後編:切り札は遅延だけ
◆
俺は改めて手札を確認する。まずはモンスターらしきカードだ。
『雷王獣デングリャルム 10/6/4/5100 ★5 ↓↑←←→→』
なるほどな、と思い、俺は薄く笑った。全くわからん。
『何もかもが王の威光にひれ伏す、かつて神と呼ばれた雷さえも』
唯一わかるのは、このモンスターの説明文らしき文章だ。これがフレーバーテキストなのか、効果の説明なのかもわからない。っていうか急に現れた五一〇〇という数字が本当に意味がわからない、わからなさすぎて怖い。なんなんだよ。なんで同じカードの中で数字のインフレが発生するんだよ。
どうやったらこのカードをフィールドに出すことが出来るのかすらわからない。どれが攻撃力でどれが守備力でどれがライフなんだよ、全然わからねぇよ。それで五一〇〇はなんなんだよ。★もこれコストのことなのか、あるいはレア度のことなのか、もう全然わからねぇよ。さらに言えば矢印も全然わからない。もう駄目だ。
「どうした、エンペラー?」
「焦るなよ、お互いにとって最期のゲームになるかもしれないんだ。ゆっくり楽しもうぜ」
俺はそう言って、紙パックの日本酒をストローで啜った。
「一応、言っておくがゲームが始まったんだから酒を飲むのはやめろ」
当たり前の注意が対戦相手から飛んだ。まあ、それもそうだな……と思いながら、俺は酒で唇を潤す。シラフで命がけの戦いなんて出来るかよ。しかも俺はルールを把握してねぇんだぞ。
「ふん……まあ、そうだろうな。神に捧げられた魂のゲームでもいつもの調子は変わらない……か、大した男だよ、エンペラー」
「わかってるじゃないか」
俺、普段からこんな最悪のプレイスタイルなのかよ。
生活を改めるべきだろうな、とりあえず酒をやめないとこんな目に遭うもんな。
俺は酒を飲み干すと、少しだけ悩んで、新たな酒を飲み干した。
しかし冷静に考えたら、これが俺の最期かもしれないんだ。シラフでいられるわけがない。
「だが、とりあえずはドローぐらいは済ませてもらおうか」
「ドロー……ね」
テーブルの右に置かれたカードの束、それが俺のデッキだろう。
そこからカードを引く行為をドローと呼ぶのだろう……おそらく。
カード・オブ・カオスのルールは完全に忘れているが、ガキの頃に読んだ遊戯王の記憶は俺にだってうっすら残っている。なんでだよ。
「ドローはしない……そう、言ったら?」
俺は挑発的に対戦相手に言った。
「何を考えている……エンペラー……?」
相手の対応を見るに、ドローは義務ではなく権利らしい。だが、事実上、ドローを放棄するプレイヤーはいない……そういうことらしいな。
「それはつまりドローを放棄して敗北を認めるということか」
「冗談だよ、引く、引く、引く、ちょっと待て」
全然そういうことじゃなかった。危ない危ない。
俺はデッキからカードを一枚引いて手札に加える。引いたのはモンスターのカード、冥炎獣デスヘルケルベロス。これが今のタイミングで引いて嬉しいカードなのか、良くないカードなのかもよくわからない。
「一枚で良いのか?エンペラー?」
対戦相手が訝しむようにそう言った。
え、何。ドローって一枚だけじゃないのか。
「フッ……一枚で十分だ……もう勝利の答えは出来上がっている」
俺は不敵な笑みを浮かべて言った。
途中式どころか問題文すら読めてねぇよ。
「大した自信だな、エンペラー……」
「だが……」
「だが?」
「俺がもう一枚引きたいと言ったら……?」
「引けばいいだろ」
「フッ……」
俺はもう一度デッキからカードを引いた。
カード名は『暗黒神話の誕生』
『このターン、お互いのプレイヤーはサモンの際にコストを支払わない』
なるほど、このカードがあればとりあえず何も考えずにモンスターを出せるな……俺は単純にそう思ってカードを出しかけて、その手を止めた。
