第7話 戦争計画

 大本営での決議から実際の行動まで、我ら王国軍には時間的猶予は2か月しか残されていなかった。


 幸いにして当時の主力戦車として開発されていたWCz-40〈ユーラン〉は最前線を張る第2歩兵師団と教導師団で定数を満たしていたこと。海軍の次代の主戦力となり得る航空母艦6隻とその艦載機は充足していたこと。そしてエカチェリーナ殿下を含む新生の士官達が急激に拡張された陸海空三軍の士官層を補完してくれたこと。


 これらの要因により、援軍が我が国とベルメンに達するまでの長い期間、我が国はロゼリアとダルマティアの攻勢に耐えうることを可能とした。


(スタニスワフ・キリルスキ・シコルスキ『回顧録』より)




 勇暦941年10月3日、グダノスク海軍基地司令部の会議室。海軍本部長のロドフスキ大将は、レジュメを読み終えて呟いた。


「空母4隻を集中運用した、航空戦力主体でのレユニア攻撃作戦…よくこんな作戦を思いついたものだ」


 そう呟くゴブリンの海軍将校の目前には、一人のオーガの海軍将校の姿。3年前は中佐に過ぎなかった者が今では海軍少将として作戦立案を担っている事実に、ロドフスキは時の流れを感じていた。


「はい。手始めにロゼリア帝国は、大東洋中西部にある離島レユニア島を介し、ダルマティア王国へ物資を供給しております。これに対してエトルリア軍はダルマティア沿海部に潜水艦を派遣して通商破壊を目論んでおりますが、ロゼリア海軍の護衛艦隊に撃退されているそうです」


 世界大戦以前、魔物達の古い国と侮られていた筈のロゼリア帝国は、カルスラントやノルディニアに対する牽制のためにローディシア共和国から大々的な軍事支援を受け、強大な海軍戦力を養っていた。


 それは戦後の23年という期間でさらに進展し、東方世界で最大級の艦隊を有するまでに至っている。その中で着目すべきは20隻の戦艦ではなく、60隻超の駆逐艦と30隻超の大型水雷艇であった。大型水雷艇は艦隊決戦よりもイサベリア大陸南方の海域に点在する植民地の警備や、本国と植民地を繋ぐ航路の防護を主な任務としており、10センチ速射砲や55センチ五連装魚雷発射管、そして対潜爆雷で武装していた。


 しかも近年では、敵潜水艦をより正確に探知し、自動的に照準を定めて爆雷の効果が発揮されやすい様に調整する、ソナー連動式射撃管制装置を採用しているそうであり、それがエトルリア海軍潜水艦の前に立ち塞がっていた。しかもその技術はダルマティアで開発されたそうであり、間違いなくダルマティア海軍も導入しているだろう。


「よって我が海軍としては、レユニアの軍港区画及び現地艦隊戦力に対して攻撃を仕掛け、無力化することにより、優勢を得るべきだと考えます」


 空母乗りだった者であるからこそ出てきた策に、ロドフスキはため息をつく。呆れの籠もった動作を見せる理由は、その攻撃対象であるレユニアの兵力にあった。


 世界大戦以降、ロゼリア帝国の対アシリピア戦略を担う植民地とされたレユニアは、強固な戦力を配備していた。例えば陸上兵力とすれば、歩兵自体は4000程度と師団にも及ばない。だが砲兵は34センチ砲や15.5センチ速射砲、10センチ高射砲からなる重砲群を沿岸部に配備。上陸作戦を目論む敵艦隊を迎え撃てる様にしていた。


 航空兵力も2個戦闘機連隊と2個爆撃機連隊が配備されており、制空権を維持しつつ敵艦を爆撃して撃退することを可能としていた。機種も最新の〈Br-555〉戦闘機を配備しており、その性能の高さはダルマティア王国軍が導入し、対ベルメン侵攻で用いることで証明していた。


 最後に海軍戦力としては、巡洋艦4隻と駆逐艦6隻、通報艦3隻が常駐しており、不定期に本国より潜水艦と大型水雷艇が派遣されていた。そして現在、エトルリア法皇国と相対するダルマティア王国を支援するべく、戦艦4隻と空母1隻、巡洋艦6隻、駆逐艦12隻の23隻が展開していた。そこに仮装巡洋艦と大型水雷艇、補給艦も加えれば総数は60隻に達する。


