巨大蛙小田原にあらわる

マサムネ

巨大蛙小田原にあらわる

 時は安土桃山時代。豊臣秀吉の天下統一もついに関東と東北を残すだけとなった。関東には北条氏、東北には伊達氏が控えていたのだが、伊達氏は秀吉に実質降伏。残るのはついに北条だけ。その北条は、大胆にも秀吉と戦おうとしていたのだった!



「うーむ、どうすればよいものか……。」

 北条のトップ、北条氏政は頭を抱えていた。豊臣軍二十万が自らの領地に迫っているというのに、城内では意見がまとまっていなかったのだから。抵抗することは決まったことには決まったのだが、どう迎え撃てばよいものか、さっぱりだった。

「こうなったら、彼らの手を借りるほかあるまい。」

 そう言って氏政は城を出た。北条お抱えの忍者軍団、風魔の力を借りるために。



「なるほど……、そのようなご依頼ですか……。」

 風魔の頭領、風魔小太郎は跪きながら、氏政の要件を聞いていた。周りには小太郎の部下の忍者たちも控えている。

「どうにかならんかね。」

 小太郎は首を傾げ、少しの間沈黙していた。静けさが氏政に不安を与える。しばらくして、小太郎が口を開いた。

「殿は、ここ小田原に伝わる獣の話をご存知でしょうか。」

「獣……?」



 時を同じくして、豊臣氏が控える大阪城。城内では黒田官兵衛と加藤清正といった名だたる家臣たちが北条攻めの作戦会議をしていた。

「殿、小田原はあの上杉をも退けた名城です。いかにして攻めましょうか。」

「何を言うか。今やわしらの軍勢に敵うものなどおらん。わしらは本陣から北条が苦しむ様子を見物といこうではないか。はっはっはっ。」

 秀吉は扇をひらひらと仰がせながら、笑ってみせる。家臣たちもそれに釣られて笑い出した。諸大名がすでに秀吉の傘下となった今、作戦を立てる必要などなかったのだから。この余裕も必然なものなのであった。



 場所が変わって小田原。そこでは、小太郎に案内された氏政が山奥へと向かっているところだった。そこは、見るからに荒れ果てていて、人の手が加わっていないということが、氏政にもよくわかった。それに加え、小太郎がここまで一言も発していないのが、不安に拍車をかけた。

「ここですよ。」

 ようやく小太郎が口を開いた。氏政が顔を上げると、そこには祠があった。祠の中央部にはなにやら獣を模った小さな石像が置かれている。

「これが、その獣なのか。」

 氏政は少し落胆した様子で、小太郎に問いかけたが、彼はどこ吹く風で笑っていた。

「ええ、これが我々の切り札ですとも。」

 小太郎のその微笑みに、氏政の心は惹きつけられていた。



 いよいよ豊臣の北条攻めの日がやってきた。豊臣軍は約二十万もの軍勢を率いて小田原に攻撃をかけてきた。ただ、攻撃といってもほとんどは小競り合い。豊臣の目的は北条の持久負けなのだから、まともにやり合う必要がないのだ。無論、北条にとってはこれが命の危機である城内には緊張が走っていた。ただ一人、小太郎を除いて。氏政は、彼をじっと見つめる。

「小太郎、そろそろよいのではないか。」

「ええ。では、向かいましょうか。」

 小太郎はにっこりと微笑み、その場から立ち上がり、城から出た。何も知らない家臣たちはその様子に驚いてはいたが、二人の間に漂う怪しげな雰囲気に呑まれ、一言も発せなかった。

 外に出た小太郎はすぐさま、例の祠にあった獣の石像を懐から取り出し、それを両手で包むようにして抱え、こう唱えた。

「小田原に伝わるけものよ、今襲い掛かろうとしている悪に、天罰を与えたまえ。」

 その瞬間、石像から光が溢れ出した。



 豊臣の本陣は戦とは思えないほどにぎやかだった。中には、妻を連れてきた兵さえいる。もはや勝ちは決まった、必死で戦っている北条軍にこれを見せれば、戦意を失うのは間違いない、と秀吉が考えたのだろう。当の秀吉も、腰掛けに座りながら、周りの様子を見て笑っている。

