちそれぞれが産んだ二人の赤子を救うと
再び何処へともなく去って行き、その後の消息は人里の誰にもわからぬまま
残された人々の中には、この騒動を知って駆け付けた両藩王国の軍もあった
それを率いていた二人の藩王は、周囲の将兵に命じて三人を丁重に埋葬させ
ユミヒコの土地を両国の永遠の境界にすると宣言、館の跡地には寺院を建立
しかし、両藩王国の民の間にはユミヒコや古い民への差別感情が根強く残る
多くの人は「邪悪なる化け物とその夫になったユミヒコ」を荒ぶる神と認識
数十年続いた疫病も、それが下火になるとユミヒコのせいと思われてしまい
藩王たちが建立した寺院は、この荒ぶる神を鎮めるためのものだという理解
ユミヒコを出した一族も、災いをもたらす民として人々の差別の対象となる
ただ彼らは以前と変わらず里の人々を避けているため、姿を見た者はいない
それぞれの話は大筋では似た点も多いけど、ユミヒコとその一族の由来とか
諸国和平の経緯、妻たちの正体、赤子の存在など数多くの相違点もみられる
祖母は少女の頃に、大陸を東西に行き来する交易商から聞いて覚えたという
その交易商は東方諸国で言い伝えられてきた物語を現地の人々から聞いたか
あるいは別の形で知ったのか、そのあたりは定かでないけど、実に興味深い
離宮の街は交易の要衝、城下に暮らしていては会えないような遠方の人々も
商売などで訪れてくることが多く、そんな来訪者をもてなすのも祖母の趣味
遠方からの客を迎えて料理や酒、茶などでもてなすのは、実は祖母の両親も
同じようにしていたそうで、これで祖母にまつわる様々な逸話にも納得した
北の沙漠の民であった祖父とは違和感もなく親密になれたし、遙か東の国の
儀礼の茶道具や同じく東方で使われる巻物も、手に入れる機会があったのだ
それらの品物だけではない、祖父から聞いた北の沙漠の民の伝承や、大陸の
東西交易の担い手たちから聞いた話などを、祖母は色々と知っているという
「なかなか語って聞かせる時間がないから、書き留めておきます」
「そんなに沢山のお話があるんですか?」
「ええ。全部語ったら何日も……。というのは冗談ですけど、いつかきちんと整理して書いておきたいと考えていたのですよ。せっかくだから、この機会に始めます。ハナが読んでくれるなら励みになりますし。
それにもしかしたら、これから研究者の道へ進もうとするハナにとって、何かの役に立つかもしれないものね」
「わあ! ありがとうおばあちゃん。
でも私、おばあちゃんが語ってくれるのも好き」
「あらあらハナ、嬉しいことを言いますねぇ。ならば書き溜めておきますから、今度来たとき一緒に読みましょう」
「はい♪ 今から楽しみです」
このときの滞在中には、久し振りに祖母の両親や祖父の墓にも揃って訪れた
祖母方の先祖が興った陶工の谷のすぐ近く、斜面に並ぶ陶工たちの墓地の中
墓碑は祖母の先祖の墓所に仲良く並び、親密な関係だったことを示している
祖父が亡くなったのは私が六歳の頃だから、面影もあまり思い出せないけど
改めて祖母から思い出話を聞くと、祖父がどういった人なのかを実感できる
沙漠の民であったという祖父の先祖は一体どのような暮らしをしていたのか
私も沙漠の民の伝統文化のごく一部だけ、父がくれた小刀として身に付ける
あの沙漠は、かつて緑豊かな地であったと、神話や伝承の数々が伝えている
その地に上古より一つの王国が栄え、後に北方で興った帝国の傘下に入った
攻め滅ぼされたのではなく、ほとんど流血を見ない国譲りであったとされる
王国の貴族はもちろん民までもが、まだ青年であった初代皇帝の人柄を認め
堕落した王に代わる新たな支配者として歓迎、前の王を放逐したというのだ
かの王国に初代皇帝が受け入れられていく過程については様々な物語として
今に伝わっており、私も母の蔵書や、他にも何冊かの本で読んだことがある
本によって異なる説明がなされていて、実際どうだったのかは判然としない
けど、大公の治世を終わらせることになった内乱に関わりのある私としては
どんな形にせよ、ほぼ無血だったという為政者交替劇は悪くなかったと思う
王国の世直しを果たした初代皇帝は、また別の国の世直しへと旅立っていき
新たに生まれ変わった国で人々が選んだのは初代皇帝の名代となる新たな王
かつて政争で王宮から追い出され没落していた元貴族一家に生まれた少女が
素性を偽り身一つで王国内に潜入していた初代皇帝と出会って愛し愛されて
圧政で民を虐げていた王をその座から追い落とす際に中心的な役割を担った
その少女を中心に新たな国の様々な立場の人々が知恵を出し合い議論した末
彼女を女王に擁立して人々が支える体制を構築、ほどなく女王が初代皇帝の
子を産んで王朝が受け継がれていき、帝国の庇護下で平和と繁栄を謳歌する
けど、この「麗しの王国」の最後の王朝が栄えた期間は、わずか一世紀少々
正当な王や女王が国を統治したことが記録に残るのは数世代に過ぎなかった
王国は帝国が崩壊する後を追うかのように衰亡し、分裂した末に消えたのだ
初代皇帝が人間としては長かった一生をついに終えると皇太子が帝位を継ぐ
皇太子時代から優れた政治手腕を発揮してきた二代目皇帝の即位も滞りなく
初代皇帝の下で確立された帝国の体制が続くことを版図の民たちは期待した
しかし数十年後、二代目の皇帝が年老いてきた頃に大陸全土を大地変が襲う
四三六年の震災よりも激しい各種の災害が数えきれぬほど発生したとされる
帝国の力でさえ無力に思えるほどで、人心は惑い世は乱れ争いが繰り返され
皇帝まで暗殺され(帝都から追われたなど異説も複数)帝国は崩壊していく
王国は後ろ盾を失った上に、大地変の後に気候まで激変して沙漠化が始まり
急速に乏しくなる収穫を、人々は互いに争って奪い奪われ、各地では地域の
