テスト前日、部室にて。

高月麻澄

テスト前日、部室にて。

「陽奈ぁ、暇だよぉ、寂しくてかわいそうな先輩に構ってよぅ」

「……テスト勉強中です。邪魔しないでください、葵先輩」


 放課後の文芸部の部室で私がテスト勉強をしていると、座っている私の背後から甘えて絡みつくように、首に腕を回して葵先輩が抱き着いてきた。

 それをひっぺがすと、ちぇー、と口に出しながら、葵先輩は渋々と定位置である窓際の席へと戻っていく。

 それを見届けて、私は机に広げた問題集へと向き直る。えーっと……『x、yは実数である。ア~エのうつ、空欄にあてはまるものを――』


「もう明日からテストなんだし、今さら焦って勉強しても無駄だと思うんだよね、ボクは」

「――先輩は余裕かもしれませんけど、私はヤバいんです」

「激ヤバ?」

「激ヤバです」


 私が再び手を止めて葵先輩を見ると、不貞腐れたように机に腕を枕にして突っ伏して、葵先輩は顔だけをこちらに向けていた。

 不満げな表情からその思考が読み取れる。暇だと。暇なら勉強してください。あなたも明日からテストです。


「それは普段から勉強してないのが悪いんじゃないかなぁ」

「その『普段』を邪魔してるのが葵先輩だっていう自覚あります?」


 半目で睨むと、自覚はあるのか葵先輩は顔を腕で隠すように俯いてしまった。長くて綺麗な黒髪が机の上に広がっている光景は軽くホラーだ。制服のブレザーもスカートもソックスも黒に近い紺色なので、まるで黒一色の生物のよう。突っ伏してるせいで白いブラウスは見えないし。

 顔を隠せば逃げられると思っている子供のようなそんな姿を見て、はぁ、と私はため息を漏らした。こんな人が二年生の成績トップだなんて、今でも信じられない。


 一学年上の先輩である葵先輩は、成績優秀(一年生のテストは常に学年一位だったらしい)、運動神経抜群(中学の時にバドミントンで全国大会に出ているらしい)、芸術センスあり(絵のコンクールで入賞したらしい)、と文武両道を地で行くような人だった。

 さらに見た目も麗しく、背中まである流れるような黒髪に、まるでお人形かのように整った顔立ち。鼻筋は通っているし、目もパッチリしているし、スタイルも抜群、と正統派美人という言葉がしっくりくるほどの美人。

 それだけ揃えばさすがにモテる――と思いきや。

 

 見た目も中身も優れているからなのか。

 羨望や尊敬の目こそ向けられるものの、葵先輩は他人から一線を惹かれていた。私が知る限り、葵先輩はいつも一人だった。私と一緒にいる時以外は。

 その言動や思考がやや常人離れしているせいでもあるかもしれない。おかげで秀才だとか美人だとか以上に、校内では変わり者として有名な存在だった。

 そのせいで、近づこうとするのは葵先輩のことを何も知らない人くらいだ。


 新入生な上に、そういう人の噂や評判に無頓着だった私が近づいてしまった結果、葵先輩にどうしてか気に入られてしまい、放課後はこうして部室で一緒に過ごすようになった。

 それだけじゃなく、夜も一緒にネットでゲームしたり通話したり、休日は一緒に遊びに行ったりお互いの部屋でまったりしたり。


 葵先輩と出会ってからというもの『普段』――私が一人でいる時間はほとんどなくなった。そして、一人になれる時間があっても、ついつい葵先輩のことを考えてしまうようになってしまっていた。

 おかげで、家でも学校でもろくに勉強に身が入らず、明日から始まる高校に入って初めてのテストに戦々恐々としている。

 テストの時はいつも『いい点数取らないと』というプレッシャーで圧し潰されそうで怖かったけど、今回は今まで以上にテストが怖かった。こんなにも勉強をせずに受けるテストは初めてだったから。


 でも。たとえ勉強を邪魔されていても。

 これまで勉強ばかりしていた私にとって、葵先輩と過ごすのは楽しかった。たまに突拍子もないことを言い出すけど。高校受験に失敗して学歴主義の親から見捨てられた私が今、前を向いていられるのは、確実に葵先輩のおかげだ。

 葵先輩と一緒に過ごす日々は濃密で、そのせいか、高校に入ってまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないのに、もっと以前から付き合いがあったような気さえしてしまう。


 ――結局、葵先輩のことを考えてしまってテスト勉強の手を止めてしまった私が、机に突っ伏すその黒一色な姿を眺めていると、葵先輩はむくり、と身体を起こしてこっちを見た。私と目が合う。

