おとぎ話と賢者の鏡 〜白雪姫Ver.3

丸山 令

情報収集は念入りに

 磨き上げましょう。

 髪の一本一本から、足のつま先まで。


 あの方に愛されるために。


 この結婚は、政略結婚。

 それでも私は、しっかり悩んで、ちゃんと自分で選びましたの。

 あの方の元へ嫁ぐことを。



 厳格な淑女教育を終え、社交界へのお披露目が済んだ折り、私に提示された縁談は二件ありました。

 

 一件目のお相手は、母の従兄弟にあたる隣国の宰相。

 親子ほど年の離れたその方とは、私が幼い頃に、一度だけ会ったことがあるそうです。

 母が言うには、私はその方によく懐き、別れ際には『将来は、彼のお嫁さんになるの』と泣きついていたのだとか。

 それから幾歳月。

 すっかり忘れていたその方から縁談が持ちかけられたことを聞き、私は嫌悪感を覚えました。

 両親より年下とはいえ、その方は私より二十も年上。その彼が、幼女の戯言を本気にしていただけでも気味が悪いのに、幼い私を女として見ていたという事実に吐き気がしました。


 もう一件は、当時王太子であったフェルディナント殿下。

 眉目秀麗で名高い王太子殿下は、年も近く、同年代の貴族令嬢たちにとって憧れのまとでした。


 そのような状況でしたから、私がどちらを選ぶかなど、決まりきったこと。


 なのに、両親は難色を示しました。


 フェルディナント殿下は、やや見識が狭く、女性にだらしないと噂されているのだと。

 それと比較して、隣国の宰相は切れ者で王家の信頼も厚い。年こそ上ではあるが、真面目で誠実な人柄であると。


 宰相については、隣国のことですし よく知りませんが、フェルディナント殿下の噂は私も耳にしたことがありました。

 ですが、殿下の容姿はそのマイナスを差し引いても、私にとって十分魅力的でした。

 

 見識の狭い部分は、私が学んで補えば良い。

 女性にだらしないとは言うけれど、国一番の美女と名高い私を目の前にしたら、目移りなどしないに違いない。


 そう考え、私はフェルディナント殿下を選び、厳しい王妃教育にも耐えました。


 翌年、国王夫妻が流行り病で突然身罷られ、フェルディナント殿下は若くして戴冠し、国王陛下となりました。


 そして迎えた結婚式。

 私は国中の民からの祝福を受け、この国で一番幸せな花嫁、そして王妃になったのでした。


 華やかな式の後に催された晩餐会では、周辺の国々から多くの来賓が参加し、お祝いの言葉と贈り物を頂戴しました。


 中でも珍しかったのは、錬金術大国で知られる隣国から贈られた『魔法の鏡』。

 何でも『真実を映し出す鏡』なのだそうで、隣国内でただ一人の王宮錬金術師ブルーノが作り上げた、国宝級の品なのだとか。

 説明して下さったのは、隣国の王太子ディートヘルム殿下。その隣には、数ヶ月前にご結婚された王太子妃が微笑を浮かべて並んでいます。

 あら?

 でも、お二方とも目が笑っていませんのね。

 まぁ、それもそうでしょう。

 美男美女と称される私たち夫婦と並んでは、少々見劣りしますものね。


 その後、舞踏会を早々に切り上げ、私は私室に戻って参りました。

 フェルディナント様がお戻りになる前に、今夜の準備をしなければ。


 さぁ。

 磨き上げましょう。

 髪の一本一本から、足のつま先まで。

 大好きなフェルディナント様に愛されるために。


 浴室で、全身をくまなく洗い清められ、香りの良い香油を用いたマッサージをほどこしてもらう。

 一日中ハイヒールを履いていたため 蒸れてしまった足は、更に念入りに。

 ぬるま湯を張った たらいを部屋に用意させ、香りの良いハーブを入れて、領地から連れて来た専属の侍女の手で 爪の中まで細かくブラシをかけてもらう。

 

 ほら。

 どこから見ても完璧なレディーの完成ですわ。


 私は、頂いたばかりの鏡に向かって問いかける。



「鏡よ鏡。この世で一番美しいのはだぁれ?」


「それは、貴女様です。王妃ヴェッティーナ様。貴女こそ、この世で一番美しい」



 うっとりとした声で答える鏡には、花すら嫉妬するほど美しい 私の姿が映っていました。


 さあ、準備は整いましたわ。

 早く いらして下さいませ。

 フェルディナント様。


 私は胸を高鳴らせて、扉が開くのを待ったのです。





 結婚祝いの舞踏会は、大盛況だった。


 先王夫妻の訃報から、暗い雰囲気になりがちだった王宮は、絶世の美女である公爵令嬢ベッティーナの輿入れに湧き立っていた。

 祝いに集まった貴族らは、口々に国王夫妻の美しさを賛美している。


 中でも多くの人が集まっていたのは、美しい妃の両親である公爵夫妻の元。祝いの言葉を述べるため、入れ替わり立ち替わり慌ただしい。


 その人混みを颯爽とすり抜け、一人の紳士が二人の元へ歩み寄った。

 年の頃は、もうすぐ初老に差し掛かろうかといったところ。落ち着いた色味の仕立ての良い小洒落た装いで、銀灰色の髪を後ろにながしている。

 