 無論、立案者もそのことを理解していない訳では無い。彼には方策があった。それが彼の提唱した、空母戦力の集中運用であった。


「我が軍が求めるのはあくまでも当面の無力化であり、そのためには相手の想定を超えた攻撃を仕掛ける事が大切だと考えております。レユニアに配備されている戦闘機の数は96機であり、従来の空母の運用方法では数で圧されてしまいます。ですので確実に制空権を確保しつつ、艦砲の届きにくい地点を航空戦力で破壊するのが望ましいと考えます」


 メチスキー少将はそう語りながら、地図を広げる。それはレユニア島の地図であった。図上には島内の主要な軍事施設の情報が書き込まれている。


「見ての通り、レユニア島はアシリピア大陸に面した西側に、沿岸砲や高射砲を集中して展開しております。その内側に飛行場が二か所設けられているわけですが、我が海軍は東側の商業港区画より艦載機を侵入させ、飛行場を強襲。できる限り地上設備を破壊した上で軍港区画へ攻撃を仕掛けます」


 そこまで語り、メチスキーは隣に立つ狼人族の将官に目配せする。彼、カルル・イェールセン中将は軽く咳払いをし、説明を引き継ぐ。


「同時に王国海軍連合艦隊主力はリヴィスクを立ち、ベルメン共和国東部海域に展開。当海域を封鎖しているダルマティア海軍艦隊を撃破します。ダルマティア海軍主力は拠点のプーラに閉じこもり、エトルリア海軍に対する警戒を強めていますが、それでも沿海部の防衛に徹しているベルメン海軍艦隊を封じるだけの戦力を展開しております。これを撃破し、海上ルートからベルメンを支援できる様にするのが本作戦の狙いです」


 ダルマティア海軍の主要戦力は、現時点で戦艦10隻、航空母艦2隻、巡洋艦12隻、駆逐艦24隻、潜水艦12隻の60隻。加えて戦艦2隻と巡洋艦4隻、駆逐艦8隻に潜水艦12隻を建造中であるが、それでもベルメン海軍を撃滅しつつエトルリア海軍の攻勢を防ぎきる余力はない。よって空軍と協調してベルメン海軍艦隊を封じ込める策に出ているとされた。


 もしもベルメン海軍を封じ込めている敵を排除し、ダルマティアとロゼリアをつなぐ輸送ルートを寸断することができたのなら、戦争を終結させられる道筋も得られるだろう。そこまで聞いてロドフスキは、眼鏡を机の上に置いた。


「…分かった。貴様らの策は大本営に持ち寄り、国王陛下や陸空の参謀達と共に検討しよう。レユニア島の攻撃だけならまだしも、ベルメン救援にも兵を割くとなれば、陸軍と空軍にも頼らねばならんからな」




 ヴィルキシア王国より北に1000キロメートル、黒みがかった大海を望む都市の一角。長大な河畔に沿う形で巨大な城塞が築かれていた。


「こうしてお招き頂き、感謝します」


 その城塞の一室で、アレクサンドル・ステファニスキ王太子はそう言いながら、目前に立つ黒髪の女性に礼をする。それに対して黒髪の女性は握手を交わし、互いに着席。そして侍従が紅茶を淹れる中、女性は口を開く。


「アレクサンドル殿下、父君のご心慮は大変理解しております。ロゼリア帝国とダルマティア王国の圧力に、エトルリア法皇国の戦禍拡大、アシリピア大陸における平和秩序の崩壊は、貴国のみならず我がノルディニアも危惧しているところです」


 彼女、マルガレーテ・ヴァン・デン・エリクは、ノルディニア王国王家に身を連ねる重鎮である。千年近く前、勇者と共に魔王軍を打ち倒した戦士を祖先とするエリク家は、23年前の世界大戦で帝政が崩壊した後、退位した皇帝一族の後を継ぐ形で王位を得た。その中でも現国王の妹である彼女は、虚弱な兄の代わりに摂政として実務を担っており、内外から『真の君主』だと呼ばれていた。


 その異名に関する話がある。エリク家では当主に君臨する際、太祖の戦士エリクが用いていた一家伝来の大斧を臣下達の前で振り回すことが儀式として存在していた。だがいわゆる家主継承法に従って現国王が当主の座を継いだ時、彼の虚弱な身体がそれを困難としていた。


