鈴鳴る方へ、手を引いた。

鳥路

本文

江戸時代。

とある田舎の、山近くに存在した柳永村には、神と語らえる力を持った男が住んでいた。


さとし、智」


縁側に腰掛け、俺を呼びかけるのは、稲穂のような黄金の髪を持つ存在。

花籠雪霞はなかごせっか

彼こそが、この柳永に住まう神と語らう力を持つ「神語り」の男。


「いかがなされましたか、雪霞様」

「ああ、智。来てくれたか」


ぼんやりと開かれた青い目に、光は宿っていない。

でも今日は昨日に引き続き、自力で縁側に出られている。体調がいいらしい。

彼は俺を呼びつけた後、俺がいると思っている方に手を伸ばす。


「雪霞様。俺はこっちです。逆、逆」

「そっちにいるのか。すまないな」

「分かっていますから、お気になさらず」


彼は生来、目が見えない。

こうして起き上がれる日も少ない彼の生活は、俺たち「従者」が常に側に寄り添い、支える必要がある。


「出かけたいんだ。手を引いてくれ」

「いいですよ。どこへ行きたいんです?」

「昨日行った場所。位置はわからない」

「…わからないところに連れてはいけませんよ」

「私には、何も見えないからなぁ…そこがどこなのかは分からない。ただ、昨日行った場所はとても心地よかったんだ」

「…すずに聞けばわかりますかね。どこに行ったんだろう」

「鈴は今日、いわいと共に、山へ山菜を採りに行っていると聞いている」

「誰に?」

巳芳みよしに」

「おふ、母ですか…」


普段の口調を出すと、怒られる。

無自覚に出そうになった


「無理しなくていいぞ、智。私とお前は同い年ではないか。鈴や祝と語らう時のように、砕けた口調で話して…」

「それはできません」

「どうして」

「貴方に粗相を働くと、母に仕置きをされますので」


これは事実。同年代の友達と同じように彼と関わると、周囲から怒られてしまう。

小言を言われるのは慣れた。

でも、殴られるのには流石になれない。

顔に見える部分に怪我があれば、祝と鈴が騒ぐだろうということで、最近の仕置きは胴体か太ももに行われる。

思い出しただけで、昨日ぶたれた腹が痛んだ。


昨日、俺の腹を殴ったのは、花籠家に幼少期から仕えているお袋だ。


幼少期に花籠家に拾われたお袋は…彼の母親の従者として仕えていた。

自分の家より花籠家。俺たち子供よりも、花籠の嫡男の心配をするお袋。

別に嫌いではない。産まれた時から「そういう存在」であることしか知らないから、それがお袋だと受け入れている。

殴られる理由もわかる。花籠雪霞は柳永村に取って特別。存続問題に関わるほど重要な存在なのだ。粗相を働くなと言われる理由は…わかってしまう。

彼の性格上そんなことはないとわかっているのだが…彼の機嫌一つで、村が崩壊する可能性だって秘めているのだから。


…ただ、一つだけ。

一つだけ受け入れられないことがある。

日陰に置かれた外出用の杖と荷物を手に取って、彼の元へ戻る。


「それでは「雪霞様」。お手を」

「…ああ」


小さな声で返事をし、俺の方へ手を伸ばす。

相変わらず、見当違いのところに手を伸ばす彼の手を強引に取り、引いていく。


「智、少し痛い…。それに早い…足が、もつれ…」

「…」

「…智?」


家の影から遠ざかるように。

お袋が作り出した影から、逃げるように歩き出した。


◇◇◇


俺たちが住んでいる柳永村は、小規模の村。

住民全員が知り合いのようなこの村で、花籠雪霞という存在は特別なのだ。


「あら、雪霞様だわ」

「今日は神語りのご予定が?」

「いいや、ただの散歩だよ」

「そうですか」

「無理はなされないように!」

