第8話 冬越し祭

 冬越し祭ドルミーレ・オルソの朝、ニコロはステラと共にサングエ市庁舎前広場マーケットの一角に店を出した。

 元は木彫り人形のみを出す予定だったが、モンテベッロ市長に許可を取って絵画の販売も行うことにしたのだ。先に売り切れたほうが1つ願いを叶えてもらう条件のもと行われた勝負は昼時点でステラが9割、ニコロが2割を売り上げている。

 営業スマイルを保って接客しながらも、ニコロは拳を握り固めていた。呼吸が浅くなり、背中を汗が流れ落ちる。


「ありがとう、ございます」


 ステラの絵が、あと1枚になった。

 目をつむり、浅く息を吐く。心臓は激しく動いていたが、頭はひどく冷静だった。顎を上げて、冬越し祭ドルミーレ・オルソを見渡す。人々が輝く笑顔を浮かべて行き交うサングエ市庁舎前広場。冷や汗を流して俯いているのは、隣に座るステラくらいだった。助けたい、とニコロは思う。力が足りない、とも。

 影が2人の間に落ちた。


「いらっしゃいませ」


 山高帽を被り、糊のきいたスーツを着た老紳士が2人の木製小屋スピーガの前に立っている。


「この絵は?」

「私たちが描いたものです。100パヴォーネからです」

「ふむ」


 老紳士は冷や汗を垂らしながら俯くステラを見、次いでニコロを頭からつま先まで観察してきた。

 あごひげを老紳士がさする。老紳士の後ろ、何メートルか後ろに、昨日家に来た男を見つける。ニコロの額に汗が流れた。血走った目をした男が木製小屋スピーガ目掛けて速足に寄って来る。


「この盗――」

「これは、ダヴィデ・ヴィオレッタとステラ・ヴェルデの絵だろう。100パヴォーネでは安すぎる。自分たちを安売りするものではないよ」


 静かな声が男の喚き声をかき消した。

 老紳士が右手を挙げると、左右から黒スーツの屈強な男たちが現れて喚き散らす男を取り押さえる。


「どちらも買い取ろう。全部で1万チーニョだ」

「高、すぎ、ます!」


 ステラが驚いた様子で立ち上がる。その肩をそっと抑えて、ニコロはゆっくりと微笑んだ。


「見抜いてくださり、ありがとうございます。こちら、ステラ・ヴェルデさんです。あちらの男は彼の実父ですが、彼に無体を働いていました」

「適当、言うんじゃ、ねぇ!」


 ニコロの右頬に男の投げたカッターが当たり、細い傷をつける。老紳士が目を細める。


「ハッ、当然の報いだ! さぁ返せうちの稼ぎ頭!」

「画家の目が駄目になったらどう償うつもりだったのかな、貴方は」

「誘拐犯がどーなろーと知ったこっちゃあないね! おい、やっちまえ!」


 男の後ろから続々とガラの悪そうな若者たちがバールや拳銃を手に歩み出る。

 冬越し祭ドルミーレ・オルソの喧噪が、にわかに緊張を帯びる。老紳士はピンと背筋を伸ばして、杖を石畳に打ち付けた。


「芸術の都で暴力に訴え出るとは、嘆かわしい。皆の衆、頼みましたよ」

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