第6話
長い長い階段を下りきれば、そこは廃船地区と呼ばれる移民の居住区域だった。
そこは、表通りとは異なり、人影もなく静寂に包まれている。
ふ、と視線を向ければ、幼い兄妹が、物乞いをしている姿が目に入った。
まだ十歳前後の少女と少年が、小さな体で必死に乞食をしていた。
その姿を見て、ローガンは眉根を寄せた。
何故なら、その二人は、身に纏っている衣服すらもボロ切れのように汚れて、満足な食事を取れていないことは明らかだったからだ。
しかし、その姿に目を向ける者は誰もいない。
以前の自分なら、その姿を視界にとらえることすらしなかっただろう。
だが、今は違う。
視線の先に映る二人の子供を見ていると、不思議と心がざわつくのを感じた。
ローガンは、静かに瞳を閉じる。
すると、瞼の裏には、先日出会ったばかりの青年の姿が映し出されていた。
雑に刈られた短い亜麻色の髪と、弱々しいとさえ感じる柔い淡褐色の双眼。
思いのほか整った顔立ちに、均整のとれた体躯。
そして、穏やかに微笑んだ時の温和な印象。
彼のことを思うだけで、心臓が大きく脈打った。
気が付けば、ローガンは足を止め、静かにその兄妹に歩み寄った。
そして、膝を折って視線を合わせると、懐から銀貨を取り出して手渡した。
驚いた顔で見上げてくる兄妹の頭を、慣れない手つきで撫でる。
途端に、彼らの顔がくしゃりと歪んでいく。
まるで泣き出してしまいそうな表情だ。
しかし、彼らは決して泣かなかった。代わりに、何度も礼を口にする。
その様子を見て、ローガンは何故か、酷く心を揺さぶられるのを感じていた。
その時、不意に背後から声をかけられた。
その声は、数日前まで耳にしていたキンキン声だった。
「あら、陰険騎士じゃない。何してるの?」
嫌な予感と共に振り返ると、小綺麗な格好に澄まし顔の子リスが嫌味なくらいニッコリと笑いながら手を振っていた。
「お前、なんでこんなところに…?」
何故、彼女がこのような治安の悪い区域をうろついてるのかが分からず、思わず怪しんだような視線を送ってしまう。
しかし、彼女は意に介することもなく、彼の言葉を無視して続けた。
「私用よ!私用!」
その言葉が何を意味するのかを理解できず、ローガンは顔を歪めた。
そんな彼を見て、アシュレイは溜息交じりに続ける。
「あんたねぇ、再会を祝って食事でもいかがでしょう?レディ。とか言えないの?全く気の利かない男ね!ほら、行くわよ!」
一方的に捲し立てられ、腕を掴まれたかと思うと、そのまま引き摺られるようにして連れて行かれてしまう。
ローガンは、諦めの溜息を吐きだすと、されるがままに連行されることにした。
二人が辿り着いた先は、路地裏を抜けた先にある、とある店だった。
看板には、“金鼠亭”と書かれている。
ローガンは、店内を見渡すと、思わず目を細める。
昼間だというのに、客は数えるほどしかいない。
当然ながら、客層のほとんどが移民だった。
彼等は、この国では珍しい黒髪をしている。
その為か、否応なしに異国人であると認識せざるを得ない。
この国は、人種による差別がないと謳われているが、それはあくまで表面上のことだ。
実際問題として、彼等のような異民族に対しては、あからさまに嫌悪の表情を向けられることも少なくはなかった。
しかし、ローガンが気になったのはそこではない。
余りにもアシュレイの所作が、この区域に馴染みすぎていることだった。
そのことが、ローガンの心を曇らせる。
ローガンは、彼女に問いただそうとしたが、それよりも早く、カウンターの奥から店主らしき人物が現れた。
その人物は、ローガン達の姿を目にすると、人好きのする笑顔を浮かべた。
だが、その笑顔はアシュレイにのみ向けられているようにも思う。
というのも、彼女の鳩羽色の瞳の奥には、どこか冷ややかな光が宿っているように見えたからだ。
まるでローガンを値踏みするように眺めてから、口を開いた。
「まぁ、アシュレイ様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
そう言って案内されたのは、店の一番奥の個室だった。