「ああ、ありがとう」


住民達は彼を見つけた瞬間、必ず声をかける。

彼は何も知らないまま手を振るが、住民達の目線は俺へと注がれていた。

「彼に何かあれば、どうなるか理解しているな」

「粗相はしてくれるな」

「彼が柳永を見放せば、神も見放す」

「お前の一挙一動が、村の未来を左右することを忘れるな」

そう、視線だけで訴えてくるのだ。


「智、皆は笑っているか?」

「ええ。笑っていますよ。貴方に会えて嬉しいのでしょう」

「そうか。それはよかった」


嘘偽りの中で微笑む花籠雪霞は、神語り。

神と語らえる彼は、一ヶ月の天気を神から教えて貰える。

天災があれば事前に知らされるし、収穫率の良し悪しどころか、少ない場合の対策まで教えて貰える…神様のお気に入り。

そんな彼は神と語らうことで、住民達に「穏やかな暮らし」を提供していた。

全盲で虚弱。労働ができない彼が、村人から疎まれないのは…彼こそが柳永村の繁栄をもたらす存在であるから。

けれど、そういう存在なだけで…彼は普通の少年なのだ。

俺と変わらない。身体が弱くて、神と語らう力がある…目が見えないだけの子供。

…周囲はそれを、理解していない。


「…智?」

「進みましょう。目的地へ」

「あ、ああ…」


力が籠もった手で、彼の手を引きながら…遠く、遠く歩いて行く。

目的地は分からない。そろそろ情報を探ってみるか。


「そういえば、雪霞様。鈴はその場所へ連れて行って貰った際、何を感じました?鈴は何か話していました?」

「ん〜。そうだなぁ。日の光を遮るものがないらしい。だが、日光はぽかぽかとして心地よかった」

「風を遮るものも、なかったのですか?」

「無いらしい。鈴が「むむっ…雪霞様のお体を冷やしてしまう…。むぅ…」と言っていたからな」

「あいつはまたむーむー鳴いているんですか…」

「可愛いではないか」


俺の同期である従者の二階堂鈴にかいどうすず

浮浪児をしていたあいつは数年前に彼に拾われ、名前を与えられ、面倒を見て貰い…今では立派な従者をやっている。

自ら従者に志願し、厳しい教育を耐え抜き、拾われた恩を返すよう献身的に働く幼子。

俺とは、真逆の子供。


彼はそんな鈴をいたく気に入っている。

自分が私用で外出する際、必ず手を引いて貰うように頼むのは…俺ではない。

普段の彼は自分が鈴に贈り、彼女の名の由来になった鈴の音を辿るように歩くのだから。


「とにかく、風を遮るものはなかった。匂いは普通だったな。土の香りが強かったり、周囲に花や匂いの強い木があるわけではないようだ」

「なるほど」


大体の見当はついた。けれど決定打がない。

あの場所であればいいけれど…そこでなければどうしよう。

彼の落胆を買うだろう。ただ疲れて帰るだけの散歩にしてしまう。

鈴以外で「昨日行った場所」の見当がつく人間がいたらいいのだが。


「あああああああ…きょうもせっかしゃまうるわしい…」


…いたな。都合よく。なんなら気づくのが遅れただけで最初から最後までいたのだろう。

あいつはよく、彼をつけているから。


「雪霞様、所要ができました。しばらくここで座ってお待ちください」

「うん?わかった」


適当な場所に彼を座らせて、俺は木の陰に隠れるアホの元へ駆ける。


「よお俊至。何してんだ」

「なにって、日課に決まっているじゃないか!」

「あいつの後を追いかけるのが日課とか相変わらず気色悪いなお前」


木陰に隠れて俺たちの後をつけていたのは卯月俊至うづきとしゆき

力は弱いが、神語りらしい。

そんな境遇だからか、俊至は自分より強い力を持ち、村の為に神語りを行う彼に憧れ…否、神のように崇拝している。