有力者を中心とした小国が乱立し王国は分裂、それぞれ個別に滅亡していく
初代皇帝と女王の血脈を受け継いで民の心の拠り所となっていた王族たちも
ある者は戦いに倒れ、ある者は暗殺されるなどして、次々に失われていった
後に残ったのは、広大な沙漠地帯に点在する、辛うじて涸れずに残った泉や
周囲の山脈から雪解け水が流れくる川などを頼りにした、小さな都市国家群
母の蔵書にもある物語が綴られた「最後のひとしずく」の街も、その一つだ
この地の権力者は王族の末裔を招いて遇し、王国を受け継ぐ国を称したけど
やがて頼りとしていた泉の水が涸れ始めると国としても立ち往かなくなって
ついには沙漠を旅する隊商たちが旅の途中で休息し駱駝に水や飼葉を与える
だけの小さな宿場町の一つに過ぎなくなり、その泉が完全に砂に埋もれる頃
宿場町を点々としつつ砂漠地帯を行き交った無数の隊商たちも沙漠を去った
祖父もそんな一人で、生まれたのは宿場町のどこかとしか本人も知らなくて
沙漠の宿場もほぼ全て砂に埋もれてしまった今となっては調べる術などない
かつての王国、後の沙漠の民は、生活の場が失われるにつれて大公国などの
周辺各国へと少しずつ移っていき、街道を行き来する交易商や行商人などに
身を転じたり、王国の兵が部隊丸ごと傭兵団として移っていった例もあった
祖母によると傭兵の中でも王国や沙漠の民の末裔は忠義者揃いと評判らしい
少なくとも彼ら自身が主と選んだ相手ならば、文字通り身を挺して守り抜く
実は義父の雇ってた傭兵団も北の王国の末裔の一派だと彼ら自身から聞いた
私が彼らとすぐ仲良くなれたのは同じ王国の流れを酌む者どうしだからかも
というか傭兵さんたち、雇い主を差し置いて私に忠義を尽くすといつも言う
それこそまさに私が、何世代も前から求めていた彼らの主だなんて言ってて
いくら何でも冗談だろうと思ってたのに、内乱から一年半経っても変わらず
今回の旅の護衛任務にも、団員たちで枠を競い合ったというから驚かされた
こんな孫娘のことを祖父が知ったら何と言うだろう、と思いつつ墓所を拝む
墓所つながりで言うと、離宮の街の滞在中には、もう一つの墓所にも訪れた
街にある大公の離宮の、広い敷地内には附属礼拝堂の立派な教会建築がある
これこそ国教会発祥の教会で、最初ここの司祭が国教会を立ち上げたそうだ
帝国崩壊の余波が未だ続いていた時代に、国を一つにするための政策として
大公一族と親しかった司祭が国教会を発足、国内各地の教会にも波及させた
後に国内全体を統括する総主教座が国教会に転じると、そこが総本山となる
一方で離宮附属礼拝堂は、その後も歴代大公が墓所として定め崇敬し続けた
私が知る大公、すなわち最後の二十三代目も、やはりこの地に葬られている
この離宮は広大な敷地を持ち城壁で囲まれた市街地の半分近くを占めるけど
管理の行き届いた蒲萄畑や醸造所の蔵、放牧場や疎林、川や池などもあって
大半は住民も自由に出入りでき、街中であることを忘れてしまいそうな場所
附属礼拝堂と墓地も人々に開かれていて、祖母に案内してもらい私も訪ねた
墓地には大公一族だけでなく周辺の領主や、この街の市民などの墓もあった
もちろん、その中でも最も大きな墓所は、言うまでもなく大公宗家のものだ
生垣や木の柵で囲まれた墓地の中、礼拝堂から石敷の広い通路を行った先の
大きな石積みの墓所、大きな石の扉がついていて手前には祭壇が置かれてる
扉の中には数人分の棺を置いておける程度の広さの小部屋があるのだそうだ
歴代の大公のほか、即位前に亡くなった大公太子などの棺がそこに収められ
没後数十年で朽ちた棺と遺骨を整理し直し、骨壺に納めて奥の棚へ改葬する
最後の大公の棺は内乱終結の翌月くらいに納められて、今まさにここにある
その旗を振った元傀儡の姫は、これも何かの縁だと考え一束の花を手向けた
離宮は今では暫定政府の管理下で、本館をはじめ大小様々な建物があるけど
父の取引もあって見学できた醸造所はともかく、大半は関係者以外立入禁止
その一般人が立ち入ることのできない建物群の中には書庫もあるそうだけど
まだ何者でもない私に立ち入る許可など出るはずもないのは言うまでもなく
宮廷文書館と同じく研究などの目的なら許可されるだろうとの話だったので
堂々と閲覧するため早く一人前の研究者になってみせようと改めて心に誓う
父が、旅路の間には髭を剃らず無精髭姿で通すことも、ここで初めて知った
商談に赴いた先では取引先と会う直前に泊まる宿で、当日の朝に剃っていて
城下へ戻るときは祖母宅で泊まったとき剃って、帰宅の途に就くのだそうだ
祖母宅に滞在して数日、徐々に伸びてきた髭を指摘すると父はこう説明する
「髭を剃るには剃刀を丁寧に研ぎ上げておかないと肌が荒れる。だからその準備の時間も必要なんだ。それに、旅路でいちいち髭を剃る理由もないからな」
祖父はというと、基本的に髭を剃ることはせず、小さな鋏と手鏡を携帯して
自分で器用に切って短く整えていたそうで、言われて私も何となく思い出す
女の旅路では髪の手入れをはじめ身だしなみが大変だ、と思っていたけれど
男の旅路も地味に面倒だったり気を配る必要があるんだな、と思ったりした
◇初めて祖国を出た小娘と、父たちが授ける旅の心得
そうして数日が過ぎ、父は商品の仕入れや目利きをこなして城下へ送る品と
輸出する品とを仕分け、城下への荷馬車は部下たちに任せて送り出していく
国外へ向かう荷馬車に輸出商品と一緒に積まれる予定の私は、父が仕分けた
商品の記録を手伝ったり、力仕事をしている皆に食事やお茶を出したりする
私は非力、肉体労働の場では邪魔にならぬよう応援するくらいしかできない
父によると、この年の新酒すなわち四八二年産は豊作の上に品質も良好とか
前年四八一年は内乱終結の年でもあり、出来の良くない樽も多かったそうだ
