猫と時間

@offonline

夜の出来事

 京都での話になります。

 長袖を着ていたこと。独り暮らしの家にはコタツが布団を被っていたことから、春先だったのだろうと思っています。


 夜の食事を終えた後、酒を飲みながらMMORPGでもやろうと思っていたところだったのでしょう。パソコンの時計では19時前あたりだったような気がします。

 お酒がないということでスーパーへ買い物に出かけました。

 家から徒歩で数分の距離にあるスーパーは22時まで営業していました。19時から歩いていくなら余裕で間に合います。

 私は家を出ました。当時の私はアパート暮らしをしていました。アパートは道路に面しているので非常に騒がしいものです。スーパーはちょうどアパートの後ろ、反対方向にありました。裏手は閑静な住宅街になっています。

 自動車も入れない路地が張り巡らされていました。住宅は色とりどりでした。京都という先入観がありましたから、洋風建築と日本家屋が隣り合っている様は奇妙ながらも面白い風景だと思っていました。

 私はそういった路地を歩くことを趣味にするほどに京都の生活を気に入っていました。

 人との交流には癖が強すぎて慣れることはありませんでしたが、観光として短期間滞在するのならば、やはり京都は愉快な所だと思いますね。

 私は普段の通りに大通りから路地に入りました。途端に喧騒が遠ざかるような気がしました。気分が良くなります。

 道幅は二人が並んで歩くには狭いと思うほどですが、窮屈さを感じさせません。

 家を区切るものは生垣だったり、花壇だったり、木製の壁だったりします。市内によくある雨宿りなどをしないようにする建築様式はなかったような気がします。イケズ石もなかったですね。自動車が通行できないからなのかもしれません。

 路地にはポツポツと電柱にそって外灯がありました。その光も弱弱しいもので、現代ではなく古い時代に入り込んだような、不思議な魅力がありました。路地もアスファルトではなく石畳だったり、かと思えば赤レンガになったりと様々な人々の面影が入り込んでいて、統一感がありません。ちぐはぐで、だからこそ薄暗くとも澱んでいるだとか、怖いな、という感想を抱くこともありませんでした。

 また、住宅が並んでいますから、夕食時だったこともあって多種多様な香りがありましたし、窓からぼやける室内の明かりや子供の喧騒もほのかに届いたものです。

 人々の営みを実感できる非常に有意義な散歩を提供してくれる路地の数々が、私はどうしたって好きでした。

 人生において唯一、散歩趣味を継続できた時代です。今よりも健康的で体重だって痩せていました。

 狭い住宅地の路地を通り抜けるとき、異質な空間がありました。

 白壁の西洋風住宅。レースのカーテンが窓を閉ざしているのが映える、天蓋みたいな豪奢な装飾のある窓周りがあって、ガーデニングで鬱蒼としている教会のような家がありました。

 その庭の横にはぽっかりと開いた空地があったのです。

 アニメに出てくるような大きな土管がおいてあったり、土砂が小山になっていたりするのですが、そういった場所は危険なので立ち入りを禁止されているのが当たり前だと思います。ですが、その空地には立ち入り禁止の看板もなく、規制線もありませんでした。

 私見ということになります。

 放置されているわりには小奇麗にされていて、私の目には人の手が今でも入っていることを感じさせました。

 住宅と空地を区切る壁は金属製の白いものですが、そればかりが年季の入ったもので、黒ずんでいたような気がします。さびていたのでしょうか。

 そのような仕切りがあったものですから、空地と称しておきます。もしかすると本当に公園だったかもしれません。ただ、砂利の山や土管が配置されている公園があるのか、私には判断がつきません。

 その空地は路地を進む私から見て左手にありました。

 ふと空き地に目をやると、そこには猫が集まっていました。

 数は10匹を優に超えていたと思います。30はいたのかもしれません。

 覚えていることは三つのグループが一定の間隔をあけて円を描いて座ったり、寝そべったりしていたからです。

 一つのグループが大体7から8匹程度だったと思います。

 一つだけ八角形みたいに綺麗な形を作って集まっていたことを覚えています。そして土管の上に、毛の長い猫が居ました。白い毛でしたが、もう汚れていて灰色をこして黒ずんでいるかのようなものでしたが、その瞳は青藤のような淡いものだったのに、輝いていました。とても美しい宝石のような瞳でした。