しかし俊至自ら、彼へ声をかけることはない。

自分と彼は異なる次元の人間だと思っているのか、俊至は彼を背後からつけるだけで、会話を交わしたことは一度たりともない。

言動がなかなかに気色悪いので関わり合いになりたくないというのが本音なのだが…たまにはその日課を有効活用させて貰おう。


「あはは。決して雪霞様に悟られないように、気配を消しながら歩いているから気にしないでおくれ」

「俺が気にするわ…。いつもはどうしてんだ」

「鈴は鈍感だから僕の存在に気がつかない」

「それは…」

「彼女、従者兼護衛としてどうなの?」

「後日、稽古をつけておく。それで俊至、一つ聞きたいことがあってな」

「昨日鈴が行った場所だろう?あの丘だよ。村全体が見渡せるあの丘」

「…やっぱりか」


毎日毎日つけ回しているから、昨日行った場所も知っていると思ったが…案の定知っていた。

しかし、やっぱりあそこか…。


「君が鈴に教えた場所だろう?」

「どうしてそれを」

「従者になる前から、君があそこで遊んでいたのは知っていたからねぇ。それから、一つ助言をしておこう」

「なんだよ」

「あそこで仕事の愚痴を叫ぶのはやめておくといい。僕の家までうっすらと聞こえている。君の家と、花籠家には聞こえてないだろうけどさ」

「げぇ…」

「ほら、僕と無駄話をしている暇はないよ。雪霞様を待たせてはいけない」

「へいへい。助言ありがとうな。今日は帰れ」

「そうするよ。じゃあね、智。せっかく二人きりなんだ。昔のようにしていても、誰も咎めないさ」

「…お前はどこまでわかっているんだ」

「ずっと見ていたから、全部知っているさ〜!」


飄々とした態度を崩さないまま、俊至は家路を辿る。

これで邪魔者はいない。

主人の元に戻ろうとすると、冷たい空気を感じた。

季節は秋。冬に近い今、冷たい風が吹くこともあるだろう。

けれどこれは季節ながらの冷たさではない。


…今際と混ざっている瞬間特有の冷たさ。

それを生み出す彼は、空を見上げている。

俺たち普通の人間には虚空を見つめているだけだと思うが、いつもとは違って確信を持って宙を眺めていた。

彼は今、神語りをしている。

神と彼の語らいを邪魔してはいけない。

俊至が先程まで隠れていた場所に身を潜め、神語りが終わるのを待った。

この場所は意外と会話が聞こえる。彼のか細い声も拾えてしまうらしい。

当然と言えば当然なのだが…俺には彼の声しか聞こえない。

けれど片方の会話だけで、ある程度話していることは分かる。

彼は今、神と何を話しているのだろうか。


「…おや、そうか」

『ごきげんよう、雪霞。今日は過ごしやすい気候だな』

「ああ。秋晴れとはこういうのを言うのだろうな。とても過ごしやすく、体調もいいよ」

『それはよかった。君が元気だと、俊至が喜ぶ』


「…俊至は、また私の背後にいるのか?」

『お恥ずかしながら…。すまないな、俺が監督しておきながら…』

「桑のせいではないよ。ただ、なんだ。私は、畏れ多い存在に見えるのだろうか」

『俺たち神からしたら、そんなことはない。君はただの童。しかし、神と語らう君は…周囲からみると普通ではない』

「…そう、なのだろうか」


『しかし俊至以外にも君と「普通」に関わりたい存在はいる。君の側にいる存在とか…むぅむぅ鳴いている童とかは主だと俺は考えているよ』

「むぅ…鈴のことか。鈴はうん、慕ってくれているのはわかる。でも、智は…私の事を「様」をつけて呼ぶようになった」

『それは…』

「昔のように、呼び捨てにはしてくれない。普通にしたら、怒られてしまうから…。距離を、取られたのだと思う。こんなことなら、私は…」