 その際、斧を振り回すどころか短剣を手に戦うことすらも困難な心身にあった国王に代わって儀式を執り行ったのが、妹のマルガレーテであった。本来激しい舞踏を行うには困難なはずのドレス姿で、まるで細いステッキを振り回すかの様に、全長3メートルの大斧を振り回すその姿に、多くの臣下が『もしも女性でなかったならこの者が王位に就いていたに違いない』と思ったという。


 やがて紅茶の注がれたカップが差し出され、マルガレーテはそれを持つ。優雅な佇まいを崩すことなく紅茶を飲む振る舞いの一体どこに、重量100キロの大斧を振り回しながら踊り切る剛力が秘められているのか、アレクサンドルは不思議でたまらなかった。と互いに紅茶を一口含んだところで、マルガレーテは言う。


「我が国と致しましては、これ以上のロゼリア帝国の伸長は思わしくありません。もしも貴国がロゼリアとの間に戦端を開く際、我が国は喜んで兵を進めましょう」


 その言葉に、アレクサンドルは瞠目する。なんと、ヴィルキシア王国がもしロゼリアと戦争になれば、ノルディニアは援軍を派遣するという。だがその際問題となるのも在るはずだが。


「ああ、カルスラントにつきましてはご心配なく。現在国務省はカルスラント帝国政府に対し、此度の戦争終結に向けた行動を求めております。その戦争終結に向けた働きを見せなかったという事実を言質に取れば、彼の国は我が国に対する批難の口実を失いますから」


 にこやかな笑みで放たれる言葉に、アレクサンドルは冷や汗を垂らす。恐らくはダルマティアがベルメンへ攻め込む以前より、この事態を想定して動いていたのだろう。伊達にアシリピアの東半分を支配していた訳では無いのだろう。


「それは…随分と大胆な提案ですね。ですが、貴国の軍は戦後の講和条約で軍備制限を課せられていた筈です。果たしてこんにちの戦争に耐えうるだけの力があるのかどうか…」


「おや、殿下はご存じなかったのでしょうか?11年ほど前、講和条約の内容改訂が行われて、軍の再建が開始されたのです。ログレシアが力添えしてくれたおかげで、こちらの計画は順調に進みました」


 そこまで聞かされ、アレクサンドルは自身の無知を恥じた。近年ノルディニア軍が急速な成長を遂げているとは耳に挟んでいたが、まさか堂々と派兵を宣言できるまでの規模に回復させていたとは、思いもしていなかったからだ。


 そして最後に、マルガレーテは笑みを浮かべつつ、アレクサンドルに向けて言った。


「此度の提案は、必ずや貴国とベルメンにとって非常に有望なものとなるはずです。どうぞ、レーフ陛下によろしくお伝え下さい」




 会談内容は翌日、マゾフシェスクの大本営へと伝えられた。


「陛下、これは吉報です。もしもアレクサンドル殿下の聞いた通りであれば、我が国はケルティスのロゼリア軍に脅かされることなくベルメン救援に全力を出すことができます」


 サヴィンスキ参謀本部長は言い、対するレーフもうなずいて応じる。


「ロゼリアの動向はノルディニアにとっても無関係ではないだろうからな…問題はノルディニアに戦争に耐えうる余裕があるかだが…」


「陛下、大戦の終結から実に23年も経っているのです。講和条約の定期的な更新の中で見直しが図られ、王国軍は近代化を果たしております。少なくとも、無様に敗北を喫することはないでしょう」


 世界大戦が終結したのち、属領の大半を喪失したノルディニア王国は、自国領土の防衛と治安維持に足る分の軍備しか認められなかった。しかし勇暦930年、カルスラント帝国とロゼリア帝国の増長を警戒したログレシア連合王国とローディシア共和国の口添えにより、講和条約の内容が改訂。まともな規模の軍を整備するに至っていた。


 そのノルディニアが援軍の派遣を含む支援をしてくれるというのなら、これほど心強いものはないだろう。レーフは手元に紙と万年筆を用意しつつ、シコルスキに向かって言う。


「シコルスキ首相、ノルディニア政府と連絡をつなげよ。ロゼリアも今頃は把握し始めているとは思うが、これで海軍の作戦に大きな希望が見えてきた。諸君―――戦争を始めるぞ」


