後編
「これだから若者は……」
男はうなだれるように、懺悔室の壁に背中をもたれさせた。
「どう思う? マザー」
格子の向こう、薄暗い空間に男は問いかけた。
マザーは煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「優秀な男だ。だが強すぎる好奇心は、身を滅ぼすということを分かっていない」
「そう……だな。あのふたりは優秀だよ。あいつらの力で解決できた事件も多い。まぁどれも適当に処理しとけばいい事件でもあったが」
少し考えてから、男はおもむろに立ち上がった。
「それで、どうする気なんだい」
「不穏分子を放っておく訳にはいかない。それがたとえ、身内だったとしても」
「止めてほしかったのかい? 私に。あんた、腹の中は決まってたろ」
「……聞いてほしかったんだろうな。お前に」
「……そうかい」
隊長は懺悔室から出た。
◇
教会での出来事から数日後、捜査本部室。
黒髪はいつものように書類仕事をしていて、金髪はいつものように居眠りをこいている。
今日も王都ではたくさんの事件が起こっている。
窃盗や強盗、暴行、酔っ払いによる迷惑行為など種類は様々だ。
しかし政治犯を狙った殺人。
これだけは、あれから一件も発生していない。
やはり金髪が考える通り一連の事件は、裏から政治犯の粛清をシスターに命じている悪党がいるのだろうか。
そんなこと、にわかには信じづらい。
しかし毎日のように起こっていた政治犯の釈放と、殺人。
その両方がパタンとなくなると、疑うなと言うほうが難しいだろう。
考え事をしていると、乱暴に扉が開けられる。
「そんなに急いでどうしたのさ」
「これから男がひとり釈放される。そいつをつける」
「男が釈放……ってことはまさか?」
「あぁ。この前しょっぴいた、反王政集団の構成員だ。随分と待たせてくれたぜ、まったく」
「て、ことはつまり……」
「今晩、襲撃される可能性が高い。これでやっと、あのシスターを追い詰められる」
金髪は楽しげに口角を上げる。
「おい何ぼさっとしてんだ、お前も早く準備しやがれ」
「え、僕も行くの!?」
「当たり前だろ、お前が行かなくて誰が行くんだよ、相棒」
「……まったく、仕方ないなぁ」
相棒と言われると、まんざらでもない気持ちになる。
手早く準備を済ませ、ふたりは本部を出る。
近くの物陰に隠れて、入口の方を窺っていると、ふたりの警察部隊員に連れられひとりの男が出てくる。
「……いたぞ、あいつだ」
金髪がポツリと呟いた。
「……知ってる。あの男は僕も知ってるよ」
「そりゃあそうだろうな。あいつは、俺とお前が捕まえた政治犯だからな」
「なるほど、そういうことね」
警察部隊員の男は、政治犯の男の手錠を外すと、早くあっちに行けと言わんばかりに手を振っている。
ぞんざいな扱いに男は少しムッとしたような様子だったが、すぐに軽い足で離れていく。
「⋯⋯うん?」
「どうかしたのか」
「いや、気のせいかもしれないんだけど」
「言ってみろ。こういう時のお前の勘はよく当たるからな」
「⋯⋯じゃあ。なんか顔が暗くない? 厳しい尋問を乗り越えて、せっかく釈放されたのにさ。まるで何かに怯えているような⋯⋯そんな顔に見える」
「そうだな⋯⋯あの男は厳しい尋問を思い出して震えるような、そんなたまじゃねぇ。用心しとく必要があるかもしれないな」
「そうだね」
ふたりは男の追跡を始めた。
「なんか久しぶりな気がするね」
「あ? 何が」
「こうやってふたりで、犯人を追い詰めていくの」
「……そうだな。最近は書類仕事ばかりだったからな」
「書類仕事ばかりだったって、君は僕に押し付けるばかりで、ほとんどやってないじゃないか」
「それもそうだな」
黒髪と金髪は、警察部隊の同期だ。
捜査本部に配属される前、証拠集めなどを担当する下っ端部署にいた時は、よくこうして金髪とふたりで捜査をしていた。
ふたりでいくつも事件を解決していたら今の警察部隊長に目をつけられ、本部に配属された。
有り体に言えば順調に出世している訳だが、やはり机に向き合っているだけでは、仕事をしている気になれない。
こうして目的を達成するために手を動かし、足を進めるほうが性に合っている。
「そういえば君は、どうして今回の事件にこだわるの?」