『雪霞…』


上擦った声を出した彼を慰めるように、粒子が舞う。

違う、違うんだ。雪霞…。

俺は、お前と距離を取りたいわけでは


『…雪霞にとって、巳芳智という男は、どういう存在なのだろうか』

「従者になる。けれど、私は…友達だと思っていたい」

『それなら、そう言えばいい。気持ちを言葉にするのは大事なこと。言葉にしなければ、誰にも伝えられないし、伝わらないのだから』

「迷惑ではないだろうか。なんせ智は…親から無理矢理私の従者にされた。遊びたい盛りだっただろうに、私の存在が彼から自由を奪ってしまったのだから」


逆光のせいか、更に神々しさを増していた気がした。

そんな彼の元へ向かうのは簡単だ。足を動かすだけでいい。

けれど、気まずさで躊躇してしまう。

それでも…。


「雪霞様」

「…どうしたんだ、智」

「目的地がわかりましたのでご案内します。お手を」

「…お前は」

「はい」

「俊至とは、普通に話せるんだな」

「ええ。まあ」

「そうか」


彼は物寂しそうに、俺を見てくる。

その目には何も映らないことは、分かってはいるのだが…。

彼の視線が修正する前から正しかったのは…これが初めてだった。


◇◇◇


目的地は、柳永村全体を見渡せる丘。

少しだけ歩くことになるが、彼は昨日も行ったことを話していた。

適度に休憩をいれながら、丘を登っていく。

一人だと、さっさと登って行くのだが…ゆっくり行くのも案外悪くない。


「つきましたよ、雪霞様」

「ここなのか?」

「ええ。鈴が昨日連れてきた場所です。村全体を見渡せる丘の上ですよ」

「そんな場所があるのだな。道理で、沢山歩いた訳だ」


芝生の上に敷物を敷いて、彼を支えつつ座らせた。

自分の居場所を把握するように、彼は地面に手を這わせていく。


「草の匂いが強いな。ここは森の近くなのだろうか」

「いえ、芝生の上です。森は…正面に見えますね。この丘とは反対側です」

「では、今後も鈴と二人で遊びに来ても安心だな」

「鈴は遊んでいる内に遠くに行ってしまう年頃です。役目を放置して遊びにかまける可能性が非常に高いので、今後は俺か祝を必ずつけてください」

「私が屋敷にいない時間を…貴重な自由時間を奪っていいのか」

「俺たちは従者です。貴方が望む事を第一とします」

「そうか…。変わったな、智」

「ええ。変わりますよ。いつまでも仕事が嫌だ。遊ぶ時間が欲しいと駄々をこねている餓鬼のままではいられません」


俺たちは互いに十七歳。成人を迎えている年代。

子供だから逆らっていた時期もある。けれど分別のつく大人になった今…俺は最低限の体裁だけは繕うべきだと考える。


けれど、今、その分別をつけていたら…きっと俺たちは「元に戻れない」


何も分からなかった子供時代は通り過ぎた。

自分がどういう立場に置かれ、どういう動きをしなければならないのか理解を示さなければいけない大人になった。

でも、俺はまだ大人になりきれていない。

腹にじんわりと、引き留める痛みを振り切るように言葉を紡ぐ。

これからもこのままでいらされるぐらいなら、俺は大人になんかならなくていい。


「…と、言うのが体裁だ」

「…智?」

「お袋に無理矢理連れてこられ、今日から主になる人間だとお前を紹介されたのは七歳の頃だったな」

「…ああ、そうだった」

「あの時は確かに嫌だったよ。遊ぶ時間がなくなって、自由の時間が無くなって。来る日も来る日もお前の世話か、屋敷の仕事。それに加えて従者としての作法に護身術を仕込まれて暇が無い生活。正直、うんざりしたし…逃げたかったさ」

