つま先

洞貝 渉

つま先

 何かが素足のつま先を掠めた。

 思わず小さな悲鳴をもらして飛びのくと、そこには毛糸玉がひとつ転がっている。

 マフラーを編んでみようと思って秋のはじめに買ったものの、結局ひと編みもせずに棚にしまい込んでいたはずのそれが、真っすぐに転がっているかと思えば急に方向を変えたり、ふわっと浮かび上がったりする。

 まるで、猫にでもじゃれつかれているような動きだ。

 ためしに昔飼っていた猫の名前を呼ぶと、毛糸玉の不規則な動きがピタリと止まる。次いで何か軽いものの足音がして、素足のつま先に柔らかく温かいものが触れた。

 にゃあ、と聞こえてくるような気がする。

 何も見えないのだけれど、かがんで、感触のある辺りに手を伸ばしてみればふわっとした手触りの後にゴロゴロ音がした。

 やっぱり猫だ。昔飼っていた猫がここにいる。


 捨てるに捨てられずしまい込んでいたエサ皿を引っ張り出してきて部屋に置く。カリカリを買ってこなければ。ああ、餌を食べるのならばきっとトイレもいるだろう。他には何が必要か。

 『昔飼っていた猫 透明 戻ってきた 何が要る?』とネットで検索をかけるとAIが『それはとても素敵ですね。それはわたしたちをとても幸福にします。わかり合うためには話し合いをすることがはじめの第一歩なのです。』と回答してくれた。

 なるほど、直接猫に聞いてみればいいのか。

 

ねえ、ご飯食べる?

にゃあ。

じゃあ、トイレはする?

にゃん。


 これは要るのか要らないのか、どっちの意味の鳴き声なんだろう。

 思い返してみれば、わたしは飼い猫とコミュニケーションする時、鳴き声よりも尻尾や表情なんかを参考にしていたような気がする。見えない猫と、どう話し合いわかり合えばいいのか。


えーっと、チュールいる?

にゃあああああああん!


 なるほど、ご飯とトイレが必要かはよくわからなかったけれど、これはよくわかった。

 猫は寝転がってわたしの足に身体をこすりつけているようで、素足のつま先に押し当てられたフワフワがうにょうにょと蠢いている。

 そうだ、リップサービスの素晴らしい猫だったのだ、この飼い猫は。

 久々の感触を堪能していると、ふいにつま先からフワフワが離れ再び毛糸玉が不規則な動きで転がり出した。右へ左へ、前へ後ろへ。そして最後にわたしのつま先へ。


にゃあ。


 見えない猫がどこかで鳴いた。

 わたしは毛糸玉を拾い上げると同時に目が覚め、夢うつつながらも冷えた室内を認識して温かな布団に慌てて深くもぐり込む。素足のつま先に毛布のモフモフが気持ちいい。

 現実のわたしは猫なんて飼ったこともなければ、編み物もしないし、当然毛糸玉も買っていない。


 そういえば、夢の中の猫はどんな声だったか、毛糸玉は何色のものだったか。


 起床時間ギリギリまで、わたしはつま先に感じる毛布の感触を堪能しながらつらつらと夢を回想した。

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つま先 洞貝 渉 @horagai

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