でっどこーすたー

香久山 ゆみ

でっどこーすたー

「こちらが当遊園地の七不思議の現場です」

 そう言って職員から案内されたのは、ジェットコースター乗り場の前だった。

 古いファミリー向けの遊園地のくせに、ずいぶん本格的なコースである。地上四十メートルはあろうかという高さから一気に落下し、トルネードしながら進み、一回転する。右に左に揺られながら上昇下降を繰返し、ようやく帰ってくる。なかなか長い。

「うちの遊園地の目玉ですから」と職員は胸を張る。

「で、怪異とは?」

「乗ってもらえれば分かります」

「は?」

「いえ、むしろ乗ってもらわないと分かりません」

 そう言いながら、先頭の一席を残しておもむろに他の席の安全バーを下ろし始める。さあどうぞ、と言わんばかりに先頭のシートに俺を誘導しようとする。

「ちょ……、待ってください」

 乗る前にトイレに行かせてくれと言って逃げる。

 もう何も出ないのだが、ゆっくり時間を掛けてトイレから戻る。職員の気が変わっていますようにという祈りは通じなかった。

 待ってましたとばかりに、先頭シートに座らされて安全バーを下ろされる。

 プルルルルと発車の合図が響く。

「ちょ、待っ……」

「それでは、いってらっしゃーい」

 職員の笑顔に送り出されて、ジェットコースターは発進した。

 よそでは落差九十メートルのジェットコースターもあるようだし、こんなもん大したことない。自らそう言い聞かせるが、何の甲斐もない。

 ガタガタガタガタ……。

 古いジェットコースターはやたら大きな音を出して、不安を煽る。ガタガタと頂点を目指してゆっくりと上っていく。絶叫系は得意ではないのだ。緊張で呼吸を忘れそうになる。落下に備えて安全バーを握る手にぎゅっと力を込め、ぐっと足の先まで踏ん張る。

 ガタン。

 頂点に達し、ゆっくりと上を向いていたコースターが水平に角度を落としていく。くるぞ、くるぞ。ついに目の前のレールが見えなくなる。きた。そこから先は垂直に落ちるのだ。

 足先から下腹から鳩尾から心臓からぐわっと臓器が浮き上がるような感覚が苦手だ。体がどこかへ飛んでいってしまうような嫌な感覚。踏ん張っても仕方ないと思いつつ、ぐうっと爪先に力を込める。

 が、踏ん張った足先が、即座に何者かに剥がされる。は? 足が浮く。なんだ? 足元の暗い空間を覗くと、こちらを向いてにやりと笑う白い顔と目が合った。う、わっ!

 と完全に足を上げたのと同時に、コースターは落下に転じた。

「!! …………っ!!」

 ぐっと歯を食いしばって叫び声さえ出やしない。宙ぶらりんの足のせいで右に左にガコンガコンと体が振られる。ただ必死にバーにしがみつく。今一回転した? まだ? よそ見していたせいで視界も定まらず、上下も距離感も曖昧だ。途中から目を瞑っているうちに、気付けば乗り場まで戻ってきていた。

「おかえりなさーい! どうでしたか?」

「……何が?」

 元気な職員が腹立たしいが、ぐったりして言い返す気力もない。

「やだなあ! 七不思議ですよ。『見た』というお客様が多いから調査してほしいんじゃないですか」

「だから、何を……」

 どうでもいいから早く安全バーを上げてほしい。

「ああ! 探偵さん、目を瞑っていたから見ていないんですね。次はちゃんと見てきてくださいね!」

「え。は、おい……」

 プルルルルと合図が鳴って、コースターが出発する。

「おい! 待て! 戻せ!」

「いってらっしゃーい!」

 職員が笑顔で見送る。くそ。なんなんだよ。営業時間外の深夜の調査である。あいつもさっさと片を付けたいと考えているのやもしれぬ。それにしたって!