ではこの魔法カードに必要なコストは?俺はこのカードに数字が書かれていないか探したが、製造番号らしき数字以外は何も見つけることはできなかった。
これ発動して良い奴なのか、いや、そもそも戦闘ルールもわからない状態でモンスターを出したとて、俺にはどうしようもないが。
「どうしたエンペラー、手が止まっているようだが」
せめて実際にプレイをしている内に記憶を取り戻せないかと思ったが、全くそんなことはないらしい。このままだとよくわからないルールのゲームで殺されることになる。俺はよくわからないルールのゲームの頂点の存在らしいのに。
「ちょっとスマホいじっていいか?」
もはや、恥も外聞もない
というか、今から把握してもおそらくは間に合わない……それでも、ただ死ぬよりはマシだ。今からでも公式サイトにアクセスしてカード・オブ・カオスのルールを学ぶのだ。
「圏外だぞ」
対戦相手によって端的に俺の死刑が宣告された。
もうゲームは始まってしまった、俺の記憶が戻る気配はなく、ルールの把握すらできない、もう俺はただ死ぬのを待つことしかできないのか……いや、絶体絶命の状況でも抗ってみせる。
「だったら……提案がある」
「……一応、聞いてやろう」
「ここにWIFIが開通するまで、一旦休戦といかないか?」
「……根本的な問題として、お互いに離席ができない上に、圏外のここにどうやって業者を呼ぶんだ?」
「……フッ、冗談だよ。メールの確認はこのゲームが終わった後にゆっくりとさせてもらうよ」
こうなるともう、相手にルールを教えてもらうしか無さそうだが……
俺は相手の顔を見た。
ゲームが始まった今、懸命に怒りは抑え込んでいるようだが……ここで俺が記憶喪失を告白したところで受け入れてもらえるだろうか。とうとうブチギレて、意味のわからないコンボを食らって殺されるとしか思えない。なにせこのゲームは命がかかっているからな。エンペラー俺が初心者以下だとしても、情け容赦なく殺されるだろう。
「……ところで、一つだけ聞いていいか?」
「なんだ、エンペラー」
「このゲームは一ターンあたりの制限時間は存在するのか?」
「本来のルールならば存在するが、これは神に捧げられた魂のゲームだ。タイムアウトによる勝利や敗北は存在しない……もっとも、神は生存時間を伸ばすだけの無様な時間稼ぎを認めたりはしないがな」
「成程……勝利のための時間稼ぎは良いってことか」
俺は少し考えた後、手札を見て重々しく一度口を開いた。
「雷王獣デングリャルム……」
俺は厳かにカードの名前を読み上げた。
「なに……?」
「俺は既にこのカードを引いている……その意味はわかるだろ?」
「いや……?」
あからさまに怪訝な表情を浮かべて対戦相手が言った。
「わからないか……なら、冥炎獣デスヘルケルベロスも揃ったと言ったら……?」
対戦相手の視線が俺ではなく、空を彷徨った。俺には分からないが、この二枚と、あるいはさらにパーツを追加したコンボを記憶の中から探っているらしい。
「そういうことか……!」
対戦相手が震える声で言った。
「そういうことだ」
どういうことなんだろう。
俺は二枚のカードを見たが全くわからなかった。多少焦りを見せた対戦相手に答えを求めたかったが、答えてはもらえないだろうな、と思った。
とにかく優位らしいことを把握し、俺は不敵に笑う。
カードを見たところでルールはわからない、だったらもう初志を貫徹するしかないだろう。どこまでも時間を稼いでやる。俺が記憶を取り戻すまで。
「だが、私にそのコンボの対抗策がないとでも?なにより、カード名を上げるだけのブラフならば誰にでも出来ることだ……」
多少調子を取り戻した様子で対戦相手が言った。
甘いな、俺はカード・オブ・カオスに登場するカードを一切把握してないんだぜ?
俺はすぐに言葉を返さない。この雰囲気なら沈黙だけで一時間は稼げないか?