その前の四八〇年と、内乱勃発直前に仕込まれた四七九年産は旱魃の影響で
蒲萄の収量が少なかったので、四年振りに納得の仕入れができたと嬉しそう
一部を父と一緒に試飲させてもらって、私も年ごとの品質の差を実感できた
いずれも同じ畑の蒲萄を同じ蔵で仕込んだはずなのに、全く別の酒のようだ
国外への街道は次第に険しくなるので、梱包なども商品に応じて入念に行う
たとえば皿や鉢は、割れにくくするため間に粘土を詰めて重ねる工夫がある
輸出用茶葉は湿気や匂い移りを避けるため陶製の壺を蝋で封じ蝋紙で包んで
あるので瓶入り葡萄酒や高級陶磁器などと同じく麦藁など詰めた木箱の中へ
この壺は祖父とも縁がある西の陶工たちが焼いて茶葉産地に納品したものだ
西へ輸出される東方茶葉の梱包を参考に、父たち茶商が工夫した成果だとか
さらに荷台へ載せる際の工夫もあって、先に下ろす荷物があれば後から積み
同時に下ろす積荷の中では、重さのあるものを荷台の中央付近に配置したり
積み重ねるなら最下段に、とするのが横転などの事故を防ぐため重要という
さらに荷崩れ事故を防ぐため、荷物に縄を掛けて荷台にしっかり縛りつける
今回のように数日がかりの行程で、かつ悪天候の可能性も考えられる場合は
粗布で覆った上で縄を掛け、さらに幌を掛けるので、作業は手間も力も必要
縄のかけ方も重要で、緩んだり切れたりして荷物を落とすようでは商人失格
そのような失敗を避けるため、いくつかの守るべき手順や方法があるそうだ
父は早くから祖父の仕事を見て覚えていたし、店で手伝って腕を上げており
商業学校での実習のときは手を抜いて平均的な評価で済ませた、と言ってた
出発後も、休憩するたびに毎回、縄の緩みや積荷のずれなどないか点検する
揺れで緩んだりすることも多くて、特に出発から最初の休憩が重要だという
私も、そんな作業を少し手伝って、縄の掛け方や縛り方など色々と教わった
まあ私は非力だから、固く縛るには誰かに手伝ってもらう必要があったけど
こうして一通りの準備が整うと、いよいよ商隊は国外への旅に出発していく
祖母や、父の部下のうち街に残る者たちが東側の門まで見送りに出てくれて
荷馬車は一列の商隊となって、さらに先の山間地へ続く街道に向かって進む
私は積荷の一つのようなものだし、道中に何かすることがあるわけでもない
城下を出たときとは違い荷台は商品で一杯だけど、私はその上に乗っかって
見送る祖母たちの姿が次第に小さくなっていくのを見ながら手を振り続けた
道が山裾へと入り込み、谷に沿って曲がって、街の城壁が見えなくなるまで
そうして大公国への名残を惜しんでいたら、御者台から父が声を掛けてくる
「さあハナ、そろそろいいだろう。御者台に戻っておいで。
この先は次第に道が荒れてくるから、そのまま荷台にいると危ないぞ」
「はーい」
その御者台で父と並んで座って、手綱を握っているのは、傭兵さんの一人だ
「あはは、姫様に縄かけて荷台に縛り付けとくワケにはいきませんからね。
転げ落ちてしまわぬよう、ご自分でおとなしく座ってていただかないと」
「……そうします」
「でも姫様、馬車の旅なんて楽なもんでしょ。甲冑姿で歩くのとは違って」
「そう言われても、ただ馬車に揺られてるだけで、私も荷物同然ですよ?」
「そりゃもちろん、姫様こそ、この商隊で一番大切な荷物なんですからね」
城下から商隊に同行してきた傭兵さんたちは全部で二十名ほど、ほぼ全員が
今回の父の国外への交易の旅、そして私を送り出す旅に同行、護衛を兼ねて
御者や荷運びなどしてくれていて、多くは警戒のため馬車と一緒に歩いてる
予備の馬に跨がり他の予備馬を引き連れる者もいて、人それぞれ仕事を分担
「ところがこの荷物ときたら、ちっともじっとしててくれないんだからな」
「落ち着きがなくて悪かったですね、お父さん」
「まったくだよ。小さい頃は本さえあればおとなしかったのに、最近はあちこち勝手に動き回るようになって、ついには遊学だ。
……しかし、ハナのおかげで俺もお母さんも、お母様も救われた。施設の子供たちも、仕事を失いかけてた版木職人たちも」
「いえその後半は私じゃなくて、お父さんたちが……」
城下へ帰っていった荷馬車は護衛の必要性が薄いから父の部下たちが担当し
こっちには商品や相場に詳しい者たちが二人だけ、主に商談のため同行して
それぞれ私や父とは別の荷馬車の御者台で傭兵さんたちと交替で手綱を取る
荷が増えたのに対し人数が減った分、残る人たちの口数は増えるのだろうか
父とその隣に座る傭兵さんとの会話は、何のとりとめもないまま続いていく
「きっとまたどこかで誰かを救ったりするんだろうな、ハナのことだから」
「旦那、姫様は我々を救ってくださったこともお忘れなく」
「そうだったな、すまんすまん。
俺としたことが、我が家の姫の業績を一つ数えそびれるところだったよ」
「旦那も、結構な親馬鹿でらっしゃる」
「雇い主を差し置いて姫様一筋の傭兵たちも、なかなかのものだと思うぞ」
「あっはっは」「ははは」
お父さんも傭兵さんたちも何なのかな、こんな小娘のことをやたら賞賛して
お喋りくらいしかすることもない旅路、もしや私は格好の話題にされてます?
呆れて景色を眺めることにした私の視界に、ほどなく小さな峠が見えてきた
傾斜の緩やかな浅い谷筋を斜めに上がっていく街道が、そこへ向かっていく
峠道を挟んで両側に並んだ大きな石造の建物、これこそ大公国の国境の砦だ
谷間は手前側が少し広がっていて、沢を堰き止めた小さな池もいくつかある
小さな宿屋か茶屋らしき建物数軒と、その人たちが耕してるのか小さな畑も
この広さなら、数千名くらいの軍勢を一時的に駐屯させるくらいはできそう
と、周囲を見渡しつつ見当を付けている私に気付いて傭兵さんが話し掛ける
「おや? 姫様、何やら考え込んでおられます?
