この小説を読んだら生きる勇気がわいてきました

 月並みな表現ですが、この小説を読んで、心から、本当に心から感動しました。
 この思いを伝えるために、カクヨムのアカウントをとりました。
 何かしたいという気持ちで、いっぱいでしたが、作者さんは、感想をもらえるのが一番うれしいと書いておられた。
 なので、変な自己満足に走らず、レビューを書きます。

 突然の自分がたりですみません。私は生まれつき、左の耳がまったく聞こえません。
 障碍認定され、補聴器なしでは暮らせない生活です。補聴器をつけていても、うまく聞き取れず、何度も聞き直したり、意思疎通がとれず委縮して諦めることもしばしばです。
 子どものころですが、補聴器を落としてしまったときは、混乱のあまり声も出ない…はずが現実には奇声を発していて、通報&保護されたこともありました。
 聞こえないので、自分の声かどうかも確信できないし、ずいぶんおかしなしゃべり方になっているようです。
 弱視もあって、目は開いていても、世界の半分しか見えてないような、不安定な感覚がつねにあります。
 今は運よく働けてはいますが、特別雇用なので、腫れものにさわるような扱いをされています。家族への負担と、社会のお情けで生かされており、人の迷惑になって、生きている自覚があります。
 大災害や戦争等の有事には、足手まとい、無駄飯ぐらいになって、真っ先に切り捨てられて死ぬのだろうな、死ぬようにもっていかれるのだろうなと思っています。

 世の中には、あなたより、はるかに重い障碍をもつひとが沢山いて、そういう人だって、がんばって生きているんだから(あなたもがんばれ)。

 なんて何の慰めにもなりません。勘弁してくれと思います。
 障碍のことをギフトと呼ぶ向きもありますが、偽善の権化だと思います。何がギフトなのか、ふざけんなという怒りしかありません。
 このどうしようもない肉体の欠陥と、それにまつわる負の感情は、確実に心を削っていきます。肉体に合わせて、心も欠陥してゆくのです。私は生きるほどに、欠けて、不完全になる一方です。
 これで勉強ができたり、芸術的な才能があれば、まだ救われたでしょうが、残念ながらひいでたものは何もありません。私はきわめて、平凡な人間です。
 どうせ平凡なら健常に生まれたかった。肉体はまともでありたかった。
 なんで人並みに生んでくれなかったのだと親に当たり散らかしても、現実は何も変わらず、好転もせず、死ぬ勇気ももてず、ぼんやりと空虚に生きてきました。
 小説は夢ものがたりです。さみしい現実から逃げる、有効な手段ですが、流行りの最強だのチートだの、ハーレムだのは心にひびきません。転生したってのめりこめない。
 欠陥した人間では、そうなるわけがないことをわかっているし、虚構ですら楽しめない陰湿な性格です。客にもなれないことに、ひたすらみじめになるだけでした。

 この小説の主人公の黎正鵠は、政敵に毒を盛られるという理不尽のすえに、後遺症で障碍をもってしまいます。
 障碍の程度については、色んな意見があるでしょうが、約1000年前の話ですので、現代の感覚で語るのは無意味でしょう。時代的には致命傷というか、だいぶひどいもののように感じました。
 社会の上層、特権階級であるなら尚更です。
 魔法やチートスキル、ご都合主義の奇跡も起きません。
 最初の方で、医者に一生不具のままと断言されてしまいますし、最後までそのとおりです。死んだ方がはるかにましだろうに、周囲のさまざまな思惑のために、彼は生かされてしまった。それは新たな地獄のスタートでした。

 私は当初、作者さんがなぜこんな陰惨で、救いのないような設定にしたのかわかりませんでした。気軽に読めるのが売りのWEB小説で、フィクションなのに、わざわざこんな風にすることはないだろうと。
 奇抜さで釣るためか、グロテスクで露悪的な趣味なのか、読む側にあわれみと優越感をもたせるためなのか。キャラがかわいそうではないかと。
 なのに、私は読みました。間違っても私のようなもののためではないでしょうが、似た者の興味を引きつけることは確かでした。

