第9話 魔法少女の弾丸
銃を構えた腕は、カタカタと震えていた。
みっともなく床に尻餅をついた状態で、左手を床につき、右手だけで銃を構える。震えているせいで標準が定まらないが、そもそも、それ以前の問題だった。
カチカチという音だけが、虚しく響いている。
まだエネルギーが溜まっていないと分かっているのに、引き金に掛けた人差し指が勝手に動いて、弾が空っぽの銃を撃とうとあがいていた。
もちろん、何も起こらない。
熱いわけではないのに、全身から汗が噴き出ていた。
ここには、他に守るべき人がいるわけではないのだから、倒すことが出来ないなら、せめて立ち上がって逃げるべきだと分かっていた。分かってはいた。
けれど。逃げるどころか、立ち上がることすらできそうにない。
(やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ……。あたしは、もう、何にもできないただのナズナじゃない。魔法少女になったんだから。あたしは、ヒナゲシなんだから。ちゃんと、自分で、アレを、倒さなきゃ……)
廊下の向こうで、赤い靄が、柱のように立ち上がっている。
蛇が鎌首をもたげているようにも見えた。
まだ、力が足りないのか、この間のように生徒の姿を模ったりはしていない。顔や目があるわけではない。
なのに、じっとこっちを見ているように感じられた。
ターゲットにされたのだと、自覚できた。
水滴が、頬を伝い落ちていった。
情けなくて。
白いブレザーに身を包みながらも、何もできずに震えているしかない自分が。
情けなくて。悔しくて。
ナズナは、震えたまま、頬を濡らした。
☆ ☆ ☆
(ようやく、ユリハナに会える!)
期待で胸をいっぱいにしていたナズナに、だが、カトレアは残酷な宣告を下した。
顔の横で、パンと手を合わせた、なんだかちょっと可愛らしいポーズで。
「では、班分けを発表しますね。実戦も問題なさそうなプリムラは、サルビアとスイレンと一緒に回ってくださいね。そして。まだ銃を完全マスターしていないヒナゲシは、リーダーのわたくしがばっちり面倒を見ちゃいますね♪」
「え? あたしだけ、みんなと別々なんですか?」
情けない顔で縋り付くようにカトレアを見つめると、カトレアの両脇からキキョウとスズランが宥めるように班分けの理由を説明してくれた。
「移動中は危険が多い。だから、安全のためにも、新人二人は別々の班に割り振るべきだ」
「サルビアたちと慣れてきたところだとは思うんだけれど、ヒナゲシは私たちと一緒の班の方が安心だと思うの。こちらの方が人数が多いし、それにカトレアもいますから。もしもの時にも、ヒナゲシを守りながら戦えますし」
「う…………は、はい」
スズランの鈴の音のような声にも癒されることなく、ナズナは肩を落とした。
安全のためと言われたら、反論できない。
そうだった、とナズナは大事なことを思い出す。自分はまだ一人前の魔法少女ではないのだという、とても大事なことを。
もしも、途中でヘビと遭遇してしまった時のことを考えると、確かにこの方がいいのだろうと思う。三人いれば、一人がナズナの傍について、残りの二人はヘビを退治することに専念できる。
ヘビに襲われて、都合よく能力が開花、なんてことにはならないであろうことは予測がついた。
前にヘビの襲われた時の恐怖が、まだお腹の奥の方に残っている。
しょぼくれていると、背後からぼそりと小声で話しかけられた。プリムラだった。
「まあ、張り切ったところで、今日すぐに会えるって確証はないんだし。とりあえず、まずは銃をマスターしちゃって。でなきゃ、話が始まらないから」
「う……ぐぅ…………」
正論過ぎて、ぐうの音しか出ない。
(つまり、これは。やっぱり、一人前になってから、再開すべきってことなんだよね? くっ、頑張る!)