 無情にも再びコースターは頂点に達する。

 足を踏ん張っていると、また出た。白い顔がぬうっと出てきて、無言で足を床から剥がそうとしてくる。まあ、何か喋っていたところで、どのみち俺は視えるだけで聞こえないのだが。ガンガンと足元の白い顔を蹴りつけようとするも、すかっと擦り抜けて床を叩くばかり。しまった、こんなに強くジェットコースターの床を蹴りつけて、故障しやしないだろうかと急に不安になった瞬間に落下した。

「……っあ……!!」

 ガクガク揺られて、放心状態で乗り場まで戻る。

「おかえりなさい! どうでしたか?」

「どうもこうも……」

「あれ、見えませんでしたか? もう一周いきますか」

「待て待て待てっ!」

 霊の声が聞こえないのはともかく、こやつには声が届いているはずなのに言葉が通じない。イライラしたいが脱力していて腹に力も入らない。

「あれだろ、足元に出てくる奴……」

 回らない頭で必死に伝えようとするも、職員はきょとんと首を傾げる。

「足元? ちがいますよ。ジェットコースターが頂点に達した時に、時計台の近くに見えるはずのないものが見えるらしいんです」

「見えるはずのないもの? それは……?」

「ご自分の目で確かめてきてください」

 プルルルル。いってらっしゃーい。

 コースターが出発する。あいつ! くそ! ばか! あの笑顔がむかつく。

 ガタガタガタ、ガコン。

 頂点でまた足元に白塗りの顔が現れる。幽体は本来生身の俺に触れることはできないはずだ。無視だ、無視。足元ばかり見ていたから、本来の七不思議を見落としていたのだ。

 足元を無視しようとするも、冷やりとした嫌な気配に思わず足が浮き上がってしまう。そのせいで気もそぞろになってしまう。時計台? どこだ? きょろきょろしているうちに、ジェットコースターは落下する。

「おかえりなさい!」

「……。時計台を見つけられなかった」

「あらら。頂点から見て右手の方角ですよ」職員が園内地図を広げて説明する。

 いってらっしゃーい!

 頂点到達。

 足元のピエロ野郎は、無視。無視無視!

 時計台? あった! けど、時計台からは何の気配も感じないが……。

 落下!

「おかえりなさい!」

「時計台は何もなさそうだったが」

「ええー」

 職員は不服そうに口を尖らせる。

「お客様からは、時計台にピエロが見えたと。何人ものお客様がそう仰います。けれど、当遊園地の時計台近辺にはピエロなんてないんですよ」

 職員が滔々と説明する。

「ピエロ? 足元ではなく、時計台に?」

 毎回足元でにやつく白塗りのピエロを思い浮かべる。あいつじゃないのか?

「いえ。足元がどうのっていうのは一度も聞いたことがありません。時計台です」

 いってらっしゃーい!

 頂点。

 足元ピエロ、無視。

 時計台? じっと時計台の方に視線を向ける。別にピエロなんて……。

 あっ!

 と思った瞬間に、落下。

「おかえりなさい! どうでしたか?」

「……わかったぞ」

「えっ!」

 先程渡された園内地図を広げる。……やっぱりそうだ。

「ジェットコースターが頂点に達して落下する瞬間、時計台の三角屋根と、手前のアトラクションの赤い円形、アンテナなんかが重なって、ちょうどピエロの帽子や赤鼻や目に見えるんだよ」

 本当に一瞬のタイミングなので、原因が分からず奇妙な体験をしたと感じる客も多いのだろう。

「なるほど、霊障ではなかったんですね」

 よかった、よかった、と言いながらも安全バーを上げてくれない。いったん操作室に戻った職員が、ヘルメットを持ってくる。ヘルメットの前方にはしっかりとGoProカメラがセットされている。

「それって、遊園地のになりそうですよね。探偵さん、しっかり撮影してきてくださいね」

 そう言って俺の頭にヘルメットを装着する。

 いってらっしゃーい!

 その後、「映りが悪い」だの何のと結局ジェットコースターを連続十周した。

 途中から無抵抗になった俺に飽きたのか、足元のピエロも七周目くらいで消えた。

 ようやく降車した後、もう一度職員に確認した。

「あの一瞬時計台に見えるピエロ以外に、ジェットコースターに関する噂はないんですか?」

「え? ないですよ」

「それでは、ピエロに関する噂は?」

「……さあ、分かりませんね」

 職員はにこりと笑顔を貼り付けて答えた。

「そうですか……」

 今も爪先に不穏な感触が残っている。あのにたりとしたピエロの笑顔。

「では、次の七不思議にご案内します」

 職員に促され、のそりとベンチから立ち上がる。夜の遊園地で迷子にならぬよう、彼の背中を追った。

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