2二代目の憂鬱


「あー、すんません。まだ店の準備ができてないから今日明日は休みだ」

「あらっ!そうなの……あなたが新しい店長さん?」


「そうみたいだな」

「なんだか他人事みたいに言うわね。私、朝夕ここで食べてるから早く再開してね!待ってるわ〜」


「……おう」


 


 時刻は昼を過ぎたばかり。俺はあの後役所に行って書類が本物かどうかを確かめた。

結果この店を潰してはならないと言う話も、俺が二代目と言う話も本当の事らしい。書類ももちろん本物。

 マジで意味がわからん。俺は了承した覚えがないんだが。


 帰ってきてから何度も店のドアを叩かれて、さっきみたいなやり取りを何件も続けて頭痛がしてきた。



「クッソ……いきなり個人事業主とか無理だろ。生前だって社畜で生きて来たんだぞ。もうすぐ締切が来るらしい確定申告とか知らねーし。しかも何だこのどんぶり勘定は!」


 書類の束を眺め、さっきから堂々巡りの叫びを繰り返している。

店をやっていくにあたり、帳簿を確認したらレシート多数紛失で謎のメモ書きがあったり、領収書があっても金額しか書いてない。


 要するに何を買ったかわからないものばかりだ。計算も間違えてるし。


 支出がかなり多く、俺の給料がどこから出ているのかわからない貧弱な売上高。

無理だ……こんなのやっていけるわけがない。



 

 書類をまとめ、店のパソコンで調べ物を始める。

「飲食店の経営、ボロ儲け、と。………おい!絶望しかないんだが!!」


 『ボロ儲けは無理』と山ほどの検索結果が出てくる。曰く、酒を出して儲けろ、独自の商品で儲けろ、フランチャイズ展開して他人に稼がせろとか……訳わからん。


 世の中金がない奴は儲からない仕組みなのかっ!?資金がなきゃ無理だろこんなの。




「トントン」

「…………」

「トントントン」

「…………」


「トントン……ドンドンドンドン!!!」

「クソッ、何回同じこと言えばいいんだよ!?俺はメンタル崩壊中だぞ!?」




 勢いよく叩かれるドアの鍵を開けると、他の奴らと同じように勝手に開かれる。どうしてこう無遠慮な奴らばかりなんだ……。


「土井さんこんばんは。担当獄卒が参りました」

「あ……たまきさんだったのか、ちっす」


「悲惨な顔してますね。この店を継がれると聞いたので、説明がいるかと思い参りました」

 

「マジで……?助けてください!意味不明なまま店を継ぐ事になってて、どうしたらいいかわからん!!」

 

「とりあえずは休みますと張り紙しておけば、訪問者が減ると思います。書いておきますね」

「あ……なるほど」


  


 環さんがサラサラとちらしの裏に『二、三日休みます』と書いてドアに貼り付ける。……その手があったか。


 スーツ姿で白銀の髪を一まとめにし、颯爽とした姿で動き回る彼女は、俺の担当獄卒さん。別名借金取り。

裁判に同行したのも、金を取り立てに来るのもこの人だ。


 俺の収入を毎月報告すれば、ライフプランナーよろしく生活費や借金返済額を計算してくれる。


 

 なかなか厳し目の調整だが、俺の借金額が多いから仕方ないとは言える。

外食も数回可能だし、服に困るようなことはないし、人間の生活はギリギリできている。

 食堂に勤めているから飯代がかからないのもあるが、たまにスイーツを食べられるくらいの余裕は作ってくれる。


 間違いなく良い人だし、お淑やかで落ち着いているんだが、環さんは地獄の住人からは〝冷氷の獄卒〟と言われていた。



  

 彼女は俺と同じテーブルにつき、タバコを取り出して火をつける。そしてフーッ、と気だるげに煙を吐き出した。

 この人、食べ物食べないで煙だけむってマジなのかな。地獄は健康に対する配慮は薄めだからな……どこでもタバコが吸えるんだ。


 だって俺たち、死んでるしな。

 

 


「さて、ではお話ししましょうか。この店の帳簿はご覧になりましたか?」

 

