おまけ

 婚前交渉禁止、の言葉は絶対だ。

 また、俺もあと二年で魔法使いになれると、もはや意地になって目指しているところでもある。

 誓いを守りながら、鈴華さんと手を繋ぐ以外は健全にお付き合いして、一年以上経ったある日のこと。

 

「うーん、これは帰れないな」

 

「ホテルも埋まってて、お断りばかりです……」

 

 土曜日、少し遠目の行楽地に遊びに出かけたが、事故渋滞に巻き込まれた。

 さらに高速は一部悪天候により封鎖。

 下道がとんでもなく混み、歩いた方が早いと思うほどの信号の繋ぎの悪さに四苦八苦した結果、深夜になっても半分しか帰路を進めていなかった。

 

 鈴華さんにも助手席からホテル予約をお願いしたが、当日枠はなく、あっても埋まっている。電話もしてくれたが、駄目だった。

 

「車中泊にしましょう。金太郎さんもたくさん運転して疲れたと思いますし、無理しない方がいいと思います」

 

 確かに、疲労感はある。

 高速で今は真っ直ぐに車を走らせているが、深夜帯の視野も悪い中、判断力が鈍るのも良くない。

 しかし車中泊と言っても、何も準備はしていない。

 サービスエリアに車を止めて、シートを倒して寝るのがせいぜいだ。カーテンもないし外から丸見えになってしまう。

 俺はいいが鈴華さんが可哀想だと車を走らせながら悩んでいると、あるものが目に入った。

 車中泊と、あれなら、どちらが安心して体を休められるか。

 もはや致し方ないと、高速を降りた。

 

「……? 降りるんですか?」

 

「降りる。確かに、このまま走るよりは止まった方がいい」

 

 不思議そうにしている鈴華さんと近くにあったコンビニで衣類を買うと、一緒にある施設に向かい、受付で部屋を借りた。ちゃんと宿泊になっている。

 一部屋のみになっているのは許してほしい、そういう物なのだ。おっさんとして一緒に寝たこともあるし、車中泊なのか部屋が同じなのかの違いだけだと鈴華さんも覚悟は決めているようだ。清いお付き合いで安心してくれているのもあるだろう。

 

「当日に予約なしで入れるホテルなんてあるんですね」

 

 外観があまりそれっぽくなかったから気づいていないのだろうと、勘違いを微笑ましく見守った。

 普通のホテルではないのだが、変に緊張されても困るから好都合だと思いながら、部屋に入った。

 

 ちゃんとベッドもお風呂もある。見た目は大してビジネスホテルと変わらないが、割と広い。

 

「あー、休めると思ったら一気に疲れが来るな……先にお風呂入ってもいい?」

 

 途中助手席で眠っていた鈴華さんが、もちろんと送り出してくれたので、シャワーを浴びに向かった。

 Tシャツと短パンに着替えて戻ったが、鈴華さんはなぜか真っ赤になってベッドに座っている。

 

「鈴華さん、お風呂どうぞ」

 

「は、は、はっ、はいぃっ」

 

 跳ね上がるように風呂場に向かったが、何かあったのだろうか。

 一応部屋を暗くして携帯のカメラで部屋を見たが、何もなかった。たまに赤く光る何かがあるらしいのは、誰かから聞いた。

 改めて明るくしてベッドに座ったが、ふと、テレビがあることに気づいた。

 もしや。

 リモコンが近くにあったので付けたが、とんでもないものが流れている。

 これは、ここがどういう施設なのか気づかれたな、と、諦めながら消した。

 何もしなければ男女で泊まりやすいホテルなのだが、刺激が強かっただろうか。

 

 部屋を興味深く見ていると、鈴華さんもコンビニで買ったTシャツと短パンになって戻ってきた。

 何かを飲み込むように息を吸い、小さく吐くと、なんとか歩き出した。

 

「寝ようか。電気消すよ」

 

