第3話 裏切りの巫女

紅羽は、混乱する人々の間を縫うように駆け抜けた。


耳には、逃げ惑う村人たちの叫び声が響き、目の前では、家屋が激しい揺れと共に崩れ落ちていく。


石や木材が轟音を立てて崩れ、家族を探す声がその音にかき消されていった。


「逃げろ! 妖怪だ!」


誰かの絶叫が広場に響き渡ると同時に、巨大な影が空を裂いた。


四足歩行の獣型の妖怪が村の広場に飛び込み、鋭い爪で地面を抉る。


次の瞬間、闇の中から羽を広げた異形の者が舞い降り、村人たちに恐怖の叫び声を上げさせた。


さらには、地を揺るがせながら現れた巨躯の怪物が、家々をなぎ倒していく。


村全体が、まるで地獄の業火に飲み込まれたかのようだった。


「お父さん! お母さん!」


紅羽は何度も叫びながら、村の中心へと走った。


辺りを見渡せば、炎が高く上がり、濃い煙が視界を覆っている。


その煙の隙間から、妖怪たちの鋭い爪や牙がちらつき、次々と人々を飲み込んでいく。

「……どうすれば……」


紅羽の脳裏に浮かぶのは、家族の無事を祈る気持ちと、自分の無力さだった。


突然、広場の端から清らかな鈴の音が響いた。


音の方を振り返ると、翠蓮が現れた。


その動作は、混乱の中でも一切の乱れがなく、見る者に静かな威厳を与えた。


その瞬間、妖怪たちは一斉に動きを止め、どこか怯えるように後退し始めた。


空を舞っていた異形の妖怪は、翼を震わせながら森の奥へ飛び去り、地を裂いていた

巨躯の怪物も、唸り声を上げながら姿を消した。


やがて静寂が訪れた。村に残されたのは、炎の残り火と、崩れた家々の瓦礫、そして恐怖で震える人々だった。


「村は……助かったの?」


紅羽は、その場に立ち尽くしていた。


瓦礫の下から微かに聞こえる助けを求める声、人を探して泣き叫ぶ声――


祭りの喜びは、跡形もなく消え去り、多くの命が奪われた現実が、紅羽の心を強く締め付けた。


「皆の者、聞きなさい。」


翠蓮の冷たい声が広場に響き渡ると、村人たちのざわめきが一瞬にして止んだ。


地面には瓦礫が散らばり、負傷した村人たちの呻き声が遠くから聞こえる。


空気には血の匂いが混じっていた。


翠蓮は、紅羽を鋭く指差した。


「妖怪どもを村に呼び寄せたのは天穹院紅羽、その者だ!」


その声は冷たく、鋭い刃のようだった。


その場にいた全員が凍りつき、次の瞬間、ざわめきが広がった。


「なんだって……?」


「紅羽様が……?」


驚きと戸惑いの視線が紅羽に集中する。


紅羽は目を見開き、信じられないという表情で翠蓮を見つめた。


「天穹院家が持つ封印、それを紅羽が解いたのです!」


翠蓮の言葉がを発するたび、村人たちの表情が少しずつ変わっていく。


最初は驚きだったが、それは徐々に怒りと恐怖に染まっていった。


「そんなこと……!」


紅羽は震える声で否定しようとするが、次の言葉が喉の奥で詰まる。


思い当たる節など何一つなかった。


天穹院家の封印の存在は知っていたが、代々の家督を継ぐ者でなければ触れることすら許されない神聖なものだった。


それなのに、どうして自分が……?


封印に触れるどころか、その存在を間近で見たことすらない。


だが、翠蓮の断言に、村人たちの中に疑念が広がり始めていた。


紅羽はその視線を感じ取り、息が詰まるようだった。


「前々からおかしいと思っていたんだ!」


「妖怪に肩入れをしていたんだろう!天穹院家の者のくせに!」


怒号が飛び交い始める。


紅羽の胸は恐怖で締めつけられ、足元がぐらつくように感じた。


「そんなはずはない!私は何もしていない!」


声を張り上げようとしたが、彼女の言葉は、怒りに満ちた村人たちの耳には届かないままかき消される。


翠蓮は冷たい笑みを浮かべ、一歩前に出た。


「これを聞いてもそのようなことが言えますか?」


その声は、村人たちの怒りをさらに煽るかのように響いた。


翠蓮が手招くと、近くから朱鷺が歩み出てきた。


その姿を見て、紅羽の胸は一瞬だけ安堵した。


しかし、すぐにその感情は凍りつく。


朱鷺の目は虚ろで、生気が失われている。


普段の快活さも、暖かさも、そこにはなかった。


その姿に、紅羽は思わず後ずさりした。


「紅羽様が……封印を解きました。私が見ました……。」


朱鷺の声は低く、淡々としていたが、その言葉は広場全体に衝撃を与えた。


翠蓮が彼女を操っている――紅羽にはそれが確信として感じられた。


しかし、朱鷺の目にはそんな紅羽の姿は映っていないように見えた。


「ふざけるな!うちの娘は妖怪にやられたんだぞ!」


「私の家を返して!」


「どうしてこんなことを!」


「天穹院の家もおしまいだ!」


広場に怒号が響いた。限界を超えた怒りに村人たちは今にも紅羽に襲い掛からんとしていた。


拳を握りしめる者、紅羽を睨みつける者、口汚く罵る声が彼女を追い詰める。


翠蓮は勝ち誇ったように冷たい笑みを浮かべていた。


その瞳には、紅羽が絶望に沈む様子を見届けようとする冷酷さが宿っていた。

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邪悪な巫女に全てを奪われたので最強妖怪を目覚めさせて復讐します。 ピグマリオン若口 @wakaguchi

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