明日も光る

 先程は付けなくてもよかった手袋を着用し、肉がみっちり詰まったバケツを携える。管理室の二重扉をくぐると、光って彷徨い歩くだけのゾンビ達の光景はどこへやら。目の前ではゾンビパニック映画でよく見るような光景が広がっていた。

 涎らしきものを口から垂らしたゾンビ達が鉄格子の隙間からしきりに手を伸ばし、肉を貪ろうとしている。興奮して鉄格子に噛みついたり昇ったりする奴らもいて、鉄格子の強度を考えてしまうぐらいには迫力があった。


「いつ見てもすげえよな」

「これ見てる時が一番、やばい仕事してるなあって思います」

 肉がみっちり詰まったバケツを鉄格子の隙間に複数個並べ、ドライワイパーを使って押していく。ワイパーは清掃時に使う物だが、これを使わずに手で押し出していくとバケツと一緒に鉄格子の向こうに引き込まれ掛けたりするらしい。

 ゾンビの手が届く範囲までバケツを押していくとあっという間に引き込まれ、鉄格子の向こう側で肉が飛び散り始めた。


「こういう光景が嫌で辞めていく奴が多いのかもな」

 狂ったように肉に齧りつくゾンビ達を眺めながら、麻崎さんが呟いた。

 ゾンビは元々人間だ。俺達の仕事はそのゾンビ達を管理観察することだが、奇妙な変貌を遂げ理性を失った元人間を管理し見続ける仕事だと捉え直すと、辞めていった人の気持ちが分からないでもない。どうしたって駄目な人は駄目だろう。


「きついか?」

 麻崎さんは半分笑いながら聞いてきた。からかっているんじゃない。多分、そうやって聞くことによって俺が気軽に答えられるようにしているんだろう。

「きつくないわけでもないですけど、辞めるほどではないです。給料だってそりゃあ高くはないですけど、福利厚生は割としっかりしてるじゃないですか。だから転職は考えてないです。教育係の方もしっかり教えてくれるんで」

「……若いのにしっかりしてるな。上司を持ち上げんのもさらっとしてきやがる」


 離職の一番の原因になっているゾンビ達は、俺達の会話などお構いなしに肉に夢中だ。こうなるとしばらくの間鉄格子の中には入れないので、ここで出来ることはもうなかった。

 二重扉から出ていく最中、麻崎さんはゾンビ達の方をしばらく見つめていた。

「俺が知ってる若者ってのは、寝ることと遊ぶこととぐらいしか考えてなかったんだけどな」

 独り言を漏らすように言った麻崎さんの声は僅かに掠れていて、毎朝休憩室で煙草を吸いながらゾンビ達を眺めている時と同じ目つきをしていた。

 この目つきをしている麻崎さんの視線の先には、いつも同じゾンビがいる。汚れた赤いパーカーを着た、耳にピアスを付けている男のゾンビだ。年齢は恐らく二十歳手前ぐらい。


 目元が麻崎さんとよく似ていた。


 +++


 ゾンビ達は排泄をしない。食った物を出さない変わりに体を光らせているのかもしれないが、だからといって管理室内が全く汚れないわけでもなかった。ゾンビ達の体から僅かに滴っている濁った液体が、床の所々を汚していくからだ。例えまたすぐに汚されたとしても、毎日掃除しておかないと管理員の嗅覚がどうにかなってしまいそうなので、管理室の清掃作業は必須業務だった。


 ホースで床に水を流していくと、床に染みつきかけていた液体が水と混ざり合って排水溝まで流れていく。

 ゾンビ達の興奮は収まっていて、いつも通り俺達の周りを徘徊しながらチカチカと体を光らせているだけだった。床に溜まった水が僅かにその光を反射している。


「麻崎さん、ゾンビの習性報告書、新しいのが来てたんで後で渡しておきます」

「おう、どんな内容だった」

大事おおごとになるようなものではなかったですね。食事に添加剤を追加したら光がどうたらこうたら……」

「分かった、後で読んどくよ」

 床の水をドライワイパーとデッキブラシで排水溝に流していく。この作業さえ終われば今日の仕事は終了だ。

 麻崎さんはこの後、あの論文形式でまとめられた堅い文章を読み込んでから帰るんだろう。ゾンビ達のことで目新しいことが分かれば、大小の内容に関わらず必ずその情報が送られてくる。逆に、管理員の方から報告書を送ることもあるらしい。


「麻崎さんって報告書送ったことあります?」

「あー……ないな。一回もない」

「やっぱりそうそう見つかるもんでもないですよね、ゾンビの新しい習性って。ちなみに報告書送ると特別ボーナスが出るって噂聞いたんですけど、あれ本当なんですか?」

「どうだかな。ああでも、しばらく前に辞めてったやつは報告書送ってからすぐ後のタイミングで辞めてったな」

「じゃあ本当かもしれないですね」

 精神が参って辞めていく人、やりがいが欲しくて辞めていく人、給料に満足できなくて辞めて行く人。辞めていく人の理由を挙げたらきりがないし、だからといって事情を深追いする気もない。人には人の理由がある。