「どういう意味だ?」
「いつも仕事をサボることしか考えていない君が、それもヘタに触る必要のない事件に入れ込んでいるのはなぜ?」
「なんだそういうことか。決まってんだろ、気になったからだ」
「ホントにそれだけ?」
「そんだけだ。だって気になるだろ。体制を脅かす者を末端の人間を使って掃除させている悪党が、どんな面をしてんのか。そしてそいつを暴いたら世界はどうなるのか」
「君は革命がしたいの?」
「いいや。ただ見てみたいと思っただけさ。巨悪を暴いた後の世界は、俺の目にどう映るのかを」
「そんなしょうもないことのために、僕を危険な目に巻き込んだってこと?」
「あぁ。恨みなら、死んだ後で聞いてやるよ」
「まったく……。恨み言なら、生きて伝えるよ。だって僕らは相棒、なんでしょ?」
「……そうだな。お前は最初で最後の、俺の相棒だ」
ふたりで拳を突き合わせる。
そんなことをしていると、男が急に走り出した。
「マズい、逃げられるよ!」
「気づかれることはないはずだ……追いかけるぞ!」
途中で思考を中断したのか、走り出した金髪を追いかける。
「速い……このままじゃ巻かれる……それなら!」
「ちょ、おい! どこ行く気だ!」
「僕はこっちから追いかけるよ!」
黒髪はゴミを足場にして民家の屋根へと飛び上がる。
「うん、上からなら見失わない」
黒髪は軽々と屋根の上を伝って行き、男を追跡する。
しばらくすると、男は開けた河原で足を止めた。
誰かを探しているように周囲をキョロキョロとしているので、黒髪は慌てて草陰に身を隠した。
「はぐれちゃったか。でも同じ相手を追ってるんだから、そのうち合流できるかな。それより今は……」
追ってきた男を見ると、大きく手を振りながら何かを叫んでいるように見える。
内容は、少し離れているのでよく聞こえない。
「急いでこんな所まで来て何を……。仲間との待ち合わせか?」
目をこらす。
男の表情は、どこか怯えているように見える。
目をつむり、耳を澄ます。
音が風に乗ってきた。
「──でいいんだろ! ここに来れば助けてくれるって聞いた! 俺だけでも命だけは助けてくれるって!」
「命を!? いったい何を言って……」
黒髪が目を見開いた瞬間、乾いた音が聞こえて男が倒れた。
男が撃たれたと理解した瞬間、背筋に寒気が走る。
黒髪は嫌な気配から逃れるように、反射的に体をよじる。
「いッ! 撃たれた……?」
耳元を押さえた手から血が滴り落ちる。
痛みにもだえてしまいたいのを我慢して周囲を見渡す。
黒髪を仕留め損ねたのは、相手も理解しているはず。
敵は必ず止めを刺しに来るはずだ。
次はより確実な手段で。
「来るならこい……やり返してやる……!」
草むらが激しく揺れて、何かが飛び出してきた。
「来た!」
攻撃を受け止める。
凄まじい力で迫ってくるナイフが、黒髪の喉元に突き刺さる寸前で止まる。
なおもナイフを突き立てんと力がこもっている手を押さえながら、黒髪は襲撃者を確認する。
修道服を着た、長い芦毛を揺らす少女。
「あなた……だったんですね、シスター」
シスターは返事をしない。
教会で会った時とは違い笑顔は消えており、人形のように温度を感じさせない無表情だ。
「いったいどちらが本当のあなたなんです? それよりなんでこんなことを──!」
強引に手を振り払われ、再び襲いかかってきたシスターの攻撃を回避し、距離を取る。
二度も攻撃をいなされ警戒しているのか、シスターも様子を見ているようだ。
おそらく次の攻撃を回避することはできない。
なぜなら、黒髪が攻撃をいなせたのは、土壇場の偶然に過ぎないからだ。
反撃ですら躊躇してしまう黒髪と、人殺しに一切の躊躇がないシスターとでは、そもそも勝負にすらならない。
しかし黒髪は、はなから勝負することを考えてはいない。
せめて気迫だけは負けないように、シスターを睨みつけながら聞く。
「どうしてこんなことを……人殺しなんかするんですか?」
戦って勝てないのなら、黒髪のやるべきことは時間稼ぎだ。
時間を稼げは金髪が打開策を考えてくれる。
同じ男を追ってきたのだから、じきに到着するだろう。
もしかしたら既に近場に隠れていて、策を練っているかもしれない。
会話を絶やすな。
無駄な会話でシスターに対策を練る時間を与えるな。
そうすればあいつが……相棒がきっと助けてくれる。
「あんな優しい顔をできるあなたが……あの笑顔は嘘だったんですか?」
間を置いてシスターが答える。
「あの男と、彼と、そしてあなたを殺すことが私の仕事ですから」
「彼……? まさか、まさかやったのか? あいつを……僕の相棒を!?」
「あなたが最後です」
シスターは銃を向けてくる。
「う……ウワァァァ!」
瞬発的な怒りに背中を押され黒髪は駆け出した。
二度もナイフを突きつけられたにも関わらず、いまだ生まれなかった暴力衝動が、一気に噴き出した。
今はただ、目の前の少女を殴り殺したい。
その一心で黒髪は拳を握りしめている。
「やれる──!」
急に黒髪が動いたので反応が遅れたのか、シスターは微動だにしない。
まずは顔面を殴りつけ、その後に銃を奪う。
そして押し倒し動きを封じる。
華奢な体つきをしている少女だ。
人より屈強な黒髪ならば、容易だろう。
そしてその後は──。
凄惨な映像が頭を走ってもなお、黒髪は動きを止めない。
一瞬で間合いを詰め、拳を振り上げる。
「──ッ!」
シスターが消えた。
黒髪の拳は空を裂く。
シスターは一体どこへ。
それよりこんな一瞬でどうやって。
数々の疑問を吹き飛ばすように、背後から衝撃が襲いかかってくる。
「ウグッ!」
草むらに倒れこみ、鈍い痛みが走る。
しかしすぐに動かなければ。
でなければシスターにやられ──。
体を起こし振り向いた黒髪は、銃口を向けるシスターを見た。
乾いた音が三発鳴った。
◇
「──以上が今回の事案に関する概要です」
男は上司へ報告した。
「ご苦労。今は確か、警察部隊長だったかな」
「はい、閣下」
「長い間お前を見てきたが、あいも変わらずつまらぬ男だな」
「申し訳ございません」
「……まぁよい。後処理はもう済んでいるのか?」
「はい。私が責任を持って処理致しました。彼らが部隊に属していた痕跡はすべて消去。この国に存在していたことすらも、無かったことになっているでしょう」
「そうか仕事が早いな。下がっていいぞ」
「ありがとうございます。失礼します」
「おい待て」
「はい」
「今回の件、お前はどう思っている。奴らのことを、お前は随分と可愛がっていたそうじゃないか」
「私は己に課された仕事を遂行しただけです。そこに個人的な感情などを挟む余地はありません」
「……そうか。引き止めて悪かったな」
「失礼します」
軽く会釈をして、警察部隊長は部屋を出ていく。
足早に軍本部の建物を抜け、捜査本部の中の部隊長室へ向かう。
座り慣れた椅子へ飛び込むように腰掛ける。
いまだに自分には不相応だと思っている椅子へ背中を預けると、溜め込んでいた感情が漏れ出てくる。
「はぁ……」
自分が下した決断に、後悔はない。
だが本当にこれで正しかったのかと疑念の気持ちが消えない。
国の、組織の安寧を守るため。
いいや、本当は自分の保身のため。
俺はそんなことのために、優秀な若者をふたりも犠牲にした。
そんな自分への嫌悪感で情けなくなる。
罪悪感を誤魔化すように、男は引き出しの中から紙束を取り出す。
綺麗にまとめられた、分厚いレポートだ。
軽く目を通しただけでわかる。
このレポートの存在は、この国の体制を脅かす爆弾のようなものだ。
「ふっ、よく調べているじゃないか」
よくもあのふたりだけで、ここまでの情報を集めたものだ。
特にあの男。
ひょうひょうとしているのに、観察力や推察に秀でている。
数少ない情報だけで、ここまで真実へ近づくとは。
本当に殺す必要はあったのか。
うまくやれば、飼いならすこともできたのではないか。
そうすればきっと、あのふたりは男にとって優秀な駒になったはずだ。
強めにノックの音が聞こえる。
時計を見ると、ノックの主に心当たりがあった。
隊長は低い声で答えた。
「入れ」
「はい! 失礼します!」
勢いよくドアが開けられ、ノックの主が入ってくる。
元気が有り余っているような、黒髪の少年だ。
隊長は目を細めた。
少年は満面の笑顔で言った。
「今日から捜査本部に配属になりました ! これからよろしくお願いします!」
芦毛のシスターの日常 種田自由 @tanedaziyuu
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