切り札は遅延だけ

春海水亭

前編:先攻後攻を決めるまで粘れるだけ粘ろう


 ◆


 カード・オブ・カオス!

 混沌を冠するこのカードゲームのプレイヤー数は三十億人を超え、世界一の遊戯と言っても過言ではない!

 その頂点に立つ存在がエンペラーだ!

 だが、光があれば闇もあるのが世の常、今まさに光の頂点に立つエンペラーに闇の刺客が襲いかかろうとしていた。


 ◆


 俺の手札には獣が描かれたカードが三枚、それから幾何学模様が描かれたカードが二枚ある。獣のカードには下の方に様々な数字と模様、そして矢印が書かれている。幾何学模様は魔法のカードらしい、任意のタイミングで出すことで効果欄に書かれた効果を発揮することが出来るようだ。

 俺は手札を確認して、軽く笑った。


「随分余裕みたいだな、エンペラー」

 対戦相手は仰々しく俺をそう呼んでみせた。

 エンペラー、カード・オブ・カオスにおける最強のプレイヤーに与えられる称号らしい。


「……この顔は生まれつきだよ、生憎生まれた瞬間から余裕じゃなかったことがない」

 実際、俺はどんな手札が来たとしても笑っていただろう。

 どんなカードを引いても関係ない、俺はこのゲームのルールが全くわからなかった。


「言っておくがなエンペラー、これは神に捧げられた魂のゲーム。敗北したプレイヤーの命は神の贄となり失われることになる……それはわかっているんだろうな」

 睨むように対戦相手がそう言った。

 なるほど、全然わかっていなかったが……そうか、天井にある無数の棘って、あれ飾りじゃないんだ。床も血ついてるもんな。しかも乾いてねぇしな。洗えよ。

 室内に窓はなく、松明の火だけが光源となっている。電気で照らされた俺の部屋よりはよっぽど暗かったが、それぐらいのことは俺にだってわかる。しかし……この部屋の材質はどうも石であり、壁画であるとか飾りを見るに、どっかの古代神殿の一室のように思える。どこなんだよ、ここは。俺、パスポート持ってなかったはずだぞ。


「わかっていないから、帰りたい……そう言ったら?」

「今更言わせるな、離席は降参と同じ……神罰による死だ」

「ふっ、わかっているさ。だが、ちょっとトイレに行きたいとか、スマホをいじりたいから席を離れたいと言ったら……?」

「死ぬ」

 何がどうして俺はこのテーブルに着くことになったのか。死にたかったのだろうか。これまでの記憶が曖昧だ、せめてこのゲームのルールだけでも覚えていればよかったのに。俺はポケットから紙パックの日本酒を取り出し、人間を酔わせること以外に長所のない臭い水をストローで吸い上げた。ん?こいつのせいか?


「それでは、エンペラー、先攻を決めようか」

 対戦相手が金貨を取り出す。五百円以上の価値があるであろう硬貨を俺は人生で初めて見た。いや、見たことがあるのだろうか。記憶がないからわからなかった。

「待て、折角の戦いだ、コイントスなんかで先攻と後攻を決めたんじゃ面白くないだろう?」

「ほう?」

 とにかく時間を稼がなければ、記憶が戻らなければどうしようもない。


「麻雀で先攻を決めよう」

「神はカード以外の戦いを認めない」

「フフ……そこをなんとかと言ったら?」

「駄目だ」

 駄目だった。


「さて、エンペラー……表が出たならば貴様の先攻、そして裏が出たならば私の先攻だ」

 燃え盛る松明の火を受けて、対戦相手の親指と人差指に挟まれた金貨が憎たらしいまでにキラキラと輝く。俺は酒を飲み干すと、空になった紙パックを床に投げ捨てた。

「おい」

 あの金貨は俺の人生よりも輝いているな。おそらくは。

「ゴミを床に捨てるな!」

 俺は酒を飲み干すと、空になった紙パックを床に投げ捨てた。

 記憶はなかったが、酒だけは何パックもあった。俺の脳みその空虚を満たしてくれる味方はこいつだけだ。いや、こいつ真の敵か?俺は考えるのが恐ろしくなり、ストローで酒を啜り上げた。


「いい加減にしろ!エンペラーの誇りはないのか!?」

「おいおい、戦いは既に始まっているんだぜ」

 そう言って俺は挑発するかのように鼻を鳴らした。皇位継承した記憶がねぇんだよ、こっちは。

 とにかく、時間を稼げるポイントを見つけなければならない。

 このゲームは始まる前から始まっている、というかその開始を遅らせることが真の始まりであり――自分で何を言っているのかわからなくなってきた。

 俺は酒を飲むことで少しだけつらい現実のことを忘れることが出来るし、相手は今のところ怒りでコイントスをすることを忘れている、なんなら相手はゴミを拾うために床から立ち上がってくれるかもしれない。そしたら俺の勝ちだ。


「いいか……えー……」

 俺は対戦相手の名前を呼ぼうとしたが、全くわからなかったので曖昧にげふんげふんと咳き込んで誤魔化した。こんだけ挑発しておいて相手の名前を聞くのは気まずい。いや、挑発している状態で相手の名前を聞くのって挑発的に正しいのか?