「ま、まっ、待って、くださ……っ」

 

 ガチガチに緊張しながらベッドに意を決して乗った彼女に、つい笑ってしまった。

 

「ごめん、普通に寝るつもりで声かけた。何もしないから安心して」

 

 お付き合いして一年以上経つが、手を繋いだだけで、キスすらしたことがない。

 お父様にちゃんと信頼してもらえるように、約束は守っている。

 

「同じベッドにだけなるけど、初めて会った俺の部屋に泊まった時よりはハードル低くない?」

 

「あれも、すっごく緊張して寝たんですからねっ」

 

 帰れないし、特殊メイクなどもお風呂で落としてしまったし、でも見知らぬおっさんでも介抱してくれるいい人だったから、何もされないと信じようと覚悟して布団に横たわったらしい。

 

「今はそれより信じてないってこと?」

 

「違いますっ。だ、だって、お付き合いしてるし、ここって」

 

「そういうことに使える施設かもしれないけど、普通にしてたら普通のホテルだよ。ベッドがダブルなだけ……ふあぁ。さ、寝よう。俺ももう眠い」

 

 わざとあくびをして寝転がって見せると、なんとか一緒に布団に入ってくれた。

 魔法使いになるための修行だと思って、隣に寝転ぶ美少女がじっと見つめてくるのに耐える。

 この困難に立ち向かってこそ、魔法が使えるようになるはずだ。そういうことにした。

 

「金太郎さん」

 

「ん?」

 

「しないんですか?」

 

 誘惑するのはやめてほしい。

 俺はちゃんと理性のある大人だ、魔法使い見習いだと自分に言い聞かせて、頷いた。

 

「お父様に申し訳が立たないことはしないつもりだから、何もしないよ。初めての場所が不安なら、手でも繋いで寝る?」

 

 からかって手を繋ぐと、鈴華さんが思い切ったように転び、腕を抱いてきた。

 ブラはつけていないのだろうか、柔らかい何かに腕が触れる。失敗した。距離を縮めるのではなかった。

 

「おやすみ」

 

 抱き枕にしたいだけだと必死に理由を作り、「おやすみなさい」と返してくれる鈴華さんと手を繋ぎながら、なんとか眠った。鈴華さんも眠れたようで、起きたら可愛らしい寝顔を見られた。ここにも修行の要素があった。

 お互いに朝食を喫茶店で食べながら「お父さんにも何もされませんでしたって伝えておきます」「やめて、泊まったのがわかっただけで怒られるかも」なんて笑いながら話した。

 高速の状態もよくなっていたし無事に送り届けられたが、修行の徳を積めてよかったと、自分の我慢強さに心底感謝した。




 それから、さらに一年近くが経過した。

 誕生日を迎え、童貞のまま三十歳になった。これで無事に魔法使いに転職出来たはずだと安堵した。

 節目のプレゼントは何がいいかと聞かれたので、手作りのケーキをねだった。断られるかと思ったのだが、鈴華さんが俺のアパートの台所を使い、お祝い料理まで用意してくれて感激した。

 同棲や新婚ってこんな感じなんだろうか。

 もはや新婚も通り過ぎた玉城は半同棲の時代から凛子さんの料理が美味しいことを自慢していたが、胃袋を掴まれるってこういうことかと実感してようやく、自慢したくなるのも分かる気がした。

 

「金太郎さん、お口に合いますか」

 

「美味しいよ。お店に負けてない」

 

「本当ですか? よかった。初めて作ったから心配だったんです……嬉しい」

 

 自炊もするらしく、料理はどれも美味しかった。ケーキはクリームの絞り方が上手くいかずに何度もやり直したり、大変だったらしい。そういう苦労も含めてプレゼントをもらった気分だと伝えると、照れて赤くなっていた。