「…すまない」

「けど、それは当時の話だ」

「…今は、どう思って」


唐突に本音をぶつけられ、彼は表情を崩していた。

神語りを行う者。常に上に立つ者らしい振る舞いを求められていた彼は、常に毅然とした態度を心がけていた。

家の中でも崩さないそれは、神の他にも…俺に崩すことができたらしい。

混乱と不安を隠せていない声を紡ぎ、静かに問う。

俺が答える言葉は、もう決まっている。


「普通だよ。普通。俺は今の生活に満足しているし…お前から切り捨てられない限り、一生連れ添う心持ちでいる」

「そう、か」

「でも、たった一つだけ、満足していないことがあってなぁ」

「満足していないじゃないか」

「まあまあ…。ま、流石に言わなくても分かれ」

「言葉にしないと分からないことは少なからずあるのだぞ」

「じゃあ言葉にする。今の俺が答えだ」

「…今の君が?それは、どういう」

「お前に敬語を使わないといけない生活が不満だよ、雪霞」


雪霞は「二つじゃないか」と呟いた後、上品な笑みを浮かべた。

育ちの良さがにじみ出るそれに浮かんだ笑みだけは、子供らしかった。


「じゃあ、その不満を解消させないと。主人として役目を全うしよう」

「まあ、流石に神語りのお役目に同行する時とかはちゃんとするから…」

「わかっている。昔から、お前はちゃんとしていることを私は知っているのだから」

「左様で」

「…これで、私達は「普通の友達」に戻れたのだろうか」

「戻れてない。例え友達でも、主従であることには変わりないからな」

「そうかぁ…」

「でもまあ、今までよりはよそよそしくしなくて済むだろうさ」

「それなら、安心しようか…」


ほっと一息ついて一段落。しかしまだ雪霞は何かを考えていた。

まだ、何かあるのだろうか。


「そういえば、智」

「なんだ」

「無理矢理従者にされたという話は否定をしなかったが…やはり巳芳から何か圧を?」

「あ〜。いや、従者になったのは、ここだけの話、お袋とか関係なくて…」

「関係が無い?じゃあ、どうして花籠家の従者になろうと…母親への憧れではないだろう?」

「あんなのに憧れてたまるかってんだよ…。理由は祝だ」

「祝…。前々から仲がいいとは思っていたし、二人とも、他の人と会話する時より二人で会話している時の声が弾んでいると感じているが…」

「ま、まあ…祝といる時は楽しいからな。俺が従者になったのも、庭掃除中の祝がきっかけだし…」

「そういえば、祝は智より前に私の世話係として花籠に仕えていたな。自分より下の幼子が働いている姿に感銘を受けたのだろうか」

「あ、ああ…そんなところだ」


…そういうことにしておこう。

実際は、庭掃除中の祝に一目惚れをして、彼女と接点を持ちたかったから従者になっただけ。

今の嬉しそうな雪霞に、齢七歳にして下心で従者を志したなんて言えるわけがない。

これは墓場に持って行こう。

そう決意し、息を呑むと…雪霞は顔を辿ってきた道の方へ向ける。

俺と祝には見せたことがない、心から喜んでいると分かる笑みを浮かべた彼は、俺の手を引いてきた。


「智。鈴の音が聞こえる」

「流石に気のせいだろう」


広大な丘の上。喧噪から離れたこの場所で聞こえるのは互いの声と、風音のみ。

それ以外の音は全く聞こえないのに、彼は聞こえると訴えてくる。

純粋に耳がいいのか、雪霞にとってその鈴の音が特別なのかは…まだ、定かではない。


「でもまあ、雪霞が言うのなら、そうなんだろうな」

「行こう、智。鈴を迎えに!」

「へいへい」


座らせた時と同じように、手助けしながら立ち上がらせ…歩いて行く。

鈴鳴る方へ、手を引いた。

そこで待つのは、俺たちにとっての幸福。


「むっ!雪霞様!」

「鈴。急に走り出したら危ないよ」

「やあ、鈴。祝。お仕事ご苦労様」

「むぅ!むぅ!」


嬉しそうに主人へ抱きつく鈴と、それを嬉しそうに受け止める雪霞。

繋がれた手は離されない。雪霞に離す気が無いからだ。

