第6話 賽は投げられる

 勇暦941年。その年は我が国にとって、様々な変化と決断の年であった。


 ダルマティアのベルメン侵攻から二年の歳月が経ち、中々に理想的な勝利を得られないロゼリア帝国は、ついに禁じ手を用いた。


 すなわち、ベルメンやカルスラントと親しい国に造反を命じてきたのである。元々は魔王軍を構成していた種族の国であるならば、魔王の末裔である自分達の求めに応じてくれるだろうと思ったのだろう。


 そしてそれは、ロゼリア帝国にとって、そして我がヴィルキシア王国にとって、賽を投げた瞬間となった。


(スタニスワフ・シコルスキ『回顧録』より)




 ヴィルキシア王国首都マゾフシェスクの王国軍大本営に『急報』が入ってきたのは、勇暦941年5月3日のことだった。


「エトルリアが、宣戦布告…!?」


 王国政府軍務省の会議室にて、国王レーフ・ステファノスキは驚きを露わにしながら問い、首相のスタニスワフ・シコルスキ閣僚評議会議長とサヴィンスキ陸軍参謀本部長は険しい形相を向けつつ首肯する。


「はっ…先程、公式の会見でエトルリア法皇国がダルマティア王国とロゼリア帝国に対し、宣戦布告を発しました。理由はもちろんベルメン共和国への侵攻に対する報復措置とのことです。またエトルリアは聖光星教サンスタリックを崇める国々に対して派兵を要求しております」


「…なんということだ。戦火を広げたいのか、エトルリアは…これでは27年前の繰り返しではないか…」


 その呟きに、参席する者たちはその言葉の意味するものを察する。156年前、エトルリアはローディシアとの戦争でも同様に派兵を呼び掛けて戦争を起こし、破滅した『前科』がある。それから国として立ち直るまでに一世紀半の期間を要したのだが、その過ちをまた犯そうというのか。


「…外務省の方針は?」


「外務省と致しましては、エトルリア法皇国に対して戦火の急速な拡大を促す様な行為を戒める様に批難声明を発する方針です」


「軍の方はどうか?」


「陸軍は南部方面軍に対して警戒態勢を継続する様に指示。海軍及び空軍も、有事に対して直ちに対応できる様にしております」


 外務大臣とサヴィンスキの回答を聞き、レーフは改めて表情を険しくする。そして一同へ指示を出した。


「我が国はあくまでもこちらから戦争に直接干渉せず、相手の方から仕掛けてきたときのみ、自衛を主目的に戦争状態に突入する姿勢とする。これ以上の戦禍拡大を阻止せよ」


『御意!』




 勇暦941年6月1日、エカチェリーナ達王国軍士官学校に通う士官候補生達は、王国南部にある工業都市シロンシュスクを訪れていた。


 南部シロンシュク州の東、シロンシュク山脈山麓部に位置するこの都市は、ヴィルキシア建国以前のノルディシア帝国時代より製造業で栄え、建国後は王国陸軍で用いられる装甲車両の開発と生産が行われてきた。


 今、彼女達士官候補生はシロンシュスク郊外にあるシロンシュスク自動車工場を見学していた。その目的は今、彼女の目前にあった。


「こちらが、今年より本格的に生産が開始された、WCz-40中戦車です。主砲には野戦砲兵で用いられている76ミリカノン砲を採用し、装甲もベルメン陸軍で用いられている37ミリ対戦車砲を防げる、厚さ60ミリのものを採用しています」


 案内役を務めるドワーフの技術士官はそう語りながら、列を成して並ぶ戦車を紹介する。説明を受ける者達は手帳にそれを記入していく。


 これまで地上戦で最も大きな働きを見せたのは、魔王軍より多くの戦い方を引き継いだノルディニアとロゼリアで用いられた地竜リントブルムであった。ログレシアも魔法防具を展開した騎兵によって高い打撃力を発揮していたが、ローディシア共和国は勇暦914年にこれらに対抗する手段を生み出していた。


 ローディシア語で『水槽』のコードネームで開発され、地上を移動可能な要塞のコンセプトで投入された戦車は、騎兵と地竜をあっという間に時代遅れの産物とした。陣地や地竜を撃破できる火力に、ワイバーンの火炎攻撃にも耐えられる装甲。そして魔法で改造された地形を踏破できる機動力は多くの列強国の脅威となった。


 ここヴィルキシアで戦車の導入と研究が始まったのは建国直後の頃からだった。西の広大な平原と南の高原地帯を防備する戦力として注目され、陸軍技術本部と民営の自動車工場は協力して開発に臨んだ。そして20年の月日が経ち、陸軍は強力な戦車を多数配備するまでに至っていた。