いよいよ国境だし、大公国の景色を覚えておこうってところですか?」
「あ、ううん。そうじゃないんです。
この谷間って大河の支流でしょ? 本流から外れてどこへ向かうのかと思ってたら、こういう場所があったんですね。街道を迂回させてるのは、守りやすい場所に国境の砦を作るためなのかなって」
「なんと! まさかの攻め落とす算段ですかい? いやさすが我らが姫様」
「え!? 何でそうなるの? 違いますって」
傭兵さんたちは一体、私をどういう存在にしたいんだろう、全くわからない
その一方、さすがに父には一瞬で通じた、まあ当然といえば当然だろうけど
なにせ父は、大公一族の系譜について書かれた例の本を熟読してたのだから
「はっはっは。うちの姫は反乱軍の姫様とは違うぞ。
たしかに守りやすそうな国境だが、ここから実際に攻め込まれた歴史はない」
「うん。むしろ攻め込んでばかりだった。その軍勢をここで準備したんだよね」
「きっとな。そしてここは遠征した軍に物資を送り込む拠点にもなっただろう」
「そう思う。まさにおあつらえ向きの場所。だから砦だって、国からの出入りを管理するだけの小さなものでしかないんだと思う。門は大きいけど」
「おかげで関税を取り立てる施設としては使い勝手がいい」
「大公国の歴史のほとんどの期間、ずっとここが検問所だったんだよね、お父さん」
「ああ、かなり古くからある。
この検問所は、少なくとも五代目の遠征より前から文献に書かれているというからな。どうやら大公の先祖が、平原に進出して勢力を拡大する中で建てたらしい。それを何度か増改築しながら使い続けてるんだろう。手続をするとき見てみればわかると思うが、石積みの中にはすごく古そうな箇所から、いかにも最近修繕したような真新しい箇所まで、色々だ」
「うちの三階の壁にも修繕した跡があったよね。石材も目地も少し新しい色してるの」
「そうそう、俺の書斎と寝室の壁な。あのあたりは大震災で漆喰目地にヒビが入ったり、一部の石材が緩んだりしてたので、入居前に積み直した箇所だって親父が言ってた」
「じゃあここも震災で損壊して修繕したりしたのかな」
「ああ、一番新しい部分はそうかもしれん」
そんな父の言葉を聞きながら、私は大公の遠征当時の様子を想像して楽しむ
決戦のときの私と同様きらびやかな甲冑に身を包んだ騎士たちが勢揃いして
旗印を誇らしげに掲げ、膨大な数の郎等や兵を引き連れて整然とした隊列で
今よりもっと小さな建物だけど門だけは広い関所を、大公に続いて出て行く
その軍勢が向かう先は、これから私たちが向かうのと同じく東、湖畔の街だ
そこへと通じる街道が本格的に整備されたのは、さらに昔の帝国時代だった
けれど数百年もの歳月を経て、すっかり変わってしまった箇所も多いらしい
「……ところでお父さん、大公の先祖が街道をこっちに付け替えたとして、その前の街道はどうなっちゃったんだろう?」
「んー? どうだろう。そういえば俺は知らない。どこかに痕跡でもあるのかな」
「あるとしたら分かれ道っぽいのがどこかにあるんじゃない?」
「でも見た覚えがないぞ? あるとすればこの支流の谷に入っていく前だろうけど……」
「お父さんでもわからないなら、土に埋もれたか、草木に紛れたりして、痕跡も消えてるのかも」
「かもしれないな。なにせ三百年も前のことだ。
あとは、道ごと斜面が崩れてしまって今はもうない、とか」
「もしそうなら、新しい道を作って正解だったね。あ、実は順序が逆で、道が崩れたから迂回させたのかも」
「それもあり得る。
まあ、これから歴史を研究する学生さんが、いつかそういうところまで突き止めてくれるかもしれない」
「あー、お父さん私に丸投げ?」
「何を言う。俺は研究者じゃなくて一介の商家だ。研究者になるつもりもない。
この一行で、いつか研究者になる者がいるとすれば、ハナしかいないだろう」
「うっ……。
が、がんばって勉強します……」
「はっはっは。
とはいえ今は、まだその勉強の一歩目すら踏み出してない。まずは俺たちが責任を持って、将来の研究者を無事に送り届けないとな」
「姫様、旦那、そこは心配いらねえ。俺らがついてますぜ」
父娘の話が盛り上がってるのを楽しそうな表情で聞いてた御者台の傭兵さん
控え目なようで、ここぞとばかり目ざとく存在を主張してくるおちゃめさん
「はい。お父さんも傭兵さんたちも、よろしくおねがいします。皆さんが頼りです。
でも考えてみたら私、今まさにかつての大公の遠征軍と同じ道を辿ってることになるんだね。大公の旗印を掲げたこともある傀儡の姫が。しかも傭兵さんたちまで一緒……」
「だが今は平和になったし、ここも数ある国境の関所の一つに過ぎない。
駐屯してるのも大公の騎士や郎党でなく、暫定政府の役人と兵たちだ」
「大公国の頃と何か変わったところはあるの?」
「今のところさほど大きな変化は感じないが、関税が少し安くなって助かってる。
以前は、大公に納める税に加えて、警備する騎士にも税を要求されていたんだ」
「それってもしかして私が食堂でお給仕したときの心付けみたいなものですか?」
「あー、まあそうだなあ、似たようなものかもしれん。ただ、店のお客は心付けを自発的に払ってくれるものだったろう?」
「うん。たまに心付けの習慣のない国から来たと思しき人とか、出し忘れたっぽい人もいましたけど、そういうときも店で働く側から請求するものではない、と教わりました」
「そういうものだ。しかし騎士たちは自分から要求してきたし、その時々によって額が違うこともあった。大概は何だかんだ理由をつけて、前より値上げしてな」
「それはちょっと困りますね。税金というなら率なり額なり基準を決めて周知して、徴収する側も決まりを守ってほしいものです」
「ああ。我々交易商からみれば実に厄介だったよ。大公が定めた関税に加え、追加で余分に税を取られるようなものだったし、しかもそれが騎士の気分次第だったのだから」
「たしかに。でも今は、そういうことがなくなったんですね」
「ああ。反乱軍上がりの兵や役人たちは要求しないし、受け取ろうともしない。
立場を悪用して金品を得る行為は禁止されていて、違反すると厳罰だそうだ」
「領主なら、所領の収入が役目に見合わないとき、何とか稼いで補いたいと思うこともあったでしょう。でも兵隊さんたちは俸給や手当で生活してるから考え方が違うのかも」
「だろうな。かつて立場を悪用して稼いでた貴族たちは、内乱後に不正とされた」
「それで税金もわかりやすく、安くなった、と」