 思えば、この記憶もおかしいのです。

 土管は空地の一番奥にありましたので、10メートルは軽く離れているのです。その状態で、こうもはっきりと猫の瞳を覚えているのですからね。

 猫はじっと私を見つめていました。あれはどういう品種なのでしょうか。少し、顔が潰れていると表現していいのか。むっつりと不機嫌そうな顔の猫でした。

 暫し私は身動きを止めました。気が付くと数十を超える猫が、私を見つめていたのです。私はなんとも居た堪れない気分になりました。途中入室で変に注目を浴びてしまったような羞恥心がわきましたので、息を殺すように立ち尽くしていました。

 立ち去らなかった理由はわかりません。

 別段疲れてもいなかったですし、滅多にない出来事だったから観察しようという気がありました。ともすれば、やはり好奇心をくすぐられたからなのでしょう。

 猫の一匹いっぴきを観察したかは定かではありません。そこまでは覚えていないのです。ですが、数十という猫が介しながら、鳴き声とか何か猫が発生させる音がなかったのです。まったくの無音だったことは覚えています。

 寝そべりながら尻尾を動かしている猫や、前足で頭を掻いているようなそぶりをしていた猫などは居た気がします。けれども、喧嘩をするだとかも一切なく、そして土管の上にいた猫はじっと、置物のように座っていただけでした。

 前足を揃えてまっすぐに立っているとさえ錯覚するほどです。

 しばらく観察していました。けれどもきっかけがわかりません。

 とにかく猫たちは次第に散らばり始めたのです。路地に出てくる猫が大半でした。私のそばを気にせず通り過ぎていく猫も多くいました。住宅に入り込む猫もいました。土管の上に猫は西洋風の白い住宅の敷地へ入っていくのが見えました。

 ——これで解散か。と思い、私はいいものを見れたという満足感を抱いていました。

 私は路地を通り、再びスーパーへ向かいました。

 そういえば、そのときは月が良く見えました。満月、だったのでしょうか。

 スーパーが見えてくるとまず駐車場が入れない状態になっているのが見えたので違和を覚えました。それから店の電気が消えていました。閉店していたのです。おかしいな、と素直に思いました。このスーパー22時まで営業しているはずなのに、だって看板にはきちんと営業時間も大きく載っているのですから。

 私はずいぶんと不思議に思い、携帯電話で時間を確認しました。すると驚くべきことに既に0時を、日付が変わっていたのです。数分、長くとも十数分くらしか経っていないと思っていたのに、4時間ほど経過していたのです。

 私は踵を返しました。路地に入り込み、右手にある空地を眺めました。何も変わっていません。

 嗚呼、今にして思えば、とても静かになっていましたし、随分と路地が暗くなっていたような気がしてきます。

 信じられない気持ちで家に戻りました。家に戻り、パソコンを起動しましたが、やはり日付は変わっていました。

 あの不思議な光景が、時間の感覚を狂わせたのでしょうか。私はずいぶんと立ち尽くしていたことに改めて驚きます。しかし、脚が疲れている様子は一切なかったのです。時間でいうならば4時間は直立不動だったのですから、はたして満足に歩けるものなのでしょうか。

 猫には何か、不思議な力があるのではないか。普通の猫でもあれだけの数が集まれば、不思議な、それこそ時間をゆがめる異界を作り出すこともできるのではないか。

 私はそんなことを考えましたし、やはり、猫という動物が関与しているというだけで恐ろしいとか怖気が走るという気が起きませんでした。

きっと猫だから許せている気がします。猫好きですから。

 猫ならば、あるいは本当に起こせるのではないか。などと思ってしまいます。

 それ以降、何度なく路地を利用しましたが、ついぞ出会うことはありませんでした。もしかすると人が入り込んだことで、場所を変えたのかもしれませんね。

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