誓いますか?
真島
第1話
「絶対に秘密だよ」
彼のお願いに私はただ頷くことしか出来なかった。全ての始まりは彼の口からため息が漏れたところを見逃さなかったせい。見てないフリをすれば、何も始まらなかったのに――
*
彼を知ったきっかけは私の親友だった。来年の6月に結婚式を挙げると聞いて、紹介してもらったのが初めての出会い。つまり彼は親友の婚約者だった。私の親友は高校からの付き合いで、美人でしっかりしていて自立意識の高い女性だった。仲良くなったきっかけは席が隣だっただけ。気さくに話しかけてくれた彼女に地味で目立たなかった私は憧れを抱き、隣を堂々と歩けるように努力をするようになった。学業もメイクもファッションも、勉強を怠らなかった。そして彼女と同じ大学に合格できたことは私にとって大きな自信になり、自然と隣にいる時間が増えていった。
親友になった彼女とは社会人になっても関係は途切れず続いていた。私は大手企業の法務部に就職して順調に仕事の手の抜き方を覚えていた。親友は弁護士になり連絡を取り合う頻度は学生のころより少なくなったけれど、年に1回は旅行にも一緒に行ってお互いのストレスを発散する、心地の良い関係だった。
親友は弁護士として日々忙しく仕事をしていた。そして彼はイラストレーターで、それほど忙しい訳ではなく、同棲してからは彼女の代わりに家事のほとんどをこなしていたようだった。
親友から結婚式をするにあたって相談を受けることがしばしばあった。忙しさから結婚式の準備が順調に進んでいるように思えなかった。心配はしていたけれど、大丈夫という親友の言葉を私は信じていた。出会った頃から親友が問題や困難を切り抜けられなかった場面を、私は見たことがなかった。
親友たちの結婚式が近づいていたある日。仕事終わりに居酒屋で彼を偶然見かけた。そして見てしまった。人生において重要で、幸せであるはずの結婚式が近づいている人間とは思えない、彼のため息をつく姿を。私自身も仕事で疲れていたし、見間違いだと思って帰ってしまえば良かった。でもその時の私は親切心で声をかけてしまった。それは本当に、ただ心配していただけだったのに。
「マリッジブルーですか?」
「そうですね……」
居酒屋の外から手を振ったら気付いてくれた彼の席に座り、一緒にお酒を飲んだ。どうやら一人で飲んでいたらしく、快く受け入れてくれた。彼は初手からデリカシーのない私の質問に苦笑いしながらも答えてくれた。
「式も近づいてますから、全部吐き出しておいたほうが良いですよ!」
「……そうですね」
また大きくため息をつくと彼はグッと残っていたハイボールを飲み干し、おかわりを頼んだ。親友いわく、彼は否定をすることをしない優しい人らしい。だからこそ、ため込んでいることはあるのかもしれない。
「じゃあ、今日は遅くまで付き合ってもらえますか?」
彼の人懐っこい穏やかな笑顔で言われると、私はそのお願いを断ることができなかった。先に親友に断っておけばよかったのかもしれない。偶然飲み屋で彼と会ったから飲んでもいいか、と。そうしていたら頭の隅で、理性がもう少し働いていたのかもしれない。親友は私が彼と飲んでいることを知っているのだからと。でも出来なかったのは、親友に連絡しようとした私のスマホを彼の手が遮ったから。
「スマホいじりながらなんて、嫌ですよ」
そんなつもりじゃないと言う前に、「ほら早くしまって」とまた笑顔でお願いされると、私はやはり断ることが出来なくて、ただ話を聞くだけだからと自分に言い聞かせたけれど。私と気が合う親友の彼というだけあって、私にとっても彼の話は面白く、魅力的だった。最初から結婚式の話なんて一度も上がらなくて、私がそれとなく伺うと子どもみたいに不貞腐れたようなフリをするから、話題に出来なくなっていった。それからはずっと楽しく話を聞いて、お酒も進んで、次第に酔いも回って――
