イタズラなつま先

内田ヨシキ

イタズラなつま先

「てーいっ!」


「うぉわっ!?」


 読書中にいきなり脇腹を突かれて、私は本を手放してしまった。


「こ、こらエリン! 足音を消してくるのはやめろって言ってるじゃないか!」


「イタズラするのはいいの、先生?」


「悪戯もダメだけど、まずはその癖を直すのが優先」


 私は小柄な金髪少女――エリンに体を向けて、説教モードに入る。


「君の社会復帰には必須だっていつも言ってるだろ」


 エリンは悪戯成功の笑みを浮かべたままだ。叱っても無駄だとばかりに。


 というか、むしろ嬉しそうなのはなぜなんだろう。


 まあ、ここに来たばかりの頃のように無視されるよりはずっといい。


 エリンは、元盗賊だ。


 幼い頃から盗みを覚えさせられた。つま先立ちで足音を消す技術など、彼女にとっては息をするのと同じレベルだ。普通に歩かせようとしても、無意識に足音を消しているほどだ。


 そんな彼女も、所属していた盗賊団が一斉に捕縛・解散させられたことで、ただの孤児となった。


 それから元犯罪者の青少年を更生させる施設――つまりここに引き取られ、私の生徒となったのだ。


「世間の人はね、常につま先歩きで足音を消している人を見たら、なにか悪いことをしようとしてるんじゃないかって疑うものだよ。まともに相手してもらえない。せっかく更生したのに、普通の生活もできなくなるかもしれない」


「そしたら、今みたいに先生と暮せばいーじゃん? あたし、先生のこと好きだし。結婚してあげてもいいよ?」


「またそうやって大人をからかう……」


「本気だけどなぁー」


「なら言っておくけど。私は、言うことも聞いてくれない、悪い癖も直せない子とは一緒には暮らせないなぁ」


「え……っ」


 軽く返したつもりだったが、エリンは一瞬、顔を曇らせた。


 気のせいだったのか、すぐいつものヘラヘラした笑みに戻っていたけれど。


「あははは、冗談きついなぁ」


 とか言っていたエリンだが、その日から努力を見せるようになった。


 とにかく、つま先立ちを封印する作戦のようだ。


 ちょっと高いところにある物を取るときも、つま先立ちをせず、踏み台を探したり、私に取るように願ってきたり。


 歩くときは、まるで人形を不器用に操っているように、つま先どころか膝さえ動かさないようにしてしまっていたり。


 そんなエリンに、私は協力を惜しまなかった。


「……ていっ」


「うぉわっ! って、なんで悪戯するときだけ足音を消すんだ!」


 悪戯っ子なところは相変わらずだったが。


 それから数ヶ月の訓練を経て、エリンはいよいよつま先歩きの癖を矯正し、普通に歩くこともできるようになった。


「ふふーん、どうだ、先生。あたしもやればできるだろー?」


「うん、よく頑張ったよ。これで、あとは悪戯癖も直せば施設から送り出せるよ」


「……あたしって、やっぱり、ここを出ていかなくちゃいけないの?」


「まだ先だけれどね。更生したなら、自分の人生を自由に選ぶ権利がある」


「……あたしが選んでもいいの?」


「当たり前だよ」


「……先生は、イタズラされるの本当にいや?」


「いや、あれくらいは可愛いもんだと思ってるけど、他の人にやるようなら困ると……」


「あたし、先生にしかしてない」


「そうなのか。でもなんで私だけなんだ」


「だって……」


 エリンは珍しく目を伏せてしまう。それからなにか言いたげな上目遣い。


「ねえ先生、あたしずっと、つま先立ちは封印してた。たまに先生に使うことがあったけど、ずっとずっと我慢して、癖を直そうとしてたよ」


「知ってるよ」


「でもさ、今から一回だけ解放するよ。それくらい、いいよね?」


「まあ、一回なら癖が戻ることもない――ん!?」


 エリンは油断していた私に急接近していた。


 つま先立ちで、下から押し上げるようにキスをされていた。


「な、な、な……?」


「あははは」


 顔が熱い。エリンの残り香に胸がドキドキする。


 戸惑う私に、エリンはいつものように悪戯っ子な笑いを上げていた。


「こ、こら。なにを考えてるんだ」


「元盗賊らしく言うと、先生の唇、奪っちゃった」


「いくらなんでも悪戯が過ぎる」


「イタズラなんかじゃないし。本気だし。あたし、ちゃんと言ったけどなぁ。先生のこと好きだし、結婚してあげてもいいよって」


「……っ!」


 私の顔はますます熱くなっていく。むしろ全身が熱いくらいだ。


 いや確かにエリンは、とても可愛らしいし、なんだかんだ一緒にいて楽しいが……生徒と先生としての関係――いやそれ以前に年の差が。


「その反応、満更でもないじゃん。えへへ……なんか嬉しい」


「お、大人をからかうんじゃないっ」


「からかってないし。本気だし」


 とエリンは遠慮なく抱きついてくる。


「先生、どうせ他に恋人いないんでしょ? あたしと結婚しちゃお?」


 それが非常に魅力的な提案に思えてしまうあたり、私は先生失格かもしれない。


 しかし困った。


 これでは私のほうが、つま先歩きで足音を消して世間を歩かねばならなくなるじゃないか。

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