第2話 魔帝国人らしき少年

 僕は比較的普通の生活を送っていた。そのはずだった。悪いことなんてしてないし、仕事もきちんとこなしていた。なのに…どうしてこんなことになってしまったんだ。

 自分のことを勇者と名乗り、転移聖呪円上で奇行をとっていた少年を僕は今、自宅へと連れ帰っている。暴れるので仕方がなく拘束して。

 やがて我家が見えてきた。築7年になる木の家だ。

 取り敢えず、この子はあの小部屋似でも入れておこうか。知らない子を家に入れるのは、もしリサフィアがいたら反対しそうだけど、魔帝国人の子どもを野放しにしておくのはよくない。この国…神聖呪王国の人々は魔帝国人を嫌う傾向がある。この子は頭が悪いみたいだから…喧嘩を売って返り討ちに殺されてしまうかもしれない。

 僕は家の鍵を開け、中に入った。暴れる少年を必死に宥めながら。


 少年を引き摺っているうちに僕は気がついたことがあった。それは少年の瞳。あれは邪神の呪いを受けた瞳だった。瞳孔を囲むように5つの星が円を描いている。この世界の人間なら種族構わず誰にでも起こり得る病。 

 今になって、後悔してきた。最初、遠目から見て成人男性に見えたものだから酷い態度を取ってしまった。子どもに取る態度ではなかった。


 家の中に入り鍵を締めた後、僕は取り敢えず少年の両手を自由にした。話を聞きたいが、拘束したままだと捕虜を尋問しているようで心が痛い。敵の国とはいえ、まだ子どもなのだ。 


「なんのつもりだよ。俺は勇者だぞっ」


 少年は手足が自由になると、僕の胸倉を掴んで叫んだ。いきなり連れてこられて怖いのだろう。威嚇している。

 暴力は好きではない。だが、このままでは話を聞いてくれそうにない。僕は仕方がなく胸倉を掴む少年の手を振りほどき、床に押さえつけた。


「君は魔帝国人かい?意味不明な言葉を使うところがそっくりだからそうかと思ったけど」


 早く済ましてしまおう。この子が魔帝国人でなければ謝罪して親御さんのところへ送っていこう。

 僕は解放されようと藻掻く少年を力いっぱい押さえつけて、魔帝国人かどうかを訊ねた。

 ああ、これでは結局、捕虜にしていることと同じだ。でも、もし魔帝国人だったなら、間者な可能性はあるし、第一この子に死んでほしくない。敵なのに助けるなんてと、同じ国民たちに批判されそうだけど僕は争いなんて嫌いだ。戦争にはなりたくない。

 まぁ結局、僕のこの子に対して死んでほしくないという気持ちは偽善で、本当のところは魔帝国人が怖いだけなんだ。だから早く終わらせたい。


「お前こそ、魔王の仲間だろうが!俺を殺しに来たんだろっ」

 

 また意味不明な言葉を叫びながら、少年は僕に蹴りを入れてくる。咄嗟に避けたが、少年の足は止まらず食卓にぶつかり、碧波の花を生けた花瓶が地面に落ちて割れた。

 リサフィアから貰った花瓶が…彼女の形見だったのに。これは、幼い子供を無理やり押さえつけ尋問している僕への罰なのだろうか。


 花瓶を割られても耐え、その後も尋問を続けたが、少年が答えることはなかった。発する言葉は『勇者』、『魔法』、『魔王』だけ。何も成果は得られなかった。この子どもを家に連れ帰るという判断は間違っていたのか。

 また蹴りを入れられるのも怖いので、仕方がなく僕は再び少年に猿轡をして、手足を縛った。


「んぅ…んん〜っ!ん、んぉ、むぅうう…っ」

 

 少年は口から涎を垂れ流し藻掻きながら、僕のことを睨んでいた。睨まれても仕方がない。会話ができないなら僕にはどうすることも出来ないんだ。

 心のなかで言い訳をしながら少年の前にしゃがみ込む。


「聞いてくれ、僕だってお前のような子どもを虐めたくはない。大人しくしてくれれば猿轡は外すから…」


 必死の僕の思い。伝わっただろうか。

 僕は少年に視線を送った。すると少年は僕に向かって転がってきたのだ。結局、聞いてもらえなかった。僕は自然と口から溜息を漏らした。

 もうこれ以上は無意味だ。この少年は何も知らないのかもしれない。

 僕は少年の猿轡を外した。驚きの表情で僕を見つめる少年。だが、数秒経つと途端に怒り出した。


「はぁ…?なんなんだよ意味分かんねぇっ!」


 少年の唾が僕の顔にかかる。ああ、汚い。涎まみれだ。猿轡にも大量の涎がついている。僕の所為だけど、気持ちいいものではない。

 取り敢えず、もう唾を吐きかけられたくはないので、僕は少年から距離をとって、もう一度訊いてみることにした。


「君…名前だけでも教えてくれないかい?家出なら…送っていくし、僕も力になるから」


 頼む。答えてくれ。これで答えてくれなかったら、僕はもうどうしたらいいのかわからない。君を魔帝国人の間者として…成人男性として扱えばいいのか。迷子の子供として扱えばいいのか。教えてくれリサフィア。