「この度は、ご息女のご結婚、誠におめでとうございます」


 鋭利な美貌のその紳士は、丁寧に挨拶し、夫妻の前で柔らかに微笑んだ。

 それを見ていた周囲の貴婦人やご令嬢方が、歓喜の悲鳴をあげる。

 公爵夫妻は、親しげに返事を返した。


「宰相殿。ありがとうございます」


「ああ、ジークヴァルト。来てくれるとは思わなかったわ。ありがとう。それから、ごめんなさいね」


「何も謝ることはありません。盛大な結婚式で。皆様幸せそうで、私も安心したところです。陰ながら、お二人の幸せを祈念しております」


 和やかに応じると 一礼して、隣国の宰相ジークヴァルトは、輪の外へと出ていった。

 その後、多くの貴婦人らが彼に声をかけようと試みたが、ニヒルな笑みに見惚れているうちに、気付けばあっさりと巻かれてしまったとか。



 挨拶を終えた宰相が向かった先は、彼のために用意された控室だった。

 ソファーに立てかけられた一枚の鏡が、淡く発光しながら彼を迎える。



「今戻った。思ったより時間がかかってしまったが、退屈だったかな?」


「いえ。城内をあれこれ調べておりました故」


「そうか。して、ヴェッティーナ嬢はどんな様子かな?」


「大層磨かれて、つい先ほど準備を終えました」


「なるほど。さぞ美しかろうな」


 右の口角をあげる宰相に、賢者の鏡は鏡面を青白く光らせる。


 宰相は、鏡の正面にある一人掛けのソファーに腰を下ろすと、手すりに両肘を置き、口の前で両手の指を組んだ。


「試験の時、魔法の鏡は『この世で一番美しいのはヴェッティーナだ』と答えていたが、問いの裏に何の含みもなく、単純に美しさを問われた場合なら、賢者の鏡よ。そなたも同意見だったか?」


 賢者の鏡は、しばらく白色に淡く点滅していたが、やがて青白く発光した。


「容貌・容姿の黄金比、左右の対称さ、姿勢、立ち居振る舞い、服飾のセンス、また、妙齢であることなど勘案致しますと、女性の中から選ぶのならば、そうであったかと」


「ふむ。だが、そなたは『人によって異なる』と答えた。では、あの時そなたは、誰にとっての美しい存在を考えた?」


「それは……」


 賢者の鏡は光を弱め、言葉を濁した。


「言い難いか。分かっている。尋ねたのは私だからな」


 宰相は、ソファーに寄りかかり天を仰いだ。


「私が尋ねたから、ヴェッティーナの順位は下方修正されたのだろう? 私が彼女と親戚である上、過去に縁談を断られているから」


「そればかりが理由ではございませぬ……が、そういった面があったことは、否定致しませぬ」


 光を弱める鏡に、宰相はくすりと笑った。


「いやなに。責めているわけでは無いよ。それから、こんなことを言えば言い訳がましく聞こえるだろうが、私はヴェッティーナに、そう特別な感情を持っていたわけではないのだ」


 力なく笑う宰相に、鏡は淡く発光して先を促した。


「そなたも、この国の王の情報は、ある程度網羅していることだろう。或いは、彼のやや特殊なへきについても」


「ある一定の匂いに、強い執着があることに関しては、然り」


「ヴェッティーナは、幼い頃から完璧主義者だ。こと、美や香りに至っては神経質なほどに。それ故に、あの二人は相性が悪い。

 だから、王家から縁談が来たことを従姉妹から聞いた時、私からも縁談を持ちかけた。ヴェッティーナが別の想い人を見つけた際には、婚約を破棄してやるつもりで。実際は、そう上手くいかなかったが……」


 自嘲気味にそう言った宰相の顔には、娘を案ずる父親のような表情が浮かんでいた。


 賢者の鏡は、淡く点滅しながら考える。


(確かに、相性は悪そうである。

何せ、この国の王は、人間味のある悪臭ともいうべき匂いに性的興奮を感じる人種だ。特に、長時間靴を履き続けた際の蒸れたつま先の匂いなど、しゃぶりたいほど好きだという。常に清潔で、どこもかしこも良い匂いのする妃に、果たして愛着がわくだろうか?

まぁ、我らにはどうすることもできまいが……)


「夫婦のことですから、なるようになりましょう」


 上手い言葉を思いつかず、鏡がそう答えると、宰相はため息を落としながら、再び天を仰いだ。


「まぁ。なるようにしか、なるまいなぁ。実際、我が国にとっては都合が良くもあるのだ。罪悪感を感じないではないがな」





 一年後、二人の間には一人の女児が生まれ、国王の足は、王妃の部屋から遠のくようになる。

 また、政治が不得手な国王は、優秀な王妃への嫉妬から、彼女が治世に関わることを認めず、王妃に許された仕事は、社交のみであった。


 そして、不埒な国王は、今日も離れに見知らぬ女性を招き入れる。


 王妃ヴェッティーナは、自室の窓からその様子を眺め、魔法の鏡に向かって問うのだ。


「鏡よ鏡。この世で一番美しいのはだぁれ?」


「それは、貴女様です。王妃ヴェッティーナ様。貴女こそ、この世で一番美しい」


「そうですわ。あのような者より、美しいのは私。もっと磨かなければ。国における私の存在価値は、美しさしかないのですもの……」



 魔法の鏡が、同じ質問に別の言葉を返すようになるのは、それから九年後のこと。

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