 黎正鵠の描写は、非常に抑制的で淡々としていて、彼の心情はなかなか明かされません。
 そうあるように教育されたというのもありますが、感情を表に出さない、自分の心を語らない謎めいた人物です。
 温和な性格ですが、実は誰よりも誇り高く、そのために弱味や隙を見せず、かたくなであるようにも感じます。

 彼の心の内がわかるのは、話の本当に最後の方です。
 完全無欠の聖人君子のようで、人間のできている彼のうちにも、変わり果てた容姿や体に対する深いコンプレックス、怒りや憎しみ、ごく当たり前の性欲、暴力的な衝動があるとわかったとき、遠い雲の上に暮らしているようだった彼の、人間らしい面が、一気に肉迫してきました。
 彼は、蘭児が夢みるような、悟りを開いた菩薩ではなく、血の通った人間でした。

 彼が、生かす価値がないと思われても生きたいと願ったとき、現実の私は泣いていました。
 なぜ涙が出るのかわかりませんでしたが、きっとこれが感動なのかなと思いました。
 能力が高くすべてを生まれ持った勝ち組、いわゆる強者男性でありながら、黎正鵠もまたそのへんにいる男となんら変わりませんでした。生まれや容姿はともかく、高い能力は、彼が死にたくないために、努力して得たものでした。
 特に崇高な目的も理念もなく、皇太子に生まれてしまったから。
 淘汰されないために必死に生きて、死にかけたのに生かされてしまって、愛する人が自分の生存を願ってくれている(?)から、自分が生きていれば生きられるものたちがいるから、ただ、生きてきただけでした。
 その単純すぎる事実に、どうしてか打ちのめされました。
 彼の生存本能を、さらに強化したのは、陳腐な表現ではあっても、愛。
 そうとしか思えません。蘭児に好かれて、愛を求められたから応えて、愛するものを生かすために、彼は生きようとするのです。

 作中では明言されず、私の勝手な妄想ではありますが、黎正鵠の最愛の人は、崔凰琳でも蘭児でもなく、珂栖遠なのだろうと思います。珂栖遠にさかれる濃厚な描写、黎正鵠が何を失っても手放さなかった、唯一のものを考えてもそう思います。
 けれども、魂で求める人と、現実で愛情をもって生活する人は、違うのだろうとも。
 黎正鵠は悲しみつつも、冷静に現実を選んだのだと解釈しました。

 蘭児は、この小説で、一番のファンタジー要素だと思いました。無知で無学な村の女、儒教思想で模範とされる貞女の教えを固く信じ、男に尽くし、無償の愛を捧げてくれる。
 李子鳴もそうですが、彼女の愛は重苦しく、自己犠牲に満ち、直情的で、どこかあやうい。でも愛情を受け入れさえすれば、従順で控えめで多くを望まない。まさに男にとって都合のいい、理想的な愛人です。
 彼女は黎正鵠を生かす装置であって、それ以上の意味はないように思います。蘭児は黎正鵠が死ねば迷わず自決するでしょうから、彼女に天寿をまっとうさせるためにも、黎正鵠は生きなくてはいけない。愛が彼を縛り、生から逃げられなくする。死が遠ざかるのは当たり前です。

 と、どこか蘭児を見下すようなことをいいつつも、同時に私は思います。
 自分も、蘭児のような貞淑で愛情深い人に溺愛されたいと。彼女の擦れない純粋さ、愛を信じて生きる強靭な意志にすがりたいと。
 愛されたいのです。やっぱり人に愛されたい。障碍があっても、欠陥があっても、愛されたい。現実でかなわないなら、虚構でもいい。
 妙にリアルな世界観でも、これはやっぱり小説です。読者の望みを、ちゃんと叶えてくれる。
 なんだかんだで強者男性の黎正鵠に嫉妬しつつ、蘭児の愛情深さは、私にとって一番安心できる部分でした。

 欠陥したみじめな私ですが、この小説を読んで、感動する心はあるのだとわかりました。
 (けっこう打ちのめされましたが)小説を楽しめるなら、新たな楽しみを探して生きてみようかなと思いました。
 大袈裟ですが、生きる勇気みたいなものがわいてきました。

 この小説を書いてくださって、ありがとうございます。
 それを伝えたくて、勇気を出して、書きました。

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