アル中聖女の復活

魚野れん

うらぶれた聖女の復活

「聖女は死んだんだよ。とっくの昔にな!」

「そんな……!?」


 俺はやってきた人間達にそう吐き捨てた。すがりついてくるそれを蹴飛ばし追い払う。


「……ったく、あいつらの知っている聖女はもう存在しないってのに」


 世界が再び恐慌に陥っているのは知っている。だが、今の俺にはどうすることもできないのだ。俺はかつて、男ながらに聖女しか使えないとされている浄化の魔法を使うことができたが為に、女装して聖女として世界を救ったことがある。

 聖女の能力はある。消えていない。だが、あの頃を彷彿とさせる女性的な外見を失ってしまった。

 彼らの知っている聖女は、もうどこにも存在していないのた。


 もともと、無理な話だった。男の俺が、聖女をするなんて。俺は傾けたボトルの中身が空なことに気づいて舌打ちした。ぽいっと投げれば、それは跳ね返って俺の足元へと戻ってくる。ころころと、しかし俺の機嫌を気にするかのようなとろさで転がってくるそれを、つま先で遊ぶ。

 ずいぶんと遠い姿になっちまったな……。おとなしいが戦いに赴く時だけは熾烈、神々しさすら感じるとまで言われていた聖女マイロ。

 今では飲んだくれのおっさんだ。


 女装が不自然な女装にしか見えなくなる頃、聖女マイロは隠居を宣言して姿を消した。それからは普通のマイロとして過ごしてきた。聖女を敬う奴らからそれなりに頂き物などを貰ったし、今までの働きへの褒美としてまとまった金も入ってきた。

 ――だから、魔が差した。軽い気持ちで手を出した酒は、最高にうまかった。俺の愚行を止める身内もおらず、そのままアル中に転職だ。

 ま、これくらい別人になっていれば、誰も俺が聖女マイロだったとは思わないだろう。そんな考えがあったのも確かだった。が、それは言い訳でしかないと言われて当然というレベルで常に酔っ払っている。


「もう、助けてくれないの?」

「あ?」


 ふいに聞こえてきた声に驚き、俺は頭を上げた。そこには不法侵入してきた人間が立っている。一瞬どきりとしたが、見慣れた顔があってほっとした。

 大昔に助けた少女が成人して立派なレディになって、俺の正体を知ってもなお、慕ってくれている。命の恩人だからとずっとついてくる彼女だが、そろそろいい年齢になる。

 俺のことなんか放って、好きなことをすれば良いのにと思っているが、それを口にすると泣き始めるから困る。まだまだ中身はお子様だ。


「私を助けてくれた時みたいに、みんなのこと……助けてあげないの?」


 じいっと見つめられると、心の中がざわざわする。それは俺があの聖女マイロと同一人物であると理解している彼女に見つめられているから、聖女としてのプライドが蘇ってくるのかもしれない。

 蜂蜜のような目で見つめられると、どうにも弱い。


「……助けてやりたいとは、思うがな。分かるだろう? オルレア。俺はもう“聖女サマ”なんて見た目じゃなくなっちまった」

「でも……マイロは聖女なんだよ」


 分かっている。それくらい、分かっているんだ。俺はオルレアと目を合わせていられず、視線を逸らした。彼女の真っ直ぐな目は、俺にはきつすぎる。四十になったばかりだから耄碌するにはまだ早いのは分かっているが、オルレアは眩しすぎる。

 俺の目を焼きにかかる存在から目を背けてしまうのは、俺がまだまだ聖女という役割に未練があるからだろうか。それとも、助けを求めてくる人間に後ろめたい気持ちがあるからだろうか。もしかしたら、そのどちらでもなく、ただ真っ直ぐに見つめてくるオルレアが恐ろしいだけなのか。


「聖女マイロ、あなたは彼らを見捨てるんですか?」


 やめてくれ。わざわざ敬語を使ってまで言ってくれるな。俺はテーブルの上に残っていた酒のボトルを掴み、その中身をあおるように喉へと流し込んだ。かあっと喉が焼ける感覚を楽しむ。胃袋に届くと同時にアルコールが回ってくる気がした。

 まあ、気のせいなんだが。

 それにしても、俺のこんな姿を見ていても幻滅しないでいるとは大した女だ。アルコールが体内を巡っていくのを感じて――もちろんこれも俺の気分的なものだ――気分を大きくした俺は、再びオルレアに顔を向けた。


「俺が今、聖女マイロだと名乗り出たところで信じてもらえると思うか?」

「そ、それは……」


 俺の言葉にたじろいだオルレア。そうだ。それが全員の出す答えだ。ボトルに残った液体をぐいっと飲み干し、ぽいっと捨てた。ごとりと音を立てたそれは、重い音を立てて転がった。今度はオルレアのつま先に当たって動きを止める。

 こんなザマ、俺を崇めていた彼らが見たら絶望するだろうよ。俺は自嘲ぎみに笑う。


「でも、あなたが浄化する姿を見れば、誰だって納得するはず!」

「そう簡単にいくかよ」


 人間、見た目で判断するものだ。どんな奇跡を起こしたって、認めてくれるわけがない。そう思ったからこそ、自然な女装ができなくなった時点で隠居したのだ。ああ、最悪だ。

 彼女のつま先にぶつかった瓶に映り込んだ無様な自分の姿に、皮肉の笑みを送る。


「いい加減にしてよ! 私が尊敬した聖女マイロはそんなんじゃない!」

「だから、聖女マイロは死んだんだって」


 諦めの悪いかつての少女に、俺は諦めてくれという気持ちを込めて言葉を送る。だが、彼女には通じなかった。オルレアは潤んだ目を向けてくる。そこには怒りも込められている。

