第5話

 あくる日、紋太郎は吉兵衛を伴って『すずめ屋』に姿を見せた。吉兵衛は紋太郎の幼馴染であり、近在の百姓であった。吉兵衛も仕事の合間を見ては、七文字屋に投稿する者であった。畑仕事を通して知る、実りの喜びや、自然の木々や、花々を題材に短い文を書いた。その誠実な文体に共感する町娘たちに一定の人気を得ていた。たまに十位以内に入ることもあった。


「お秋ちゃん、お銚子二本、肴は何か見繕ってくれや」

「岩魚の大きいのが入ったから塩焼きなんかはどうです」

「いいねー、それにしてくれ」

「紋太郎さんは和尚さんとこに行ったけぇ」

「まだだ、また行きゃ説教だ。急いで行くこともなかろぅーて」

「吉兵衛さん、久しぶりですねぇ」

「お秋ちゃん、しばらく見ない内に綺麗になったね」

「そら、言ったことじゃねぇー、吉兵衛はお世辞なんぞいわねぇー男だぜ」

「知らない、二人して私をからかって」まんざらでもない様子で、お秋は料理を注文しに、奥に入った。『すずめ屋』は暖簾が出たばかりで、他に客はいなかった。


「紋太郎さんは江戸で何をしてなすったがや」

「吉ちゃん聞いてくれるかね。俺は金輪際〈長どす〉を捨てる覚悟で江戸に行ったのだよ。七文字屋の紹介で、江戸の大版元、蔦野屋嘉平のところに住み込んだ。辛抱なんて越山和尚のところを飛び出してからしたことのない俺には、慣れない堅気の仕事は少し辛かったが、仕事を覚えるのに必死だったよ。甲斐あってやっと、作家さんとこに原稿取りに行かして貰うようになったのが一年前、江戸で今、人気作家の女作家さんとこに行ったら、お夏さんと加代さんじゃないか、おいらは喜ぶと同時に、驚いたよ。江戸に出て、二人に会えないかと、そればっかり考えていたよ。江戸にいなきゃ何処に行ったろうと思ったものさ。それが、人気作家として活躍してるじゃないか。国に知らせているかと訊くと、してないという。三年の勤めが終わったら今市に帰って、七文字屋を手伝と言うと、二人はおいらのために気持ち良く新作を書いてくれ、おいらは蔦野屋でもいい顔になったってわけさ。今市に帰っても、これからも年になんぼか書いてよこしてくれるという話だ。これで七文字屋も、もう一回息を吹き返せるってわけだ。吉ちゃんお前も何か書いておくれよ」

「紋太郎さんお前の思いが通じたんだろうさぁ。いい修行をしたってわけだ」

「そうだね、版元に入ってなきゃ逢えなんだわけだから、神も仏もあったってわけさ。お秋ちゃん聞いてたろう。お夏さんとの出逢いはそういうことなのさ」

「紋太郎さんありがとう。もう姉さんとは逢えないと思っていた。夕べ、志帆さんとこに行って一冊借りてきて、お父っつあんに読んで聞かせたら、お父っつあんも泣くし、私も泣いてしまった」思い出したのか、声は涙声であった。

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今市宿騒動記 北風 嵐 @masaru2355

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