私を元気にして
敷知遠江守
夫のお菓子作り
妻が入院した。そこまで重病ではないのだが入院が必要ということで、しばらく家事は俺が行うことになった。
うちには四歳になる娘がいる。これがまた元気いっぱいで、ご飯を食べろと言えばご飯そっちのけで遊び出すし、風呂に入れと言えば一緒に入ってくれないと嫌だと駄々をこねる。仕方なく一緒に入れば、今度は下着一枚で走り回る。やっと寝たかと思えば、怖い夢を見たと言って泣き出す。朝も朝とて起きないし。保育園に行く時間だというに全然着替えてくれない。
正直、この子の面倒を毎日見てると思うだけで妻には頭が下がる。
入院して数日たち、娘と二人で妻の様子を見に行った。
久々に会った母に娘は大はしゃぎ。妻もこの元気が味わえなくて寂しかったのだろう。見舞いに行ったすぐはどうにも元気が無かったが、徐々に笑顔になっていった。
そんな妻に何か食べたいものはあるかとたずねた。
「そうねえ。元気になれるようなスイーツが食べたいかな」
例えばどんなと聞いたのだが、スイーツなら何でも良いよと言う妻。『何でも良い』が本当に何でも良かった事なんてないから聞いているのに。困り顔をする俺を他所に、妻は娘とああだこうだと話をしている。
やれ父さんのカレーは辛いだの、父さんの餃子が焦げていただの、父さんが嫌いな椎茸を夕飯に出しただの。その都度妻はこちらをチラチラ見てくすくす笑っている。
元気になれるスイーツねえ。
妻と娘を横目に、携帯電話を取り出して検索してみる。すると真っ先にとある有名なスイーツがヒットした。いくつかレシピを見てみるのだが、その中の一つが思った以上に簡単そう。ならば、いっちょ試しに作ってみますかね。
病院から帰ると、娘を連れてスーパーに買い物に出かけた。
今日の夕飯はクリームシチューと決めている。だからそこまで悩まない。問題は途中、娘がお菓子を買って欲しいと駄々をこねた時の対処だ。だが今回はとっておきの方法があるのだ。
案の定、娘はお菓子を買ってと駄々をこねた。
「買ってあげても良いけど、その代わり今日作るデザート食べさせてあげないぞ」
娘は口を尖らせて、不本意ながらも承諾という態度を取った。
「父さん、その食べっ子動物は父さんが食べるお菓子なの?」
どうあってもお菓子を食べようとする娘。これをデザートに使うんだよと言うと、ふうんと言って食べっ子動物の箱をツンツンと突く。どうやら納得はしていない様子。そこは出来上がりを楽しみにってなもんですよ。
家に帰り、クリームシチューを煮ながら、ティラミス作りに取り掛かった。
まずはインスタントコーヒーをかなり濃いめに作る。そこに砕いた食べっ子動物を入れて放置しコーヒーを吸わせる。
その間にマスカルポーネチーズをボールに移し、そこに攪拌済みのホイップクリームを絞り出していく。
ヘラでよく混ぜる。とにかく混ぜる。ひたすら混ぜる。……ちょっと味見。
……あれ? 思ったより牛乳の味が薄い。よく見たらこのホイップクリーム、原材料が豆乳って書いてある。
この辺りでお昼寝から起きた娘が、何をしてるのとしつこく絡んで来た。明日母さんのところに持っていくデザートを作ってるんだよと説明したのだが、今食べたいと駄々をこねられた。
ふふふ、父さんだって馬鹿じゃない。そろそろお前の御し方くらい心得てきたのだよ。
昨日食べたいと言っていた食べっ子動物だよと言って、コーヒー漬けの食べっ子動物を少しだけスプーンに取って食べさせた。うえっと言って即座に吐き出す娘。
「ね、今食べても美味しくないでしょ? だから完成するまで待ちなさいって言ったんだよ」
涙目で口を開けて舌を出す娘。さすがに可哀そうなので、冷蔵庫のジュースを少しだけ飲ませてあげると、口をへの字にして睨まれた。
