8時50分

「西川土右衛門、おもてを上げよ」


 西川が顔を上げると、上座には吉宗が座っていた。更にその両横には勘定奉行・成島と町奉行・大岡が控えている。

 貧乏旗本の西川からすれば雲の上のような3人が目の前に現れて、西川は恐縮のあまり再び頭を下げてしまった。


「面を上げよと言っておるだろう」

「恐れ多すぎまする……」


 それでも顔を上げなければ却って無礼である。西川は頑張って体を起こした。


「仔細は聞いた。西川、そちがご禁制の薬を市中にばら撒いていたという疑いは晴れたぞ」

「ありがとうございます! ……あの、そしたらなぜワシは呼ばれたのでしょうか?」


 西川はまだ気が休まらない。『将軍乱舞!』の初期シリーズでは、上様に呼び出されて悪事を問い詰められて破滅するというパターンもあった。ここから成敗エンドに移行する可能性も十分にあるのだ。


「そちが書いたこの帳簿のことだが……」


 ほらきた。西川は肩を竦める。不備はないつもりだが、悪役補正で身に覚えのない帳簿の改竄を糾弾されてしまうのか。


「実によく書けている。このやり方はそちが考え出したのか?」

「え? いや、それは江戸の商人の大福帳を参考にして、ワシのやり方に合った書き方にしただけで……」

「この帳面の書き方を、幕府にも役立ててほしい」

「えっ、えっ?」


 思わぬ言葉に西川の声が裏返った。


「この前の築山の件といい、最近は幕府の勘定方の不正がはびこっている」


 隣の勘定奉行が申し訳無さそうに頭を下げる。


「そこで、金銭の流れを見張る監査方を、勘定奉行直属で作ろうと思っているのだ。西川土右衛門、そちの腕を見込んで、ぜひともこの監査方に参加してほしい」

「わ、ワシなんかでよろしいのですか!? 代官を勤めるのが精一杯の貧乏旗本ですぞ!?」

「それを言うなら俺は紀州の四男坊よ。代官の職にあっても不正を働かなかった、そちを見込んでの願いだ。頼む」


 天下の将軍に松浦まつら健太けんたの声で頼まれては、応じるほか無い。


「は、ははぁーっ!」


 西川は深々と頭を下げた。


 彼のような真面目な人間が報われる世の中を作りたい。そう思う吉宗であった。

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時代劇の悪代官に転生してしまったので成敗エンドを回避しようとしたけど、上様に全部持っていかれた 劉度 @ryudo

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