「どんぶり勘定のメモ書きならね。帳簿って言えないだろ、これ」


「はい、確定申告の書類を見る限りではそんな感じでしたね。

 土井さんがこのお店を継ぐにあたり、地獄からの制約があるのはご存知ですね?」

 

「あー、ジジイを見送りに行って門番に言われた。そんでとてもじゃないけど信じられないから役所に行って確認もしてきた。

 潰しちゃいけません、後継がいなきゃ成仏出来ませんって所までは聞いたな」


「仰る通りです。しかし、こちら側から制約があるということは、手助けできるということでもあります。

 今回後継になったことで、こちらの店舗は『新規事業創成金補助金』『地獄指定食堂、雇用金補助金』『店舗修繕費補助金』の支給対象となります」


 

 

「お金、もらえるんスか?そうせ……なんか難しい名前だな」


「はい、要するに店舗の開店の為の資金、修繕費・改装資金、スタッフさんを雇うお給料は半年間支給されます」


「……ほ、ほう?すごい制度だな」


  

「地獄には食堂が少ないんです。大体が罪人の集まりですから、食事を作って他の人のために役に立とうとする人自体が絶滅危惧種なんですよ。ただし、この制度を使うには書類申請が必要となります」

「――ゴクリ」


 俺は生唾を飲み込み、環さんが取り出した分厚い書類のを眺める。


 それ、書くのか。誰が書くんだ?もしかして俺か。


 


「お店の方針、仕入れ先、ご自身の技術スキル確認、今後の収支計画などが必要です。

 こちらの書類に記載して提出、支給は受理から半年後です」

「すぐじゃないんだなー、なるほどー、これは生前と変わらないのかー」


「現世よりは早いはずですよ。まずはスキルの確認ですが、連絡先をご存知な常連さんや、ご友人は?」



 書類を封筒に入れて、環さんは胸ポケットからメモを取り出した。

 ……ドウイウコトデスカ。




「あなたの技術を確認するなら、食事を実際作ってそれを食べさせるのがいいと思いまして」

「え……マジで言ってる?」

「はい」

 

「環さんは担当の獄卒さんで、裁判からお世話になってるよな?俺に知人も友人も居ないって、知ってるだろ」

 

「……そうでしたね」



 店内に落ちる痛い沈黙。地獄に慣れなきゃだし、働くのに必死だったし、常連さんは店主だったじいちゃんと話してるから俺は蚊帳の外だった。

 金もメンタルも余裕がないのに、知人なんかできるわけないだろ!?


 


「えーと、環さんは、食べ物を……」 

「私は食べません」


「で、ですよねー。でも、他に知り合いなんかいないし、逆に常連さん一人に声をかけたとして他の人に不義理なのでは?金なんか取れないだろ」

 

「…………」


「技術を確認するってそもそも素人がやって良いんのか?個人の好みがあるし、知らない人にいきなり『俺の作った飯を食え』とか言える?」

 

「…………確かにそうですね」


  


 環さんはタバコを灰皿に押し付け、もう一本取り出して火をつける。

空腹だからやはり煙が必要なのか?単にベビースモーカーなのか?よくわからんけど、環さんに食べてもらうしか方法がないのでは。


「た、環さん」


「……………………私が食べましょう、仕方ないです」

「うっ、仕方ないって言われた……」

 

「獄卒は食事を摂らずとも生きていけます。まぁ、死んでますけど」


「そっすよねー。環さんはいろんな仕事見てる獄卒さんだし、料理するところを見てもらえれば分かりそうだけど、どう?」

 

「はぁ……そう致しましょう」



 眉間を揉みつつ嫌そうな顔してるが、こうなったら仕方ない。環さんにどうにかして食ってもらうしかなさそうだ。




「今日はもともと休みだから、俺の飯しかないんだよな……レトルトが混じってもいいか?」

 

「構いません。温めるだけではなく何か工夫をしてくだされば技術的なものは見られるでしょう。

 食欲を刺激されたら味見くらいはします。無理だとは思いますが」

 

「へーへー、わかりましたよー」



 

 気が変わらないうちにささっと作ろう。キッチンに舞い戻って雪平鍋に水を注ぎ、煮干しとだしパックを入れて火にかける。冷蔵庫から卵、大根を取り出した。


「環さん、ハンバーグはいける?卵は?」

「問題ありません」

 

