背中で見る箱根駅伝

中里朔

疾走

 沿道から身を乗り出す人たちと向き合い、路上へ出ないように押し戻す。

 歓声と共に、背後からは小気味よい足音が聞こえてきた。



 毎年行われる正月の恒例行事、箱根駅伝。

 伝統ある箱根駅伝競技に出場したいと、中学の陸上部に入った時から願っていた。

 長距離ランナーとして努力を続けた甲斐があって、駅伝部のある大学へ推薦入学することができた。一年生から順調にメンバー入りを果たすことができ、年末には監督からスターティングメンバーが発表される。


「駆け引きも大事だ。仕方ないさ」

 そう言って笑って見せたが、心の中は複雑だった。

 八区の走者として発表されたのだが、それは他校をあざむくための策略であり、当日に選手変更が行われることまでが決まっていた。走るはずだった八区のサポート役に専念する。

 チームは惜しくもシード圏内で到達することができず、しかも予選会でも順位を落としてしまったために翌年の出場の夢はついえた。



 中継所で揃いの黄色いジャケットを身に付けた僕らは、軽く自己紹介をした。学生補助員というボランティアだ。箱根駅伝を円滑に運営するために、見学者の安全確保と規制、他に選手の誘導や中継所に到着した選手にタオルをかけるなどの仕事を行う。自己紹介をした仲間は走路員という役目で、観客がコースを走る選手と接触しないように常に気を配らなくてはならない。

 数十メートルおきに配置される仲間は、予選会を通過できなかった選手でもある。


 先導車が通り過ぎると、沿道の観客がにわかに色めき出す。

 市販のマラソンシューズよりも硬質な靴底で走る音――

 歓声や中継車の音にかき消され、そのリズミカルな音は全く聞こえない。

 応援する大学や、贔屓ひいきの選手が通るたびに大きな声援が湧き起きる。

 僕ら学生補助員は、選手に声援を送ることができない。常に観客の方を向き、危険が及ばないように注意をおこたってはいけないのだ。


 予選会を通過していたら、後ろを通るライバルたちと競い合っていたかもしれない。声援よりも、その足音を聞きたかった。フォアフット*、あるいはミッドフットの足遣いを見たかった。


 見えなくても、聞こえなくても、観客の視線で選手が後ろを通り過ぎていくのがわかる。

 おもわず、ちらりと通り過ぎた選手を見やった。たすきをなびかせ、颯爽と走り去っていく後ろ姿。少し先にいる別の補助員も、通り過ぎた選手を見る。

 思いは同じか。


 一瞬にして走り去る選手たちを見送った観客が早々と移動を始める。まだ最後尾の選手まで通過していないはずだ。

 選手が走って来る方向を見た。隣にいる補助員は挨拶を交わしたうちのひとり。彼は確か、チームメイトが学生連合*で参加していると言っていた。

 ややあって、ようやく通過する学生連合チーム。悲しいかな歓声はまばらだ。地面を蹴りだす靴音が背中を通り過ぎて行った。


 僕たちは知っている。その息遣いがどれほどの苦しさなのか。たとえ声援が聞こえずとも、襷をつなぐその瞬間までは孤独な戦いが続くことも。

 ここに並ぶ黄色い仲間たちは、路面を蹴りだすつま先の音を聞きながら、最後まで声なき応援をする。

 次は自分が、歓声の中を走ると信じているから。






*フォアフット … つま先から接地する走り方。ミッドフットは足裏全体で接地。

*学生連合 … 出場権を得られなかった大学から、成績優秀な選手を選抜した連合チーム。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

背中で見る箱根駅伝 中里朔 @nakazato339

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画