「姫様、俺らも給金が頼りの傭兵ですぜ。他の傭兵にはそうでないのもいるが……」
「そうですよね。義父上に雇われていた頃は城下や民を守る役目だったし、今は父の商隊を守るのが役目」
「いえいえ、まず何を差し置いても姫様のため。その姫様のために旦那や商隊を護衛するのが役目です。
……まあ、命を張っていいと思えるだけの給金はいただいてますけどね」
傭兵さん、父の視線に首をすくめながら、慌てて言い訳っぽいことを口走る
けど命を張るだけの給金なんて幾らになるのか、私には値段をつけられない
内乱で傀儡の姫を守って失われた兵たちの命は、私にとって大きすぎる負債
私は一体どれだけ人々の役に立てば返済できるだろうか、と思うことがある
なのに残った多くの傭兵さんたちは、私が自由に生きることを望んでくれて
こうして今も、親たちと同じくらいに私の成長を喜んで、後押ししてくれる
今回の護衛にこぞって志願してきたのは、私を無事に送り届けたいからだと
もちろん父も傭兵さんたちが文字通り命を捨てるようなことを望みはしない
ただ愛娘を父親以上に甘やかしそうな傭兵さんに、ちょっと釘を指しただけ
国境の検問や関税の支払い無事に済ませると、ついに一行は大公国から出る
私が生まれて初めて踏んだ国外の地面は、遠く大陸東岸まで続く街道の石畳
砦が置かれた峠を越えると、しばらく狭い谷間を下り、大きく回り込む形で
再び大河が作る谷へと合流し、小さいながらも頑丈そうな、そして古そうな
石積みの橋で支流を越えると、以後つかず離れず大河の源流へと遡っていく
街道は基本的に谷間を辿りながらも、難所を避けるように大きく迂回したり
傾斜の急な山腹などでは九十九折れになるなどしているおかげで道程は長い
ところどころにある大河の支流も、架けやすい場所にある橋まで迂回したり
水量が少なくて浅い川には堅固な石組の洗い越しが、やはり少し上流にある
そうして行ったり来たりしつつ、街道は山間地へと少しずつ上っていくのだ
とはいえ道そのものの勾配は抑えられ、荷馬車を牽く馬たちは息を荒げつつ
全身に汗を滲ませながら、大量の積荷を次第に高い標高へと運び上げていく
ずっと牽かせっぱなしでは馬だって疲れるので、ときたま小休止を取っては
予備の馬と交替させるなどして、ついでに手の空いた人間たちも小休止する
そんなときには、一行を率いる父は自らお茶を淹れて皆に振る舞ったりする
私も他にできることなどほとんどないし、父を手伝ってお茶を配ったりした
馬車旅においては馬の世話も大切だ、と父や傭兵さんたちは口を揃えて言う
道中での小休止の際には、人間より先に馬を休ませるのが常識なのだそうだ
へらで馬の汗を拭い、豆や根菜など栄養のある餌で元気をつけさせたりして
晩秋の山間地では身体を冷やしすぎないよう汗が引いたら毛布を背に掛ける
逆に暑い季節の場合には、木陰など涼しそうな場所を選んで休ませたりして
馬が落ち着けることを確認してから、ようやく人間が休憩できるのだという
「馬車でも騎馬でも、馬が元気でいてくれないと成り立たない。こんな山の中の街道で馬に何かあったら立ち往生しかねないし、商品はおろか自分たちの身にも危険が及ぶ」
「そもそも人間は馬のおかげで楽に移動できてるんですからね、自分の足で旅してるならともかく、馬を相棒に旅をするなら人間と同じ、いやそれ以上に労ってやらないといかんのです」
「道中の休憩もだが、宿に着いたときもそうだぞ。おばあちゃんの家に着いたときを覚えてるだろ。まずは馬の汗や埃を払ったり洗ったりしてから馬小屋に入れるんだ。そして飼い葉や水を与えて、落ち着いて休めることを確かめてからでないと、俺たちもおちおち眠れん」
「はい、心得ました。
そういえば馬の食べる量ってすごいですけど、街道の宿屋では充分に用意しているんですよね?」
「それはそうだ。よほどのことがなければ分けてくれる。もちろん飲み水もな。俺たち旅人が支払う宿代は、そういった費用も含めての金額だ」
「でも多くの旅人が行き交うと、宿で消費される飼い葉の量も相当なものになりますよね。どこから仕入れてるんだろう?」
「充分な広さの牧草地を持つ宿屋なんてほとんどない。多くは近隣の農家から買い付けたりしているはずだ」
「なるほど。さすがに遠くから運んでくるわけにはいかないですものね」
このあたりの街道は路面が傾いてる箇所もあり、馬車も斜めに傾いたりする
帝国や初期の大公国が整備した街道も、長い歳月で荒れたところが多数ある
小さな尾根や岩鼻のような箇所を切り通した道は帝国時代の工事らしいけど
敷石がなく砂利道になっている箇所は、いかにも応急的に補修したのだろう
震災後にも、崩落した崖に再び道を通すなどの難工事があったと聞いている
徒歩の傭兵さんたちは荷崩れしないよう荷台や積荷の木箱を手で支えて歩く
倒木や落石などは隊列に先立って歩く傭兵さんたちが事前に取り除いておき
道の窪みに車輪が入り込みそうなときは手近な砂利などで埋めて乗り越える
そんな風に路面を確かめながら、手当しながらだったので、歩みは遅くなる
私のような足のある積荷も、馬や荷馬車の負担を軽くするため下車して歩く
交易商の荷馬車には旅人が便乗することもよくあるけど、急な上り坂などの
際には、こうした気配りをすることも乗客として大切だと父は教えてくれた
「もちろん体力に自信があるなら、押したり支えたりして力を貸してくれると助かる。
……が、ハナは降りて歩くだけで充分。非力なんだし支えるなんて考えなくていい」
「姫様は軽いから馬の負担も大したことはないんですがね、むしろ念のためですよ。
たとえば、もし馬車が横転するようなことになったら大変ですから」
「そっか、私みたいなのは巻き込まれないように少し離れて歩いた方がいいんだ」
「その通りだ。あと、自分自身の足許や周囲にも気をつけてな。
こういう難所では崖から自分が転落してしまったり、上から落石などもある」
「でも姫様、あまり我々から離れないでくださいね。難所では馬車も足が鈍るから、その隙を野盗が狙ってきたりします。最近では内乱が収まって治安も回復してきてますし、たちの悪い連中も減ってはいるでしょうが、ご用心を」
「わかりました。
お父さんや傭兵さんたちに心配かけないよう、自分の身には気をつけて歩きます」
その他にも父は、私が今後の旅路でもお世話になる場面が多いだろうからと
便乗する際に信頼できる交易商を選ぶ秘訣など、色々なことを教えてくれた
