100年の帰路

内田ヨシキ

100年の帰路

 ちくしょう! せっかく生き残ったのに帰り道が分からない!


 俺は暗く冷たい迷宮を、ひたすら彷徨い歩いていた。


 地図を描きながら進んできたが、それは別れた仲間が持ったままだ。もともと方向感覚の鋭くない俺ひとりでは、現在位置の把握さえままならない。


 仲間たちのことは心配いらない。先程は全滅の危機だったが、俺が囮になっている隙に脱出魔法で迷宮を出てくれたはずだ。


 今生の別れのつもりだったが、なんとか生き残った俺は、単独での脱出を目指している。


 こんな迷宮の最奥でひとりは危険過ぎる。始めはそう焦りもしたが、今となっては命の危険はもうないと分かっている。


 なぜなら、俺の手には宝剣が握られているからだ。


 死にかけていた俺が、迷宮の最奥で見つけたこの宝剣。なんと、握るだけで体中の痛みが消えて活力が溢れてきたのだ。襲い来る魔物を単独で蹴散らせるほどだ。


 しかも腹が減らなくなった。疲れることもないし、眠くもならない。いくらでも歩いていられる。


 本当にすごい宝剣だ。きっと持ち主に聖なる加護をもたらしてくれるのだ。


 売れば大金が得られるに違いない。それも一生遊んで暮らしたって使いきれないくらいの大金だ。


 それだけの金があれば、俺はあいつを幸せにしてやれる……。


 仲間のひとり。女僧侶のセレナ。


 結婚もしていないというのに関係を持ってしまい……子供を産ませてしまった。


 稼ぎが少ないことを引け目に感じて、あまり良くしてやれなかった。お産の費用や、子どもの衣類代さえ払ってやれなかった。恥ずべきことなのに、見て見ぬふりをしてきた。


 だがこの宝剣があれば、もう違う! きちんと結婚式を挙げられる。家だって買える。子どもの面倒だっていくらでも見てやれる。家族3人で幸せに暮らせるんだ。


 だから俺は必ず帰る! 帰らねばならないんだ!


 なのに、出口が見つからない……! なぜだ? こんなにも歩き回っているのに、どうして帰り道が分からないままなんだ?


 いや……諦めるものか。絶対に、セレナに会うんだ。息子に会うんだ。愛していると伝えるんだ……!


 諦めかけるたびに、愛する者の姿を思い浮かべ自らを奮い立たせる。


 それを繰り返して、もうどれくらい経っただろうか?


 迷宮の中は時間の経過が分かりにくい。感覚としては、数日は過ぎただろうか。いやもしかしたら数週間……1か月以上という可能性もある。さすがに1年以上というのはないだろう。


 だが、どうやら迷いながらも地上へは近づいていたらしい。


 なぜなら声が聞こえたからだ。


「……やっと、見つけた」


 人の声。やや高めの可愛らしい声。女冒険者だろう。


 これまで他の冒険者と巡り合うこともなかったのに、こうして出会えたということは、今いる場所が地上に近くて、冒険者の出入りが多いということに違いない。


 さっそく俺は振り返り、声の主の前に駆けていった。


 教えてくれ、出口はどこだ? 俺は帰らなきゃいけないんだ!


 なのに、その女冒険者――奇しくもセレナと同じ女僧侶は、ただ静かにこちらを見つめるだけだった。その視線はやがて俺の宝剣に注がれる。


 おいおい、出口を教える代わりにこの剣を寄越せってんじゃないだろうな? 冗談じゃないぜ、俺はこいつで家族を幸せにするんだ。絶対、持って帰らなきゃならねえんだ。


「……そうですか。ずっと、帰りたくて彷徨っていたのですね」


 分かったんなら、早く出口を教えてくれ。


「あなたは出られません。その剣に呪われてしまっているのです。永遠にこの迷宮で迷い続けるという呪いです」


 馬鹿なこと言うな。これは宝剣だぞ。聖なる力で、俺を助けてくれたんだ。傷も無くなったし、いくらでも歩ける。腹だって減らない!


「傷が無くなったのではありません。あなたの、体が無くなったのです」


 ……? なに言ってんだお前? 体が無かったら、歩けるわけないだろうが。


「正確には肉が無いのです。だから、声も出せていません」


 いや、こうして話ができてるだろう。


「できていません。私は、あなたの思念を読み取って受け答えしているだけです」


 そんなわけがない! ふざけたことを言っていると、その可愛い顔ぶん殴るぞ!


「眼球さえ失っているのに、私の姿が見えているのですね……。きっと、あなたが求めている人の魂に近いものを私が持っているからでしょう」


 近いもの? おい、もしかしてお前、セレナの血縁者か? 姉妹がいるとかは聞いてたが、確かによく見れば似ているような……?


「姉妹ではありませんが、はい。血縁です。セレナ様は、私の高祖母です」


 は? 高祖母?


「あなたがこの迷宮でから100年経っております」


 100年!? そんなこと信じられるか!


「そうでしょうね……。ですから、あなたがその剣を自ら手放すことはないでしょう。だから、高祖父であるあなたにさえも、この魔法を使わねばなりません」


 おい、なにを唱えてる? なんの詠唱だ!?


 女僧侶は答えず、詠唱を続ける。その響きを、俺はよく知っている。セレナがアンデッドモンスターに対してよく使っていた魔法だ。死した肉体から魂を解放する、浄化の魔法。


 やがて放たれた白い光は、確かに俺の体を焼いた。


 嘘だろ……? 効くってことは、俺は本当にアンデッドになっちまってたのか?


 じゃあ100年経ったってのも、本当……?


 それならセレナは……もう、とっくに、いない……?


 そんな……。そんなバカな……ッ!


 じゃあ俺は、いったい、どこへ……?


 どこへ帰ればいいんだよぉおお――!?


 …………。


 ……。



   ◇



「ただいま帰りました」


 女僧侶は迷宮から帰還して、自宅で待っていた女性のもとへ赴いた。


 その女性は、ひどく高齢でベッドに寝たきりになっていたが、女僧侶を微笑んで迎えてくれた。


「……旦那様をお連れしましたよ」


 女性は息を呑み、ベッドから上半身を起こした。そんな力は、もう残されていないはずだったのに。


「ランディの、ことなの……?」


「はい、セレナ様……。100年間ずっと……あなたの元へ帰ろうと彷徨っていたのです」


 女僧侶は、拾い集めた遺骨の入った袋を、セレナ婆の膝下にそっと置いた。


 セレナ婆は、その中から頭蓋骨を拾い上げて、愛おしそうに抱きしめる。


「ああ……やっと……やっと帰ってきてくれた……。こんなおばあちゃんになるまで、ずっと、待っていたのですよ……」


 消え去りそうな泣き声で、そっと告げる。


「――おかえりなさい……。これで、あたしも……やっと逝ける……」


 そして安堵の吐息が、セレナ婆の体から抜けていった。その魂が、天へ還るように。


 享年121歳。


 愛する男の帰りを待ち続けたその女性は、愛する女のもとへ帰ろうとし続けた男性と、1世紀ぶりに共に眠るのだった――。

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