 さらにご両親からも誕生日のプレゼントをいただいた。昨年は高級ビールとおつまみのセットで、これが素晴らしく美味しかった。

 今年も中を見てからお礼を言おうと、包装紙を開ける。

 

 DVDと本、箱が二つ四角くなるように計算されて積まれている。

『女性に優しいほにゃららの方法』だの『初心者向け』だのが羅列された本やDVDと、ドラッグストアで「俺は関係ない」と足早に通り過ぎてきた場所に置かれている物が二箱一緒に包まれているが、幻を見るような魔法でもかけられているのだろうか。鈴華さんの家にも魔法使いがいたのかもしれない。

 

 冗談だと思ったし、ジョークが通じる誰かに贈る物と間違えたのかと思ったのだが、何度見ても俺が鈴華さん宛に送られたというプレゼントだ。ちゃんとメッセージカードにも『松坂金太郎様』と名前が添えてある。

 

『魔法使いに転職おめでとう』

 

 一瞬で職を失いそうなセットだし、どうお礼を言ったものかと考えていると、鈴華さんが俺の様子に気づいてご両親のプレゼントを見つめた。慌てて隠された。

 

「なんですかこれっ!?」

 

「いや。俺も聞きたい。……お礼も言おうと思ってるし、電話してもいい?」

 

 もはや何も考えつかないので、相手の反応を見ながら話そうと思ったのだが、真っ先に鈴華さんが携帯を手に、文句を電話していた。被害に遭うとしたら自分なのだから当然だろうと見守った。

 

「お父さんが用意したの!?」

 

 お父様。魔法使いに転職してもまだ魔法が使えないので、我慢を覚えるための試練でしょうか。

 代わるように言われたらしく、鈴華さんが携帯を貸してくれた。電話の相手はお母様だった。

 

「ごめんね、金太郎くん。お父さんが節目の誕生日プレゼントにするって聞かなくて」

 

「いえ、ありがとうございます。出番が来るまで勉強しておきます」

 

 何も今日使う必要はない。今から学んでおけという男同士の指示だと理解した。結婚した時にスムーズにことを運ぶのに、有効利用してくれということだろう。修士課程を終えてもまだ付き合っているようなら結婚してもいいと言われているし、あと二年近くあれば十分に学べるだろう。

 ところが。

 

「それがね。大人向けのホテルに行っても何もされなかったって鈴華がちょっと悩んでるってお父さんに言ったら、流石に可哀想になったらしくて。金太郎くんがいい子なのは十分に伝わってるのに、現代で固すぎるか、って思い直したんですって」

 

 あの日、血迷うことなく無事にお返ししたことで、どうやらご両親にも信頼はしていただけたようだ。

 

「だからもう、魔法使い? 目標は達成したなら、あとはご自由にって。婚姻届も二人のいい時期に提出してあげるから、若い二人にあとはお任せします、ってことみたいよ。素直に言わないけどね」

 

 素直になっていただいた内容が激しすぎるが、何よりもお父様に認めてもらえたことが嬉しい。

 

「お祝いの激励としていただきます。お父様にもよろしくお伝えください」

 

「はいはい、ちゃんと受け取ってくれたわよって伝えておくわ。お誕生日おめでとう、金太郎くん。うちの娘を今後ともよろしくお願いします」

 

 なんとかお礼をお伝えして、電話を切った。もはや目の前で真っ赤になって縮こまっている娘さんが返された携帯を震えながら受け取っている。

 

「ええと。ちゃんとお祝いであってたって」

 

 言葉もなく頷いているが、さてどうしたものか、と魔法使いも困ってしまう。

 ご両親の許可もあるし、このまま魔法使いを卒業してしまうのか。

 緊張に震えている年下の彼女を見ていると、このまま手をつけるのも早すぎる気もする。

 

「鈴華さん」

 

「はっ、はいぃっ!?」

 

 目を閉じて驚いたような彼女を見ていると、ついおかしくなった。

 