 僕が答えを待っていると、少年が床を転がり足元までやってきた。そして、いきなり僕の左脹脛を噛んだのだ。

 

「あぅっ、っ…いだっ…」


 僕はあまりの痛みに悲鳴を上げた。

 まさか噛んでくるなんて。

 少年は噛みついたまま離れそうにない。僕は少年を離そうと足を振った。だが――。

 その瞬間、噛んでいた口が僕の足から外れ、僕の振り上げた足はそのまま少年の顔面に当たってしまったのだ。


「ぐべっ」


 少年は潰れた蛙のような声を出して、床にひっくり返った。鼻から大量に血を流して僕を睨みつけている。


「あ、えっと…、ごめんね。大丈夫かい?君が噛むからいけないんだよ」


 僕はしゃがみ込み、少年に手を伸ばした。

 良かった。取り敢えず、鼻の骨は折れていないようだ。血は…かなり酷いけど。

 こんな時でも僕は自分の保身にはいる。君がいけないんだよ、なんて僕が言う資格ないのに。この子は確かに怪しい行動をとったけど、そこまでする必要はない。


「やめろよ。見た目じゃ分かんねぇかもしれないが、俺はもう大人だ」


 咳き込みながら自分は子どもでないと主張する少年。何処からどう見たって子どもだろうに。

 確かに転移聖呪円に乗っている時は成人男性に見えたし、その後だって暫くは成人男性に見えた。あれ?いつからこの子は子どもに見えるようになったんだろう。

 僕は首を傾げた。曲線の輪郭。華奢な体。円らな瞳。艷やかで柔らかそうな銀髪。何処からどう見たって子どもなのに。


「君が…仮に成人していたとしても、僕には君が子どもに見えるよ。子どもでないと言うなら、もう一度聞くよ。君は魔帝国人かい?」


 やはり、子供だ。子供でないわけがない。見た目も、態度も、全てが幼稚だ。それに…子供でないなら尋問しなくてはいけない。見た目に幼さが残った成人男性の可能性は拭いきれない。でも、僕には子供に見えるのに。

 考えていても何も解決しない。僕は再び少年に訊ねる。君は魔帝国人かと。


「違う。違うに決まってんだろっ!さっきからずっと言ってるけど、俺は勇者なんだよっ」

「勇者、ね。知らないな。魔帝国の新しい役職かと思ったんだけど…どうやら違うようだし。他国の職業名なのかな?」


 この少年は勇者という言葉をよく言う。ここまで一貫して言われると、意味のある言葉に聞こえてくる。年頃の子供にはよくあることだというのに。

 何にせよ、答えは決まった。いや、決まったというか保留に決まった。暫く様子を見よう。この家には僕しかいないのだから。


「どちらにせよ…君がこの国に害のない存在だと確信が持てるまでは解放できない。ごめんね」


 僕はそう言って少年の襟首を掴むと、あの小部屋に連れていくことにした。僕の罪が眠る、あの部屋へ。


「じゃあ、此処で静かにしていてね。暴れれば最悪、君を役所に連れていかなきゃいけなくなるかもしれない。それは君も嫌だろう?」


 少年を乱暴に部屋へ入れ、僕は言う。…これは脅しだ。僕が強く要られる為には他人を脅して心を保たなければならない。平穏な生活がこれからも送れるように。普通に見張り番をして…給料を貰って、普通に。

 僕は小部屋を出ると、扉を閉め鍵を掛けた。鎖を巻きつけ、何重にも何重にも。そう、あの時のように。

 大丈夫、僕はもうあの時の僕じゃない。この子はいずれ解放する。魔帝国人じゃないと分かったその時に。

 唸り声のする小部屋から僕は遠ざかった。

 静かになるまでどれくらいかかるだろう。まともに話ができるようになるのはいつだろう。そんなことを思いながら。

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明日も見えぬ世界の真実 灰湯 @haiyu190320

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