8時45分
侍たちに拉致された西川が連れてこられたのは侍屋敷であった。
「奉行所じゃないんか!?」
「とっとと歩け!」
縄で縛られ、足蹴にされながら西川は庭まで連れてこられた。庭に面した座敷では、3人の男が酒を酌み交わしていた。
「おお、上手く捕まえられたか」
初対面の勘定組頭、
「これで我らの身も安泰でございますな」
原作ドラマで西川と共に悪事を働いた
「斬りますか? 準備はできています!」
そして年貢を横領しようとして、西川にクビにされた御家人の中里であった。
「お前たち……え、待ってどういう集まり? 何これ!? 奉行所じゃないんか!?」
混乱する西川に対して、築山が話しかける。
「西川。お前には腹を切ってもらう」
「なぜ!?」
「お前は代官の地位を悪用し、領地でご禁制の品の阿片を栽培した。それらを江戸市中で売り捌き、巨額の富を得ていたのだ。それを奉行所に嗅ぎつけられたお前は、今までの罪をすべて認める遺書を書いて切腹するのだ」
まるで身に覚えのない罪状だ。原作でもやったのは年貢の横領で、阿片の密造などやっていない。まさか、と西川は推察する。
「お主の悪事を、ワシに押し付けるつもりか……!?」
「フン、察しが良いな。その通りだ。なあに、切腹で武士の名誉は守れるのだ。悪くはなかろう?」
「お断りじゃ! そもそも誰が信じるんじゃそんな話! 悪いことは何もしとらんぞ!?」
「ところが証拠があるのだよ。中里!」
「ハッ! 西川の裏帳簿をでっち上げ、勘定所に持ち込みました! 今ごろ御公儀は西川は阿片密売の主犯と確信しているでしょう!」
確かに、以前西川の下で働いていた中里なら、偽物の裏帳簿を作ることもできるだろう。しかしあまりにもえげつないやり口である。
「なぜそんなことをした、中里!?」
「出世のためだよ! 俺はこの殿様の下で出世するんだ! 貧乏御家人なんてもうゴメンだ!」
「その意気よ中里! ワシが勘定奉行に出世した暁には、そなたには組頭の地位をくれてやろう!」
中里の言葉に、築山は機嫌よく大言壮語を返した。
築山は勘定奉行を目指している。もちろん真っ当な手段ではない。不正で貯めた金を賄賂にして幕閣にバラ撒き、自分を勘定奉行に推挙するよう働いているのだ。
そして西川は困惑した。初対面の自分が、なぜ築山の悪事を知っているのか?
「殿様、その時は我が越後屋にも御用商人の地位をお願いしますよ」
越後屋はニヤついた笑みを浮かべている。仲冨新之助はこんな顔もできるのかと、放送当時は感心したものだ。
「……ああっ!」
そこで西川は気づいた。
「柳原幸太郎と仲冨新之助! シーズン4の第32話じゃん!」
『将軍乱舞!』シーズン4第32話「江戸の闇に流行る薬を根絶せよ!」。勘定組頭と商人が結託して阿片の密売を行い、将軍の怒りを買う回である。
この回の悪役である勘定組頭は時代劇のベテラン俳優・柳原幸太郎が、商人は仲冨新之助が演じた。仲冨新之助は後にシーズン5でもう一度悪徳商人を演じ、西川と共演している。目の前の2人は、その俳優たちと瓜二つだった。
よくよく見れば中里も、若手俳優の伊藤誠司にそっくりだ。彼は勘定組頭の手先となり、都合の悪い人物を始末する御家人を演じていた。
自分が西川土右衛門に転生していたので、てっきりシーズン5の世界だと思っていたが、まさかシーズン4の世界だったとは。それとも全シーズンの設定が交錯する特殊な世界なのか。とにかく西川は開いた口が塞がらなかった。
「しいずん……何だって?」
「恐怖のあまり狂ったか?」
もちろん、転生者でない越後屋と中里に西川の驚きはわからない。
しかし、築山は目を見開いて西川を凝視していた。おもむろに座敷から庭に降りると、縛られた西川の耳元に口を近づけ、囁いた。
「転生者だったか」
「はえっ!?」
時代劇俳優の顔には似つかわしくない言葉に、今度は西川が驚いた。
「原作知識を利用して悪代官に罪をなすりつけようとしたのに、全然悪事を働かないから不思議に思ってたんだ」
「お、同じ転生者のよしみで見逃してくれんか!?」
「ダメだ。原作以外の行動を取られた不都合だ。ここで成敗してくれる」
築山は腰の刀を抜いた。白刃が篝火の光を受けて不吉に輝く。
「ひ、ひいいっ!」
西川は後ずさる。冗談ではない。せっかく成敗エンドを避けるために悪事を働かずに頑張ってきたのに、別の転生者に濡れ衣を着せられて二度目の生を終えるとは。
「成敗されるのはお主らの方だ」
威厳のある低い声が西川の耳に届いた。築山の声ではない。越後屋でも、中里でも、ましてや西川の声でもない。
「何奴!?」
木戸を潜り抜け、何者かが庭に入ってきた。庭に植えられた木が邪魔で、西川からは顔が見えない。だが、座敷にいた中里からは見えていたようだ。
「お前は高楊枝の三男坊!」
「何! こいつが、邪魔をしたとかいう……」
どうやら築山たちの悪事を妨害していた人物らしい。