他の席からは死角になる位置にあり、密談するには最適の場所と言えるだろう。
促されるままに中に入ると、アシュレイは慣れた様子で料理を注文し始めた。
彼女は一通りの注文を終えると、視線をローガンに向け、平坦な声で問いかけた。
「で、お偉い聖騎士様が、こんな吹き溜まりで何してたわけ?」
その口調は相変わらず刺々しくはあったが、先ほどよりは幾分か柔らかいものだった。
ローガンは、少し躊躇いがちに口を開く。
「………この辺りに骨董屋があると聞いてな」
その答えを聞いた瞬間、アシュレイは露骨に眉根を寄せると、大きな溜息を吐き出した。
それから、呆れたような表情で口元を歪ませる。
「ふぅん。それなら、大通りの店で事足りるんじゃない?」
ローガンは、小さく嘆息してから、視線を外す。
「………………」
「まぁ、いいわ。で、なんかほしい物でもあったわけ?あんた自分で買い物とかするタイプに見えないけど」
その言葉に、ローガンは苦虫を噛み潰したかのような表情を見せる。
「………あいつに……」
そこまで口に出してから、ローガンは言葉を詰まらせた。
しかし、続くはずの言葉が出てこない。
すると、それを遮るように、アシュレイが口を挟んだ。
「もしかして、お礼の品を、探しに行く途中だったってこと?」
彼は、視線を泳がせながらも、素直に首を縦にした。
その反応にアシュレイはあからさまに嬉しそうに笑ってみせた。
「なぁんだ!それなら私に聞いてよね!」
ふふん、と鼻を鳴らしながら半ば興奮気味にゲイルのことについて語り出した彼女の言葉に耳を傾ける。
どうも彼は南の砂漠地帯から逃れてきた難民らしい。
まともな教育は受けたことがなく余り言葉も知らないから、とアシュレイに買い出しを頼んでいるのだという。
まくし立てるように話す彼女の言葉がふいに耳に留まった。
「この街にいると息が詰まって仕方ないわ。だから、時々逃げ出してゲイルに会いに行ってるの」
彼女の言葉に違和感を覚えた。
引っかかった点について、率直に聞いてみる。
「ん?兄妹じゃないのか?」
「は?違うわよ。私とゲイルはお友達よ!」
「全く接点が見えん」
「でしょうね。まぁ、簡単に言うと、家出した先で出会ったのがゲイルだったの」
「中々ハードな生き方してるんだな」
「あはは、こう見えてストレス社会で生きてるからね!ゲイルは私にとっての唯一の癒しなの」
ふーん、と味気ない返事を返すローガンであったが、心の中は少し騒ついていた。
彼女はゲイルの事が好きなのだろうか?という疑問と、彼等が兄妹であったらよかったのに、という卑屈な考えが脳内を満たしていた。
「お前は、あいつのことが好きなのか?」
思っていることというのは時として音になってしまうものだ。
彼女は騎士からの思わぬ質問に目を見開いた。
「そうね、ゲイルのことは、大好きよ!とっても優しいし、ゲイルがお兄ちゃんだったらよかったのに」
思っていた回答とは程遠いその言葉に、ホッとしている自分に気付き、ローガンは気まずさを隠す様に口元を手で覆った。
「あー、なぁ。お前は、あいつの料理以外に上手いと思ったものはあるか?」
脈略もなく発せられたローガンの言葉に、アシュレイは怪訝顔を隠そうともしなかった。
「なに、急に。うーん、そうね、甘いものは全般好きだけど、やっぱりゲイルが作ったものが一番好きかな!」
「あいつの作った料理は、他とどう違うんだ?」
「そうねぇ、ゲイルが作ってくれたものって、心がこもってるのよ」
その言葉を聞いて、ローガンは内心穏やかではなかった。
しかし、そんな感情を表に出さないように努めながら、相槌を打つ。
ローガンの僅かな変化を感じ取ると、少女は何やら含みのある笑みを浮かべ、ローガンの目を真っ直ぐに見据えた。
その視線を受けて、ローガンは居心地悪げに視線を逸らす。
「あんたは、ゲイルのこと、どう思うの?」
切れ切れにハッキリと質問される。
思わぬ問いかけに頭の中が散らかり始めた。
自分の思いを表す的確な言葉が見つからず、ローガンは押し黙ることしかできなかった。
思いのほか長い沈黙の後、ローガンが口を開いた。
「どうと言われても、あえて言うなら恩人、だな」