項垂れていてもしょうがない。
ナズナは前向きに自分に言い聞かせると、顔を上げて、両手をぐっと握りしめた。
先頭を行くのはリーダーのカトレア。その後ろを、ナズナとスズランが並んで歩き、キキョウは殿を務めて、学園内を回ることになった。
このメンバーで行動するのは初めてだったし、キキョウとスズランはユリハナのことをよく思っていないと知らされたばかりでもある。なんだか、味方がいないような気になって、緊張しながら廊下を進むナズナだったが、隣を歩くスズランが気を使ってあれこれ話しかけてくれたので、次第にその緊張も薄れていった。その甘く涼やかな声音を聞いているだけで、なんだかうっとりした心持になってくるのだ。
話の内容は、ほとんどカトレアのことばかりだった。
ちなみに、キキョウは周囲への警戒に集中しているためか、二人の会話には一切入ってこなかった。
「カトレアは銃がうまいだけじゃなくて、ヘビの気配を感じ取る能力も高いんです。それは、もしかしたら、リリアナ様のおかげかも知れませんけれど。あ、そうそう。それで、緊急と思われる時には、一人で駆けだしていってしまうことが偶にあるんです」
「え? 一人でって、危なくないんですか?」
「ええ。出来ればやめて欲しいんですけれど、でも、誰かが危険な目に合っているのかと思うと、強く止めることもできませんし。実際、伊達にリーダーをやっているわけではないと言いますか、カトレアは単独でも危なげなくヘビを倒してしまいますし。……むしろ、残された私たちの方が、慌てて後を追いかけようとしてバラバラになってしまったり、焦って周囲への警戒を怠らないように気を付けないといけない感じです」
「そう……なんですね」
苦笑しているスズランから視線を外し、ナズナは鼻歌を歌いながら先頭を歩くカトレアの背中を見つめる。
パトロールをしているというよりも、散歩をしているようにしか見えないのだが、その余裕が、なんだか恰好よく感じられてきた。
以前、銃の使い方のお手本を見せてもらった時のことを思い出した。流れるような、無駄のない所作だった。チラリとでもパンツが見えるような隙もない。
銃の扱いだけでなく、その辺も見習いたいとナズナは思った。太もものホルスターから銃を抜き取る際、かなりの高確率でパンツのお披露目をする羽目になるのだ。「女子しかいないんだから、気にすることないだろ」と、サルビアには言われたが、そういう問題ではないのだ。
「まあ、サルビアと低レベルな言い争いをしたり、普段はちょっとアレなところもありますけれど、カトレアは決めるところは決めてくれますから」
ふわりとした微笑からはカトレアへの信頼が感じ取れて、ナズナも顔を綻ばせた。なんだか、胸がほっこりとする。
「あ、そうそう。もし、そういう事態になった時は、慌てず騒がず、残りのメンバーでちゃんと示し合わせてから行動するようにしてね。こういうことがあるから、カトレアの入る班は必ず三人以上になるようにしているの。カトレアと二人ペアだと、組んだ相手が一人で置いてきぼりにされてしまうかもしれないから。カトレアはあれで結構足が早いし、見失ったら大変ですから」
「そ、そうなんですね」
スズランは何でもないことのように笑っているが、ナズナは置いてきぼりにされて虚しく片手を伸ばしている自分を想像して顔を引きつらせた。
(今日は、何も起こりませんように)
スズランたちがいてくれるから、一人取り残されることはないと思いつつも、ナズナは心の中でこっそりそう祈った。
その祈りが通じたのか、パトロールは何事もなく進んでいった。
ナズナたちは今、教室のある東校舎を一階から回っているところだった。
ルートは、いつもカトレアが決めていると説明された。不穏な気配のする場所はなんとなく分かるので、そこを重点的に見回るのだそうだ。ただ、ヘビが発生するメカニズムはまだ判明しておらず、予想外のことがおこる可能性があるので、念のため、学園内を必ず一周はして、トイレや使われていない教室なんかも、異常がないか確認を行っていた。
4月は一番危険な時期だとスズランは言った。
ベテランの魔法少女たちが卒業して戦力がダウンしているのに、入学したばかりでふわふわしている新入生たちが、興味本位で放課後の冒険に出かけたりするせいだ。ヘビを見かけたり襲われたりした生徒が現れると、自然とそれも収まっていくのだが。
「そうすると今度は、魔法少女になりたいって思う生徒が、リリアナ様に祈りを捧げるために、一人で学園に残ったりし始めるのよね。でも、この場合は、リリアナ様がちゃんと場所を把握されていて、カトレアが近くに待機しているの。もしヘビが現れた時には直ぐに助けに行けて、新しく魔法少女が誕生した時には出迎えに行けるように。…………ヒナゲシも覚えがあるでしょう?」
「あ、は、はい……」
もしヘビが現れてもすぐに逃げられるように下駄箱で祈りを捧げて魔法少女になった挙句、鏡を見るために近くのトイレに直行し、そこから出てきたところをみんなに出迎えられたナズナは、少々居心地の悪い思いをした。その時のことは、忘れて欲しいと思う。
「カトレアに憧れて、魔法少女になりたいっていう子が多いみたいね。そんな理由、魔法少女としての覚悟が足りない、なんてキキョウは怒っていたけれど。ふふ、自分のことは棚に上げてるのよね」
「そ、そうなんですか?」
背後から何か言いたげな気配が伝わってきたけれど、ナズナはあえて振り向かないことにした。スズランの方は、気づいていないかのように平然とした顔をしている。
「それは、実を言えば、私も一緒なのだけれど。カトレアももちろん、素晴らしいリーダーではあるのだけれど、私たちが一年生だったころのリーダーも、それは凛々しくて素敵な方だったの。それはもう憧れて、私もあの方と一緒に学園のために戦いたいって思いが募って。この気持ちだけは、誰にも負けないって思っていたの」
恋する乙女のようにうっとりと語るスズランを、ナズナは「ほぇ~」と見つめた。
凛々しくて素敵な方……。あの方……。
一体どんな人だったのだろう?