大公国を出ると、街道整備が行き届かないのか路面が荒れた箇所も多かった
それが大公国の内乱終結を契機として次第に解消されていく様子を私は見る
内乱後に反乱軍を除隊した元輜重兵が中心となって立ち上げた駅馬車業者が
国内のみならず周辺国にも路線拡大を進め、その一環として街道整備を主導
私の父たち交易商も資金を拠出、元反乱軍技術者たちが改修工事を指揮した
私はそこを何度も行き来することになるけど、ほぼ毎回どこかで工事があり
切り通しや隧道、橋梁などが次々できてきて、その変化にいつも驚かされた
新たな経路で作り直された道は、馬車も安全かつ快適に走れるようになって
国境から私塾まで荷馬車で四日を要したのが半分の二日間にまで短縮された
一方で、使われなくなった古い道は廃れ、崩れた土砂や草木に埋もれていく
その廃道を見て私は以前の苦労を思い出しつつ、人間の営みの儚さも感じた
人が手を加えなくなれば、大地と大空の間はあるべき姿に戻ろうとするのだ
大公が付け替えたであろう国境付近の街道も、旧道の方は痕跡も乏しかろう
傭兵さんたちが野盗の話題を出したことからもわかるように、治安は不安だ
野犬や野の獣など避けるためにも夜は基本的に街道の各所にある旅籠で宿泊
ほとんどの街道には、歩いて数時間の距離ごとに宿場町などあるものだから
安全面、そして体調管理のためにも、それらを使うのが望ましいと父は言う
「たとえば、ちょっとした悪天候だって、野宿では命の危険につながることがある。その点、宿に泊まれば少なくとも建物の中にいられるのだから、違いは大きい。
ハナは今後、教授の調査旅行に同行して旅をするはずだし、もしかしたら野宿をする場面もあるかもしれないが、そんなときは特に警戒を怠るなよ」
「ですよね。そういうとき教授がどのように身の安全を保っているのか、きちんと教わります」
「俺たち交易商も、ある程度は意識してるよ。たとえば天候が急変する前には、風向きや風の強さ、気温などの変化がよくあって、それに気付けば早めに対処できる。野の獣にも、それなりに警戒すべき兆候があることが多いからな」
「はい。お母様にも同じような注意事項を聞いて、参考になりそうな本も入手しています。向こうに落ち着いたら読んで頭に入れておくつもりです」
「なら大きな心配はないな。ハナは感覚が鋭いから、意識できさえすればすぐ気付けるだろう」
「あはは。ぽやーんとしていてはいけない、ということですね」
「ああ、ぽやーんとしてていいのは安全な街の中だけだ。
旅路の途中であれば、何らかの危険を察したとき避難できそうな場所を常に意識しておくといい。街道の近くには旅籠の他にも茶屋や修道院、自営農や森番の家など人が生活する建物はそれなりにある。仮に主屋は無理だったとしても、納屋や家畜小屋を借りられるだけで大きな違いだ。ほとんど行き交う人間がいなくなったような廃街道も、かつて人が使っていた廃屋くらいは残ってることが多いから、そういったのを頼りにするといい」
知ってる道を行くなら、「少し先に行けば集落が」といった判断が重要であり
知らない道だとすれば、「少し前に見た集落まで」という引き返す判断も大切
その場の状況、自身や同行者の状態なども踏まえて、自分で判断するしかない
旅慣れた父や傭兵さんたちは道中、そういったことを私に色々と教えてくれた
ただそういった治安面の不安も、同じく内乱終結以降、徐々に改善していった
街道整備が始まると、最初に工事関係者の宿舎や資材置き場などの建物ができ
工事を終えた区間では補修工事の拠点になったり、払い下げられて茶屋などに
転用されていき、さらに開拓して農地や牧場など作る人も増えて、街道沿いに
暮らす人々が大幅に増加、人目を避けたい野盗などは逆に減少していったのだ
◇旅路の楽しみといえば……
旅路で得たことは他にもある、たとえば飲み物や食べ物が次第に変わっていき
旅籠に泊まるたび、生活習慣が少しずつ違うことにも気付くようになってきた
部屋の間取りや寝具の違い、似たような料理でも調理法が徐々に違ってきたり
街道沿いの畑で作られる作物も、山間地に合うものに移り変わってきたようで
父によると麦畑の麦も、大公国で主流の小麦ではなくライ麦などが多いそうだ
けどこのときの旅は晩秋、芽吹いたばかりの麦なんて私には見分けがつかない
「麦にも色々な種類があるとは本で読んでたけど、小麦と大麦以外は見たことなかった。また別の季節に旅をしたとき見てみます。詳しい人なら、こんな芽生えでも見分けられるのかな」
「かもしれないな。よくよく勉強すれば、だろうけど。
そうそう、麦といえば『バカ麦』というのもあった」
「バカ麦?」
「春先になると、小麦や大麦畑の中に、ぴょこっと高く伸びたのが混ざって生えるんだ。他の麦より一足早く葉や根を伸ばして日の光や地面の養分を横取りするくせに、穂が驚くほど小さくてね、農民たちに嫌われてる。目にしたらすぐ引っこ抜くのだそうだ」
「そんな麦があるんだ。今度、穂が伸びてくる頃、ちゃんと見てみよう」
「といっても、それは厳密に言うと麦の仲間とは少し違って、雑穀の類らしい。正式には何というか忘れたけどな。
さらに言えば、小麦や大麦にも厳しい土地では、そのバカ麦を食用の雑穀として栽培することもあるそうだ。痩せた土地でもある程度は実を結んでくれるから、ということらしい」
「へぇー、面白い。ある場所では嫌われ者でも、別のところでは役立つんだ。何だか、人間にもいそうだよね、そういうの」
「人間に喩えるか。面白い。
……おっ、あっちの畑を見てみろ、蕎麦と豆だな。収穫が終わって刈り倒された茎が積まれてる」
「本当だ。まだ鋤き込んでないんだね」
「大公国平原なら鋤き込んで肥やしにするものだが、ここでは違うな。しばらく枯らしてから、森で集めてきた落ち葉と一緒にまとめて燃やして、灰を集めておくんだ。その灰を春先に雪の上に撒いて、雪が解けたら鋤き込むんだよ」
「そっか、このへんだと雪が積もったり冷え込んだりするから……」
「そう、そのまま鋤き込んでもすぐには肥やしにならないらしい。だが灰にしてしまえば手っ取り早いし、灰を撒くと雪解けも早まるから一石二鳥というわけさ」
「土地柄に合わせた工夫ですね。でもそうすると作付けの巡りも違ってくるのかな。たしか大公国では麦と、豆とか根菜、牧草などを一年おきに作ることが多いのでしょう?」
「ああ。それに対しここでは麦の次に根菜や蕎麦を作って、その後に他の雑穀、豆や牧草などを育てて三年か四年で一回り、という順番が多いようだ」