「はいよ」


 大根の頭側を切り出し、皮を剥く。皮は細く千切りにして、身は短冊切りに。大根は包丁を入れるたびに『ザク、ザク』と歯切れのいい音がしている。

冬の大根は、寒さから身を守るために甘くなるから美味いんだよなー。

 

 短冊に切った大根を口に放り込むと、少しの苦味と辛み、大根独特のツンとした香りが口の中に広がる。甘さも十分あるから水にさらせば辛味は抜けるだろう。

 

 皮は水に晒して、身を沸騰した鍋の中に入れて煮込む。

 その間に大根の葉を洗う事にしよう。茎の根本を切り落とし、ボウルに張った水の中へ突っ込んでじゃぶじゃぶ揺らした。


 立派な葉の先は味噌汁には苦いから、後でふりかけでも作るかな。葉っぱがわさわさ茂っている部分を切って、新聞紙に包んで冷蔵庫に戻す。



  

 あ、そうだ……糠漬けがあるんだった。


 糠漬けのツボの蓋を開け、中をかき混ぜながらきゅうりと大根、にんじんを取り出す。メインがないから、俺用のメルシンハンバーグも出しとこう。

 

 これで冷蔵庫の中は大根の葉以外なくなった。明日買い出しに行くか。




「それは糠漬けですか?」

「うん、他にサラダっぽいのも作るよ。箸休めに野菜食べたいだろ?」

 

「なんでも構いません、食べるかわかりませんし。糠漬けは作るのは面倒ですし、商品としては良いですね」


「ん?今じゃ簡単に作る人もいるだろ、藻印良品とかで売ってるじゃん」

「仕事で忙しいので、世話がまず無理ですよ。

 たまに食べたくなって糠床を買った獄卒も、カビさせたという話を聞きます」

 

「そうか……獄卒も大変なんだな。サラリーマンやOLさんと似たようなもんか」

「そうですね」


 糠を洗い流し、きゅうりの端っこを切って落とす。それを齧ると……こりゃ古漬けになっちまってる。冷蔵庫から麺つゆを取り出し、刻んだ漬物を袋に入れて口を縛った。

 



「漬物を……さらに漬けるんですか?」

「いや、これは古漬けの塩分抜きも兼ねてる。めんつゆの旨みで古漬けの溜まりに溜まった塩味、匂いとえぐみを抜くんだ」

「へぇ……」

 

「めんつゆは酒が入ってるだろ、それが匂いを消してくれるんだよ」

「そのようにされるのは、初めて拝見しました」


 環さんはいつのまにかキッチンのスイングドアの横に立って、こちらを覗き込んでる。技術チェックしてもらってるなら中に入れば良いのに。ま、いいか。



 味噌汁用の湯が煮立ち、だしパックと煮干しを取り出して大根の茎を刻んで中に入れる。一煮立ちしたら火を止め、お玉に味噌を掬ってその中に突っ込んだ。




「……味噌、とかさないんです?」

「時間をおけば勝手に溶けるよ」

「ふむ、なるほど」

 

 時間をあまりかけたくないから、さっさと次に行こう。大根の皮の千切りを晒した水から取り出して、ツナ缶とマヨネーズ、塩胡椒であえる。簡易サラダの出来上がり。

 

 フライパンを火にかけ、メルシンハンバーグの封を切っておく。生前からお世話になっているこれは、俺の大好きな商品だ。フライパンでただ焼けばいいんだから、お手軽で最高だよな。


 


「そのハンバーグ、私も好きでした」

 

「お、気が合うね。朝ごはんによく食べるんだ。ボロニアハムとかも美味しいけど、これと卵がよくあうんだよ。カリカリに焼くと美味いんだ」

 

「ふぅん……」



 

 あれ、なんかソワソワし出したな。普段ポーカーフェイスな環さんの頰が僅かに紅潮している。もしや、腹減ってきたか?