最終的に食べっ子動物をスプーンでさらにぐちゃぐちゃにして、小さなコップに食べっ子とマスカルポーネを交互に重ねていき、最後にココアの粉をふりかけてラップをして冷蔵庫にしまった。明日の妻の反応が楽しみだ。
翌日、小さな発泡スチロールの箱に保冷剤とティラミスを入れて、妻のいる病院へと向かった。
残念ながら外は雨が降っている。
「これ、ティラミスを作ってみたんだけどさ、思ったようにならなかった。お菓子作りって難しいんだな」
途中までは上手くできているように見える。だが、上にかけているココアが完全に溶けてしまっていて、上の部分がぐちゃぐちゃになっているのだ。妻はさすがに趣味が料理なだけあって、すぐに俺のミスに気付いたらしい。ケラケラと笑い出した。
「ココアパウダーって、お湯で溶かしてココア作る時の粉とは違うのよ。ココアパウダーって名前で売ってるの」
そんな事知ってるわけがない。少し拗ね気味の俺を見てクスクス笑いながら妻は不出来なティラミスを一口食べた。
「味は悪くないかな。マスカルポーネの部分はかなり安物って感じ。このコーヒー味の部分はなんだろう?」
作り方を説明していると、横から娘が、凄い苦い食べっ子動物を食べさせられたと言いつけやがった。あははと大笑いする妻。
苦いかどうか食べてごらんと言って妻は娘に食べさせようとしたのだが、どうにも昨日の事がトラウマになっているようで口を真一文字にして頑なに拒絶。
こんなに美味しいのにと言って笑顔で食べる妻。
「本当はさ、帰りにこいつと二人でどこかの公園で食べようと思ってたんだけどさ、雨は降ってるし、こいつはこんなに嫌がるし。まいっちゃうね」
そう言って愚痴ると、妻は優しく微笑んだ。
「ティラミスってね、『元気にして』って意味なんだよ。だからそんな顔しないで、自分で作ったんだから、食べて元気になってよ。私もすぐに退院できるから」
帰り際、妻は娘を呼び寄せ、なにやら内緒話をしていた。
病院を出ると、すっかり雨は止んでいたが、まだまだどんよりとした厚い雲が空を覆っていた。これでは公園に行ってもベンチは濡れたままだろう。
やれやれと思いながら車に乗り込むと、娘が俺の袖をちょんちょんと引いた。
「父さん、母さんが食べてたやつ、わたしも食べる」
このあからさまな嫌々な顔、きっと妻が帰り際に何か言ってたのはこれだろう。
後部座席から発泡スチロールを取り出し、ティラミスを一つスプーンと一緒に娘に渡した。俺の分も取り出し上のラップを外す。
一口食べてみると妻が言っていた『安っぽい』の意味がわかった。恐らくはホイップクリームのせいだろう。スーパーの安物のスイーツの味がする。こうしてみると食べっ子動物が思った以上に固い。だがコーヒー部分はそこまで苦くない。
娘はじっとティラミスを見つめたまま固まっている。無理に食べなくても良いよと言って微笑むと、娘は首をぶんぶんと横に振った。いったい妻はこの子に何を言ったのだろう?
恐る恐るという感じでスプーンを口に運ぶ娘。どうやら思っていた以上に美味しかったらしい。もう一口、もう一口と食べ進んでいった。
だがどうにも食べっ子動物のところは好きになれないらしい。何とかして避けて食べようとしている。
「母さんがね、わたしがこれ食べたら父さんが元気になるって言ってたんだよ。そういう食べ物だからって。父さん、元気出た?」
元気が出たどころか、嬉しくて泣きそうになった。
私を元気にして 敷知遠江守 @Fuchi_Ensyu
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