気付けば見知らぬ部屋のベッドに体を投げ出していて、見知らぬ天井を見ていたら今の状況で一番見えてはいけない顔が目の前に現れた。彼の顔はすぐに見えなくなるくらい近づいて、くっついた。このままずっと見えなくなったらいいのにと思った。見えなくなって、漏れる彼の気持ちよさそうな声も聞こえなくなって、触れる素肌から伝わる心地いい体温も感じなくなればよかったのに。
彼の細身だけれど大きい手と長くスラっとした指が好きだと言っていた親友の言葉を、不意に思い出して後悔した頃には、彼から与えられる快感が全身を通り抜けていた後で、もう全てが手遅れだった。
「絶対に秘密だよ」
私は人生で最大の過ちを犯した。お互い一糸まとわぬ姿で、ベッドの上で聞いた恐らく最後の彼のお願いに、私はただ頷くことしかできなかった。今夜の出来事は墓場まで持って行かなければならないと、私は自分の心に誓った。
*
あの日から彼とは会う機会も無くて、夢だったのではないかと思うくらい、怖いくらいに何も起こらなかった。そして親友たちの結婚式当日。「準備どうなるかと思ったけど、間に合ったぁ!」と嬉しそうに報告してくる親友に、私は心を独占する罪悪感を何とか悟られないように必死だった。新郎として忙しくしていた彼とは、もう目も合うことはもなく挨拶をしただけで、お互いまるで何もなかったような振る舞いをした。
挙式は順調に進み私にとって辛かったのは長時間に及ぶ披露宴だった。昔からきっちりとしていた親友が入念に打ち合わせをしていたのがよく分かる。順調に進むほど、私の居心地が悪くなっていく。自業自得なのは分かっている。それでも何とか友人代表としてスピーチを終えた。不安や恐れから震える手は、おそらくただの緊張としか思えなかったのが幸いだった。提供される豪華な食事のおいしさは全く分からなくて、何とか無理やり喉に通してお酒で流し込んだ。そして気分が悪くなって席を外してトイレに逃げ込んだ。せっかくの披露宴で新婦の友人代表である私が長時間トイレに籠る訳にもいかない状況で、スマホに着信の通知が届いていることに気が付いた。親友からだった。確か今はお色直しをしている時間で、気が向かないけれど駆けつけない訳にも行かず、重い足取りながらも何とか新婦の控室までたどり着いた。
控室のドアをノックするとバタバタと中から騒がしい音がして、男性が勢いよく飛び出して行った。危うくぶつかりそうになって、驚きながらも中の様子を伺うと、何事もなかったようにお色直しをして煌びやかなドレスに身を包んだ親友がいた。
「すごい音したけど、大丈夫?」
「うん。それより見て?綺麗でしょう」
「う、うん……それで、どうしたの?電話したでしょ?」
「今の人、彼の親友なの」
「あ、そうなんだ……」
確信には触れない言葉にもどかしさがあったけれど、確かに先ほどすれ違ったのは彼の友人代表としてスピーチをしていた男性だったことに少しすっきり気持ちになった。でもどうしてこんなところにいたのだろう。すぐに疑問に変わった私の心は表情に素直に出ていたようで、親友は楽しそうに笑っていて、私にもどかしい感情が戻る。
「気になる?」
「うん、まぁ……」
「あのね、あなたと同じことしたの」
「え?」
親友の顔は笑っているように見えるけれど、目は全く笑っていなくて、こちらからの説明の追及を認めない、強い意志を感じた。私の背筋は凍り、指先から温度が無くなっていく。
「親友だから。秘密を共有しておこうかなって思って」
私の親友は、私との距離を詰めて、私の手を取った。
「式もこれからの人生も、彼と成功させたいの。だからお互いの秘密は――」
恐怖か、極度の緊張からか、体が固まってしまって動けない私の手を親友は強く握りしめて、そして私に問いかけた。
「死ぬまで秘密にすること、誓いますか?」
誓いますか? 真島 @SetunaNoKokiri
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