第8話 兄貴のところへ

「えー! この曲すごく良いじゃん」

「そうなんだよ。マジでイケてるんだって!」


 バイトが終わり、俺は母さんに「明日海と一緒に兄貴のところで飯くう」と伝えてバスに乗った。

 ここら辺りは、夏になると観光客が駅まで来て、そこからバスに乗って海水浴場まで行く。

 だからバスが結構充実していて、1時間に4本あるから、移動しやすい。

 道の駅と、家と、学校は、ギリギリ自転車で移動できる距離だけど、兄貴が住んでるマンションは駅の向こうで、自転車はキツい。

 俺はバスの中で明日海に田見さんの曲を聴かせていた。

 田見さんの曲は、画面も暗いし、歌詞もかなり重い。

 でもコメント欄を見てると「すごく好き」と言っている人が多い。

 暗くて重くて気持ちを吐露してるのに、どこか力強くて、鬱っぽいのに絶対に死にそうにない強さを感じる。

 俺がそう言うと「わかる」と明日海は笑った。

 そして『時しのぎ』というわずか一分半の曲を聴き、


「……この曲いいな。『怖いでしょう、この気持ちが』ってずっと歌ってるの、良い。怖いって分かってるの辞められないの、わかる……」

「明日海……お前もうほんと諦めたほうが良く無いか? 兄貴は俺の幼馴染みとはいえ女子高生と付き合う男じゃないだろ」

「私だってクラスの男子と遊んだりするけど真広さんのが好き。もう来るなって静かに断りながら優真がいるって伝えたら『気をつけてこいよ』って言ってくれるんだもん、どうやって諦めたらいいのか分からないよ。よしわかった、優真。私と結婚しよう。それで優真の嫁になれば、真広さんが受け入れてくれる」

「不倫前提の結婚を強いられる俺の人生……悲惨すぎてワロタ……」


 兄貴は俺と違って顔がシュッとしてて、なにより早口オタク語りしないスポーツマンだったから学生時代もモテてたし、常に女の人が横にいる感じだった。就職しても、スマホにかけたら女の人が出たりして、すぐに結婚しそうだなーと思ったのに、しないというか、正式に『彼女が出来た』と紹介されたことは無い。結婚に興味が無さそうに見える……けど、よく分からない。