後ろを歩くキキョウにも凛としたイメージがあるけれど、キキョウにカトレアの神々しいオーラを足した感じだろうか……と想像してみる。
うまくいかなくて、もう少し情報を、と思ってスズランに聞いてみる。
「そのリーダーは、何て名前だったんですか?」
「…………それは、覚えていないの。顔も、名前も。卒業した魔法少女のことは、忘れてしまうの。確かにそこにいたし、その時の気持ちも覚えているのに、顔と名前だけが思い出せないの……」
「そう……なんですか? そんなの、寂しいです。どうして……」
カトレアたちの顔と名前だけが思い出せない……。そうなった時のことを想像して、ナズナは胸を押さえて俯いてしまう。
でも。隣から聞こえてきたのは、そんなナズナへの慰めではなくて、揺らぐことのない決意の声だった。
「どうしてかは分からないし、もちろんとても寂しいです。でも、私は魔法少女になったことを後悔はしていません。私たちがヘビと戦うことで、クラスの友達や、学園のみんなが、安心して放課後を過ごせるようになのですから」
顔を上げて、隣を歩くスズランを見る。スズランは、ナズナではなく真っすぐ前を向いていた。
一見。名前の通り、可憐で儚く揺れているだけのように見えるのに、その横顔からは儚さなんて微塵も感じ取れなかった。どんなに強い風に揺さぶられても、最後まで咲き続けることを諦めない、そんな強さを感じた。
(先のことを考えるよりも、今は早く一人前にならなきゃ! ユリハナさんだけじゃなくて、ルカやむっちゃんが安心して部活をやれるように、あたしももっと頑張らなきゃ!)
すっかり元気を取り戻して、むん、と胸を張る。
それから。思い立って、ナズナは前を行くカトレアに聞いてみた。
「あの、カトレアも、なんですか? その、前の、リーダーさんに?」
前を向いたまま、カトレアは答えた。
「わたくし? いいえ、わたくしは違います。わたくしが魔法少女になりたいと思ったのは、大切な人を守りたかったからです」
「あ、あたし! あたしもです!」
思いがけない答えに、ナズナは両手を握りしめて、勢いよく叫んだ。カトレアは振り向いたりはしなかったけれど、その背中が微笑んだような気がして、ナズナは胸の奥がほわっと温かくなるのを感じた。たまに親近感はわくものの、基本的には雲の上にいるカトレアが、自分と同じ思いで魔法少女になったということが嬉しくて、ナズナの足取りは弾んだ。
なんとなく。自分だけが、みんなのためではなくて、個人的な理由で魔法少女になったような気がして、内心後ろめたく思っていたのだ。
(でも、みんな一緒なんだ。きっと、誰かを守るのも、みんなを守るのも、おんなじことなんだよね)
一人でほこほこしていると、前を行くカトレアが足を止め、天井を見上げた。
その背中からは、さっきまでの柔らかい空気は消えて、研ぎ澄まされた緊張感が漂っている。
場所は、東校舎二階。南側の階段の手前の廊下だった。
上からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。
階段を駆け下りてきた二人の少女の顔に、見覚えがあった。
(あれは、三組の……?)