 +++


「麻崎さんは辞める予定とかあります?」

 粗方の業務が終わりタイムカードを切った後、休憩室で俺は麻崎さんに話しかけた。辺りに人は見当たらない、皆さっさと家に帰ったんだろう。

「特にないよ。どうしてだか、今の所五体満足だからな」

 麻崎さんも既に着替え終えていて、一服している所だった。労働環境からくるものなのか分からないが、管理員には喫煙者が多い。一応禁煙の休憩室もあるものの、大体の人間が喫煙可能な休憩室を利用していた。

 コーヒーと煙草の匂いが混ざり合った休憩室で、麻崎さんは深く息を吐き出した。体に染みこんだ屍臭をそのままに飲食できるのは、慣れからくるものだろう。相変わらず、人が近寄りたがらないガラス壁の近くのテーブルに座って管理室を眺めている。視線の先には、ピアスを付けたあのゾンビがいた。

 あのゾンビを見ている時の麻崎さんはいつもやるせさそうな、寂しそうな表情をしている。


「なんだ、帰らないのか」

「少し休んでから帰ります」

「そうか」

 煙草とライターを持って、麻崎さんの向かいの席に座る。それほど疲れてはいないが、すぐ帰る気にもなれなかった。

「お前、家で待ってる人いないのかよ」

「いないですね。独り暮らしの彼女なしです」

「そうか。じゃあゾンビの臭い付けて帰っても文句言う人間はいないな」

 麻崎さんはからかうように軽く笑いながら、ライターを差し出してきた。

「……麻崎さんは」

「大分昔にバツが付いた。奥さんがちょっと余所の男に気が向いたみたいでな」

 話の流れで聞き返さないのもおかしいかと思い聞くと、麻崎さんは困ったように笑いながら煙を吐き出した。

 麻崎さんは、子供の話を少しもしなかった。ガラス壁の向こうをただただ見つめ、対してあのゾンビは相変わらず光っているだけだった。


 +++


「今日は早く終わりそうですね」

「十分前に終わらせられたらコーヒー奢るぞ」

「マジすか。頑張ります」

 いつものように観察記録と食事支給、他の雑務を終え清掃作業をしている時だった。デッキブラシに何かが引っかかる感触があって、手を止めた。ブラシの間にボールペンが挟まっている。他の管理員が落としたのを気付かずにそのままにしてったものだろうか。


 拾い上げようと屈んで手袋を外した時、鼻を鳴らす音がすぐ頭上から聞こえた。

 床の水たまりに電飾のような光が反射し、すぐ近くに濁った液体が一滴落ちる。視線だけを上げると、ランニングウェアを着たゾンビがひたすらに空気の臭いを嗅ぎながらギリギリと歯ぎしりをし俺を見下ろしていた。食事はいつもと同じ量を支給したはずなのに明らかに空腹の兆候が出ている。

「若田……!?」

 麻崎さんも事態に気付いたようだ。幸いにも空腹の状態を示しているのは一体だけだが、今にも飛びかかってきそうなこいつをどうにかしなければならない。とにかく、急いで手袋を付け直すが、ランニングウェアを着たゾンビの様子は少しも変わらなかった。手袋に染みこんだ俺の臭いと、手袋の下にある生身の肌の臭いを結びつけやがったんだ。

 慌てて麻崎さんが駆け寄ってきたが、俺はゾンビに右手を食われる恐怖に支配されていた。


「若田、いいか。ゾンビの気が逸れたらすぐに管理室から出るぞ」

「気を逸らすって、どうしろって……」

「大丈夫だ。落ち着け」

 麻崎さんはそう言うと、自分の右手から手袋を外し、素早く俺の右手に重ねてきた。

「麻崎さん……!?」

 これでは麻崎さんの右手が食われる。晒された右手を見て血の気が引いたが、麻崎さんは平然としていた。

 そして、ゾンビは他の方向を向いた。

「あ、え、なんで」

「出るぞ!」

 鉄格子の向こう側まで、麻崎さんに引き摺られるように連れて行かれる。麻崎さんの右手を覆っていた手袋は俺の右手にあったままだったが、ゾンビが俺達を追いかけてくることはなかった。


「災難だったな、偶々肉を食いそびれた個体がいたんだろ。怪我はないか」

「俺は、大丈夫ですけど、でもなんで」

 ゾンビ達は普段は光るだけだが、腹が減れば人を食う。そのはずだった。


「……あいつらな、贅沢なんだよ。腹が減って歯剥き出しにしてても中年には噛みつかないんだ。マズそうって思われてんのかね」

「……麻崎さん、俺、そんな習性報告書読んだことないです」

 麻崎さんは何も答えなかった。変わりに鉄格子の向こうの、ピアスを付けたゾンビを見つめていた。


 ゾンビの変貌は残酷だ。死んだ皮膚の色で体を光らせ、ぎこちなく歩く様子は明らかに生前の姿とは異なるのに、顔はゾンビになる以前の面影が残っているし、人間を襲うのも条件付き。心臓が止まっているはずなのに、生きているかのように振る舞う。だから、俺はゾンビ達を無機物のように扱えない。