 葵先輩はその綺麗で大きな瞳で私をじーっと見つめて、


「――でも陽奈だって、そんなこと言ってても、なんだかんだでボクに付き合ってくれるよね」

「……まぁ、葵先輩といると楽しいですから」

「うへへへへ、ありがとぉ」


 すごい。美人が顔を崩してデレデレした顔をしてる。めちゃくちゃ嬉しそう。

 何でもできる葵先輩とは違う、何もなく普通な私の言葉でここまで喜んでくれるのは、私としても嬉しくて、釣られて笑顔になる。


 破顔したまま、葵先輩は飛びあがるように立ち上がって足取り軽やかにこちらへ近づいてきた。

 その勢いのまま、また背後から腕を回されてぎゅーっとされる。

 葵先輩の体温と柑橘系の爽やかな匂いに包まれる。


「ボクも、陽奈といると楽しいよ」


 耳元で囁かれた、嬉しいはずのその言葉が私の胸にチクリ、と刺さる。 

 葵先輩の言う『楽しい』というのはきっと、友情的な意味だ。このハグだって、友達にするようなただのスキンシップ。

 私がハグされる度にドキドキしているなんて、葵先輩は思いもしていないに違いない。


 私は葵先輩のことが好きだ。恋愛感情としての『好き』。

 葵先輩のことを考えるとドキドキするし、先輩と会えると思ったらテスト前日なのにこうして部室にも来てしまう。夜も夜で、葵先輩のことを考えてしまって悶々としちゃったりして。

 この感情があふれてしまって知られるのが怖くて、ついつい邪険にしちゃったりもするけれど、私は葵先輩が大好きだ。


 葵先輩は私のことをどう思っているんだろう。

 嫌われてないとは思う。こうして度々抱き着いてくるし。

 でも――いや、やめよう。

 私は葵先輩とこうしていられるだけで幸せだから。


 私の胸の前で組まれている先輩の腕に手を添える。

 今度はひっぺがすようなことはしなかった。


* * * * *


「――あの、陽奈……これ」


 結局、テスト勉強はできなかった。

 夕焼け色に染まった部室。帰り際に葵先輩はそう言うと、通学鞄から一冊のノートを取り出して私に差し出した。

 表紙には『中間テスト対策ノート 陽奈用』とセンス抜群に装飾された綺麗な字で書いてある。


「過去問とか、あと陽奈のクラスの教科担当の先生の傾向から、中間テストで出そうなとこ見繕っておいたんだけど……」

「え?」


 受け取ってパラパラとめくって中を軽く確認すると、葵先輩の綺麗な字で、各教科の要点や例題がまとめられていた。

 ノートから顔を上げると、葵先輩はバツが悪そうにそっぽを向いていた。髪を指にくるくると巻き付けてもいる。


「……わざわざ作ってくれたんですか? 葵先輩だって自分の勉強があるのに……」

「いや~……ごめん、さすがにちょっと邪魔しすぎたかなって。だから、そのお詫び……ってわけでもないんだけど……今まで散々邪魔しておいて何言ってんだって思うかもだけど、罪悪感を覚えたというか……」


 葵先輩はそっぽを向いたまま、ボソボソとそう告げる。いつもの葵先輩とは違う、はっきりしない、しおらしくもじもじする姿。

 そんな姿を見て、私の中にこみあげてくるものがあった。


「本当はもっと早く渡せればよかったんだけど……ちょっと、その、手間取っちゃって……ここまでして気持ち悪がれたりしないかな、とか考えちゃったり――あ、いや、ごめんなんでもない! と、とにかく! たぶんそこまで予想も外れてないと思うから、よかったら使って――って、え、あ、ちょ、どうしたの陽奈!?」

 

 目に浮かんだ涙で滲む視界の中で、葵先輩がこれまでに見たことないくらい慌てて私の顔を覗き込んでくるのが見えた。


 ――あぁ、もうだめ。

 

 もう我慢できなかった。

 私は葵先輩に抱き着く。

「ちょっと、陽奈!?」と葵先輩が慌てるけど、構わずに抱きしめる。


 涙がこぼれて、想いもあふれた。


「好きです……葵先輩、大好き……」

「――え」


 口に出してしまった瞬間、言ってしまった、という後悔が私を襲う。

 言うつもりのなかった言葉。言ってしまえば、どうなろうとも関係が変わってしまう言葉。

 でも葵先輩が私のためにノートを作ってくれるなんて、そんなの反則だ。こんなに嬉しいことをされてしまっては、あふれ出す感情を抑えられなかった。


 私の告白を聞いた葵先輩は、何も言わず動かず、私に抱きしめられたまま固まっていた。

 だらり、と下げられた腕が私の背中に回されることはなかった。


 それで私は答えを察した。

 もとより、私たちは同性だ。叶うはずのない恋。

 振られるのが怖くて、葵先輩の口からその答えを聞きたくなくて、私は突き飛ばすように身体を離すと、鞄を引っ掴んで部室から飛び出した。

 

「陽奈!」と背後から私を呼ぶ声が聞こえたけれど、振り向くことも、足を止めることもなかった。

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テスト前日、部室にて。 高月麻澄 @takatsuki-masumi

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