 時に勇暦941年10月7日のことであった。




 勇暦941年11月23日。北部オルゼル海に面した港湾都市グダノスクより、数十隻の艦艇が出航していく。


「錨を上げよ!」


 汽笛が鳴り響く中、航空母艦「ネウクロティミィ」の艦橋にて、艦長のグラスツキ大佐は命令を発する。その隣で艦隊司令に任ぜられたマクローウ中将は顎髭を撫でつつ呟く。


「壮観な光景だな。ロゼリアもまさか、こちらから仕掛けてくるとは思いもしまい」


「外務省は来月の作戦開始時刻前の絶妙なタイミングで宣戦布告をロゼリア側に発するとのことです。少なくとも我が海軍の作戦行動を阻止する策は向こうには無いでしょう」


 参謀長として乗り込んでいるメチスキー少将の言葉に、マクローウはニヤリと笑みを浮かべつつ頷く。


 海軍本部と大本営、そして外務省の綿密な討論を経て、開戦日は12月8日と定められた。それまでに王国軍は3個歩兵師団と中央方面軍直轄の機甲師団である銀狼騎兵師団をベルメンとの国境地帯へ展開し、空軍もダルマティア王国軍の占領地域上空へ展開。そして海軍は二つの艦隊を二つの戦場へと赴かせる。


 先ず、この「ネウクロティミィ」を旗艦とした空母艦隊。大型空母4隻を基幹とし、戦艦2隻と巡洋艦6隻、駆逐艦14隻、給油艦6隻の32隻は、東の方角に向けて舵を取る。一方でリヴィスクを基点に展開する連合艦隊は、戦艦4隻と空母2隻、巡洋艦3隻に駆逐艦11隻の20隻で攻め入る。本土に残されるのは旧式空母1隻と旧式巡洋艦3隻、駆逐艦14隻、その他警備艦など僅かであり、そこへロゼリア海軍の主力艦隊が襲ってくればひとたまりもないだろう。


 良く言えば乾坤一擲。悪く言えば大博打。まさしく現在の海軍が成せる全力での大一番だと言えよう。


 そう、現在の海軍の作戦行動を脳内で振り返っていたとき、左舷を警戒していた見張り員が報告してきた。


「マクローウ提督、左舷1時の方向に艦影。「ウラディレーナ」です」


「…リンドストローム提督の隠し子、か」


 マクローウは小声で呟く。かのドジョブオルラ半島沖海戦の名将が造り上げた前代未聞の巨大戦艦は、すでにその様な異名を背負っていた。


 ウラディレーナ級艦隊装甲艦は、当初は1隻当たり1億ズウォトの費用で建造が認可された。しかし排水量6万トン、45.7センチ砲9門を装備した巨艦を2隻建造するにはまだ足りず、予算認可時に建造される筈だった駆逐艦3隻と潜水艦6隻、そしてそれらの資材も流用されたという。


 今、数を増やすべき駆逐艦と潜水艦を複数隻も水子にしてしまう程の計画を、ヴィルキシアでも珍しい魔人族出身の将校であるマクローウは疎ましく思っていた。果たして今後の戦争で、彼女の様な艦が求められるのだろうか。


「…乗員で手空きの者は、甲板に集合。「ウラディレーナ」に向けて帽を振れ」


「…了解」


 命令が下り、「ネウクロティミィ」の飛行甲板左舷に数百人の乗組員が集まる。そして帽子を脱ぎ、「ウラディレーナ」へと振った。直後、乗組員が新たな報告をしてくる。


「艦長、「ウラディレーナ」より発光信号。『艦隊の航海の無事と武運を祈る』」


「『感謝する』とだけ伝えておけ」


 艦長は素っ気なく応じ、マクローウは視線を前へ戻した。


 その日、ヴィルキシア海軍の空母艦隊は母港グダノスクを出航。一路東へ取る。この動きは当然ながらロゼリア側も把握するところではあったが、このときロゼリア海軍の増援艦隊はダルマティアへと向かっている最中であり、ベルメン沖合で十二分に迎撃できると見越していた。


 そしてその動きの本意を知るのは、その二週間後のこととなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

令嬢たちの戦想録 広瀬妟子 @hm80

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