 俺はゾンビ達に見たこともない生前の姿を思ってしまう時があるが、麻崎さんはどうなんだろうか。


 あのピアス穴が空いたゾンビを寂しそうに見つめる麻崎さんに俺は何も言えず、ただただ、生身を晒してもゾンビに食われなかった麻崎さんの気持ちを想像することしかできなかった。


 +++


 昼間に比べて明かりの減った休憩室に足を踏み入れると、冷えた空気が肌を刺した。予定時間までまだ余裕はあるが麻崎さんは既に出勤していて、ガラス壁の近くのテーブルでコーヒーを飲んでいるところだった。

 外では強く風が吹いていて、窓が僅かにガタガタと揺れていた。

「お疲れ様です。今日に限って夜勤って大変ですね」

「俺は別にいつ夜勤でもいいさ。仮眠も許されてるし楽なもんだろ」

「そうなんですけど……あ、これ大したもんじゃないですけどどうぞ」

「気使わせて悪いな。ありがとう」

 食品がいくつか入ったレジ袋を渡すと、眠気を伴っているような麻崎さんの目尻が下がった。


 俺がゾンビに右手を食われかけてから数日が経ち、今日は夜勤当番の日だった。夜勤と言っても何か特別な業務があるわけでもなく、決まった時間にゾンビに異常が起きていないか見回るだけなので、麻崎さんの言う通り気は楽だ。

 麻崎さんの向かいの席に座り、煙草に火を付けてガラス壁の向こう側を眺める。ゾンビ達の様子は変わらず、チカチカと体を光らせ彷徨い歩くだけ。肉を食いそびれた個体がいたのでバケツ容器を増やして欲しいという要望を出したから、空腹兆候を見せている個体はもういなかった。


「お前習性報告書出さなかったんだな。ボーナス貰えたかも知れないのに」

「それは別に良いんですよ。それよりも、俺まだコーヒー奢って貰ってないですよ」

「……そうか、そうだったな」

 薄暗い休憩室には、時々ガラス壁の向こう側から明滅する光が差し込んでくる。彷徨い歩くゾンビがガラス壁に近づいてくるからだ。赤か青か、あるいは緑色の光が天井や机の面に淡く反射し、ゾンビが離れれば光も遠ざかっていく。

 麻崎さんが自販機に向かうために席を立った時、緑色の光が休憩室に差し込んだ。ガラス壁の傍に、ピアスを付けたあのゾンビがやって来ていた。麻崎さんは動きを止め、ゾンビを見た。


 ゾンビがチカチカと光った。赤、青、緑。三色同時に。


 休憩室にその光が届き、天井や机の面に淡く色鮮やかに反射している。麻崎さんはその場からは動かず、顔だけを俯かせた。俺がガラス壁の方向と逆の方を向くと、背後から鼻を啜る音が聞こえた。一分もしないうちに休憩室から光の反射は消え、ピアス穴の空いたゾンビはガラス壁から離れていった。

 あのゾンビがなんで三色に光ったのか、俺には皆目見当も付かない。ただ俺は、今日が麻崎さんの誕生日だったことを思い出しながら、背後から鼻を啜る音が聞こえなくなるまで、あのゾンビの光の残像を見るようにぼんやりと天井を眺めていた。


 +++


「おはようございます」

「おはよう。俺、車ちゃんと駐車してたよな」

「はい、大丈夫でしたよ」

 朝の休憩室は相変わらず憂鬱を空気に溶かしたような雰囲気に包まれ、コーヒーと煙草の臭いが混ざり合っている。麻崎さんはいつものようにガラス壁の近くのテーブルで煙草を吸っている所だった。

 現在の時刻は七時四十五分。バインダーと防護服を用意し、麻崎さんの向かいの席に座った。

「良かったのかよ、二回もボーナス獲得のチャンス逃して」

「俺はコーヒー奢って貰えれば良いです」

「……昼休憩の時に奢るよ」

 始業時刻五分前。麻崎さんは煙草の火を消し背伸びをすると、席から立ち上がる。あの日以来、ピアスを付けたゾンビが三色に光ることはなく、俺も麻崎さんも代わり映えのない日々を送っていた。ピアスを付けたゾンビを見つめる麻崎さんの表情は相変わらず寂しそうだったが、以前と比べると顔色が少し良かった。


「そんじゃあ、ぼちぼち始めるか」

 ガラス壁の向こう側では、相変わらずゾンビ達が光り蠢いていた。

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麻崎さんと光るゾンビ がらなが @garanaga56

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