風盡の精霊術師

@pwdgn

第1話

 引きこもりの息子を家から出して欲しい。


 電話越しに自分達でやれよとそんな突っ込みを入れたくなるような依頼を請け、男はとある家を訪れていた。


「ここか」


 顔立ちからして大学生のように見える。格好は黒のジャケットに黒のスラックス、黒の革靴と黒の三拍子。


 黒を基調としているのは明白だろう。


 お洒落には気を遣わずとも、最低限の礼節をもった身なりをしていた。


 そんな彼の前にあるのは住宅街なら何処にでも見かける一軒家。大した特徴もなく、区別などつけられないだろう。


 普通の人間であれば。


(居る……この感じ、引きこもりの莫迦がいる部屋の中だな)


 そう吐き捨てる男には視えていた。


 彼のことを一般人に説明するとしたら霊能力者という言葉が一番想像しやすいだろう。


 厳密には違えど、一番近い表現だ。


 霊能力者が霊を視ることができるのと同じように、彼の眼はこの世のものではないものを視ることができる。目の前にある家の中の一室でそれは確認できた。


 ドス黒い靄のようなもの。二階の隅の方で蠢いており、近くには澱んだ気を放つ人の気配もあった。


(原因はあれか……)


 この靄は邪霊といい、悪霊のようなもの。


 勘違いしてはならないのは、悪霊が人に取り憑くだけの能しかないのに対し、邪霊は特殊な能力を使える。


 それが厄介であり、世間一般で言うところの霊能力者では太刀打ちできない。


 そこで彼────保志ほし遊魔ゆうまの出番である。


 遊魔は精霊術師。言うなれば霊能力者というジャンルに括られてはいるものの、その上位互換だ。


 何故なら霊能力者は霊を祓う、もしくは追っ払うだけ。


 しかし、精霊術師は完全に浄化する死滅させるのだ。


 対処療法ではなく、原因療法。精霊術師の手によって消し去られた場所には二度と霊は近付けない。そういう浄化の力が極端に強い者のみが名乗ることを許される。


 それが精霊術師。


 その中で属性が四つに振り分けられており、これは操る精霊の種類で決まる。


 地水火風。遊魔は風の精霊を操る、風の精霊術師である。


 あらかた霊視を終えた遊魔がチャイムを鳴らすと、インターホン越しに返事はすぐに返ってきた。


『はい……』


 妙齢の女性のものだ。聞いていた年齢よりも更に老けているように感じるのは、引きこもりの住人がいるせいで気が休まらないからだろう。


「依頼されてやってきた保志といいます……向井様のお宅で間違いないでしょうか?」

『少々お待ちください』


 数秒後、玄関の扉が開き、姿を現す。声の主だというのは見れば一発で分かった。


 遊魔の姿を確認し、女性が目を丸くする。


 少し戸惑いが見える。


「貴方が……?」


 戸惑い、というよりも疑心だろうか。遊魔が二十代の若者であり、格好もそういう職業の者とはかけ離れていたからだろう。


 それに対し、遊魔は締まりのない顔で問い返した。


「何か?」

「いえ、何でもありません」


 女性はビクビクとしながら小さく頭を下げる。とってつけたようなお辞儀だった。


「お待ちしてました……どうぞ、こちらです」

「どーも」


 先に家の中へと戻っていく女性を追い、遊魔も足を踏み入れる。


 その瞬間、一切の不純物のない不快感が彼を襲った。


 一般人の眼には視えないものが、遊魔の眼には視える。その眼は二階へと続く階段へと伸びていく黒ずんだ縄を捉えていた。


(あの縄……部屋に近づくにつれて色が濃くなってるな。おそらく莫迦のいる部屋に巣食う邪霊の仕業だ)


