気になるあの子は背が低い

椎塚雫

昼休み

 高校生、大人に移り変わっていく期間だと俺は思う。15歳以上と書かれた薬が飲めるようになったり、制服がブレザーに変わって慣れないネクタイに苦戦したり、定期券を見せて電車に乗った時にふとそう感じる。他にも携帯電話を初めて買ってもらった時とかコーヒーが飲めるようになった時とか母親より背が高くなって見上げる事がなくなった時とか。

 ここで誰かと恋愛をしてなどと出てこないのは年齢=彼女いない歴であるのは言うまでもない。……なんだか悲しくなってきた。

 そんな事を不意に思い出したのはある昼休みのことだった。購買部でコロッケパンを無事に入手した俺は、自分の教室に戻ろうと階段を登っている途中で飲み物を買い忘れた事に気づき、学校の外の自販機で買うことにした。まぁ昇降口にもあるのだが、昼休みは大体混んでいるので校門前にある下り坂の自販機の方が人気がなくて好みなのだ。

 缶コーヒーでも買おうかなと考えつつ歩いていると思わず足を止めた。

「くそう!なんで!一番!上なのっ!」

「……」

 ぴょん、ぴょんと自販機の前で飛び跳ねる小柄な女子生徒の姿があった。ツーサイドアップにしたセミロングの栗色の髪も跳ねていて可愛らしい。身長は140cm前半?と思うぐらい小さく、紺色のブレザーを着ていなかったら女子小学生にしか見えない。

 どうやら一番上のカルピスのペットボトルが欲しいらしく、何度もボタンを押そうと腕を伸ばしているがギリギリ指が届かないようで苦戦している。

「んー!!」

 縁石の上に乗り、つま先立ちで身を乗り出すように右腕を伸ばすがぷるぷると震え、今にも足元を踏み外しそうだった。そうしている内に自販機が勝手にキャンセルして、無慈悲にチャリンチャリンと音を立てて150円が返却される。女子生徒は大きくため息をつくと肩を落とし、釣り銭を取り出す。

 見てられないなあ……。

 そう思った俺はそっと女子生徒の横からお金を入れてボタンを押し、取り出し口に落ちてきたカルピスを取り出す。

「はい、どうぞ」

「え……?」

 びくっと驚いてこちらを見上げる女子生徒。大きな瞳にあどけない表情はとても愛くるしい。それにどこかで見たことあると思ったら、クラスメイトの三黒みくろさんだった。クラスの中で一番背が小さく、彼女が日直だった時には黒板を消すのに苦労しているのを見たことある。

「カルピス飲みたかったんだろ?」

「あ、うん……」

 きょとんとした表情で受け取る三黒さん。まぁ突然話したこともない男子生徒に飲み物渡されたら怖いか。すぐに踵を返し、学校に戻ろうとすると不意に制服の裾を引っ張られる感覚がして、足を止めた。

「……えっと、なに?」

山城やましろくん、だよね? ありがとう、これ受け取って」

 そう言って150円を手渡そうとしてくる。律儀だなぁ。

「いいって」

 いらないと両手を振ると、三黒さんは不満げな表情になる。

「だって山城くんも買いに来たんでしょ」

「まぁそうだけど」

「でしょ、何飲む?」

 そう言って三黒さんは自販機にお金を投入する。ここで一番上の商品を言ったらかわいそうなので、手が届くであろうエメマンの缶コーヒーを伝える。

「あ、いま私の身長見て気遣ったね」

「俺の心を読むなよ……」

「ふふ、でも他の男の子と違って意地悪してこないのはポイント高いですよ?」

 ご機嫌そうに微笑みながら缶コーヒーを手渡してくる三黒さん。何故か距離が近いので俺は思わず目を逸らす。

 身長差のせいで上目遣いで見つめてくるのは正直とても可愛かった。手に触れた生暖かい缶コーヒーより顔が熱くなるのを感じる。

 女子と話した事なんて全然ない。素直にありがとうと言って立ち去ればよかったのに。俺の口は勝手に話を続ける。

「ポイント貯まったら何か貰えるのか?」

 自分でも何を言っているんだろう。「え」と三黒さんも困った顔をしているじゃないか。

 彼女は顎に指を当てながらこう言った。

「……えっと、頭撫で撫でしてあげます」

 今思いつきで言ったなこの人……。そんな事で喜ぶのは小さい子だけだ。

「冗談だよ」

「照れなくてもいいのに~このこの」

 肘でつんつんと脇腹を突いてくる。意外とノリがいいというか面倒な絡み方をしてきた。今まで接点がないのにどうしてここまで馴れ馴れしいのだろうか。

 疑問に思っていると、唐突に「ねえ」と声のトーンが下がった三黒さんが制服の裾を掴んでいた。

「本当に覚えていないの?」

 どうして?と問うような眼差しに胸の奥がチクリとする。

「え、何の話?」

「うぅ、やっぱり覚えてないんだ……。去年の梅雨に傘を貸してくれたことも、図書室で代わりに本を取ってくれたことも、私の上履きを探してくれたことも」

 泣きそうな顔を見て、ひどく罪悪感を覚える。

 どうしてさっき自販機で困っている彼女を助けたのか。その理由は決して気まぐれでもなく、全く接点が無いわけじゃなかった。

「……覚えてるよ」

 俺は嘘をついていた。そう、一年前からずっと見ていた。

 三黒小鞠みくろこまりは背は小さいが顔は整っていてお世辞抜きで可愛い。

 だが高校一年の時サッカー部とバスケ部の先輩に告白され、それを妬んだ女子連中に嫌がらせを受けていた。彼女自身は告白を断ったのだが、それでもいじめが終わらず、無視や悪口、机に死ねなどの落書き、私物を隠されるといった事が続き、挙げ句の果てには机の上に花瓶まで置かれたほどだ。