「これは素晴らしい。もしもダルマティアがベルメンを占領して我が国に仕掛けてきたとしても、余裕で撃退できよう」


「我が国は独力でここまでのものを造れる様になったのか…何とも感慨深いものだ」


 士官候補生達は各々思ったことを呟く。そのさなか、エカチェリーナは並び立つ戦車の片隅で、1両の車両に気付く。そして技術士官に対して問いかける。


「中尉どの、あの車両は何ですか?見たところ、他の戦車と全く異なる様ですが…」


「え?ああ…アレは装甲砲兵トラクターです。野戦砲兵部隊の将兵や装備を戦車部隊や歩兵部隊と共に前進させるために、薄い鉄板で乗員室を覆っています」


 質問された技術士官は答える。箱に履帯を取ってつけた様な簡単な見た目をしたそれは、運転手が外を見るためのスリットやエンジンの排気を外へ出すための排気口といった開口部以外は10ミリ程度の薄い鉄板で覆われており、貧弱そうなイメージを持たれていた。しかしエカチェリーナは全く違う様だった。


「ふむ…何両ほど生産されていますか?」


「そうですね…装軌式なのと乗員室を鉄板で覆っている分、普通のトラクターやトラックより割高になるので、今のところは西部方面軍の第2歩兵師団砲兵連隊向けに54両配備しています。ここでは2個歩兵師団と中央方面軍の銀狼騎兵師団砲兵連隊、そして教導師団砲兵連隊向けに216両を生産中です」


「成程…教えて頂きありがとうございます」


 エカチェリーナは礼をし、そして手帳に何かを書き込んでいった。


 その数日後、王国軍大本営よりシロンシュスク自動車工場に対し、装甲砲兵トラクターの増産が命令される。元々砲兵部隊の機械化が求められていたとはいえ、増産が決定されるまでにかなりのスピードがあったため、経営陣はこの動きに首を傾げるのだった。




 勇暦941年9月1日。ヴィルキシア王国首都マゾフシェスクは震撼していた。


『ロゼリア帝国、ヴィルキシア王国に対し軍事同盟の締結と対ベルメン侵攻への参加を要求』


 その日発刊された新聞の見出しには、その記述が躍り出ていた。これに対して王宮地下の大本営会議室では怒号が飛び交っていた。


「ロゼリアの連中め、我が国を侮っておる!ベルメンを滅ぼすための尖兵に用いようなど…!」


「しかもカルスラントとの盟を捨てて、ロゼリアと手を組め、だと…!?正気の沙汰ではない!」


 シコルスキ首相を始め、多くの閣僚と軍人は怒りの形相を顕にする。27年前の世界大戦にてローディシアと手を組み、ノルディニア帝国を実質的に崩壊させたロゼリア帝国の増長ぶりはよく知っていたが、まさかいち独立国であるヴィルキシアに対して対ベルメン侵攻に参戦しろと要求してくるとは。


「連中はアシリピアのパワーバランスを理解していない!エトルリアのみならずカルスラントも敵に回せとは、奴らは我が国を潰したいのか!」


「或いは、それが目的なのかもしれない。上手く行けばロゼリア陣営のダルマティアは小さい損害で広大な戦果を得られるし、カルスラントとエトルリアにも小さくない損害を与えられる。失敗したとしても負けるのは我が国だけで、ロゼリアはそこに隙いるつもりだろう」


 閣僚達は話し合う。アシリピア大陸の東端に位置するヴィルキシアの立地は、魔王軍以来のアシリピアにおける影響力回復を目論むロゼリアにとって都合の良い場所だった。であれば労せずに与する策を弄してくるのは明白だった。


「…陛下、如何なさいますか?このままでは我が国はエトルリアとロゼリア、どちらかを敵に回して攻め込まれることとなります。6000万の国民の将来のために、然るべき決断を…」


 シコルスキ首相は言い、レーフ国王は目を閉じる。そして深く息を吐き、口を開いた。


「…建国以来、我が国はアシリピア大陸東部という幾つもの国々に囲まれた地で独立を維持してきた。その独立を侵さんとする下賤な敵こそ、真に我らが戦うべきものである」


 その言葉を聞き、シコルスキとサヴィンスキは目を大きく開く。レーフは目を見開き、そして言った。


「我が国はロゼリア帝国からの要求に対し、断固として拒否する。政府及び王国軍は戦争準備を開始。対ロゼリア帝国戦争に備え、万全を期せよ」


 決断は下された。この翌日、王国政府はロゼリア帝国政府に対して『要求は保留とさせて欲しい』と伝えつつ、国内では戦争準備が開始。予備役の召集と軍需物資の増産が進められた。


 同時に王国陸軍参謀本部と海軍軍令部では戦争作戦計画の立案が開始され、あらゆる場所で戦争に対する備えが整えられていくこととなる。

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