つま先はコンプレックス
祐里
禅智内供になるくらいなら
お題『つま先』で私がまず思い浮かべるものは、岩波文庫の『完訳グリム童話集』に収録されているシンデレラの物語だ。確か『灰かぶり』というタイトルが付いていた。
今となっては有名だが、初読当時はシンデレラがまさかあんなに怖いエピソードを含む物語だとは思っていなかった。ことさら怖さが増すのは後半だ。王子が
私は内心「うへぇ」と思いながら読み進め、灰かぶりが幸せになり、継母と二人の義姉がざまぁされるシーンまできっちり完読はした。したが、何だかもやもやが残った。義姉たちが灰かぶりに意地悪をしたのはよくないことだ。今なら児童虐待にあたるだろう。しかし、義姉たちも十分虐待されているではないか。母の欲望の犠牲者ともいえる。物語の中で母に罰は与えられない。でも、義姉たちは鳩に目をつつきだされ、盲目になってしまう。彼女たちに罪がないとは言わないが、情状酌量くらいしてあげてもいいのにと思う。
というように『灰かぶり』について真面目に考察してみたが、私が本当に言いたいことは別にある。本当は……、本当は、「私だって親指とかかとを削れるものなら削りたいよ!」である。私は身長が高めで、足も大きい。靴のサイズは24.5~25cmだ。しかも幅広であり、細めの靴は履けない。若い頃に無理してパンプスを履いていたら巻き爪になってしまった。無理はよくないと今なら思えるが、当時は職場で必要だった。
8~9年くらい前だっただろうか、歌手の高橋優さんがラジオで言っていた。「女性のつま先ってなんかイイよね。つま先って普通は隠すところでしょう。でも暑い時期にはサンダルを履くから、見えるようになる。本来隠されているものが無防備に見えるってイイ」とのことだった。なるほど、そういうフェチもあるのかと感心したが、それと同時に「そんなかわいいつま先を持たない女もいるんだよねぇ」などと自虐的に考えてしまった。つま先を見せられる人がうらやましい。
かといって、自分がサンダルを全く履いていなかったわけではない。実は履いていた。つま先もかかとも、思い切り出していた。通勤ラッシュの電車の中でいつ踏まれるかとビクビクしながら、毎日履いていた。ペディキュアもがんばっていた。それなのに、やはりつま先にはコンプレックスがある。コンプレックス克服には露出してしまうのが一番だと信じてサンダルを履いていたあの頃、本当はそんなことで克服なんかできないと薄々気付いていながらも、何とかかわいく見せたかった。そんなこと無理無駄無謀だったと、今は思う。
KAC2024の際にも思ったことだが、体の一部がお題になると、どうにも嫌な思い出が蘇ったりして困る。2024年3月、現在進行系で視界から消えてくれない爪の脇のカサカサささくれをお題にされたときには本当にまいった。などと愚痴を言っても仕方ないことだとわかってはいる。端くれ中の端くれだとしても、物書きならお題で何か物語を書くのが筋だろう。コンプレックス上等、物語に昇華させてやるよ、くらいの意気込みが必要だった。残念ながらそんな意気込みができるほど、私は成長していなかったということになる。
年を取った今でも、ペディキュアでつま先を飾りたくなることはある。飾ったところでおそらく夫は気付かない。しかし、ドラッグストアで時々マニキュアの色を吟味してしまう自分も確かにいる。「そんなの無駄だよ」と心の中で否定したところで、買ってしまうかもしれない。
つま先がコンプレックスであることも、ドラッグストアで時間をかけてピンクを選んでしまうことも、本当は否定などしなくていいのだろう。芥川龍之介『鼻』の
つま先はコンプレックス 祐里 @yukie_miumiu
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