 もちろんそこまでいけば担任だって動き出す。だが犯人探しとなるとクラス連中は誰も名乗り出ない。例えそれを知っていたとしても見て見ぬふりで、仮にいじめをやった犯人を教師に密告すれば今度はそいつがいじめられる。誰も次の被害者になりたくない。そういう悪い空気があった最低の教室だった。

 俺も去年三黒さんと同じクラスだったので知っていた。日和見していた連中と違って、俺は傘を借りパクされて困っていた彼女を助けたり、図書室に隠された教科書を見つけたり、昇降口のゴミ箱に捨てられた上靴を拾ったりした事があった。最後にボイスレコーダーで暴言の証拠を録音してこっそり担任に渡した事で犯人は見つかり、三黒小鞠と母親に謝罪する結末へと迎えたのだった。結局いじめをした女子連中は夏休みを境に学校に来なくなった。

 彼女に恩を着せるつもりもないし、当時の担任にも三黒さんに自分の事は伝えないで欲しいといったのだが。俺はこの出来事のせいで誰とも友達にはならなかったし、なんなら教師に密告した奴なのはバレていた。だから俺なんかと関わったらまたいじめられるのではないかと思った。それに今年クラス替えがあってようやく1人女友達が出来た三黒さんはそっとしておくのが正解なんだ。

 ――だから、俺はあくまで他人であるべきなんだ。

「三黒さん、俺は大したことはしていないし、去年の事は気にしないでーーげほぉ!」

 思いっきりお腹を頭突きされて思わず蒸せる。

 顔を制服に押し付けているせいで見えないけれど、声が震えていた。

「そんなことない! 私、あの時すごく嬉しかったんだよ……。一緒に探してくれたり、私の代わりに先生に言ってくれたこともずっと感謝してる。一度転校する事も考えたけど、それを思いとどませてくれたのは君のおかげなの。ずっとお礼言いたかった」

「三黒さん……」

「ありがとう。山城くんのおかげで学校行けるようになったよ。だから……」

 一旦言葉を区切り、顔を上げる三黒さん。

 涙で溢れそうになる瞳を何度か瞬きし、決心したかのように息を呑む。

 言葉の続きを待っていると、彼女は両手を俺の首に手を回し引き寄せて、つま先立ちになり。

「……!」

 唇に温かい感触とほんの湿り気を感じた。一瞬の出来事に俺は言葉にできず、目を大きく見開いた。

 戸惑っているとそっと彼女は地に足をつけ、こう言った。

「……好きです」

 一瞬だけ唇が重なり、離れると濡れた感触と共に告白をされる。

「えっ、ええ今なんてっ」

 素っ頓狂な声が出てしまう。

 ちょっと待って理解が追いつかない。三黒さんがどうして俺にキスなんかを。

 お礼を言うのは理解した。だけどキスされた理由が分からない。ずっと好きではあったけど、三黒さんに好意を伝えたこともないというのに。

「もう他人のフリしないでください。私の事ずっと目線で追いかけているのバレバレですから」

「バレてたか……」

「はいバレバレです。山城くんの事ですから、俺と関わったらいじめられるとか考えてあえてそっけない態度しているんじゃないかと」

「うぐ」

 全く反論のしようがございません。

「私も全然気にしてませんから。あの人達は退学しましたし、過ぎた事をいつまでも気にしていたら前に進めません。そんな事より山城くん、私の事どう思ってるんですか? 先に女の子に告白させといてダンマリはひどいですよ?」

 ずるいよなぁ。慕っていた女の子にこう言われちゃ引くに引けなくなってしまった。

「三黒さん」

「むー!」

 ほっぺたを膨らませて睨まれる。でも小動物みたいで可愛い。

 この流れは言えって事だよな。うるさいほど激しく動く自分の心臓の鼓動が聴こえる。

 唾を飲み込み、じっと彼女の瞳を見つめてこう言った。

「小鞠」

「はい」

 告白する勇気もないのにずっと三黒小鞠という女の子を助けたい気持ちだけあった。だから偶然を装って、こっそり助ける事が精一杯だった。とてもモテるし、もっと格好いい男子と付き合うんだろうなぁと他人事に思っていたはずなのに。

 据え膳食わぬは男の恥、というものだろう。

 今まで女の子と付き合ったことすらないので特に上手い言葉は思いつかなかった。でもこれだけは言える。

「……俺で良ければ付き合ってください」

「……はい、よろしくお願いします」

 差し出した右手に両手で包み返される。彼女の手はカルピスを持っていたせいか少し冷たかった。

 キーンコーンカーンコーン。

 昼休みの終わりを告げる5限目の予鈴が聞こえる。

 この後ギリギリになって、2人同時で教室に戻ったせいで噂になったり、下の名前を呼びそうになって三黒さんの友達に関係がバレたりするのだが、それはまた別のお話。(了)

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