だからこの時間も、一番近いところで見守る必要がある。

その背後で二人の姿を眺めていた祝と二人、視線を交わし…その微笑ましい光景を静かに見守った。


「むぅむぅ…」

「おや、鈴。眠いのかい?」

「今日の山菜採り、沢山頑張りました。褒めてください」

「そうかそうか。鈴はいい子だな。祝も今日はご苦労様…凄く泥臭いな。転んだか?」

「うっ…なぜ」

「匂いで分かる。今日は先にお風呂へ入るといい。私が口添えをしておこう」

「そんな、主人より先に湯を頂くのは…」

「ではこうしよう。今日の私は非常に体調がいい。久々に熱い湯を浴びたいのだが、久々すぎて適温を忘れてしまった。先に入って適温に整えてくれ」

「…それならば、仕方ありませんね。丑光祝うしみついわい、拝命いたします」

「頼んだぞ」


適当な命令を与えた後、ぼけぼけし始めた鈴の背を押しながら前に進む。

手を引く役目は、いつもの担当ができそうにないので…引き続き俺が担当した。


「ところで、智。いいことを思いついたのだが」

「なんだ?」

「屋敷に住み込みで働く気はないか?」

「え、いいけど。なんで?」

「ん〜。周囲の薦めで頼んだとはいえ、前々から夜中の世話を祝に任せるのは年頃として申し訳なくてなぁ…。智なら安心だなぁと。お前がその気なら、巳芳家には私が話をしよう」

「助かる」


俺としては、家に帰らずに済む方が楽。

お袋の小言を聞くことはなくなるし、家族に使う時間が減るから自由が増える。

願ったり叶ったりの環境だ。

雪霞から話をしてくれるのなら、すんなり許可されるだろう。

この村で、村の未来を左右できる神語りの雪霞に逆らえる人間はいないのだから。

最もそれは「神語りの花籠雪霞」だけに当てはまる話だが。


「四六時中一緒にいるのだから、堅苦しい言葉はもう使うな。そこも私から巳芳に説明するよ。普通の友人を持ち、普通を知る事は…私の見識を広げることに繋がるだとか言っておけばいいからな」

「…職権乱用だろ」

「嫌だな。神語りとしての権利を有効活用しているだけだ。使えるものならば、使っておいた方がいいだろう」

「…前々から聞きたかったんだけど、お前、自分の力好きなの?」

「嫌いだな」


あっさりとした解答に、俺だけじゃなく耳を傾けていた祝まで驚いていた。

そりゃあそうだろう。神と語らう時間は常に楽しそうで、神もそんな雪霞を気に入り…想定以上の情報を雪霞に与えてしまうほど強い神語りだというのに。

彼はその力をいらないものだと言いきってしまった。


「この力があるせいで、周囲は私に普通を与えてくれないからな。友達まで奪いかけた」

「ああ、そういう…」

「雪霞様。神様達のことは、どうお考えですか?」

「好きだよ。私とって、智が祝、鈴がそうであるように…語らう神々もまた大事な友人だ」


その言葉に喜んでいるのか、陽光が微かに揺れる。

人では無い者が干渉した冷たくもどこか温かい空気の中で、雪霞は瞳を閉じる。


「大切なものを手放さない為に、私は私にできることをしようと思うんだ」

「いいと思うぞ」

「それはよかった」

「しかし、なぜ急に?」

「さあ。答えはお前にあるよ。智」

「俺?」

「私にとって、智も祝も鈴も、かけがえのない存在だから」


だから、嫌いなものに手をつけてでも…私は主として、神語りとして…そして三人の友人としての責務を果たそう。

堅苦しい友人の誓いを、俺と祝は聞き入れて…俺は手を引いたまま。祝は雪霞の背を押し…四人で一緒に歩いて行く。

家路は近く。けれど歩幅は小さく。

「もう少しだけ」と願うように。

いつか取り戻せなくなる時間を、四人で過ごしていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鈴鳴る方へ、手を引いた。 鳥路 @samemc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画