「……貴様のターンだぞ」
一分ぐらいで対戦相手の額に青筋が浮かんだ、赤かったり青かったり忙しい奴だ。
しかし、まあ確かにこの沈黙は無意味すぎて神様の心象を損ねてアウトになるのかもしれない。そうでないなら雰囲気だけ出して一生黙っておきたいところだが、まあしょうがないな。
「長考も許されないのか?」
とにかく申し訳無さそうな態度を見せてはいけない、常に自信たっぷりに相手を自分のペースに乗せて遅延行為を行い続けなければならない。俺みたいな奴がエンペラーのカードゲームって大丈夫なのか?
「……まあ、いいさ」
俺は手札から『暗黒神話の誕生』を取り出し、対戦相手に見せつけた。
「こいつを発動する、そう言ったらどうする?」
「……貴様にその魔法を発動できるだけのコストは無いはずだが?」
そうなんだ、ということはどこかしらに魔法に必要なコストが書かれているんだなぁ。
「……ふふ、冗談だよ。冗談。このカードはお前に見せてやっただけさ……そう、あんまりブラフを疑われるのも癪なんでな、これからお前が辿る運命を見せてやったのさ……」
どういう運命を辿るんだろうな。少なくとも俺はこのカードから対戦相手の運命を見通すことはできそうにない。
俺は酒を啜り上げた。
アルコール度数と値段だけが取り柄の水は、俺や相手の運命どころか現在すら曖昧にさせる。
俺は目をうっすらと閉じ、首をこくり、こくりと傾けた。
もう何もかもがどうでも良くなっている、いっそのこと眠ってしまおうか。
「とうとう、来るか……」
「……なに?」
「普段のプレイングはゴミカスの素人以下だが、酩酊し起きているのか眠っているのかわからなくなった時に真の力を発揮するプレイヤー……最初のターンから本領発揮というわけか」
そうか、俺ってカスの二重人格タイプのプレイヤーだったんだ。
エンペラーまで上り詰めているというのにゲームのルールを把握していないのも当然だ、そもそも俺ではなく酩酊状態の俺がもう一つの人格、仮に裏俺と名付けるとして、その裏俺がやっていたからなのだ。いや、でも……酔いが回ったらって話だから、普通に会場まで行ってるのは裏じゃなくて俺自身がやってることっぽいよな……えっ、じゃあ何だ?普通に記憶喪失か?まあ、いずれにせよ……酔いが回りきれば、あとは俺の裏人格がなんとかしてくれるだろう。
俺は目を瞑り、意識をもう一人の自分に明け渡そうと、しばらく待ったが、駄目だった。
やべぇ、アルコール、アルコール……俺は懐を漁るが、紙パックの日本酒は全て空になってしまっていた。
「……来い、エンペラー」
「ククク……ちなみにここで、ゴミカスの素人以下がお前の相手をすると言ったらどうする?」
「瞬殺するが」
されちゃうんだ、瞬殺。
スゥー……俺は中身のなくなった紙パックからストローで無を吸い上げた。
「真のエンペラーです」
「来たか、エンペラー……」
来てねぇよ、どこにいんだよ。
もう、俺が記憶を取り戻したところでどうしようもないっぽいぞ、これは。
俺自身はエンペラーじゃないっぽいし。
「……ただ、勝利条件は確定した」
「なに?」
普通のプレイで俺が勝つことは不可能。
そして、遅延したところで……俺を助けてくれるエンペラーは来そうにない。
俺は口を閉じ、天井を見上げた。
棘は揺れていない。神は俺を裁くかもしれないが勝利のための時間稼ぎだ。
「エンペラー……!?」
俺は完全に口を閉じ、目を瞑り、遅延を開始した。
それから数日が経過し、飲まず食わずで完全に意識を喪失した対戦相手を俺は見た。
「ターンエンド……」
囁くような俺の声に、返答はない。
「それはつまりドローを放棄して敗北を認めるということでいいんだな」
やはり、返答はなかった。
天井から棘が落ち、対戦相手を貫く。
ふらつく身体で、俺はテーブルから立ち上がった。
切り札は遅延だけ、俺は勝利した。
【終わり】
切り札は遅延だけ 春海水亭 @teasugar3g
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます