第5話

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甘夏の家の場所を俺は知らない。何度か訊いたことはあるが、その度にはぐらかされた。


 尾けるのは気が引けた。だが、俺の精神はすでに均衡を欠いていた。わずかな罪悪感と不信を天秤にかけた結果は明白であった。


 だが、同時に失敗したらーー見失ったら尾行は諦めようと決めた。万が一に甘夏に気付かれたならば、不信は甘夏に移行する。それによってきっと俺は甘夏を失うだろう。


 今この場において、俺は綱渡りをしている。その自覚はあった。だが訪れる結末を受け入れる自覚は無かった。




犬の散歩をしているくらいであったのだから近所であると踏んでいた。だが実際には甘夏は隣町まで歩き、それからさらに公道を離れ、山道へと向かう。


山道の途中にも集落はある。斜面を利用した畑と小さな田園にやがて赤い光が差し込む。ヒグラシが鳴き出す。甘夏の白いワンピースはどこか場違いに見えた。


集落を抜けると林道に入る。甘夏は一度も振り返らなかった。樹影に遮られ、時折姿を見失いそうになるが一本道なので心配はしていなかった。


黒い梢に縁取りされた頭上の空は、すでに申し訳程度の光しかない。そこに大量の赤トンボが飛んでいる。俺はなぜか砂利道を踏みしだいて歩いている。足音を隠す気が無くなっていた。なぜかそれでも甘夏は振り返らないと感じていた。


唐突に鳥居が現れた。遠目に彼女の影がそこをくぐるのが見えた。


鳥居の前にくると、社殿の方に灯があるのが見えた。なぜか光がある方が不気味に映る。霧が立ち込めているせいかもしれない。敷石を歩くと突風が吹いた。木々がざわめく。


「なぜ、来たの」


どこからか声が聞こえた。


「ご両親に挨拶をしたくてね」


灯篭の影から甘夏は現れた。見たこともない表情を浮かべていた。


「またにして、とにかく今は」


早く逃げて、という言葉を俺は聞くことがなかった。何かが目の前に現れ、咄嗟に俺を突き飛ばした甘夏の首を一飲みしたからだ。


「なぜ、そんなこと」とその「何か」が言った。


甘夏の首無し死体が倒れ、首から血が噴き出した。


「何か」は甘夏の首を吐き出し、必死に死体へ繋げようとしていた。


俺は腰を抜かしていた。立ち上がろうにも立ち上がり方を忘れてしまった。


その時、誰かが俺の肘を掴んで強引に立ち上がらせた。


「死ぬぞ」と言いつつ誰かは俺を鳥居の外へと連れ出した。


砂利道に倒れこんだ。見上げると汚らしい坊主がいた。


「何で神社に坊主がいるんだ」


「あんたは”アレ”の関係者か」


「”アレ”って何だ。甘夏は俺の恋人だ」


ふん、と唸って坊主は髭を撫でた。胡散臭いが命の恩人ではある。次の言葉を待った。


「それはまた物好きだな」


憤慨したかったが、まだ恩人ととしての時効は迎えていない。


「それなりに美人だと思うが」


「ああ、そうか。まだ知らされてなかったのか」


坊主は目を見開いて言った。間抜けな面だった。


「アレは人間ではない。この神社に住み着く”百”という化生だ」


坊主が言っているのが”何か”の方であると知り、自分がやや正気を失っていると気づいた。


「俺は幽霊とか化け物のたぐいは信じない」


「だが目の前で見ただろう」


甘夏の首が食われた瞬間を思い出し、俺は再び腰が砕けた。


甘える時は少しだけ照れくさそうにする甘夏が死んだ。

料理は初めてだと言うが、教えるとすぐに俺以上に上手くなる甘夏が死んだ。

他の女を少し眺めるだけで嫉妬する甘夏が死んだ。

時々意味もなく名前を呼んで、「呼んでみただけ」と言う甘夏が死んだ。

そうだ、俺の目の前で甘夏は死んだのだった。


俺は叫んでいた。


「女を生き返らせる方法はある」坊主は俺の叫びを聞き流し、明後日の方を見ながら髭を撫でている。「しんどい作業になるし、成功するとは限らないがな」


俺は立っていられないのをいいことに、そのまま土下座の体をなして言った。涙とよだれが地面に垂れた。


「その方法を教えてくれ」


砂利を眺めながら次の言葉を待つ。手のひらに食い込む小石の感触を感じつつ、坊主が一歩こちらに歩み寄るのを知る。




「あの化生には体のどこかに花がある」


「鼻か。まああるだろうな」ほぼ呟くように坊主の言葉を口にする。


「顔にある鼻ではない。野の咲く花、の花だ。その花を百輪摘んで食えば一人だけ死者を蘇らせることができる」


「花を食う」坊主を見上げた。下衆な笑顔があった。


「これは隠喩ではない。文字通りに花を食うんだ。ちなみに相手が死んでいようが生きていようが、花を摘んでしまえばそれでいい」


膝立ちになって俺は抗議していた。


「花が咲いている生き物なんているのか」


「どこに咲いているかを探すのが一苦労だがな。体内に咲いている場合もある」


「いや、そこは退治するとかだろう。それに百度だと? そんなの無理に決まっている」


「だからしんどいと言っただろう」 坊主は手を差し伸ばし、俺を起こして言った。「早くあの女のことは忘れろ。あんた、そこそこ見れる顔じゃないか。次の女なんてすぐに現れる」


憤慨しつつ、俺は坊主に百を取りおさえる方法を教えろと詰め寄った。兎にも角にも動きを封じないと花は摘めない。


頭を掻いて、坊主は面倒臭さそうにその方法を言った。







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