「殿。」

 若武者がその場に跪いた。

「なんじゃ。」

 秀吉は、耳垢をほじっている。

「奥州の伊達なのですが、たった今参陣したようでして……。」

「なんじゃ、そんなことか。もう戦は決まったというのに。しばらく助かるかどうかはお前次第だとでも言っておけ。」

 秀吉は面倒くさそうに応対する。余興気分を害された、とでも思っていたのだろう。

「しかし……。」

 若武者が口を開こうとした、その時だった。突然、あたり一面に大きな揺れが起こった。突然の事態に豊臣の本陣の空気が変わる。兵たちは、慌てふためく女たちをどうにか落ち着かせようとするが、当人たちも動揺しているため、まともな対応ができない。秀吉も若武者に支えられながら、ようやく立ち上がれた。秀吉は一度冷静になるために、杖を持った。よろめきながらも揺れがした方向を見てみると、そこには……

「けもの……?」



 小太郎が呼び出した獣とは、巨大な蛙であった。それまで順調に兵を進めていた豊臣軍も、これには進行を止めてしまう。それを絶好の機会と見たのか、蛙は豊臣の兵に襲いかかった。脚を前に振って、兵を吹き飛ばし、さらに、大きく口を開けながら顔を近づけて兵を飲み込んでしまった。豊臣軍は海から攻める軍もあったが、蛙はそんなことお構いなしに船を攻撃する。その一撃で、船はあっという間に破壊されてしまった。その衝撃で転覆する船や、恐れをなして撤退する船もあった。戦況は一気に北条有利へと傾いてしまった。

 当の小太郎は、蛙を呼んだ石を右手に持ち、それを大きく空に掲げていた。

「はーっはっはっ、素晴らしい!」

 小太郎が舞い上がっているところに、氏政が、そして家臣たちもやってきた。彼らは、蛙が豊臣軍を蹂躙しているのを見て、歓声を上げる。

「小太郎、これならば……。」

「ええ、小田原は守られるでしょう。」

 小太郎はまた、微笑む。氏政は、彼の笑顔が少し苦手だったが、彼が笑顔を見せた時は事がうまく進んだ。これまでも、そして何より今も。

(有能だが、まったく恐ろしい男だ)

 氏政がそう思った、その瞬間。

「ま、待つのだ、風魔殿!そこから先は!」

 家臣の声が聞こえた。先ほどとは一転して明らかに動揺している。氏政が目を見やると、なんと蛙が城下町の方へと向かっていたのだ。民たちは、蛙を見るや否や一目散に逃げ出している。

「小太郎!どうしたというのだ!」

 氏政が問いかけるが、小太郎は反応せず、石を掲げ続けた。このままでは埒が開かないと思ったのか、氏政は小太郎に近づこうとした。が、その前を、どこから現れたのか、風魔の忍者たちが阻んだ。彼らは武器を構え、臨戦体制だ。それを見た氏政は全てを察した。

「小太郎、我らをたばかったな。」

「ええ。」

 小太郎は、再び微笑んだ。それを見て、氏政の心の中で全てが確信へと変わる。

「私は長年不満でした。忍びを良いように扱う武士たち、そしてそれに従う愚かな民ども。そんな奴らに思い知らせたかった、我ら忍びの怒りを。そして、今ここには全ての大名が揃っている。私にとっては絶好の機会!さあ!もっと暴れるのです!」

 小太郎の声に応えるように、蛙は城下町を破壊する。その様子を、氏政たちはただ見ることしかできなかった。



 豊臣本陣は先程とは一転して、非常事態となっていた。各地での被害報告と用意されていた酒や食糧があちこちに倒れる音があちこちから聞こえた。

 そして、その様子は本陣近くで家臣の片倉小十郎と共に謹慎していた伊達政宗にも伝わっていた。気づけば、警護の兵もいなくなっている。政宗はそれをいいことに、その場を抜け出し、様子を見ることにした。

「なんだあれは!?」

 天下をほぼ手中に治め、自分に降伏を決意させた豊臣軍と、数々の強敵を退けたこともある北条軍が蹂躙されている。これにはまだ若く血気盛んな政宗でも勝てる気がしなかった。