「となると麦はどんどん貴重なものになりそうですね」
「その通りだ。この先は雑穀入りのパンが多くなるぞ」
「それはそれで味わいがありそうです。楽しみだなー」
「そうきたか。ハナはどこの料理でも気に入りそうだ」
この街道を様々な季節に旅する父からは、渡り鳥についても教えてもらった
夏場の山間地には小さな鳥たちが主な餌とする昆虫なども多いので子を育て
冬になると冷え込む山間地を避けて平原に降りてくる、そんな鳥も多いとか
それから街道には、いくつもの分かれ道があって、様々な場所を結んでいる
街道の本道には小さな交易都市や宿場町が続く一方、支道の方にはたとえば
山奥深くの林業の街とか鉱山の街など、特色ある様々な場所があるのだとか
大河に繋がる支流の源流部には木材を輸出する林業の集落が点在するという
近隣の山々から切り出した木材を川沿いに集めては、筏に組んで流していく
それこそが酒樽や木箱に使われる木材で、大河で国境を越えて離宮の街まで
筏に人が乗り棹で操って難所を避けるとのことだから大変そうだし危なそう
筏に乗る人たちが集落まで帰るために専用の乗合馬車もあるとのことだけど
区間が限られる上に、部外者は乗せてもらえないらしくて、ちょっと残念だ
山間地ならではの温泉も、支道だけでなく本道沿いにも数多く点在している
父たちは少しだけ遠回りして、この街道でも有名な温泉街に一泊してくれた
ここも父の商家の得意先だけど、今回は温泉宿の要望を聞き出すのが主目的
実際、運んできた積み荷のうち葡萄酒と西岸茶葉を数箱ずつ下ろしただけだ
そしてこの先、うちが西岸茶葉を卸す先はなく、残る積荷は葡萄酒と陶磁器
ただ父としては、より東の地域にも西岸茶葉を売り込もうという意欲はあり
私たちの目的地である湖畔の街での卸値を書いた目録まで用意しているとか
商会長である父が遠くまで出張するのは、そんな商談を自分でやりたいから
ついでに私にも楽しんでもらいたいからと立ち寄った、父のおすすめの場所
いやきっと逆、父が私と一緒に楽しみたくて、ここに寄る口実をこじつけた
としか思えなかったけど、まあどっちでもいいか、私も温泉街を堪能したし
そこは谷底のあちこちから熱いお湯が湧いたり湯気が吹き出す不思議な場所
温泉宿は細い谷の入口付近に集まっていて、その谷の奥の方でも入浴できる
浴槽代わりに、谷間のお湯と外からの冷水で適温にした池がいくつもあって
入浴する場所は男女それぞれ別々だけど高さのある板塀で区切ってあるだけ
初めて入る屋外のお風呂は、空や周囲の山並みが見えて開放感が新鮮だった
しかも季節は晩秋のまさに良い季節、鮮やかに色付いた木々の葉が風に舞い
入浴しているお湯に散りばめられ、映り込んだ深く青い空と見事に調和する
薄布でできた専用の入浴衣を身に付けるのが、ここで入浴する際の決まり事
東方風の、異国情緒を感じさせる入浴衣は、帝国時代に伝来したとのことで
宿で貸してくたものの、やはり宿の人が私に選んでくれたのは子供用の寸法
まあそれはともかくとして薄布にお湯が染みれば身体に纏わりつくのは当然
私は貧相な身体の線が目立つ気がして少し恥ずかしかった、けど居合わせた
他の女性入浴客が集まってきてかわいがられて、いつかどこかで見た光景に
湯上がりには、火照った身体を入浴衣が外気で冷ましてくれるので心地好い
程良く汗が引いてきたのを見計らって、湯冷めしないよう寝間着へ着替える
この宿で貸してくれる寝間着も入浴衣に似てるけど、よりゆったりした作り
布地も違い、入浴衣は乾きやすく寝間着は汗を吸ってくれて、どちらも快適
そんな湯上がり姿の私に、あのときの母を彷彿とさせる、と父は見惚れた顔
実は父と母とが偶然落ち合って許されぬ一夜を過ごしたのも、この地だった
私たち父娘二人が外湯から個室に戻ってきたところ、そんな話を聞かされる
「ちょっとお父さん? いやらしい目してない?」
「あっ、いや、違う。そういうつもりじゃなくてだな、その、何と言うか……、お前のお母様は本当に、この世の存在とは思えないくらい美しくてな。ついついあの夜を思い出してしまって……」
「ふーん?」
「ハナも同じくらい美しくて、あの夜のあの方の姿と、重なって見えたもんだから」
「……あ、ありがとう……」
「その寝間着姿だと、本当に生き写しのようだよ。
……いや本当に俺の娘なんだよな?」
「今さら何を言ってんのお父さん。
本とかお茶とかお酒とか、私が好きなものはお父さんとほとんど一緒でしょ? まあそこはお母様も似たようなものですけど、私は授業中も読書にかまけてたり、二日酔いとか馬車酔いとか、お父さんと似たような失敗も多いんだし」
「まあそうだな。その点では俺の娘か」
「そうですよ。十八年も育てておいて何を言うんです、まったく」
「すまん」
「……まだ、罪悪感みたいのはあるの?」
「……ないと言えば嘘になる。一生、この気持ちは持ち続けるよ。
不義理になってしまったこともだが、そもそも俺が手を出してしまったこと自体もな」
「そっか。
……でもよかった」
「えっ!? どういう意味だ?」
「お父さんも私と一緒なんだなって思ったから。
私もね、きっと一生、傭兵さんたちを何人も死なせてしまった罪悪感を持ち続ける」
「それは……、そうだろうな。
だけどそれは傭兵たちが、自分の命よりお前の命を優先したからだろう? お前が全てを背負うものじゃない」
「傭兵さんたちも同じようなことを言ってくれました。お役目を果たしただけだって。私も頭ではわかってます。ただあのときの私の不甲斐なさを、自分で許せないだけ。
……きっとお父さんもそんな感じでしょ? あのときお母様は、お父さんだからこそ受け入れたはずだもの」
「う……。
参った。ハナの言う通りだよ」
「でね、結果として私がお父さんの娘として生まれて、ここまで育ったんだから、あまり自分を責めてほしくないの。
だって、私が生まれてきたのが間違いだったって思っちゃいそうだから」
「ああ、ごめん。反省する。娘に対して大変失礼な言い方だった」
「後悔の念は、自分のものとして、私が責任を持って持ち続けます。
そして傭兵さんたちが私に尽くそうとする気持ちにも、きちんと向き合います」
「……やっぱり、あの方の娘なんだな、ハナは。
自分の気持ちにも他の者の気持ちにも、しっかり向き合って、受け止めて、自分なりの責任の形を考えている。見た目だけでなく、心のあり方もよく似ているよ」
「お父さんもそう思う?