二人は、白いブレザーに気が付くことなくそのまま階段を駆け下りていく。
凍り付いた表情。荒い息遣い。言葉にならない悲鳴が感じ取れた。
「三人は、あの子たちを追いかけて、学園の外まで送り届けて!」
叫んでカトレアは、階段へ向かい、三階へと駆けあがっていく。
返事もないままに、ナズナ以外の二人も動いた。
後ろにいたキキョウが、風のようにナズナの横を通り過ぎていく。
思わず振り向いてしまったナズナの目に、何か赤いものが映った。
確認しようと後ろを向いて、凍り付く。
天井が赤く滲み、そこから何かモヤモヤしたものが床へと降りてくる。ちょうど、二年二組の教室の前あたり。
廊下の真ん中に、赤い柱が立ったかのようだった。
(ヘ、ヘビ…………!)
口の中がカラカラだった。
震える手で、スカートを捲り、銃を取り出す。
カタカタという音が聞こえるようだった。
両手で銃を構え、赤い柱に標準を合わせる。
――――その瞬間。
自分を狙うナズナの気配を察知したのか、赤い柱だったものが生き物になった。明確な殺意をナズナに向けて来る。殺意に怯んだナズナは、その場で尻餅をついてしまった。
「ヒッ…………」
銃だけは、何とかまだ構えていた。
けれど、顔のない柱のようなそれが舌なめずりをしているような気がして、うまく銃身に力を込められない。
みっともなく尻餅をついたまま、弾の込められていない銃の引き金を、虚しく引き続ける。銃身に力を込めるなんてことは、完全に頭から吹っ飛んでいた。
天井の滲みはいつの間にか消えていて、赤い柱は、鎌首をもたげた蛇のような姿になっていた。頭の先は、ナズナに向いている。
ヘビが動き出した。ナズナの方に向かって。
「……………………っ!」
助けを呼ぼうにも、声が出なかった。一年生たちを追っていったキキョウとスズランは兎も角、三階に上がったカトレアは、声を聞きつければ降りてきてくれるはずだ。
なのに。声すら出せない。
その時、脳裏に浮かんだのは――――。
白く神々しい微笑みではなく、長い赤髪をサイドテールにした少女の姿だった。
(…………ユリハナ!)
声にならない呼び声に答えるかのように、赤い柱のど真ん中を白い光が貫いた。
サラサラと崩れて霧散していく赤い靄の塊。
その向こうに。
赤い髪の魔法少女が、右手で銃を構えて立っている。
「ユリ……ハナ…………」
(来てくれた。また、助けてくれた……!)
構えていた銃を降ろし、立ち上がろうとして、ギクリと動きを止めた。
ユリハナは、まだ銃を構えたままだった。
険しい顔で、ナズナの後ろを睨み付けている。
(まさか、まだ、ヘビが…………?)
恐る恐る、体を後ろに捻り、首を回す。
(…………え?)
そこには、カトレアが立っていた。
背後に誰かを庇っている。魔法少女ではない。普通の生徒だ。たぶん、上で逃げ遅れた生徒なのだろう。
他には、誰も見当たらない。何も見当たらない。ヘビを思わせる赤いものは、何も。
カトレアは何かを警戒してる風でもなく、いつものように悠然と微笑んでいた。
カトレアもまた、ナズナではなくユリハナを見ているようだった。
「おまえだけは絶対に許さない! リリアナっ!」
激しい憎しみを込めた叫びと共に、ナズナの上を白い光が走っていった。カトレアを目指して。
(え?)
光は、カトレアを貫いたりはしなかった。
胸元に当たって、ぱあっと四散した。
微笑みを浮かべたまま、カトレアの唇がゆっくりと動く。
「知っているでしょう、ユリハナ。魔法少女の弾丸で、わたくしは撃ち抜けない」
そう言ってカトレアは、一層笑みを深くした。
一体、何が起こったのか。
理解が追い付かないまま、ナズナは頭を前に戻す。
ユリハナは、カトレアを見ていた。カトレアだけを。
飢えた獣のようなギラついた瞳で、射殺さんばかりにカトレアだけを見ていた。
しばし、見つめあった後。
ユリハナは、銃をホルスターに収め、何も言わずに踵を返し、北側の階段へと消えていった。
ナズナのことは、一瞥すらしなかった。
どういうことなのか、さっぱり分からなかった。
今のは、一体、何だったのだろう?
頭がマヒして、何をどう考えていいのかすら分からない。
自分一人だけが、取り残されてしまったような気持ちだった。
(どうして?)
ナズナはただ茫然と、赤い髪が消えていった廊下の先を見つめていた。
闇に堕ちた魔法少女 蜜りんご @3turinn5
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