 

「環さん、いきなり何か腹に入れても良くないし……握り飯食うか?昨日の夜、俺が動転して炊いた飯が山ほどある」


「い、いえ、お気遣いなく。食べるかどうかわかりませんし」



 俺の提案に首を振った彼女は扉横から逃げて、カウンターに回ってきた。……まぁそうだな、その方がよく見えるだろ。一応ライブキッチンなもんで。

 

 なんとなく、押せばいけそうな気がする。出来れば食って感想をもらいたいし、なんとか食欲を刺激できないものか。

 ま、出来上がってから判断してもらえばいいか。


 


 フライパンがしっかり温まったのを確認して、卵を割り入れる。白身の縁が白くなったところで少しの水を注いで蓋を置く。

 じゅうじゅうと卵が焼ける音、湯気がもわっと立ち上がっていく。


 卵に火を通している間に握り飯を作る事にするか。

 ガス釜で炊かれた飯は、いつもみたいに10合炊いちまったからな。保温窯の蓋を開け、少しだけ白米を手の上に乗せて握る。一口大のおにぎりを小皿に乗せて環さんに差し出した。


「ほれ、これ食って待ってろ」

「私は別に」

 

「ああー卵が焼けちまうー、半熟がいいのにー。早く受け取ってくれー」

「……仕方ありませんね」



 皿を受け取り、環さんは眉間に皺を寄せておにぎりに齧り付く。

 うちの食堂、白米はやたらこだわってたからな……ガスで焚いた飯は美味い筈だが。

 

 長ーく咀嚼している環さんは顔色が変わって居ない。なかなか強敵だ。



 

 半熟の目玉焼きを二つ取り出して皿に盛り、ガス台の火力を上げてメルシンハンバーグをフライパンに入れる。ツナと大根の皮のサラダを小鉢に盛り付けて、胡麻を振った。


 メルシンハンバーグは卵と別に焼いたほうがいい。ハンバーグにくっついてる油でしっかり焼き目をつけてカリッカリにするのが最高に美味いんだ。

 ハンバーグの焼ける匂い、目玉焼きの匂い、味噌汁の香り、白米の甘い匂いが漂い、店の空気がいい匂いで満たされる。……これぞ日本の朝だな。今昼だけど。


 手抜きと言えば手抜きだが、味噌汁だけはきっちり店仕様だ。



「……環さん、チェックできてるか?」

「出来て、ますよ」



 

 塩にぎりを食った環さんは俺の手元と、少しずつ出来上がる料理とを見比べて鼻がヒクヒクしてる。

 少し食べたら腹が減ったか?ふふん、これは良い成果が出そうだぞ。



 目玉焼きが待つ皿に焼けたハンバーグ、漬物を添える。ああ、胡椒を忘れてた。慌ててさっさと振りかけると、粗挽き黒胡椒の香りが加わった。


 そろそろいいか、と味噌汁のお玉をかき回すと味噌はあっという間に溶ける。温め直すために弱火で火をつけ、白飯を盛る。……山盛りにしてやるか。


 少し温まった味噌汁から湯気が立ち始めたところで火を消し、椀に注いだ。



 賄い飯だなこりゃ……メルシンハンバーグのカリカリ焼き、半熟の目玉焼き、ツナと大根の皮のサラダ、古漬け、大根の味噌汁の出来上がり。


「はいよ、おまちどう」

「……ありがとうございます」



 

「目玉焼きは黄身が白くなってるが、中はとろとろだ。下はカリカリしてる。メルシンハンバーグじゃなく、卵の黄身に醤油をかけて、そこにつけて食べてくれ」

 

「なるほど……それはやった事がありません」

 

「食べてみてジャッジして欲しいけど、食えそう?」


 

 眉をモニモニと動かした彼女は椅子に深く座り直し、ジャケットを脱いで背筋を正した。


「仕方ありません。これも仕事の一環です」

「そっか、すまんな、無理言って。食べれるだけ食べてくれればいいよ」


「はい、では……」


 


 俺は箸を手にして眉間に皺を寄せ……頰が赤くなったままの環さんへ、口端をあげて、いつものセリフを告げる。

 

「腹一杯召し上がれ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

隔日 21:00 予定は変更される可能性があります

地獄飯─じごくめし─(月/金更新) 只深 @tadami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画