「誇りだのなんだの言うがよ、少なくとも、神様は床にゴミを投げ捨てたくらいで俺に神罰を下すつもりはないようだぜ?」

 そう言って、俺は天井を見上げた。

 天井の棘がぐらぐらと揺れている。そうか、神罰ってかなり物理的に来るんだ。

 俺は投げ捨てた紙パックを目一杯足を伸ばして足元に手繰り寄せると、拾い上げてポケットの中に納めた。

 もう一度、天井を見ると棘の動きが止まっていたので、俺はほっと胸をなでおろした。


「神罰でこのゲームを終わらせるつもりはなかったみたいだぜ?」

「下りかけたんだな、神罰が」

 俺を蔑むような目で見て対戦相手が言った。

 どういう経緯でこうなったかは覚えていないが、言っとくけど、ポイ捨てより決闘罪の方が罪は重いからな?

「だが、下らなかった……そうだろ?今までの対戦相手ならポイ捨てした時点で死んでいたかもしれないが、少なくともエンペラーたるこの俺には猶予を与えたということだ。それほど神様とやらは俺の戦いを楽しみにしている」

「パック酒……というか、ゴミを床に捨てた奴はお前がはじめてだぞ」

 俺は無言で酒を啜った。

 安くて不味くて臭いアルコールだけが俺の味方だ。


「さて、そろそろコイントスを行おうか……エンペラー」

「待て」

「いい加減にしろ……」

 相手の顔が赤く染まっている、素人にはわからないだろうがエンペラーらしい俺にはわかる。相手はブチギレている。これが命がけとは言え、カード・オブ・カオスで良かった。もしもこれがただの喧嘩だったら、マウントを取られて殴り殺されかねないぐらいに相手の表情が怒りに歪んでいる。俺にはわかる。


「例えば、カード・オブ・カオスのカード効果にはサイコロの出目を参照にするものがあるだろう?」

「それがどうした?」

 あるんだ。

 俺はすべてを知ったような表情を崩さずに心では安堵する。

 そもそもこのカードゲームのことを全く知らないから、そういうカードがあるかは全く知らなかったが……まあ、あって良かった。


「だったら、サイコロで先攻後攻を決めるというのはどうだ?」

「さっきも言ったがな……エンペラー……神はカード以外の戦いを認めない。そして、もしも私のコイントスが信じられないと言うのならば……エンペラー……貴様がコイントスを行っても構わないが……?」

 対戦相手が俺を睨め上げている。視線だけで人を殺せるのならば俺は死んでいただろうが、今の俺を殺せるものは天井の棘と急性アルコール中毒だけだ。

「ふっ……」

 俺は相手の怒りを鼻で笑い飛ばす。

「さっきも聞いたよ、ゴニョゴニョ」

 やはり相手の名前を聞いておくべきだったか、俺は相手の名前の部分だけ曖昧なニュアンスで誤魔化すと言葉を続ける。

「コイントスなんかで先攻と後攻を決めたんじゃ面白くない……かといって、神様は麻雀を認めてくれるわけでもない。だが、それは麻雀がカード・オブ・カオスのルールの範疇外のゲームだからだ。ならばコイントスはどうだ?カード以外の戦いを認めないというのならば、当然コイントスも認めないということになる。だが、俺達はコイントスで先攻後攻を決めようとしている。それはコイントスがルールで定められているからだ。ではコイントスだけが許されているのか?いや、サイコロの出目を参照にするカードが存在する以上、サイコロが振ることも許されるはずだ。カードプールが拡張されたならば最終的にカードゲーム中に麻雀を行うことも許されるだろう、が……それはまあいいさ。つまるところコイントスがカードの範疇に含まれるならば、サイコロを振ることがカードの範疇に含まれていてもおかしくはない。よってコイントスが駄目だというのならば、サイコロを振ることで先攻後攻を決めても問題はない……そうだろう!?」

 そう言って俺は天井を見上げた。棘は揺れていない。よし。俺は酒を啜った。

「じゃあ、出目の大きいほうが先攻でいいな……?」

「ああ、そして同じ出目が出た場合はもう一度お互いに振り直す……」

「いいだろう」

 相手の承諾に思わず快哉を叫びそうになって、俺は必死で抑えた。

 サイコロを振りたかったわけではない、引き分けに出来る先攻後攻判定が欲しかった。その点ではじゃんけんでも良かったのだが、このカードゲームにおいてじゃんけんがカード効果に含まれているかどうか、俺には判断がつかなかったので、サイコロに賭けた。そして成功したということになる。


「私の出目は一だ」

 相手が六面ダイスにおける最低値を引き当てた。

 本来ならばこれで俺の先攻がほぼ確定するところであるが、問題はない。俺も一を出せば良い。とにかく俺がこのカード・オブ・カオスの小奥を取り戻すまで、相手と同じ出目を出し続けるのだ。


「良いだろう……」

 対戦相手に渡されたサイコロが俺の手から離れ、テーブルの上を転がる。六。

「エンペラー、貴様の先攻だ」

「後攻を譲ってもいいぞ?」

「駄目だ」

 駄目だった。

 相手の言葉に呼応するかのように、天井の棘が震えた。


「駄目か……そうか……」

 俺はルールがわからないカードゲームで先攻を取った。


【続く】

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