 信じる者に裏切られたという気持ちが、彼女の心を燃やしているのだろう。俺に命を救われたからこそ、きっと今の俺の姿が許せないのだ。


「嘘よ! あなたは現実から目を背けたいだけ。アルコールの力で意識をもうろうとさせることで、助けの声から逃げている自分を忘れたいだけ」


 耳が痛い。オルレアが言っていることは、だいたい間違っていない。もしも、俺が女性的な外見のままだったら。もしも、そもそも俺が女性として生まれていたら。あり得ないことだが、この“もしも”が現実だったら、きっとこんなことアル中のおっさんにはなっていなかっただろう。


「じゃあ、私があなたの能力が必要だと言ったら、浄化の力を使ってくれる?」

「は?」


 耳を疑うような発言に、思わず素の声が出る。彼女の表情は真剣そのものだった。


「これから私、あの町に向かうつもりよ。何の能力もないけど、できることはあるかもしれないし」

「おい」

「そこで私が野垂れ死んだら、心優しいあなたはきっと自分のことを恨むんでしょうね」

「待て」


 オルレアが彼らの町へ行ったところで、何もできずに終わるだろう。むしろ、被害者の数を一人分増やすだけだ。

 どうしてそんなことを、と口にしようとして気づく。彼女は、そこまでしてでも俺を引きずり出そうとしているのだ。助けを求める声を無視してこの家に引き籠もり、アルコールを浴びる日々。それを、終わらせる為だけに。


「私は聖女マイロに救われた。だから、私は聖女マイロに恥じない生き方をする」

「オルレア、そんなことで命を無駄にするな」

「無駄? 無駄じゃないわ。何の為に、落ちぶれた聖女を見守ってきたと思ってるの。聖女マイロが、情の湧いた相手が犠牲になっても平気でいられる人じゃないって知ってるからよ」

 

 反論できなかった。確かに俺は、情を大切にするあまり、何度か危険な目に遭ったことがある。それでも、俺は自分の行動を後悔はしなかった。

 俺は、今ここで立ち上がらなければ、このままオルレアを見送り彼女を死に至らしめることになるだろう。だが、情けないことに……「お前は聖女マイロではない」と言われることが恐ろしい。


「……いくじなし」

「……」


 オルレアの口から可愛らしい悪態が吐き出されるが、俺は何の言葉も返せなかった。彼女はずいっと俺に顔を寄せ、至近距離で睨みつけてくる。

 酒臭い自覚のある俺は、息を止めた。


「今、私の命と自分の心を天秤にかけたでしょう」


 まともな運動をしなくなって、どれだけ経っただろうか。すぐに息苦しさを覚えた俺は、努めてゆっくりと鼻から浅い呼吸を再開する。

 色んな意味で、この場から逃げ出したかった。


「一生後悔する? それとも、誰からも信じてもらえない恐怖を抱きながら聖女として人々を助ける? あなたにとってはどっちも辛い道だって、私も分かってるわ。でも! こうしている間にも、無辜の命は失われているのよ」


 かつての少女に、ここまで言われても……俺の覚悟は決まらない。最低な人間に成り下がったものだと、我ながら思う。


「――私とに聖女をやるっていうのはどう?」

「は……?」


 オルレアが不思議なことを言い出した。俺は想像が追いつかなくて固まった。

 俺の反応が鈍いことなど気にした風でもなく、彼女は語る。


「自分が聖女だって、聖女マイロは自分だって言うのが恐いなら、私があなたの身代わりになる。私が聖女を名乗り、あなたは私のそばで力をふるうの。

 私、あなたを動かす為なら何だってするわ」


 若い娘を盾にして、活動しろと言うのか。この俺に。人々の目を恐れ、偽りの聖女を立てて……人間としてクソじゃないか。

 彼女の突拍子のない提案は今までの叱咤よりも効いた。人々の助けを求める声よりも、全てを知ってなお叱咤する言葉よりも、身代わりの提案が心に堪えた。

 俺は、守られる側の人間じゃない。守る側の人間なのに。それだけの能力があるのに、女性じゃなかったという点一つで手のひらを返されることを恐れている。それを見透かされ、提案されたのだ。


「…………いや、代理は立てない」

「ついてきてくれるの!?」


 俺はようやく重い腰を上げた。飲んだくれの酔っ払っいにオルレアが抱きついてくる。酒臭いおっさんに気にせず抱きつくとか、まだガキかよ。

 俺は昔に比べてずいぶんと近くなった頭をぐりぐりと撫でる。


「あ? お前、行くつもりなのか?」

「当たり前でしょう。誘った人間が行かなくてどうするのよ。あと、多分私が必要になると思うし」


 さっきまで激昂したり変な提案をしてきたりと忙しかったオルレアは、今はにこにこと嬉しそうに笑いかけてくる。俺はそんな彼女に引っ張られるように歩かされる。

 少し動けば空瓶につま先が当たる。……あぁ、断酒しねぇとな。

 軽く蹴り飛ばした瓶が転がって別の瓶にぶつかる姿を視界の端にとらえた俺は、そんなことを思うのだった。

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アル中聖女の復活 魚野れん @elfhame_Wallen

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