「そんなこと聞いてんじゃないわよ。好きか嫌いか聞いてんのよ!」
コップの中の氷をストローで乱暴にかき混ぜながら、語尾を荒げるアシュレイにローガンは心底困ったような顔をしてみせた。
「あはは、あんたにも表情筋ってあったのね!ま、多分好きになるわよ。あんたの周りにはいないタイプだと思うし。てか、あんたの周りのヤツとか性格悪そー!」
子リスは特大パンケーキで頬袋をパンパンにしながら、笑ってみせた。
膨れた頬が幼さを強調させ、思わず笑みがこぼれた。
なにより、幼さの残る彼女の言葉は、どれもがストレートで、やけにローガンの心を掻き乱した。
彼女は、モゴモゴと大量の小麦粉を嚥下しながら、言葉を続けた。
「あんたさー、笑うとムカつくくらい綺麗よね」
「は?」
「いや、うん、その顔に限ってはゲイルが見惚れる気持ちもわかるわ」
しばらく遠慮していたゲイルという単語にギクリと心臓が跳ねた。
ましてや、恥ずかしくなるような内容に思わず無表情になる。
そんな彼を茶化すように唐突にカッコウ鳥がわめき出した。
次いで小気味良い音楽と共にからくり時計がパレードを始めると、子リスはまるで時計のパーツの一部のように大げさな動きをしてみせた。
「うわ、もうこんな時間!誘っといて悪いけど、もう行くわ!あ、あと、お礼の品は包丁がオススメよ。騎士ならいい鍛冶屋知ってるでしょ?あ、そうだわ。あんたに、これあげる」
ことり、と机の上に置かれたのは、まるで夜のように暗い魔石だった。
「転移石よ。どうせ鍛冶屋に行くならアクセサリーの材料にでも使ったら?」
昔から装飾品の類には抵抗があった。自分には不要だ、と言っても彼女は聞き入れてくれない。
渋々受け取ったそれをポケットに仕舞い込むと、彼女は満足げな笑みを浮かべて立ち上がる。
彼女は先ほどまでのませた態度とは裏腹に年相応らしい笑顔を残すと、跳ねるように店から出ていった。
一人取り残されたローガンは、アシュレイの残していった言葉を思い出し、ぼんやりと考え事をしていた。
“ま、多分好きになるわよ。あんたの周りにはいないタイプだと思うし”
確かに自分の周りには、ああいった自己肯定感の低い人間は少ない。
皆、野心的でプライドが高く、腹の底を見せない者が多い。
だから、彼の様におどおどとした人間を見ていると、苛立ちが沸き上がる。
正確には、苛立っていた。けれど、彼のその臆病な態度が、過去に受けてきたであろう扱いから来ているのだと思うと、苛立ちよりも胸糞悪さが勝っていた。
彼女の真意は不明だが、どうも含みを持たせたアシュレイの言葉がローガンの胸に引っかかり、消化不良を起こしていた。
三十年近くも生きているのだ、交際歴もそれなりの数がある。
だが、その中でも、お互いの想いが均しい関係などなかった。
いつも相手から一方的に思いを告げられ、季節が変わる頃には、その関係も終わりを迎えていた。
恋人と呼べるような甘い関係を築けた者はいなく、ただ体を重ねるだけの爛れた日々を送ってきた。
しかし、いつの頃からか化粧品の独特の香りと甲高い声が苦手になった。
それは数年前に現れた継母の影響が大きいように思う。
彼女が屋敷に住まうようになって以来、女性と関係を持つこともなくなった。
今まで、自分の恋愛対象に疑問を持ったことなどなかったが、過去に存在した女性たちを愛せなかったのは、自分の恋愛対象が男性だったからではないか、と素朴な疑問が沸き上がる。
試しに思い当たる知人男性を次々と思い浮かべてみたが、彼の鼓動を乱すものは誰一人としていなかった。
生憎と、ローガンの周りの男性といえば、粗野で無骨な人間が多いこともあり、脳内で彼らをスライドする度、次第に胃酸が逆流しているような感覚に陥る。
彼らに対して恋愛感情を持つなど、とんでもない、とうんざりしたようにカップに入った苦めの珈琲を流し込んだ。
だが、不意に最近知り合った人物の顔を思い浮かべた瞬間、心臓が歪な音を立てた。
ブラウンカンパーニュ ぺぺ @multi3588
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