なら間違いないよね。私は、お父さんと、お母様の間に生まれた娘。そしてお母さんと、義父上と義母上、みんなの娘です」
「たしかにそうだ。何人もの親たちがいて、今のハナがいる。
ただな、一つだけ言わせてもらおう」
「はい?」
「俺みたいな男に気易く身体を許しちゃいかんぞ。後が大変だ」
「あーはいはい気をつけます。そんな気も予定もないですけど」
「いや俺は本気で言ってるんだからな? お前のお母様は寛容すぎたんじゃないかと今でも思ってる」
「またそこ!?
……あ、お父さんもしかして、私が誰かと結婚するのが嫌だとか?」
「ああそうだ。だがそれはな、かわいい娘を持った父親なら、だいたいみんな一緒だ。
よくわからん馬の骨みたいな男に娘を取られるなんて絶対に嫌だぞ」
「馬の骨って……、さすがに私だってそんなの選びたくないですよ!」
「じゃあどんな男ならいい?」
「うーん……。まだそんな気にはならないから、わかりません」
「そっか。そっか。
ならまだしばらくは、俺の娘でいてくれるんだな」
「もし結婚したとしたって私はお父さんの娘ですよ!
……ってお父さん、なにニヤニヤしてるんです!?」
父は実家の葡萄酒の売り込みを兼ねて東方の茶葉を求めて東へと向かう途中
母は修道会の用事で山間地に点在する修道院を巡って城下へ帰る途中だった
たまたま同宿となって、こんな感じで二人で一緒に食事しながら酒を飲んで
主に父が色々と抱えていた悩みを吐露しつつ酔い潰れていき、気付けば同衾
その結果として誕生した私が、母そっくりの見た目に育ってきたものだから
父は同じく温泉宿の寝間着姿の私に母を重ねて、複雑な感情が溢れたらしい
あと、父は入浴しながら酒を飲んでいたので変な酔い方をしたかもしれない
というのを、その夜は別室に泊まった傭兵さんたちから翌朝になって聞いた
ひょっとしたら温泉と酒は、人の心を変な風に惑わすのかも、気をつけよう
谷の最奥には熱湯が湧く小さな池があり、ときおり蒸気が熱湯を噴き上げる
風向きによってはその雫が程良い温度で降ってきて、これもまた気持ちいい
蒸気や熱湯の噴出は他に何カ所もあって、調理の熱としても利用されている
熱湯で食材を茹でたりもするし、蒸気を利用した蒸し料理もまたここの名物
野の獣や川の魚、山野草やキノコ、近場で栽培された野菜、どれもおいしい
季節がちょうど良くて、肉や魚は冬を前に脂がのってる時季だしキノコも旬
私たちの荷馬車に積まれてきた当たり年の新酒の葡萄酒も、これに良く合う
温泉水は川となって温泉街を流れ下り、最終的に大河の上流部へと合流する
この合流地点までは魚も住めないとのことで、毒の川とも言えるだろうけど
同じ温泉に人が浸かれば癒されるのだから、大地の不思議というのを感じる
この温泉の谷は上古の伝説にも語られるほど古くから人々に知られていた地
戦国時代には山間地の王が傷病兵や自身の病を癒すため活用した歴史があり
行幸の旅で立ち寄った皇帝も当地を気に入って直轄領にしたと言われている
その後も東に遠征した大公が数日間も滞在したなど、歴史にまつわる逸話が
数多ある一方、実はこの温泉宿のあたりは大震災で甚大な被害を受けていた
あちこちで山肌が崩れ、いくつもの宿屋やお湯の池が埋もれてしまった上に
最奥の池からは膨大な量の熱湯が湧き出して溢れて熱湯の川となったほどで
谷間の入口付近に宿が集まってるのは、被害が比較的小さかった場所だから
大地はこの地に神秘の恵みを与えるけど、ときとして脅威をももたらすのか
そして人々は災害を恐れつつも逞しく、温泉街を再建し入浴を堪能している
私はその後も、この街道を何度となく往復し、あちこち見聞することになる
馬車で数日の街道でも数々の見所があって一度に全部を見ることは到底無理
その点で私は、里帰りや研究の都合で行き来する機会が多かったので幸いだ
そもそも父が、交易の旅の途中に一箇所だけ、どこか立ち寄るのが常だった
先刻の対話より少し後、私と一緒に飲み食いしながら、こんな話もしていた
「それにしてもお父さん、仕事の旅だというのに、すっかり行楽気分ですね」
「部下や傭兵たちに苦労させてるからな、少しくらい楽しんでもらわないと」
「とか言って、お父さん自身が楽しみたいんじゃないの?」
「もちろん。俺が楽しめて、部下たちも楽しくなれないと困る。
みんな旅の仲間なのだから、誰もがどこかで楽しめる機会があってほしい」
「それは一理ありますね。実は仲間の一人がずっと我慢してた、なんて旅になったら、私も嬉しくなさそう」
「だろ? ハナも今後、色々な人たちと旅をすることだろうし、覚えておくといい」
「そうします。
あーそれにしても蒸し料理っておいしい。あと熱くしたお酒も、身体が温まります」
「なあハナ、すっかり酒好きになったようだが、お前は茶と酒どっちが好きなんだ?」
「え? それはもちろんお茶もお酒もどっちもですよ。比べちゃいけないと思います。
あ、あとおいしいお料理とかお菓子も大好き」
「そ、そうか……。まあ予想以上に旅を楽しんでくれてるようで、良かったよ」
「そうですね。私きっと旅も大好きになりそう。お父さんも好きでしょ? 旅」
「まあな」
もちろん私だって、飲んだり食べたりお風呂浴びたりの旅ばかりではなくて
山の上にある神秘の湖や、岩壁を穿つ巨大な滝、奇岩地帯なども見てきたし
深く抉れた崖を流れ下る滝の裏側を街道が通り抜ける裏見の滝は見事だった
道が狭い難所なので後に旧道になってしまったけど景勝地として有名な場所
あと山上の巡礼寺院も訪れ、門前町の飲食店や土産物屋、見世物小屋も見物
この大地や大空の間に繰り広げられた人々の歴史を、そうして垣間見てきた
傀儡の姫・中巻 安辺數奇 @yasupenski
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