「……じゃあ鈴華さんからの誕生日プレゼントは、お祝い料理以外に一個、余分にもらおうかな」

 

 そう伝えると、手を必死に握りしめているので、目の前にあぐらを組んで座った。

 初めて彼女の頬に触ったが、柔らかい。化粧のパウダーなのか、手触りがサラッとしていた。

 覚悟を決めているのか、目を固く閉じて耐えるように震えている鈴華さんが、されるがままに任せてくれる。

 心臓の鼓動が聞こえそうなほど赤くなった顔に口を近づけると、初めて彼女の唇に触れた。人差し指で。

 

「っ!?」

 

 キスされたと思ったのだろうか、息が止まっている。

 あまりにも反応が可愛らしくてつい笑ってしまうと、唇ではないことに気づいたらしく彼女が目を開けた。

 

「金太郎さんっ」

 

「ごめん、わざとじゃないんだけど。可愛いから笑っちゃった」

 

 拗ねたように怒っている彼女が楽しくて、ぎゅっと唇を閉じている姿にまたおかしくなった。

 

「私、真剣なんです」

 

「知ってる。俺もそう。……キスしてもいい? まだしたくない?」

 

 意志確認をすると、ちょっと睨まれたが、頷いてくれた。

 少し彼女を引き寄せて、唇を重ねた。

 柔らかくて、口紅なのかリップなのか、いい匂いがする。

 お互いに多分初めてのキスを終えると、目の前の彼女が参ったように赤くなっていた。

 

「ファーストキス?」

 

「だ、だって、金太郎さんが、初めての、恋人、なのに……」

 

 付き合って二年以上、キスすらしてこなかった。

 両親にお膳立てもされているし、この先を想像してさらに緊張している鈴華さんのほっぺにも口をつけてみた。驚いて跳ね上がられた。

 

「き、金太郎さん……」

 

「今日はキスだけにしたいんだけど、駄目?」

 

 そう教えてあげると、覚悟を決めているような鈴華さんに潤んだ瞳で見上げられた。

 可愛い年下の彼女の唇を思い切って奪うと、見つめ合う。

 

「こうやって少しずつ鈴華さんと過ごしたいから。急がずにゆっくり、一個ずつ思い出にしたい」

 

 がっついて今日全部食べてしまわなくても、鈴華さんは逃げずにいてくれるだろう。

 彼女の愛情深さも、真剣さも、思い知っている。

 キスだけでもはや手いっぱいなのも伝わってきたし、誕生日だからとなし崩しにしたくない気持ちもあった。

 

「鈴華さんは魅力的だし、俺は大人だと思って我慢してるだけだから。本当はホテルに行った時も、お父様への誓いがあるから手を出さなかっただけで、ちょっと悩んでたくらいだし」

 

 気にしていたのならと思って声をかけたのだが、手のひらに頬を寄せてくれた鈴華さんが恥ずかしそうに頷いた。

 

「頑張って近づいたんですけど……金太郎さん、本当に寝ちゃって……」

 

「大切にしたいと思ってるから、鈴華さんのこと」

 

 三度目のキスに彼女は、懸命に唇を合わせてくれた。こんなに女性の唇は柔らかくて気持ちいいのかと、感動した。

 

「ちゃんとお互いにいい思い出にしよう。出来ればキスの思い出を、まずはたくさん欲しい」

 

 素直にお願いすると頷いてくれる。

 

「私も、そうしたい、です……」

 

 鈴華さんの、つぶやくような言葉を包むように唇を重ねた。

 純情な彼女と、今まで出来なかったことを一つずつクリアしていく。

 いずれ魔法使いも廃業してしまうのだろうが、こうしてゆっくり彼女と時間を過ごすのが幸せだと、お互いに額を合わせて笑い合った。

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終電を一緒に逃したおっさんが、実は特殊メイクをした女子だった件について 丹羽坂飛鳥 @Hidori_Niwasaka2025

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