 駅までのバスに乗り、そこから反対側まで軽く歩く。

 ここら辺りの駅は観光客がバスに乗るためだけに特化していて、とにかくバスターミナルが大きい。

 派手な店はすべて駅から少し歩いた所にある幹線道路沿いにある。

 そこに大きな病院があり、清乃はそこでずっと体調を見てもらっている。

 その病院は循環器系に強い病院で、その病院で診てもらっている患者さんが、主に兄貴の会社の顧客だ。 

 駅からの道はかなり暗くて……というか、駅から歩く人は想定されてない。

 みんな車移動が基本だからだ。兄貴が「ひとりで来るな」というのは、この暗さも関係してる気がする。

 マンションに到着してチャイムを鳴らすと兄貴が出て来た。


「優真。明日海ちゃんもいらっしゃい」

「真広さん、こんばんは!」

「どうぞ。餃子まだ準備できてない、ごめんね。生タイプだったんだ」

「私焼くの得意ですよ」

「本当? うちのフライパン古いけど大丈夫?」

「家では鉄のフライパンで焼いてるので、たぶん平気だと思います」

「じゃあ頼んで良いかな。そうだ、優真と明日海ちゃんに見せたいものがあるんだよ、こっちきて」


 「ああ」と答えて部屋に入りながら「見せたい物……?」となんだか恐ろしい気分になる。

 台所でエプロンして手を洗っている明日海の表情が石のように固まっている。

 いやいや、その自動で泡が出てくるやつの前に手を置いてると、無限に泡が出てくるから。

 俺は明日海の背中をトンと叩いた。明日海は山盛りの泡でゴシゴシと手を洗って、


「ご飯、先に炊きます!」

「なるほど、そのほうがいいか。俺お腹すいたから三合炊いてくれると嬉しい。ありがとう」

「!! いつだって作りにきますっ!!」

「ひとりで来るのは禁止。来る時は優真と来てね」


 俺の前でもがっつり釘刺されて、なんだか少し可哀想になってしまうが、ちゃんと断ってる兄貴のほうが正しい。

 いちおう男の人だし、間違いなく良くない。

 兄貴は俺を隣の寝室に連れて行った。

 そして見せてくれたのは机に上に置かれた色紙だった。そこには美しい花……ブーケの絵が描かれていた。


「すげー」

「これ、お前の先輩、義之に頼んで描いて貰ったんだ」

「あー、義之先輩の絵。それっぽい」


 義之先輩は俺の四つ上で、アニメ研究部の前身、漫画研究部の人で、中学生の時にお世話になった。

 今は風景画を描いてイベントで売り、自由気ままにくらしているらしい。

 仕事くれって言うから頼んだんだよ……と笑いながら、


雪見ゆきみの所、もうすぐ産まれるじゃん」

「そっか。なあ、明日海、雪見さんの子、再来月だっけ」


 俺がそう台所に向かって話しかけると、お米をセットし終えた明日海が手を拭きながらこっちにきて、


「そう、再来月。わーー、すごい華やか、これお姉ちゃんめっちゃ喜ぶ! 手作りの額縁みたいなやつだ」

「下半分空けてもらったんだ。明日海ちゃん似顔絵描くの得意だろう? だから下に描いてさ、それで家に持ち帰って清乃にも描いてほしいな」

「こういうのが一番記念に残って良いと思います」


 そう言って明日海は笑顔を見せた。

 明日海のお姉さん、雪見さんは兄貴とおなじ8つ上で、兄貴と雪見さんは幼馴染みだ。

 雪見さんは明日海と真逆なおしとやかで、ここらでは一番美人と有名な人だ。去年結婚して、子どもがもうすぐ産まれる。

 その記念の色紙を仕上げよう……という事らしい。

 ご飯が炊けるまでの間、明日海は色紙の下に雪見さんと旦那さん、そして兄貴をサラサラとペンで一発書きしていった。

 それを見て兄貴は、


「すごいな。こういうのをサラサラ描けるの尊敬する。評判良かったよ、うちの会社の子の結婚祝いにお願いした明日海ビール」

「えへえへえへ。良かったですー。ご依頼頂けると、うちの店も儲かりますので!」

「うん、すごいな。上手だ」

「えへへへ。えへへへへ。えへへへへ」


 明日海は絵を褒められて嬉しそうに次々と似顔絵を描いた。

 でも途中でハタ……と気がついて、


「あ~~~っと、もうちょっと描くのかかりそうだし……えーーっと、酢、酢は純米酢のが良いです、だからほら、優真と真広さん、あの駅前のスーパーで買ってきてもらえませんか?」

「了解。じゃあ行こっか。食後のプリンも一緒に」

「あっ、食べたいですっ!」


 そう言って明日海は頭を下げた。

 この間に怪文書を回収する……と。俺は兄貴と一緒にマンションを出た。

 春の終わりでまだ少し肌寒いけど、ここまで来ると海風がないから、それだけが救いだ。

 兄貴は歩きながら、


「曲を作れる人が同じクラスにいたんだって? 清乃が興奮してLINEしてきた」

「そうそう! すげーんだよ。めちゃくちゃ曲も良くて。ネイロにアニメ絵付けるの夢でした……って言ってくれてさ、ガチでやる気になってきた」

「清乃も最近調子良いみたいだし、良かったな。これで部活が軌道に乗るのを祈ってるよ」

「いや頑張る。もう俺は清乃の仕事を作るプロデューサーになる」

「良いと思うよ、本当に。素敵な夢だ」


 兄貴はそう静かに言った。

 兄貴の声と言葉は波がない日の海みたいで、静かで良い。

 スーパーで純米酢、コンビニでプリンを買う頃には、俺のスマホに明日海から『回収しました、あざます!!』とLINEが入っていた。

 よし帰るか。これで明日海が部活ガチってくれるなら、俺的には全然あり~~。

 兄貴は歩きながら、


「明日海ちゃん、手紙の回収終わったって?」

「……気がついてたのか」

「本棚に真っ赤な封筒が刺さってたから、恐怖新聞が届いたのかと思ったよ」

「なにそれ。知らないけど、まあ……うん……恐怖が描かれた物体であったのは間違いない。え、中みた?」

「いや、ろうそくで閉じてあったから、見てない。これ見ないほうが良いだろうなと思って」

「ろうそく?! なんだそれ、手紙をろうそくで閉じるってこと? 紙燃えないの?」

「昔見たことあって知ってる。ろうそくを熱で溶かしてるんだ。まるで封印。だから開けないほうが良い気がしてそのまま置いておいた」


 全部兄貴にバレてるじゃん~~。まあ中身見られてないからセーフ……いやろうそくで閉じて赤い封筒……何が絶対バレないだよ。

 そんなの主張強すぎだろ!! 

 兄貴は歩きながら、


「家でふたりっきりにならないようにしてたんだけど、この前は生モノもって外で立ってたから、さすがに家に入れたけど、同じマンションに住んでる同僚呼んで三人で食べたよ。好いてくれるのは嬉しいけど、未成年で、世界が狭い時に身内の人間に好意を抱くのはよくあることだろう。だから世界が広がるまで……とは思ってるけどね」

「まあ兄貴ははっきりフってるよ。俺もそれは見てるから大丈夫。そろそろ裸エプロンとかしはじめるから、ガチで気をつけたほうがいい」

「いや、ハンバーグの時にそれくらいの気合いを感じたから、同僚呼んだんだよ。俺の同僚のほうが明日海ちゃん気に入ってたよ。未成年だから、そういう対象じゃないと伝えたから大丈夫だと思うけど」

「やっぱ明日海が来る時は、俺も一緒に来るよ」

「それが普通に嬉しいよ。ひとり飯は味気ないから、優真と明日海ちゃんがいたら楽しい。清乃の話も聞かせてくれよ。最近俺には甘えてくれないんだ、やっぱ家出るとダメだな」

「田見さんの曲に、サムネール描いたんだよ、これ」

「やっぱり清乃の絵は巧いな。優真と一緒で楽しみだ」


 そう言って兄貴は俺の頭を撫でた。いつまで子ども扱い……と思うけど、やっぱり嬉しい。

 部屋に戻ると、明日海は絵を描き終えていて、中華スープが作ってあり、餃子を焼いている最中だった。

 テフロンはげかけというフライパンなのに、明日海は上手に餃子を焼き上げて、炊きたてご飯と最高に美味しかった。

 家で恐怖新聞を調べたら、1日読むごとに100日ずつ寿命が縮まる新聞だと書いてあって爆笑した。

 明日海には絶対言えねぇ。

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