「築山伊予守。越後屋と結託し、阿片の密売に手を染めるとは。侍の名を汚す悪党よ、恥を知れ」
乱入者は築山たちの悪事を堂々と糾弾する。見事な美声に一瞬気圧された築山たちだったが、すぐに中里が反論した。
「それはここにいる西川土右衛門によるものです! 勘定所に渡したこいつの裏帳簿が何よりの証拠!」
「その裏帳簿は、勘定奉行の成島が偽物だと看破したぞ。今の帳簿とは書き方が違ったそうだ。
勘定組頭とあろうものが、帳簿の違いに気づけないとは。仕事もロクにせず遊び呆けていたとみえる」
「何ィ……? 無礼者、何奴だ貴様!」
築山が問いかけると、乱入者は一歩前に進み出た。木の陰から姿を現し、篝火の光によって顔が顕になる。
「愚か者。余の顔見忘れたか」
鋭くも優しい目、真一文字に引き結ばれた口、それらを備えた無駄のない輪郭。同性の西川ですら一目で憧れてしまう程の男前だった。
見忘れる訳がない。転生した後も覚えていたのだ。我知らず、西川は呟いていた。
「上様……!」
そこに立つのは江戸幕府八代将軍・徳川吉宗その人であった。
「上様!?」
「なんと……!」
慌てふためき、築山が平伏する。越後屋と中里も座敷から降りてそれに続いた。
頭を下げた築山たちを、吉宗は冷然と見下ろした。
「勘定組頭・築山伊予守。越後屋と手を組んで阿片の抜け荷を行い、民を苦しめたその悪行、全くもって許しがたい。
その上、代官の西山を身代わりにして罪を逃れようという魂胆、言語道断である。この場で潔く腹を切れ!」
まるでドラマを再現したかのような裁きに、西川は感動のあまり打ち震えていた。将軍直々に切腹を命じられれば、もはや築山になすすべはない。転生者だろうと関係ない。
そう考えて、はたと気づく。これがドラマと同じ筋書きであれば。
「……ハハハハハ!」
ゆっくりと顔を上げた築山は笑っていた。
「上様が
前世で何百回と聞いたセリフが、今また目の前で繰り返された。
「者共、出会え、出会えぃ!」
築山の掛け声を受け、どこからともなく青い着物を着た侍が現れ、吉宗を取り囲んだ。
「こやつは上様を
侍たちが一斉に刀を抜く。対する吉宗は、ゆっくりと抜刀すると、刃を裏返して峰打ちの姿勢を見せた。
鍔に刻まれた葵の紋が輝く。成敗の時間だ!
「でりゃあああっ!」
侍の一人が意気込んで斬りかかるが、吉宗の刀がそれよりも早く侍の腹を打った。峰打ちとはいえ鉄の棒、侍はもんどり打って地面に倒れる。
取り囲む侍たちが次々と斬りかかるが、いずれも吉宗に防がれ、いなされ、かすり傷ひとつ負わせることができない。吉宗が剣を振るえば、目にも止まらぬ一撃が繰り出され、侍たちは次々と昏倒する。
座敷に上がって高みの見物と洒落込んでいた築山たちも、吉宗の猛攻に顔色を変えて屋敷の奥へと下がっていった。
手下に囲まれながら、吉宗は築山たちを追って座敷に上がる。立ちはだかった侍の肩を峰打ちで砕いた時、背後にいた侍が斬りかかろうとした。だが、吉宗が肩越しに睨みつけると、侍は驚き動きを止めてしまった。その隙に吉宗は横の手下の胴を薙ぐ。我に返った侍が斬りかかろうとするが、時既に遅し。吉宗の一閃を脇腹に受けて倒れた。
強い、強すぎる。吉宗の戦いに見惚れていた西川だったが、その目が築山を捉えた。築山が懐から取り出したのは、南蛮渡来の
築山が引き金を引こうとしたその時、甲高い音と共に拳銃が弾かれた。築山から拳銃をはたき落としたのは手裏剣であった。
同時に、庭に黒い影が飛び込んだ。黒装束に身を包んだ男は、逃げようとした越後屋を小太刀で切り捨てた。西川が驚いていると、もう一人の黒い影が西川を縛る縄を切り落とした。こちらは女性だ。
「あっ、御庭番の人!」
『将軍乱舞!』で吉宗を影から助ける忍者である。間近で見た彼女の顔は、シーズン3から6まで御庭番を演じた女優、松山めぐみにそっくりであった。美人だ。
そうしているうちに、築山は座敷の奥から廊下へ、更にぐるりと回って庭に降りる。ちょうど、屋敷を一周した形になった。
「でぇいっ!」
中里が吉宗に斬りかかる。吉宗は上段から振り下ろされた剣を受け止めた。鍔迫り合いになる。その後ろから別の侍が斬りかかったが、吉宗は中里を弾き飛ばし、その侍の肩口へ痛烈な一撃を放った。
そこへ中里が横薙ぎの一閃を放つが、吉宗は刃を潜り抜けて中里の顎へ剣を放った。昇り龍の如き一撃は、中里の顎を砕いて吹き飛ばした。
「おのれぇっ!」
残るは築山だけである。手にした刀で斬りかかるが、吉宗にいとも簡単に弾き返されてしまった。
武器を取り落として狼狽える築山を、御庭番の二人が挟み撃ちにする。
「成敗!」
吉宗が声を掛けると、御庭番たちは小太刀を振るい、築山を斬り捨てた。
「ガハァッ……!」
急所を切られた築山は、身悶えして倒れ伏す。それを見届けた吉宗は、手にした白刃を腰の鞘へと納めた。
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