 玄関で立ち止まり、遊魔は階段を見つめ続ける。瞬きも忘れ、視線を固定している彼に困惑しながら声をかける女性。


「あの、そちらに何かあるんですか? 確かに息子が二階にいますが……」

「へー、そーなんですねー」


 雑な返事を返す遊魔。今の彼は一刻も早く仕事を終わらせ、この家を出たかった。


 その為、手段を選ぶつもりはなかった。


「ちょっと一体何を────」

「ちょっと寝ててください」


 遊魔が土足のまま家に上がろうとしたのを咎めかけた女性。それを見向きもせず、彼女の顔の前に掌を翳す。


 急速に膨れ上がった眠気に押し潰され、女性は眠りにつく。それを見下ろすと、遊魔は二階の階段を上っていく。


 無論、靴など脱がずに土足でだ。


 終わればそのまま帰るつもりなのだから、脱ぐ工程は無駄でしかないだろう。


 新築というわけでもなければ、築何十年といった年季が入っているわけでもないので床が軋んだりすることはなかった。


 足音に気遣わずともほとんど物音を立てずに動けたが、遊魔はわざとらしく靴音を鳴らしながらその問題の部屋へと歩いていく。


 それは邪霊に己の存在を報せる行為。精霊術師という邪霊にとっての天敵の存在を認識させ、畏れを抱かせて少しでも力を削るために。


 この時点ですでに戦いは始まっているのだ。


 立ち止まったのはとある一室の前。入らずとも感じ取れた。一階にいても意識せずにはいられない途轍もない不快感。これが邪霊によるものだというのは遊魔の精霊術師としての経験が解を導き出していた。


 ドアノブを捻り、扉を開ける。扉越しであっても不気味な存在感を醸し出していたが、内と外の空間が繋がったことでそれはあからさまに膨れ上がった。


 そして、部屋の中から押し寄せる黒い津波。それは邪霊の宿した能力であり、部屋の主の現状がその力の恐ろしさを表していた。


「人のやる気を消し去る能力か……」


 上着のポケットに両手を突っ込んだまま、遊魔は視界を埋め尽くす勢いで迫ってくる漆黒を呑気に見つめる。


 それは隙でもなければ、油断でもない。


 ただの余裕だった。


「で、先手を取ったつもりか?」


 遊魔に触れる直前で真っ二つに割れる。その光景は海を割ったモーセを彷彿とさせる。


 が、それで終わりではない。二つに分かれた黒は彼の四方八方を囲うように襲った。まるで生き物のような動きで向かってくるそれを一瞥どころか指の一本も微動だにせず、不可視の刃が悉く切り刻んだ。


 遊魔の眼差しが部屋の中央へ向けられる。


 そこに鎮座するのは引きこもりの住人、ではなくこの世ならざるものだった。


 部屋の本来の主は隅で蹲り、延々とうわ言を呟いている。目は血走り、髪も乱れ、元は白いTシャツも何日間着替えていないのか分からないくらいに黄ばんでいた。


 一瞬顔を顰めた後、我が物顔で座す黒い塊へと遊魔は問いを投げつけた。


「お前が本体か?」


 返答はない。代わりに返ってきたのは遊魔の影から伸びる黒い棘だった。


 背後から伸びるそれは彼の死角を攻めており、音も気配もない。本来であれば避けることなどできるはずがない。


 遊魔はそれを容易く躱した。はじめから勝機などなかったのかもしれないが、唯一の勝機となり得る機会を失ったのが勝敗を決定づけた。


「終わりだ」


 遊魔の足元で風が渦を巻き、取り巻く。それは薄く刃のように精錬され、目にも留まらない速さで放たれた。


 邪霊らしき黒い塊は迎撃も防御も回避も出来ない。間に合わない。


 数秒、何事もなく時間が流れる。


 ずるり、と。数秒の時を経て、邪霊は自身が切り裂かれたという現実を叩きつけられた。


「終わったな」


 塵となり、消え行く様を最後までしっかりと見届ける遊魔。部屋の隅にいる浮浪者のような男に醒めきった眼差しを向けた後、踵を返した。


 

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