第9話 1回目の挑戦

 口を開けて、ニコロもステラも目の前の現実を受け止める。

 老紳士側の黒スーツたちは一糸乱れぬ動きであっという間にチンピラを伸してしまった。老紳士が山高帽を片手で持ち上げながら、チャーミングな笑みを浮かべる。


「マフィアと聞いて警戒していましたが、ただのチンピラだったようですね」

「あの……あなたは……」

「名乗りが遅れて失礼しました。わたくし、アルデジア・モンテベッロと申します。マリア・モンテベッロ市長はわたくしの妹です」

「市長のお兄さん、でしたか……」

「わたくしたちサングエ市民にとって芸術とは守り育てるもの。芸術家は全力を挙げて守るもの。……今までよく頑張られましたね」


 ステラは唇を震わせて「ちがう」と呟いた。金糸の髪が青ざめた顔を隠す。両太ももの横で、手が開いては閉じを繰り返す。苦し気な呼吸を浅く繰り返しながら、徐々に手は持ち上がって、胸の辺りの布を握る。猫背の背中が更に丸まる。


「僕、僕は、そんな御大層なものじゃない。尊敬されるような人間でもない……! だって、僕は絵が嫌いだ。自分の絵のどこがいいかなんて分からない。他人の絵だってどうでもいい。競争はしたくないし、楽して生きたいし、苦しいのは嫌だし、そのくせ、一丁前に人間扱いしてほしがってる。……こんな、こんな醜いやつのどこが褒められるに値するって言うんですか!!?」

 

 かすれた叫びだった。

 濁って淀んだ黒いタールのような内心。ニコロは立ち上がってステラの肩を軽く叩く。


「君が君を嫌いでも、君が絵を嫌いでも、少なくとも私は君の絵が好きだ。絶対に追い抜かしてやると気合が入る」

「……気合?」

「うん、気合だ。君に勝ってやるという気合だ」

「もしかして、僕を助けたのって……」

「それは、凍死者を出したらサングエ市の名折れだと思ったからだ」

「じゃあプレゼントは?」

「アルベッロとセレーノにねだられたからな!」


 ステラは深く息を吐いた。ゆるゆると口角が持ち上がって、吐息だけの笑い声が広場を震わせる。咳に似た笑いをしばらく続けてから、ステラは袖で目を拭った。ニコロの濃茶の目と、ステラのディープパープルの目が初めて合う。


「気に入った。善意とかは分かんない。だけど、あんたにはあんたの打算があって僕を助けたんだろ。じゃあ、お礼にずっと前を走ってあげる。精々頑張って追いかけてきてよ。ダヴィデ・ヴィオレッタ」

「もちろんだとも! 私はつま先立ちを続けるともさ!」

「つま先立ち? なんのこと」

「こちらの話だ!」


 2人は冬のサングエ市庁舎前広場で固い握手を交わした。

 これはニコロ・ブラシアという画家が、天才画家ステラ・ヴェルデのつま先に届こうと繰り返した1万近い挑戦の第1回目である。

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ニコロ・ブラシアという男のつま先立ち 一華凛≒フェヌグリーク @suzumegi

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