今から帰る

七月七日-フヅキナノカ

第1話(一話完結)

「今から帰る」

 会社を出てすぐ、妻の恵子にいつもの「帰るコール」をした。結婚以来三十五年、毎日欠かさずやっている、言わばルーティーンだ。


 結婚当初は携帯などない時代、当時の固定電話は誰からの電話か分からなかったから、受ける方もかける方もちゃんと名前を名乗っていた。


 だが、家にかける時は、「俺だ」とだけ言えば通じるし、「恵子?」と呼びかければ声で分かるから、次第に使う言葉数も少なくなって来た。


 お互いスマホを使うようになってからは、画面に相手の名前が表示されるので間違い電話の心配はないし、「今から帰る」だけ言って切る。


 恵子は返事もしないことがあるが、それでも別に構わない。長年連れ添った古女房だ。言葉以上に通じるものがある。


 メールやLIMEという手もあるが、長年の癖が抜けないし、文字を打つのは余り得意じゃないので、電話をする方がいい。


 今日も恵子は無言だった。


 会社からは電車と徒歩でおよそ四十分。帰り着く時間を見計らって、恵子は風呂を沸かしていてくれる。今日みたいに寒い日は、帰ってすぐ風呂に入れるのは無上の喜びだ。


 風呂上がりにはよく冷えたビールと温かい料理。恵子はよくできた女房だ。子どももいない、二人だけの暮らしだが、幸せを感じている。


 電車を降りて約十分、自宅が近づいて来た、が、あのパトカーと救急車は何だ!俺の家の前じゃないか!次第に早足になった。


 玄関に入ると、大勢の警官達で家の中はごった返していた。何だ、何が起きたのか?恵子、恵子はどこだ!


 リビングは、人が争ったような跡があり、キッチンの前に血溜まりがあった。幾つもの足跡があって、鑑識が型をとっていた。


 恵子の遺体が運び出され救急車に乗せられた。


「ガイシャは、警察に通報してからこと切れたようです」

「死因は胸を刺されての出血多量だな。よく百十番出来たよな」

「強盗犯は、三人ですね」

 警官がそんな会話をしていた。


 そんな! 恵子が、恵子が!




「やっぱりここの奥さんでしたか」

 また別の警官が入って来て言った。


「警部補はガイシャをご存知なんですか」

「ああ、三ヶ月前に、ここのご主人が交通事故にあって亡くなったんだよ」

「そうだったんですね」


「帰るコールをした直後に、暴走して来た車にはねられたそうだ」




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