◯◯から見た人は、人から見たエルフのようなものだ

卯月 幾哉

この命が悠久の糧となりますように

 ――これはおそらく、あなた方が知らない世界の物語だ。



    †



『今までありがとうな』


 病魔の苦痛にあえぐ私に、ご主人様がエルフ語で語りかけた。

 だまりのようなご主人様のオーラは、初めて出逢であったときから全く変わらない。あれからヒトの基準では九十年もの時が過ぎたのに、その容貌ようぼうにはわずかなおとろええも見られない。まるで、今日こんにちのエルフの繁栄はんえいそのものだ。


「もったいないお言葉です」


 通じないことはわかっていたが、私はヒトの言葉で応えた。――エルフの言語は複雑すぎて、私には発声することができない。


 私は今、死にひんしていた。



    †



 これは、ある素晴らしいエルフの一家につかえた、私という幸運なヒトの物語だ。

 私の名は「ハナ」――もちろん、ご主人様にいただいた名前さ。


 この世界では、時間の流れがとてもゆっくりだ。

 私たちヒトは長いもので百年ほど生きるが、季節が一つ進むまでに二年近くもかかる。

 一方、エルフの寿命はとても長い。なんでも、長生きなエルフは六百年以上も生きることがあるというのだ。


 その長寿こそ、彼らがこの惑星をべるに至った理由の一つなのだろう。

 この世界では、エルフはヒトよりはるかに賢く、高度な文明を築いて発展させ続けている。


 私がよぼよぼのおばあちゃんになった今も、ご主人様は私がまだ小さな子どもだったときと変わらず溌溂はつらつとしている。少しずつ肉体が老いてはいるようだが、その老いは私たちヒトと比べて非常にゆっくりだ。


 それでも、エルフは決して不死ではない。

 私はこの短い生涯しょうがいにおいて、偶然にもエルフの死に立ち会う機会を得られた。それは、ご主人様の母上が亡くなったときのことだ。……だが、その詳細について、今ここで語る必要はないだろう。



    †



『ハナ、死んじゃ嫌だよ……!』


 ミレーが私の背中を抱き、涙を流している。ミレーは、ご主人様の愛娘まなむすめのエルフだ。


「ミレー、幸せにおなり……」


 私はかすれた声でそう言ったが、残念ながら、これも彼女に伝わるとは思えない。


 ミレーと私は、実の姉妹のようにして育った。

 彼女と同じ時を歩むことができたのは、私の生涯のなかで最大のほこりだ。


 初めて出逢ったときは、お互い小さな子どもだった。

 幼い日のミレーはお転婆てんばで、家中くまなく探索して回るものだから、私は彼女がいつ何をしでかすかいつも気をんでいたものだ。私が少し大きくなったときには、何度かは馬代わりにもされた。


 それが今では、片や死にかけの老婆ろうば、片や花も恥じらう成人前の乙女だ。その意味で、時の流れとはかくも残酷ざんこくで理不尽なものか。


 もう彼女ともご主人様とも、一緒にあの並木道を散歩したり、公園を走り回ったりすることはできない。それは悲しく、不甲斐ふがいないことだ。



    †



 私は元々、この家で生まれたわけではない。


 私が生まれたのは、ご主人様の友人のエルフの家だ。そして、幼い頃にご主人様に引き取られた。

 それ以前の私にはヒトとしての家族もいたが、ご主人様の元に来てからは疎遠そえんになった。両親はもうとっくに他界しているだろうし、きょうだいの行方もようとして知れない。あなた方とは違って、この世界でのヒトの家族の縁とは、その程度のものなのだ。


 さて、私たちヒトは夢の中で知識を獲得する。

 夢には私の先祖を名乗るヒトが数多く現れ、入れ替わり立ち替わり、私のヒトとしての在り方や、エルフとの関わり方を教授してくれるのだ。私はこれを〝祖先の血〟と呼んでいる。


 その〝祖先の血〟の教えによれば、私の境遇きょうぐうはかなり恵まれたものらしかった。

 まずエルフの家で愛情を注がれて生まれたこと。それ自体が非常に幸運らしい。

 同胞の中には、狭苦しい繁殖はんしょく小屋のような施設で命をさずかる者も多いとのことだ。生まれた後も、特定のエルフの庇護ひごを受けるまでに亡くなるケースも少なくない。更にその過程では、多くのエルフの目にさらされて、見世物のような扱いを受けるのだそうだ。


 ……エルフに逆らう者などいないよ。彼らはこの地上の支配者なのだから。

 ――遠い遠い昔は、ヒトとエルフはもう少し対等に近い関係だったそうだけど……まあ、今はその話は置いておこう。


 めでたくエルフに仕える幸運を勝ち得たヒトには、ある苦行くぎょうが待ち受けている。幼い時分に、子供を産めなくする処置を施されるのだ。その苦痛たるや、相当のものらしい。

 なぜ私がその処置をまぬかれたのかはわからないが、幸いにして私には子供を産むことが許された。


 結婚? ……うーん。あなた方が想像するものとは異なるだろうな。

 夫とは、あの一度の交わりだけの関係だったよ。


 驚いたかい? この世界では、ヒトとはそうやって生きているんだよ。


 私が産んだ五人の子供たちの内、家族として共に暮らせたのは一人の息子だけだ。残りの四人も、きっとどこかで元気に暮らしていることだろう。ああ、そうさ。幼い日の私と同じように、残りの子たちはそれぞれの進路に旅立ったんだよ。


 ……ちなみに、息子には子供を作ることは許されなかった。



    †



 私はかろうじて自由に動かせる眼球をぐるりと動かして、息子の姿を探した。


 ……いた。

 トール――この家で一番小さなエルフ――に背をでられながら、息子は沈黙を守っていた。息子の名は「コウタ」だ。


 あのきかん坊のコウタが、いつになく神妙な顔をしているのが可笑おかしくて、私は少し笑いそうになった。

 いかんいかん。笑うと体が痛むんだった。


 コウタもあれで、もういい年なんだ。あと二十年も生きられまい。


 その隣のトールはといえば、こちらも案外、落ち着いていた。彼が「家族」の死に接するのはこれが初めてではない。……が、前回は幼すぎたかもしれない。

 もしも私の死を通して、彼が何かを学ぶところがあるとすれば、この命も冥利みょうりに尽きるというものだ。



(――あとは頼むよ……)

(あぁ……任せておけ)


 私はコウタと視線だけで会話をした。

 長く生きたヒト同士だけが使える、ちょっとした特殊能力ってやつだ。



『ハナ、かないで!』

『ミレー、もう楽にさせてあげなさい』


 いよいよ命の灯火が残り少なくなって、ミレーが私をいっそう強くき抱いた。


「……」


 私には、もう声が出せなかった。


 ――あなたの生はこれからまだ何百年も続くのだから、私のことは忘れて、前を向いて生きていきなさい。


 ミレーに、そう言ってあげたかった。

 でも、きっと大丈夫だ。だって、こんなにも素晴らしい家族に囲まれて生きているのだから。


 ミレーに、この家族に、すべてのエルフに幸あれ。



 ――こうして私は、ご主人様とその素晴らしき家族に見守られながら、天寿を全うした。



(了)


────────────────────────────────────

【後書き】

お読みいただきありがとうございました。


この小説に込めた思いなどについて、近況ノートに記事を投稿しました。

あわせてご覧いただければ幸いです。

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◯◯から見た人は、人から見たエルフのようなものだ 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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