「殿、今ならここから抜けられますが……。」

 小十郎が囁く。だが政宗の表情は険しい。

「いや、ここを抜けたとこでこの状況は変わらん。あの蛙をなんとかせねば。」

「正気で言っているのですか、殿。」

「小十郎よ、これは好機なのだぞ。うまくいけば我らの命は助かるかもしれん。」

 政宗の決意は堅かった。ここまで来たら行く他ない。そう思った小十郎は無言で首を縦に振った。政宗は、それを見て微笑んだ。

「では、小十郎。お主は笛と移動の用意をするのだ。その間にわしは着替えてくる。」



 蛙が暴れ始めてからどれほどの時が経っただろうか。北条も豊臣も反撃する力は残っておらず、城下町を侵攻する蛙をただ見ることしかできなかった。両軍とも、このまま死を待つだけなのか。誰もがそう思っていた時だった。

「殿!あそこに誰かいます!」

 豊臣軍の若武者が、蛙が向かっている方向にある崖を指差した。秀吉は、やや気怠げにその方を見やった。遠くて誰がいるかわからないが、人が二人いるのと、白い装束が見えるのはわかった。

(このような時に……、一体何者なのだ)

 もう一人、兵が駆け込んでくる。

「殿!伊達殿とその家臣がいません!」

「何?……ということは、まさか……。」



 崖まで来た政宗と小十郎。政宗は純白の装束に身を包み、その場に真っ直ぐに立っていた。小十郎は、笛を自分の前に置き、目を瞑りながら正座している。そして、目の前にはあの蛙がいた。蛙は二人の意図を測りかねているのか、動きを一時停止させたが、再び活動を開始した、その時――

「今だ!」

 政宗の掛け声を合図に、小十郎は笛を吹き始めた。美しい音色が辺りに響き渡る。政宗は、その場に片膝をついて、手を組んだ。その瞬間、装束には光が灯った。すると、どうしたことだろうか。蛙は急に向きをくるりと変え、城下町から離れていく。そして海に辿り着くや否や潜り始め、姿を消してしまったのだ。誰もが、言葉を失ったのだった……。


「ああああああ……。なんということだ!なんということだぁ〜!」

 小太郎は、ひとり阿鼻叫喚し、がっくりと膝をついた。周りの忍者たちも、武器を落とすほどに意気消沈していた。中には、涙を流す者までいた。反対に、北条家の家臣たちは、ほっと一息ついている。氏政は喜びと悲しみが入り混じった顔をしていた。

「小太郎……。わかっているな。」

 小太郎は、もはや言葉を返せる状況になかった。



 秀吉は生き残った数少ない兵と共に、政宗たちがいた崖へ向かっていた。もうすぐ辿り着くというところで、降りてきた政宗と小十郎に遭遇した。政宗の装束は、まだ光り輝いている。兵たちは、その眩しさに驚きつつも、どうにか目にしようと、目をできる限り開かせている。政宗は苦笑した。

 そして、兵たちをかき分けて秀吉が現れた。秀吉は、その者が本当に政宗だと知り、開いた口が塞がらない様子だった。ようやく話せるようになった時には、自然と両膝を地面につかせていた。

「おぬしが、本当にあのけものを追い払ったのか……。」

「さあ、それは私にもわかりません。」

 政宗は知らぬ顔だ。

「ですが、秀吉様の軍はあれにただやられるばかりでしたね。」

 政宗の皮肉に、兵たちに動揺が走る。しかし、秀吉は大笑いだ。

「はっはっはっ。確かにその通りじゃわい。」



 その後、この騒ぎの責任を取り、氏政は自害。北条家は滅亡し、ここに天下統一は達成された。そして、当の政宗は、領地は没収されたものの、命は助かり、石高もそこまで少なくはされなかった。この後も、政宗は謀反の疑いをかけられることが何回かあるのだが、どれもどういうわけか許された。その背景には、この事件を解決させたことがあるのだという……。

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巨大蛙小田原にあらわる マサムネ @August2002

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